沖縄で頻発する「珍行列」に、危うい集団暗示の縮図を見る

「そば行列」ができる石垣島の集落。ここに行列?(筆者撮影)

筆者が2000円でキープした「泡波」(筆者撮影)
筆者が2000円でキープした「泡波」(筆者撮影)

沖縄そばを求め里山に大行列!

この秋冬は沖縄県の石垣島・八重山諸島を周った。石垣市街から車で1時間ほどの、ある小集落を訪ねたときのことである。

山の裾野に民家が点々と立つ、のどかな集落。ちょうど昼どきで、集落に1軒ある食堂に向かった。最近その食堂の沖縄そばが人気だと聞いたが、観光オフシーズンの12月平日だ。人は少ないだろう。

と思ったら、トンでもなかった!

店の前に大行列! それも人ではなく「わ」ナンバーのレンタカーが数十台、ズラリと並んでいる! 驚く筆者の前に「わ」ナンバー車がまた1台、さらに1台! 細い路地は車で満杯だ。里山の集落に来てまで、この大行列に参加はしたくないと思い、店には入らず集落をあとにした。

沖縄ではほかに数ヶ所で「そばをめぐる行列」ができている。本島北部、美ら海(ちゅらうみ)水族館近くの集落では、人気のそば食堂とぜんざい屋を目当てに、ガイドブックを小脇に挟んだ人が長蛇の列。鄙びた集落にやはり「わ」ナンバー車が次々やって来て、歩道もない狭い路地に車を停めていく。ラーメンに日本そば、うどん……なんで日本人は麺類となると、こんなにも並ぶのか。

また八重山では今年、観光客急増に伴い、日本最南端の有人島・波照間島の泡盛「泡波」人気が復活した。「泡波」の酒造所は小規模で、大量生産はしない。酒造所での販売も行わないので、「泡波」は造られるたび島の売店に並び、それを島人が買う。ただそれだけだが、なぜか旅人の手に入りにくい「幻の泡盛」として噂が広まり、併せて島外での値段も跳ね上がってしまった。

島の居酒屋で飲めばグラス600円、三合瓶2000円が相場。それが石垣では三合瓶が6000円! さらに本州に渡るとグラス3000円に跳ね上がり、三合瓶が1万円を超えることも! 2000年代前半の八重山ブーム時には、一升瓶にネットオークションで10万円超の値がついたこともあった。そんな狂乱も八重山ブーム沈静と共にいったん落ち着いたが、今年はビギナー観光客が増えたせいか再び「幻神話」に火が点いている。 

石垣島の居酒屋では隣り合った怪しげなオジさんが、

「凄い酒見つけたでー! 〈泡波〉言うてな、コレは商売になるでー!」

と電話で誰かにまくしたて、失笑を買っていた。何の「商売」をするつもりだか。

気になる「泡波」の味は、普通に美味い一般的な泡盛で、何かが突出する酒ではない。だが「幻」という思い込みから実質以上にこの酒を崇め、元値の数倍を払ってでも手に入れたい人が続出している。滑稽だ。

ちなみに高額を払っても、利益は酒造元ではなく間に入ったピンハネ業者の懐に入る。だから法外に高値がついた「泡波」を飲むことを、筆者は勧めない。地酒は地元で飲むのがいちばん。波照間島の居酒屋に行けば、あるいは民宿に泊まれば正しい値段で飲めるから、それでいいと思う。

島の居酒屋で三合瓶を注文した場合、その場で栓を開ければ持ち帰りもOK。転売防止のため、未開栓で買い取りはできない。筆者はこの秋に島の居酒屋で2000円の三合瓶を注文、飲み残しはキープしてきた。1年間置いてくれるから、また行けばいい。

ほか石垣島に「行列ができるラー油」もあり、こちらも人気再燃の気配。そんなわけで日本人は、ひとたび人気が出たものに行列するのが大好きだ。のどかな里山でも古く静かな集落でも、構わず行列。

「こんな静かな場所で行列したら迷惑かも」

と、我に返る人は少ないようである。

「みんなが並ぶから美味しいはず」

「人気だって聞いたから」「みんなが行くから」――なぜその行列に並ぶのか、理由はそんなことだろう。沖縄そばや泡盛の味を知り尽くしているわけではなく、行列びとの大半は「みんなが並ぶから」並ぶのである。

ひとたび大きな流れが生じると、そこに参加することで安心する。「個性」「オリジナル」という言葉を好みながら、実は多数派に身を置くことで気持ちが落ち着く。行列に並ぶことを「流行を押えた」行為に置き換え、自分が付和雷同のぬるま湯に浸かっていると気づきもしない。つくづく日本人は、そんな人が多いのだろう。

こうした現象の根底には、独自の価値観や審美眼の欠如がある。他人が何と言おうと揺るがない審美眼がないから、誰かが「良い」と言ったものを「良い」と思ってしまう。要は暗示にかかってしまうわけだ。そして冷静さを失うほどに、暗示にかかりやすくなる。

沖縄という枠に留まらず、全国規模で同様の現象が起これば、高じて「流行」「ブーム」「風評」に転ずることも多い。近年その節操のなさに、拍車がかかっているとも感じる。

何かスポーツが盛り上がればワーッと群がり、すぐ消えていく「にわかファン」。アイドルのとの握手券ほしさに、同じCDを数100枚も買う「いい大人」。全員ではないだろうが、暗示にかかっている人はたぶん少なくない。

ネガティブな状況下では、同様の心理が集団ヒステリーとなって伝播することもある。例えば東日本大震災後の東京で、スーパーの店頭からパンが消えた。確かに子を持つ親にとって切実な状況だったが……冷静な判断力があればパンではなく、保存性の高いチョコレートやビスケットが先になくなったはず。しかし実際にはパンがなくなった。集団暗示やヒステリーの恐ろしさを、改めて感じずにいられない。

そんな集団暗示、最近の最たるものは「選挙」ではないだろうか? わずか4年の間に2度の政権交代。しかもそれぞれ圧倒的大差で政権がひっくり返った。2度の選挙で果たして、私たちは自分なりの審美眼で、冷静に国の代表者を選出したといえるだろうか。

暗示をかける「大きな力」に欺かれない

毎年恒例の「今年の漢字」が発表された。2013年の漢字は「輪」。投票は拮抗し僅差での1位獲得だったが、この結果にも集団暗示の兆候を感じたのは考えすぎか。

「輪」は東京五輪の「輪」、そして日本が一つの輪に「つながる」イメージ。だが「東京は福島から300km離れているから大丈夫」発言で、五輪の輪から福島は弾き飛ばされた。国民が一つの「輪」でつながり、その内側に閉じるのは危険極まりない。「輪」が1位になった事実に、この国がひとつの閉じた暗示に囚われていく不穏を、感じてならない。

ちなみに筆者が私的に選んだ今年の一文字は「欺(ぎ/あざむ・く)」。アベノミクスというニンジンをブラ下げ、五輪「都民熱狂」報道を挟み、特定秘密保護法案に至る一連の流れ。加えて次々に露見した食品表示偽装。2013年は「力ある者」が国民を欺き続けた1年だった。暗示にかかりやすいお人好しの国民が、震災以降さらにものわかりよく、「輪」という美句のオブラートで今そこにある問題を包みぼやかす――空恐ろしさを覚えるのは杞憂だろうか。

さて、新年早々に都知事選が行われる。都民の審美眼が試されるわけだが、早くも「自民党の世論調査で外添氏有利」のニュースが流れた。私たちを暗示にかける動きは水面下で俊敏に、そして周到に始まっている。

最高得票数で選出した前知事が、わずか1年で職を辞した。2度の政権交代選挙に続き今回のこの結果。いい加減気を引き締め、自らの審美眼に磨きをかけ、リーダーを選ばなければいけない。その他全国規模で、2014年は何やら風雲急を告げる予感。人の意見に流され、暗示にかかっている場合ではないことを自覚したい。

……そばと泡盛から始まった話が、大げさになってしまった。これも冷静さの欠如だろうか。自戒しつつ本年の執筆は、これで締めくくる。皆さんどうぞ、良いお年をお迎えください。