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オダギリジョー「何もかもを消費しつくす時代に、僕は流されるつもりはない」『ある船頭の話』

渥美志保映画ライター

今回はヴェネチア映画祭出品の話題作『ある船頭の話』の、オダギリジョー監督インタビューをお届けします。

『ある船頭の話』は、明治あたりの時代、山間の小さな村を舞台に、消えゆく渡し舟の船頭をする年老いた男の物語。男のもとに、近隣の村で起きた一家惨殺事件の生き残りらしき少女が現れたことから、物語はサスペンスを帯びながら、少しずつ動き始めます。

ということでまずはこちらをどうぞ。

今回の作品の原点には「すべてを消費してしまう資本主義的社会への疑問」があったということですが、そういう映画で、主人公に「船頭」を選んだ理由を教えてください。

オダギリジョー監督(以下オダギリ監督)  「便利さばかりが重んじられる中で、美しい何かが消えていく」と感じたことのひとつが、船頭の存在でした。他にも伝統芸能とか工芸品なども含めて、さまざまな分野でいろんなものが消えていったと思うし、そして消えていくのだろうと思うのですが、そのひとつの例として描いてみようと考えました。

船頭に対して「橋」というものが出てきますよね。両方とも機能は同じですが、そこには大きな違いがあります。

オダギリ監督  熊本にいらっしゃった船頭さんの存在を知り、その方と2週間ぐらい生活をともにさせてもらう中で、僕もそのようなことを感じました。渡し舟には、船頭さんと乗客がともにすごす時間があり、そこで生まれるコミュニケーションがある。そもそも乗客には必ず、舟に乗る理由もあるはずです。そこにはものすごくミニマムな人間ドラマがあるんですよね。

船頭さんとご一緒した時に、何か印象に残ったエピソードはありますか?

オダギリ監督  渡し舟を利用する人って、1日に一人いるかどうかなんですよね。そんな中で、来るか来ないかわからないお客さんを1日中待ち続け、それでもひねくれることなく「誰かの役に立ててうれしい」という言葉を素朴に言えるあり方は、すごく心に触れました。

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主演の柄本明さんについてお聞かせください。

オダギリ監督  監督として甘えが生まれる現場にしたくなかったので、いつまでも緊張感を持ち続けられる相手じゃないとダメだと。柄本さんとは何度も共演していますが、心を許してくれている感じがなく、僕はそこが好きでした。簡単に言うことを聞いてくれる人ではないだろうし、僕の内面まで見通してくるに違いない。柄本さんなら一切の甘えを許さない状況が作れるだろうと。柄本さんが持つ独特のねじれとか、何を考えているのかわからない怖さみたいなものが、トイチというキャラクターの奥深さにつながることも期待しました。

柄本さん演じるトイチは何か後ろ暗い過去を感じさせる人物でしたし、彼になついていた青年・源三(村上虹郎)は前半と後半でがらりと印象が変わります。さらに一家惨殺事件との関わりを匂わせる謎の少女(川島鈴遥)は、外国人なのかな?とも。登場人物が非常に多面的でした。

オダギリ監督  俳優って、人間というものを見つめざるを得ない職業じゃないですか。今までいろんな役を演じる中で確信していることは、人間が多面的だということです。俳優はよくインタビューで「今回演じた役はどんな人物ですか?」と質問されますが、そんな一言で説明できるほど簡単じゃないですよね(笑)。だって人間って、相手によって態度が変わるし、裏と表があるのが当たり前。一面だけではないんです。映画の嘘として、キャラクターを一色にするほうが描きやすいということもあるのでしょうが、本当は多面的で複雑である人間性を少しでも書ければと思っていました。

そういったことは、俳優さんたちともお話ししながら?

オダギリ監督  いやいや。柄本さんはそれこそ50年近くも俳優をやってらっしゃる方だし、そんなことはすでに何度も考えてこられたことでしょうから。自分より若い村上虹郎くんとか川島鈴遥さんとかにも……まあそれでも細かく説明はしていないですね。ただ目の前の芝居に関しては、細かくアドバイスしていました。お互いに俳優だから、伝えやすいし、導きやすいんですよ。そこは役者が監督をやるときの利点でしょうね。

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現場では「サングラスを外す」など、独特の気遣いもしてらしたそうですね。

オダギリ監督  それも自分が俳優をしている時に「こういう監督って、ちょっと横柄な感じで嫌だな」って思う態度を排除した結果です(笑)。俳優が悪い環境で一生懸命演じているのに、監督がサングラスかけて、ディレクターズチェアにずっと座りっぱなしで、演出も誰かを走らせて伝えてくる……って、なんか勘違いしちゃってますよね(苦笑)。だから、できるだけ自分で走っていって、役者の目を見て説明するようにしていました。

現場で苦労したことは?

オダギリ監督  大げさかもしれませんが、すべてです。撮影で思い通りに行ったことのほうが少ないですね。インして最初の1週間で口内炎が20個近くできて、何も食べられない状態になり、5kg以上体重が落ちました。「監督って楽しいでしょ?」とよく聞かれましたが、とんでもない(苦笑)。ストレスやプレッシャーもあるし、日々頭を抱えることばかりでした。スタッフの皆さんの助けでどうにか乗り越えられましたが、一人だったら頭がおかしくなっていたと思います。

俳優としても、中南米でセリフがスペイン語だった『エルネスト』とか、極寒のユーラシア大陸を走った『マイウェイ 12,000キロの真実』とか、撮影環境の厳しい作品を好まれている気が……

オダギリ監督  いやいやいやいや。苦しいのは全然好きじゃありませんよ(笑)。ただモノを作るって、楽しく作っても良いものが生まれないんじゃないかと不安なるんです。楽しく陽気に光り輝く何かを作る、という人もいるだろうけど、僕はそういうタイプじゃないというか。苦しい中で見つけたちょっとした光の方が、よりきれいに見えるので。苦しみからしか生まれないと思っている、というほうが近いかもしれません。

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この作品もそうですが、オダギリさんの中には無意識と無為に流されていくことに対する抵抗感があるのかなと。

オダギリ監督  そうですね。時代の流れというものもあるし、そこに流されていくのも人間の常だとは思うんですが、やっぱりどこかで、自分にとって何が大切で、何が幸せなのか、一人一人が考えるべきだと思っています。大きな流れに流される法が楽だし、簡単かもしれませんが、自分の考えや価値観で自分らしさを守ることは、とても大切だと思います。それが個性だと思いますし、「みんなと同じ」になってしまうのは、もったいない気がしますね。

現在43歳ですが、ご自身が映画を監督したことは、年齢的なものは関係していますか?40歳を区切りに、新たなフェーズに入ったというような。

オダギリ監督  40歳で人生折り返し、みたいな気持ちはどこかにありますよね。身体から変わってくるじゃないですか、体質変わったり、周囲で病気をやる人が増えたり。だから監督をやろうと思った、というほど直接的につながっていたわけではないんですが、新しいことを始めるのはいいタイミングなのかなとは思いました。

人生は一度きりだから後悔したくないじゃないですか。せっかくなら俳優という職業に縛られるのではなく、いろんなことを経験したい。いろんな人生を生きてみたい。40歳になったころからそういう思いが徐々に大きくなってきたんです。ただ監督にこだわっているわけではなく、ほかにやりたいことができれば、いつでも挑戦したいなと思っています。俳優を20年くらいやってきたので、それを踏まえて次の20年、また別のことができればより深く人生を楽しめそうな気がするんですよ。

また長編監督をやってみたいと思いますか?

オダギリ監督  何とも言えません。僕にはエンタテイメント作品を作る才能はないですし、お願いされたからといって作れるような器用なタイプでもない。それでもまた映画を作る機会をいただけるとしたら、やっぱり自分にしか作れないものを作るしかないと思っています。今作もそこに強くこだわったように、無謀だとしても挑戦するしかないと思います。今回、選んでいただいたヴェネチア映画祭のヴェニス・デイズ部門は、「革新性や探求心、オリジナリティやインディペンデント精神」に重きを置く部門。その名前に恥じない作品を作らないといけないですよね(笑)。

ある船頭の話 9月13日公開

(C)2019「ある船頭の話」製作委員会

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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