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「美しくなるためならなんだってやる」女子たちがたどり着く、キラキラした残酷なおとぎ話

渥美志保映画ライター
ニコラス・ウィンディング・レフン監督と主演のエル・ファニング。

今回は、ライアン・ゴズリングがめちゃめちゃカッコよかった(関係ないしww)『ドライブ』の鬼才、ニコラス・ウィンディング・レフン監督のインタビューをお届けします!お伺いしたのは、昨年のカンヌ映画祭で観客をびっくりさせた最新作『ネオン・デーモン』について。

モデルになるために都会に出てきた田舎娘を通じてみた、ファッション業界のドロッとした内幕、その行き着く先を描いたこの作品、主人公ジェシーを演じた天使みたいにかわいいエル・ファニングが、やがてすごいことになっていゆきます~!そしてこの監督の作品は、怪しい色彩感覚とビジュアルのセンスが素晴らしくカッコいい!(監督曰く「色盲なので中間色が見えないから」だそうですが、それにしても!)ということで、まずはこちらをどうぞ!

『ネオン・デーモン』というタイトルについて教えてください。

「ネオン」は「悪魔」を表現するための言葉です。「デーモン」は恐ろしい、悪魔的なものですが、同時に華やかでファッショナブルな感覚も描きたかった。「ネオン」と「デーモン」は矛盾する感覚にも思えますが、その二つを組み合わせて、今回の映画の中に存在する「ある生命体」を表現したかったのです。

この作品で描きたかったことを教えてください。

私が興味があるのは、我々が「美」というものに持つ巨大な執着心です。

現代において我々の思う「美」は、より「若い」ことが求められ、その賞味期限はより「短く」なっています。そこにある唯一のものは「消費されること」「食い尽くされること」でしかないんです。より若くより若く、より短い瞬間だけを求め続ける、その両者が交錯する場所で何が起こるか。「美」に対する執着の中に、僕は「死」を感じます。「美しくあろう」というのは人工的な野心であるし、ネクロフィリア(死体愛好)のひとつの形ともいえるんじゃないでしょうか。それで、怖い映画を作ったらすごく面白くなるんじゃないかと思ったんです。

ビアン的な感じで迫られたりもするエルちゃん。
ビアン的な感じで迫られたりもするエルちゃん。

主演のエル・ファニングとは、どのような話をしましたか?

作品は基本的に自分の空想がベースで、この作品は「自分が16歳の女の子だったら」という空想に浸った作品です。ですから最初にエルと会ったとき彼女に言ったのは、「映画の中では君に僕を演じてもらわなきゃいけない」ということです。

内容に関して細かい説明はしませんでしたが、なぜ「美への執着」に関する映画を作りたいのかという点は、「自分が生来の美しさを持たないことに気づきいた時、生まれながらに美しい妻にジェラシーを感じ、そのことを映画にしたら面白いんじゃないかと思った」と説明しました。僕は映画を順撮りで撮影していくので、そこから先はキャラクターの進化を抑えてゆく――彼女が「何」になるのかを、なぞっていきました。

ご自身の「美」の基準はどんなものですか?

僕にとっての「美」は不完全であること。それが「完璧な美」を求める映画の女性たちと、僕が異なるところです。僕がアウトサイダーであるからこそ、基本的に女性によって支配されている「美」という世界の内側を覗いてみたいと思うんです。「美」は男の人のためだとか、「美」にまつわるビジネスは男に支配されているという人もいますが、僕はそうは思いません。男性なんて関係なく、女性自身の中にある何かに関係するものであると思うからです。

もちろんキモいオッサン(キアヌ・リーブス!)に付きまとわれたりもするエルちゃん。
もちろんキモいオッサン(キアヌ・リーブス!)に付きまとわれたりもするエルちゃん。

「美」を描くと同時に「承認欲求」の映画でもあるのかなと思いました。注目を集めるために誰もがなんでもやってしまう、そういう時代に関して、何か思うところがあれば教えてください。

実際、本当に何でもやってしまいますよね。物理的な手術に関しては、この数年でそのプロセスはどんどん洗練されてゆき、「作り変える」というプロセスにおいては、もうできることは限られている、「これ以上にやれることはない」というところまで来ているのかなと思います。

そこに登場したSNS、ソーシャルメディアは、「これ以上」が可能なものです。自分自身をどう変化させたいか、周囲にどう見えるかをよりコントロールできる、完全な新しい世界です。これまでとまったく異なる、「美」が我々の文化を定義づけるというキャンバスのようなものです。

承認欲求の話が出ましたが、それはどんどん普通のことになってきていますよね。というのも、「本当の私はこんなじゃない」ということを、常に考えさせられる世界に生きているから。常になにかよりよいものに触発されてしまうから。それはそれで悪くはないけれど、結果として、自分自身の「自分らしさ」に満足できなくなってしまう。そして、自分自身の可能性を見出すより以上に、何か別のものになるために、より時間を費やすようになってしまっていると思います。

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ご自身の映画監督としての成功を考えるとき、自分の世界を作ることと、承認されたいという欲求の間での葛藤はありませんか?

僕には承認欲求はありません。というのも、承認されたいと思った瞬間に、何を創るにも他人の要求に屈することになり、それを自分自身「よし」としなければならなくなるから。それはつまりは、自分の「個性」や「唯一無二の存在であること」の喪失です。その二つがなくなってしまえば人は「何かをクリエイトすること」なんてできないわけですから、すごくアイロニカルですよね。

とはいえ、僕には信じていることがあります。この進化――承認や受け入れてもらいたいという極端な気持ちは、同時に前向きで極端なナルシシズムでもあると思うのですが、そうした「自分自身への完全なる愛」は、承認欲求に対するカウンターになっていくのではないかということです。人はポジティブな形で自分を愛することができれば、「こうあってほしい」という他人の欲求に応えようとする自分を解放することができるのではないかと。だから承認欲求という大きな問題に対するポジティブな答えは、もしかしたらナルシシズムかもしれないと思います。

『ネオン・デーモン』

(C)2016, Space Rocket, Gaumont, Wild Bunch

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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