【細野離党】かつては総理候補だった細野氏。ひとりぼっちの離党を考える

かつては民主党(当時)代表選に出馬したことも。(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

たったひとりの離党劇

 まずは「たったひとりの再出発」となったようだ。細野豪志衆議院議員が8月8日、民進党に離党届を提出した。

 細野氏は2000年の衆議院選で初当選。今年46歳だが、すでに6期目のベテランだ。民主党政権時には環境大臣や原子力担当大臣などとして活躍し、党務では幹事長や政調会長も歴任した。今年5月まで蓮舫代表の下で代表代行を務めている。

 なぜ今、細野氏は離党を決断したのか。党内は、蓮舫代表の辞任表明による次期代表選で混乱の模様。細野氏の離党はこれに拍車をかけている。

 というよりも、「新党を作る」という細野氏の思いが、この混乱状況で伝わってこないのだ。

 前日の8月7日には、若狭勝衆議院議員が「日本ファーストの会」の立ちあげを発表した。すでに政治団体は7月13日に結成し、次期衆議院選に向けて候補者を養成する「輝照塾」を開くという。若狭氏と連携を暗示する細野氏の離党は、これに連動してのものだろう。

 だがうまくいくのか。

細野氏は運に恵まれている

 細野氏は「運のいい人」だ。静岡5区選出だが、滋賀県生まれで地元の出身ではない。初出馬で戦った相手は大昭和製紙の創業者一族の齊藤斗志二氏だったが、細野氏はこれを打ち負かす。

 細野氏の名前を全国的に知らしめた2006年の「路チュー」事件は最大の危機だったが、なんとか乗り越えた。週刊誌の報道によると、奥様の献身的な協力があったゆえと聞く。そして2009年の衆議院選では18万4328票を獲得。民主党に風が吹いた選挙とはいえ、前回より3万6000票も増やしている。

 党内での活躍は周知の通り。「次代を担うリーダー」と見なされ、「将来の総理候補」とも目された。実際にその寸前まで行ったこともある。

 それは2011年8月の代表選だ。東日本大震災の勃発で延び延びになっていた菅直人首相が辞任し、その後継を決める選挙だったが、実はこの時に細野氏を担ぐ動きがあった。

「あの時に決断していれば、細野総理が誕生したはずだ」(当時の関係者)

 しかし最後の最後に細野氏は決断せず、当初は“ダークホース”だった野田佳彦氏が勝利し、総理大臣に就任した。

 このように、細野氏は運がいい割にはつめが甘い。2015年1月の代表選では、第1回目の投票で岡田克也氏を上回ったが、2回目では敗退。大きなチャンスを逃している。

 同年11月には、江田憲司衆議院議員や前原誠司衆議院議員らと声を挙げ、岡田代表(当時)に民主党解党を迫って野党再編を目論んだが、これも萎えた。一方で2016年9月の蓮舫体制発足時に代表代行に就任したが、憲法私案が受け入れられないという名目で2017年5月に同職を辞任。同時期に静岡県知事選出馬を模索していたが、川勝平太知事からの禅譲が叶わず、スズキの鈴木修会長の支援も得られずに頓挫した。「思い切って出馬していたら、当選した可能性はある」という声が多いだけに、大きなチャンスを逃がしたといえる。

時期を待つことも大事

 そして今回の「たったひとりの離党劇」だが、これまでの経歴から見て寂しすぎるだろう。もっとも「先に細野氏が離党し、民進党が分党した後に仲間が合流。140億円といわれる党内の資金の一部を獲得する」という話も伝わっているが。

 しかしながらその「仲間」は何人いるのか。細野氏サイドから離党を誘われたある議員は「きっぱり断った」と筆者に話した。そう、政治家は運だけでは勝負できない。機を見る目も必要だ。

 8月21日に46回目の誕生日を迎える細野氏は、政治家としてまだまだ先がある。時代が背中を推してくれるその時は、きっとやってくるはずだ。