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スコットランド狂想曲2:市民的ナショナリズムと民族的ナショナリズム

ブレイディみかこ在英保育士、ライター

左派新聞ガーディアンが、まだ千々に乱れている。

12日社説の「ナショナリズムは社会の不平等性を正す答えにはならない」の宣言をもって、スコットランド独立反対のスタンスで落ち着いたと思っていたら、投票2日前になって、それに真向からカウンターをかけるような文章をばーんと出して来た。

ちょうど今、ビリー・ブラッグという人のことを調べて書いている最中なのだが、その記事を書いたのが他ならぬ彼なのだからこの妙なシンクロ具合は気になってしかたない。

以下、抄訳。

僕がフラストレーションをためている最大の理由は、イングランドの左派が、ナショナリズムというものは一種類ではないということに気付いていないということだ。様々な種類の社会主義についてデモやカンファレンスで簡潔に説明できる人々が、ナショナリストの違いということになるとどうもわかっていない。

最近、SNP(スコットランド国民党)とBNP(英国国民党)には何の違いもないと主張する人と議論した。そう思いたいのだろうか、と訝ってしまった。ちょうど、公平な社会を求める人間はすべてスターリン主義者だと決めつけるデイリー・メイル紙のようだ。

スコットランドとウェールズ、アイルランドでは、ナショナリズムというのは、自らの運命を自分で決める権利を求める運動に与えられた名前である。ジェームズ・コノリーはこのナショナリズムのために命を落とした。スコットランドが生んだ最も偉大な左翼人と言っても差し支えないだろうジョン・マクリーンも独立を支持し、スコットランド議会を求めて運動した。

彼らは2人とも、英国は改革に執拗な抵抗を示す国だということを知っていた。そして英国とは決別したほうが労働者たちの利益になると考えたのである。

イングランドは支配的立場にあるので、ブリテンという枠組みから自由になりたいなどと感じることはなかった。結果として、イングランドのナショナリズムは民族的なものになり、「脅威を感じるアウトサイダーに対抗するため土着民が結束すること」になった。加え、ヨーロッパに住む我々にとり、民族的ナショナリズムは長く暗い影を落としている。

そのダークな歴史があるため、多くの左翼人たちがナショナリズムという言葉を聞くとワンパターンの反応を取ってしまうのは不思議ではない。しかし、SNPとBNPのマニフェストをきちんと読んでみれば、その考えは消えるはずだ。

BNPの民族的ナショナリズムは一見して明らかである。それは民族性を基準にして人々を排除するプランだ。だが、SNPは真逆である。それは僕たちが何であるかではなく、何処にいるかを基準としたインクルーシヴな社会を目指しているからだ。

これは市民的ナショナリズムである。4年か5年おきにちょっと舵に手を置く程度ではなく、全市民が自分たちの社会が進む方向を決めるプロセスに参加するというコンセプト。それはナショナリズムというタブー言葉を活性化させる。抜本的な変革が起こる最大の機会を与えるのは、国のレベルでのデモクラシーなのだ。

Common Weal、National Collective、Radical Independence CampaignといったYES派陣営の団体は、スコットランドの有権者たちに生気を与えて来た。彼らは、英国の政治とは全く違うベクトルの公平な社会の理念を訴えて来たからだ。彼らのイベントに来る人々はナイジェル・ファラージ(右翼政党UKIPの党首)みたいな意味でのナショナリストではない。移民に腹を立て、彼らはスコットランドの国民ではないと不平を言っているナショナリストではないのだ。

そうではなく、このナショナリストは、英国が進んでいる航路に不安を感じている人々だ。英国では極端な貧困が広がる一方で、富裕層は疑問を感じることすらない。政治・経済界の有力な地位は私立校出身の富裕層の人間に独占されている。人々を排外主義に駆り立てているのは保守党政権なのである。

イングランドの左派は、ナショナリズム云々という偏狭な理由からYES派を否定するべきではなく、彼らの独立を支持すべきだ。彼らの独立は、中央集権型のUKの政治構造を変えるきっかけにも繋がる。確かに、彼らが独立することになれば、スコットランドの国会議員(そのほとんどが労働党)が国会を去る。だが、そのために「今後は保守党が不動の多数派になる」というのは脅し以外の何物でもない。1945年以来、労働党がスコットランドで獲得した票数に依存して勝った選挙は2回しかなかったのだ。イングランドが保守党を政権から追い出したいと思えば、我々は自分でそれを成し遂げる能力は持っている。見くびってくれるな。

スコットランドの独立の意志を支持するのは、固定観念に立てば左翼的スタンスに見えないかもしれない。だが、その観念が固定する前から、英国の歴史にはディープに流れる進歩的な伝統があった。それは、「強大になり過ぎた権力者に責任を問う」不屈の信念だ。スコットランドがもし独立すれば、我々も勢いを失った自らの伝統を再発見するかもしれない。そして市民が参加する政治とより公平な社会を目指し、民族的ナショナリズムという国家的な弱さと戦うことができるかもしれない。

さすがは『The Internationale』(UKの伝統的な左翼プロテスト・ソングのリメイク集アルバム)を出したフォーク・シンガー。というか、出すべき人が出して来た文章なのかなと思う。彼は以前から左翼であることと国を愛することは両立可能なコンセプトだと主張してきた人なので、スコットランド独立はまさにそれを具現しているような問題である。

しかし何より、自らの社説に「なに言うてんねん」と真っ向から罵声を浴びせ、激しく鞭打ってきたかのような原稿を、独占記事として掲載したガーディアンがいい。

新聞は、真摯であれば千々に乱れたっていいのだ。

明日はガーディアンどうなってるんだろう。

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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