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太った30代の私では、セレブたちは決して目を留めてはくれなかったと思う。

渥美志保映画ライター
本物のJ.T.リロイは誰なのか?!

今回ご紹介する作品は『作家、本当のJ.T.リロイ』。ということで、まずはこちらを。

素晴らしくわかりやすいトレイラーですー。映画は2006年に発覚したこの事件の顛末を描いたドキュメンタリーです。今回はその当事者、「本当のJ.T.リロイ」こと、ローラ・アルバートさんのインタビューをお送りします。なんでそんなことになっちゃったのか、その時何が起こっていたのか、お聞きしましたよ~。

これまで10年間、何度も映画化の話を断ってきたと聞きました。ジェフ・フォイヤージーク監督で実現した理由はなんでしょうか?彼の前作『悪魔とダニエル・ジョンストン』に惹かれるものがあったとも聞いています。

幼い頃に何らかの形で心身にダメージを受けた人間は、自分の正気を保つために何かを頼りにしないといられません。ダニエル・ジョンストンも私と同じように、様々なことをカセットテープやビデオなどに記録しまくっていた人なのですが、そうした行為は、磁石が常に基準としての北を探すようなもので、自分の正気や健全さのありかを探すためだったのだと思います。

ジェフはそうした状況を善悪の基準で裁くことなく、本質的に表現できる人だと感じました。映画に登場するたくさんのセレブにフォーカスした、ゴシップ的な作品にはしないだろうと思ったのです。

映画では、あなたの心の中にこれまでも、何人かの少年たちの人格が現れては消えてきたことが触れられています。その中でJ.T.リロイだけが残ったのはどうしてだと思いますか?

J.T.リロイとして文章を書き始めたこと、それが接着剤のような役割を果たしたのだと思います。

こういう神話があります。誰にも言えない秘密を持ったある男が、地面に掘った穴にそれを吐き出します。やがてそこに成長した木の枝である少年が笛を作るのですが、その笛の音は男の秘密を奏で始めるのです。この物語が示すことは、事実がアートとして語りなおされたということだと思います。

あの騒動は、そういうものだったと私は考えています。私の中に現れた少年たちは、秘密の体験を話しては消えてゆきましたが、経験をただ話すことだけではなく、J.T.リロイだけがその経験をきちんとしたアート作品にした。それが重要だったのだと思います。

写真左が、J.T.リロイのマネージャーとして知られていた頃のローラさん
写真左が、J.T.リロイのマネージャーとして知られていた頃のローラさん

もう少し詳しく聞かせてもらえますか?

例えば、世の中にはひどいニュースが溢れていて、それを知った人々は「ひどいな」と思いはしても、5分もすれば自分の生活に戻ってしまう。「こんな悲劇が再発しないために何かしよう」とは思いません。でもきちんと描かれたアート作品であれば、何か違う刺激となって脳に残る。物語になったものを読めば、より深い共感が得られますよね。

J.T.が身体を欲しがったのもそうした共感を得たかったからです。私の身体を使えればよかったのでしょうが、何かが違った。(J.T.リロイを演じていた)義妹のサバンナは、中性的な見た目でぴったりだったんです。

アメリカには過去にも『itと呼ばれた子』や『リトル・トリー』など、「自身の体験」と謳いながら、そうではなかったという小説があり、事実が発覚して事件となっていますよね。ご自身の騒動とそれらには、何か違いがあると思いますか?

そうした本を私も読んでいますが、誰が書いたという問題以前に「これは嘘だな」とわかる作品だったと思います。というのも、虐待されている子供を「聖なるもの」、親は「悪魔」という二元論で描かれているんです。実際は違う。例えば日本映画の『誰も知らない』のように、母親にも共感できるものだと思うんです。虐待する親は、虐待されて助けてもらえなかった子供のその後の姿です。彼らがなぜそうなってしまったのか理解することなくしては、虐待の負のサイクルを断ち切ることはできません。

私は子供の頃にそうした援助が受けられず、人格的に乖離した部分があります。それによって創造を始めたわけで、いわばカキが異物から真珠を作るのと同じです。カキはマドンナの首飾りになりたくて真珠を作るわけじゃありませんよね。

でもその「真珠」は、やがて「マドンナのネックレス」のように扱われるようになってゆきますよね。それに対してはどんな風に感じていたのですか?

確かにそうでした。でも、サバンナが演じるJTリロイに反応した人々もいましたが、人々がまず反応したのは「作品そのもの」に対してだったと思います。

2作目の『サラ、いつわりの祈り』は映画化もされ、「J.T.リロイ」はカンヌ映画祭にも参加
2作目の『サラ、いつわりの祈り』は映画化もされ、「J.T.リロイ」はカンヌ映画祭にも参加

ある意味でセレブ文化ゆえの騒動だと感じました。つまりたとえローラさん自身は作品本位と思っていても、「J.T.リロイ」を演じていたサバンナさんがセレブ文化に耽溺してゆく、そしてことが大きくなってゆきますよね。そのことを当時はどんな風に感じていましたか?

もちろん私自身、認められ注目されたいという気持ちもありましたから、別人が「J.T.リロイ」として世に出ている状況は、すごくマゾヒスティックでもありました。ある時点からは体重も減っていましたが、決してグラマラスな存在ではありませんでしたから、例えばガス・ヴァンサント(監督。『エレファント』でJ.T.に脚本を依頼)やアーシア・アルジェント(女優。J.T.の2作目の小説『サラ、いつわりの祈り』を監督)や他のセレブに会っても、彼らの目には留まらなかったと思います。J.T.リロイのマネージャーとして一緒にいることは、せめてもの私の慰めでした。

限られた人に秘密を打ち明け始めたのは、自分自身に準備ができたと感じたから。私とJ.T.リロイはいわば結合双生児のようなものだったと思います。ようやく強くなれた自分、そちらを生かすためには、J.T.を切り離さなければいけないと思ったのです。

外見以外に、あなたの中の何が変わったのでしょうか?

明確に「何が」というのはわかりません。子供が自転車の練習をする時、荷台を支えているはずの親に「手を離さないで!」と言いながら、実はもう一人で乗れているというときがありますよね。そういう感じに近いかもしれません。

もちろん痩せたことも一つの要素ですが、肉体的な部分だけでは何も変わらなかったと思います。以前の私はそう思っていたんです。痩せてキレイになれば幸せになれると。でも世の中には美人はたくさんいますが、幸せじゃない、薬物やアルコールに溺れたり、クレイジーな人もいますよね。

それよりももっと精神的なこと。私が受けた様々な虐待やトラウマなどに向き合い、精神的感情的な折り合いをつけることができたんだと思います。自分の中の悪魔が何なのかを見極めるうちに、頭の中に「J.T.リロイ」が出てこなくなったんです。頭の中にあった穴が閉じたような感じでしょうか。その時点では気づかなかったけど、後になって思い返せば、それが準備ができたということだったのだと思います。

そして、こちらが現在のローラさん。驚きの変貌です。
そして、こちらが現在のローラさん。驚きの変貌です。

映画を見て「年齢がいったパッとしない女性」というキャラクターは、社会の中で認められにくい存在なのかもしれないと感じました。多くの女性が「キレイになればうまくいく」と思ってしまう一方で、男性社会の中で美しさを追求すれば性的存在と見られてしまう。最初にあなたを性的に虐待したおじさんに「嫌われるために太った」というエピソードも胸が痛みました。女性が自由になるのは難しいことですね。

まずは、女性でも男性でもいいから、同じことを感じている正しい動機を持った仲間を作ることだと思います。時としてセクシャリティを使うことになってしまう時もあるかもしれません。だって私たちが生きているのはそういう社会だから。でも少なくともそれは自分のチョイスであること。もちろんそうした状況は、子どもには絶対に起こるべきではありません。

世の中に不均衡があることは事実です。以前、サイトのレビューを書いていた時、アダルト系の変態サイトで女性の下着を着る男性がいることを知り、気持ち悪いなと思ったことが私にもあります。でも男の人にだってそういう権利がありますよね。

女性が様々な権利を得るには、やっぱり少しずつでも女性から主張していかなければいけません。男性はそれを脅威と感じるかもしれませんから、雨だれ石を穿つというくらい、気づかないくらいゆっくりと、穏やかに。日本の女性はアメリカの女性よりも、こういうやり方を心得ているんじゃないかと思いますよ。

私が精神的な苦しみにフォーカスできたのは、外見に自信が持てるようになったからだとは思います。でも今の世の中で外見ばかりが取りざたされる、何をするにしても「あ、デブが来た」って言われてしまったりするのは、本当に悲しいことですよね。

その子がなぜ太ってしまったのか、周囲の大人がそちらに関心を向ければ、家庭に問題が見つかるかもしれない。ただ沈黙するのではなくサポートの手をさしのべて、彼らのコンプレックスを取り除いてあげることが大事だと思います。

こういう騒動を経ても、あなたが作家としてサバイブできた理由は何だと思いますか?

世の中の役に立ちたいから。映画を見て「私の話をしてくれてありがとう」と言ってくれる人もいるし、共感のお便りをくれる人もたくさんいます。それがあったから、私は生き残ることができたんです。

「人と違うこと」が許される世の中を作りたいんです。私は一人じゃないし、誰かとつながることができることと信じています。個々の次元とは異なる次元の何かが物事を動かし、たどり着くべき地平が現れ、そこに向かって前進すること。そこで示される啓示のようなものを人々に伝え、それが必要な人に届けば、彼らを自由にしてあげられる。それが私の目的なのだと思います。

『作家、本当のJ.T.リロイ』公開中

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映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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