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ユーロ圏危機とギリシャ:マーガレット・サッチャーの予言

ブレイディみかこ在英保育士、ライター
(写真:ロイター/アフロ)

英国ではこれまで表立ってギリシャ政権支持に回っていたのは、左派と右翼UKIPだったが、ここに来て保守党御用達新聞のデイリー・メール紙まで「チプラス首相は現代のサッチャー」などという主旨の(これまでの同紙の論調からすれば)まさかの礼賛記事を掲載。四半世紀前にサッチャーがユーロについて警告していたこととチプラス首相が言っていることは同じだという。近代欧州哲学のピーター・オズボーン教授はこう書いている。

「英国がもし単一通貨ユーロに加入していたら、今回の危機は我々にとってはるかに悪い状況になっていただろう。ここには大きなアイロニーがある。欧州の通貨統合は、1990年にローマ・サミットで真剣に議論された。英国首相はマーガレット・サッチャーだった。彼女は、自分たちのお気に入りのコンセプトを押し通そうとするフランスのミッテラン大統領やドイツのコール首相に対し、猛烈に反対した。彼女の反抗は、英雄的だが孤独で、それが彼女の失脚に繋がった。(中略)数週間後には彼女は退任に追い込まれている」

「だが、今になって振り返れば、マーガレット・サッチャーの最後の抵抗は予言的だったとしか言いようがない。(中略)実際、彼女の分析は同情的で、深遠だった。他のほとんどの人々と違い、彼女は、一つの国にならなければ単一通貨は機能しないと言ったのだ。単一通貨には、それが使われているエリア全域での財政政策の統一が必要だからだ。さもなくば、各国の政治的正当性が問われることになる。悲劇的なのは、欧州の指導者たちはこの警告を聞かなかったことだ。彼らは、例え人民が犠牲になろうともユーロ圏を作って国境を取り除こうと決めた。こうして、それぞれが異なる歴史と、異なる制度と、異なる経済的特徴を持つ19の国が単一通貨を使うという狂気の決断が下された」

出典:PETER OBORNE: This Greek horror show wouldn't be happening if only Europe had listened to Maggie

デイリー・メールの記事はこれだけでは終わらない。ここからチプラス礼賛に入る。

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「チプラス首相を批判する人々は、彼は気が触れたマルクス主義者だという。たぶんそうかもしれない。だが、ユンケルやジャック・ドロール、ミッテランやメルケルといったユーロに過度に固執している指導者に比べると、彼は常識と理性の手本である。マルクス主義者だろうと何だろうと、彼の勇敢な姿勢は、25年前のマーガレット・サッチャーの直系の後継者だ。彼はサッチャーのように、愛国心を持って国民のために立ち上がり、EUのいじめに抵抗している。目の前には恐ろしいリスクがある。だが、彼はすでに何かを達成した。彼のおかげで、単一通貨に殺されていたユーロ圏のデモクラシーがギリシャで復活したのである。(中略)我々英国民は、チプラス氏があの素晴らしい国の新たな未来を築くにあたり、全力で彼を支援しなければならない」

出典:PETER OBORNE: This Greek horror show wouldn't be happening if only Europe had listened to Maggie

思わずコーヒーカップを取り落としそうになるほど熱い記事なのだが、これまでどちらかというと「シリザもチプラスもクレイジーで呆れる」的な論調だったデイリー・メールがこんな記事を載せているのである。

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しかし、マーガレット・サッチャーは

「社会主義の問題は、そのうち他人からはお金を貰えなくなるということです」

とも言った政治家なので、存命だったらシリザについて何を言ったかわからないが、やはり保守系新聞のテレグラフも今回のギリシャ危機でサッチャーを思い出している。

「ユーロは最初から経済的ではなく理念的だった。サッチャーはユーロを『お花畑の国』と呼んでいた。(中略)単一通貨を成功させるには政策を一致させる必要があり、それは最終的には欧州の政治的統合と国家崩壊につながるという避けがたいロジックを彼女は理解していた」

出典:Are the Germans about to call the Greeks' bluff?(The Telegraph)

サッチャーの秘蔵っ子だった元保守党党首のウィリアム・ヘイグも1998年にユーロ圏について「いくつかの国はその罠にはまり、脱出することができなくなる。賃金は下がり、税金は上がり、失業者が続出する」「それは出口のない燃えている建物に閉じ込められているようなものだ」と演説していた。彼もこう書いている。

「ユーロ圏首脳会議に出席している指導者たちには、ユーロ発足の時に反対していた我々の予想が正しかったことを思い出して欲しい。さもなくば、彼らの前任者たちが1998年に行った判断や分析、リーダーシップの致命的失敗を繰り返すことになる。(中略)ギリシャは、17年前に私が予想していたように、燃えている建物の燃え尽きた部屋にじっと座っているよりも早く脱出したほうがいい。(中略)ユーロ圏に留まる限り、ギリシャは私たちが生きている間に再生することはないだろう。それは彼らが無能だからではない。彼らの国の経済は、ドイツや他の単一通貨に向いている国々とは違うからだ。(中略)これから数十年後、ビジネススクールの学生たちは単一通貨を広げすぎることの愚かさについて学んでいるだろう。悲しいことだが彼らの教科書には、2015年のギリシャの大混乱はユーロ危機の終焉ではなく、本格的な始まりだったと書かれているだろう」

出典:William Hague:Greece does not mark the end of the euro debacle, merely the beginning

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こうして英国では、反移民の右翼(UKIP)も、サッチャー好きの保守派もギリシャ政権を支持している。EU残留派のキャメロン首相は、EU離脱投票では保守党党首なのに左派からの票をあてにしていると言われている。が、コテコテの左派ライター、オーウェン・ジョーンズのような人ですら「左翼もEU離脱を考える時が来た」と主張し始めた。

元祖「この道しかない」のサッチャーでさえ反対した「EU圏の政治的統一」が、富国による貧国への緊縮の押し付けという形でリアリティーになったように見えるからだ。

近所のパブで飲んでいたら、店主がニュースを見ながら「むかしは他国の政府のやってることが気に入らないと空爆したもんだが、いまは『借金返せ』になったのな」とブラックジョークをとばしていたが、笑っている人は誰もいなかった。

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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