釜山映画祭レポ(その4) イキのいい韓国映画を今年も先取り!【監督編】

釜山映画祭レポート、【イケメン20代編】【イケメン30~40代編】【演技派オッサン編】に続き、最終回の今回は【監督編】をご紹介します。

まずは毎年のお約束、キム・ギドクの最新作、福島を舞台に描いた問題作『STOP』からご紹介しましょう。

'''●福島をテーマに撮った

キム・ギドクの『STOP』'''

物語はあの3月11日の福島を舞台に始まります。主人公の若い夫婦は大きな地震とその後に起こした原発の爆発に驚きますが、外に出ても一見して何も変わっていないことにひとまず胸をなでおろします。ところが妻が妊娠していることが発覚、2人は東京へと避難します。放射能が胎児に及ぼす影響に慄く妻は「堕胎したい」と言いますが、夫は「福島はチェルノブイリとは違う」と説得。彼はそのことを証明しようと再び福島を訪れますが、その地にとどまった見知らぬ女の恐ろしい出産を目の当たりにすることに。ところが東京に残された妻は一人不安と闘いながらも、子供を産むことを決意し、元の福島の家に戻ってしまいます。夫は自分たちの苦悩の原因である「電気を野放図に使い続ける社会」への怒りを爆発させ、都会へ電気を供給するシステムそのものを破壊するテロ行為へと走り始めます。

日本人の俳優さんが演じています。
日本人の俳優さんが演じています。

キム・ギドクが完全インディペンデントで制作した(スポンサーが見つからないタイプの作品ではありますが)この作品、「原子力エネルギーに依存する社会にモノ申したい」という意図があるのでしょうが、個人的に原発ってどうなのかなあと懐疑的な私でも、かなり荒っぽい作品だと感じました。

キム・ギドクは作家性のある映画監督ですし基本的に嫌いじゃありません。かなり力技的な設定の作品も多いのですが――例えば、舟上生活をしている汚ったねえおっさんが、迷子の女の子を拾ってきて育てて妻にする『弓』とか、他人の目から姿を隠す修行を重ねた男がホントに姿を消せるようになっちゃう『うつせみ』とか、自分のせいで母親にペニスを切られた息子への罪悪感で自分のペニスも切っちゃう父親を描く『メビウス』とか――それは、「キム・ギドク作品」として発表された途端にある種の超現実の世界、ファンタジーとして理解されるものだったと思うんです。この人の世界観は「リアリティ」ではなく、作品が投射する感情において「リアルを含んだ寓話」なんですね。

ところが今回のように明確に「福島」と謳ってしまうと、ファンタジーとはいきません。そうなれば細部描写のリアリティの無さ(そして配慮の無さ)は、映画が描こうとしているテーマへの信頼性に及んでしまいます。描かれる世界が嘘っぽいと観客はテーマに至る以前に映画を信用できず、どんなに立派なテーマにも共感してくれません。こうした事態は、例えば園子温の『希望の国』のように、舞台を架空の県(長島県――この設定には長崎と福島、広島も視野に入っているかもしれません)にすることだけで、ある程度回避されるものです。まったく架空の場所でも、大げさに言えばSFにしてしまったとしても、細部の含みで「あのことなんだな」と観客に感じさせることがはできるはず。(ここでももちろん、その世界なりのリアリティを構築することが絶対条件ではありますが)。そのほうが、場合によっては直接的に描くよりも多くの観客にテーマそのものを訴えることができるはずなんだよなー。

キム・ギドクならもっと別のやり方でできたんじゃないかな、こういうテーマをこういう形で取り上げる作品は、キム・ギドクには合ってないんじゃないかなーと思った作品でした。

'''●歪んだ社会の犠牲になった

少女の号泣悲劇『マドンナ』'''

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さて今年の釜山映画祭レポで最後にご紹介するこの作品は、有名な俳優も有名監督もいませんが、今年見た作品の中で一番よかった作品『無頼漢 渇いた罪』などとともに今年のカンヌ国際映画祭に招待され、その後も各国の映画祭に次々と招待されている作品です。どこか配給してくれないかなーと願いを込めつつ、ご紹介したいと思います。

物語は主人公のヘリムが、超VIP専門の病院に介護士として働き始めるところから始まります。彼女が担当になったのはその病院の理事でもある寝たきりの老人。遺言により彼の死後は、資金は病院から引き上げられ、息子サンウの元にも遺産は残りません。彼の延命に手段を択ばない両者は、最後の望みである移植心臓を探し、ついに適合する脳死状態のドナーを発見します。身元不明で担ぎ込まれてきたその少女の名前はミナ。病院とサンウから「彼女の肉親を探し出し同意書にサインをもらうこと」を命じられたヘリムは、彼女の身元を調べ始めます。家族は施設にいる痴呆の祖母のみ、学校では苛められっ子で、最初の職場では上司に弄ばれ……そしてヘリムはミナが妊娠していることに気づくのですが、病院はその事実を闇に葬り、移植を強行しようとします。

この物語は「オラメスから歩み去る人々」という短編小説を思い起こさせます。人気ドラマ『MOZU』でも、確か長谷川博己演じる東が引用していたものですが、「住人の凡てが幸せに満ちたオラメスという町、その日の差し込まない地下の小さな部屋に、一人の裸の子供が汚物にまみれて、食べ物もろくに与えられずに閉じ込められている」というものです。そして住人たちは全員、その子の存在を知り、その子の不幸が町全体の幸福と引き換えにあることを知っています

貧乏でパッとしない、誰にも顧みられない弱者が、すべての不幸を請け負うことで丸く収まる社会。愛された経験がないから愛を知らず、知らないから騙されて利用され、それでも愛を求め続ける悲しいほど愚かなミナの痛切に、もう胸が張り裂けそうになります。そして明らかになるヘリムの過去は、ある意味ではすべての女性がミナであることを物語ります

監督のシン・スウォンは、なんと43歳でデビューした主婦の女性監督で、この作品がデビュー3作目です。こういう人がこういう映画で出てこられるのが、韓国映画界のすごいところ。多くの女性に見てほしい作品です。日本での公開情報などがわかりましたら、追ってご紹介いたしますね。

今年の釜山映画祭レポは以上で終わりです。ふー。

また来年をお楽しみに!(って、先長すぎwww)