インフォームド・コンセントが日本に導入された本当の経緯とは!?

(写真:アフロ)

佐藤恵子先生 京都大学医学部附属病院 医療安全管理部 特任准教授。 東京薬科大薬学部卒、同大大学院博士前期課程修了、 東京大学大学院健康科学看護学博士後期課程修了。 薬剤師、保健学博士。
佐藤恵子先生 京都大学医学部附属病院 医療安全管理部 特任准教授。 東京薬科大薬学部卒、同大大学院博士前期課程修了、 東京大学大学院健康科学看護学博士後期課程修了。 薬剤師、保健学博士。

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大塚:昔、僕が研修していたときに教わっていたお師匠さんは、そういう面でインフォームド・コンセントをちゃんともらっていた先生でした。じっくりと患者さんの意見を聞いて話をしていました。その先生が難しい病状の患者さんの希望を聞いて、折り合いをつけるポイントを見つけて最後に言うことが、「じゃ、これで恨みっこなしね」という言葉だったんです。僕はそれがしっくりくる言葉だなと思って。「じゃ、恨みっこなしね」というのは、日本人にとって一番いい合意の形じゃないでしょうか。

佐藤:医療行為は、切ったり貼ったりで身体の一部や機能を失ったりもしますね。基本的に、患者さんにとっては、痛かったり苦しかったりといういやなことなんです。なので、患者さんが、「先生は、私が手術が嫌だと思う気持ちとか、苦しんでいる部分を理解してくれている、納得して治療を受けられる」と思えるということが、恨みっこなしという言葉じゃないかなと思います。「身体に傷は付くけれども、それで命が助かるのであれば、それで恨みっこなしだ」というふうに。

大塚:僕もときどき使うんです。難しい病状の人に、いろいろ話をして、最終的にお互い納得できたときに、「これで恨みっこなしね」と。

佐藤:患者からしてみたら、医師が自分の苦しみや大事なところを共有してくれていると思えて、身体をあずけようという気になるんじゃないですか。信頼を寄せるということですけど。

大塚:なるほど。ただ、こうしてきて今まで患者さんと問題になったことはないんですが、困るのが患者さんの家族が理解してくださらなかったりすることです。

佐藤:やはり、「私が先生と話をしてこのように決めたから、文句を言わないでくれ」と、患者さんから家族にお話ししていただくのが角が立たないと思います。でも、いろんな人がいて、家族もいろいろですから、難しいですよね。

大塚:患者さんと医者側は合意していて、納得しているけれど、途中から遠い親戚とかが出てきて話に口を出してくるということもあります。

佐藤:それを「カリフォルニアから来た娘」と言うんです。遠くに住んでいて疎遠だったのに急に飛んできて「ノー」と言うわけです。

大塚:全部をひっくり返すということがよくあるので医者は困るんですよね。「カリフォルニアから来た娘」とは、すごい言い方ですね。

佐藤:アメリカでも、「お父さんは生命維持治療は望んでいなかったので、これ以上はしない」と医療者と息子が合意しているところに、日頃の交流もない娘がきて、「お父さんを死なせないでくれ、できる限りのことをしてほしい」と主張して、しかたなく治療をする、というようなことがあるんですね。

大塚:早い段階から、そういう方がいることを確認しておかないといけないですね。

佐藤:そうですね。でも、一番大事なのは、「生命維持治療はご本人も望んでいなかったし、本人の利益にもなっていませんので、医療者としてはやらない方がよいと思います」と説明することかなと思います。

大塚:ここまでお話を伺って、インフォームド・コンセントというのはやはり治療の最初の一歩だと思うのですが、なぜそこが医療で大事にされていないのでしょうか。

佐藤:インフォームド・コンセントがなぜ必要か、インフォームド・コンセントをもらう時に何をどうすればよいかという教育がされていないからだと思います。教える人がいないので、しかたがないですが。私はインフォームド・コンセントを日本に導入した張本人の一人で、1996年ごろ、乳がん術後の再発を予防する抗がん剤治療のランダム化比較試験を始める際に、13頁の詳しい説明文書を作成して、これを使って患者さんに説明して同意をもらうことを提案しました。その時の説明文書が今日本の臨床試験で使われている説明文書の元になっているんですよ。

大塚:存じ上げませんでした。

佐藤:当時、臨床試験は多く行われていましたが、臨床試験の実施の基準(GCP)が改定される前でしたし、がんの病名告知もしないことが一般的でした。説明文書はあっても2ページだったり、抗がん剤のリスクも書かれていない、というような状況でした。私は米国のジョンズ・ホプキンズ大学の生物統計家のピアンタドシ先生と交流があったので、米国の臨床試験で使われている説明文書をいただいてそれを参考に13頁の詳しい説明文書を作成しました。そこで、私が臨床試験の研究班の会議で「この説明文書で説明して、同意をいただいてください」と言うと、医師からは「ノー」の嵐でした。「日本は日本のやり方があるし、割烹に『お任せ料理』があるみたいに、先生にお任せという空気があるじゃないか。抗がん剤の副作用など詳しく説明したら不安になるだけで、臨床試験なんぞ、入ってくれなくなる」みたいなことを言われました。

大塚:それで、どうなったんですか。

佐藤:研究責任者の先生が「間もなくGCPが改定されてインフォームド・コンセントは必須になります。今からきちんとやりましょう」と言ってくださり、患者さんに説明文書を手渡すことになりました。そして実際に使ってみると、患者さん達が「この文書はわかりやすい」と喜んでくださったのです。それで、抵抗の嵐はすぐに収まりました。

大塚:抵抗していた医師にとっては、驚きだったでしょうね。

佐藤:米国では、移民が多いことや教育の問題もあって人口の何割か4分の1ぐらいは読み書きが不自由と言われていますが、日本は子どもからお年寄りまで、大多数の人が99パーセントの人たちが新聞や雑誌が読めますね。ですからインフォームド・コンセントという概念は、日本でこそ役に立つうまくいくのでは思いました。

大塚:確かに、そうですね。

佐藤:しかしそれよりも、インフォームド・コンセントの導入のされ方自体に大きな問題がありました。米国では、個人の考えを大事にするという素地があるところに、医療でもそれが必要だから患者の権利を守る、という流れの中でインフォームド・コンセントが確立されてきました。疾病の構造が感染症から生活習慣病になったり、臨床試験の規制が必要だったという影響もありましたけど。一方、日本では、言葉が紹介されたのは1960年代だと思いますが、90年代になって、GCP改定の影響もあり、臨床試験をやるためには患者さんの同意が必要だと言われて、だから導入する、というような形でした。臨床試験をやるための方便のような感じでしょうか。そして、臨床試験の参加は強制するものではありませんので、「参加するかしないかは、あなたの自由です」という言い方をしますね。

大塚:説明の仕方が、松竹梅方式になるわけですね。

佐藤:なので、「インフォームド・コンセントは、患者に医療の説明をして、どうするかを決めてもらう、これが自己決定である」と解釈されて、それが日常診療でも実践されるようになったのでは…などと想像しています。

(続く)