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快楽と苦痛が表裏一体の「メビウスの輪」の中で、 のたうち苦しむ男と女

渥美志保映画ライター

人間の三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲なんていいますね。聞くところによればどれかが足りないと、残りふたつで穴埋めしようとしちゃうらしく、そうかそういうワケか、妙に眠くて腹が減るのは……なんて思った私のようなアナタに贈る今回の映画は、食ったり寝たり全然してないでしょ君ら!っていう男女を描いた『メビウス』。監督は「鬼才」とか「韓国の北野武」なんて枕詞がつくことの多いキム・ギドク――なんか怖そうですねー、でも怖くない怖くない、いやちょっと怖いけど、中二っぽい笑いもたくさんあるので大丈夫ですよー。そういうわけでいきますよー。

さて物語は、どうやら夫の浮気が発覚し、揉めに揉める夫婦のやり取りから始まります。携帯に女からの着信、奪い取ろうとする妻、でも激しくもみ合った末に勝利した夫は、ベランダに出て平気で女とデレデレ会話し始めます。憎み合う両親を前に息子はなすすべもなく慄くのみ。

そしてついにある晩、狂気が極みに達した妻が暴発、ナイフ片手に「制御できんなら切ったるわ!」とばかりに、夫の性欲の根源たる股間に襲いかかるのですー。ひえーっ!でもそこは男、腕力でねじ伏せ事なきをえて、ほっと一息!も束の間!最悪のタイミングで部屋で「一人遊び」していた息子を目撃した妻は、「江戸の仇を長崎で!」とばかりに、憎っくき(息子の)息子を(ややこしい)ちょん切って出奔してしまうのです。ええええー!お母さん、あんた間違っとる!完全にお門違いやあああ!と叫んでも後の祭り。息子はしばらくまともに歩くこともままならず、たとえ傷口が癒えたとしても心はスーパーダメージを食らって瀕死状態。学校でトイレに行くのも憚られ、それが噂になったのか、路上でズボンを脱がされるという最悪のイジメに遭い、自暴自棄になって悪い仲間と付き合い始めて事件に巻き込まれ、少年鑑別所に入れられてしまいます。

一方の父親は息子への罪悪感に苛まれ――父さん心配するのそこかよ!とツッコミたくなりますが――性器を使わずに快楽を得る方法を、ネットで猛烈に探し始めます。そして見つけたのは、腕とか足とかを血が出るまで石でゴシゴシこする方法。まずは自ら実践、痛い痛い痛い痛い気持ちいい〜、よしオッケー!てな感じで納得し、鑑別所の息子に石をそっと差し入れます。

このあたりまでは、キムキドク的な事件とキャラが炸裂し、そのあまりの振り切りぶりとアホさに、「んなワケあるかー!」とツッコミまくり。「父さんを信じで、騙されたと思ってやってみなさい…」と石を渡す父親の神妙な顔とか、「おちょくってんのかよ!親父!」て反抗しながらも試しにやってみちゃう息子とか、ありえねー!て感じで爆笑です。

でもそうやって笑ってるうちに、ジワジワとただならぬ雰囲気になっていくのがキム・ギドク作品の凄み

息子は性的快感を得るための「石ゴシ」が止められなくなり、やがて様々に自分を痛めつけることがセックスの代替行為になってゆきます。んなアホな!と思っていたこの行為は、「快楽と苦痛がワンセットであるセックス」のメタファなんです。これ「セックス」を「恋愛」に置き換えると、女子的には分かりやすいかもしれません。恋愛は幸せの絶頂があるからこそ不幸のどん底もあり、急転直下に心が乱されるのが辛い、日常が手に着かなくなるのがイヤで恋愛に距離を置いてしまう人っていますよね。この映画の登場する人物たちも同じ。みんな、多かれ少なかれセックスに振り回され、どんどん日常から乖離していくわけです。

ここで効いてくるのが、ギドクならではの演出。妻と愛人を演じているのは、なぜか同じ女優なのですー。まあ予算の関係とか、ギドクが望む濡れ場に「オッケー!」って言ってくれる女優があんまりいないとか、いろんな裏事情はあると思いますが、ここに絶妙な含みが生まれちゃっています。つまり相手の女は誰であっても同じってことなんですね。「メビウス」の輪よろしく、表面(妻)と裏面(愛人)が同じ線上であることも気づかないまま、永遠に終わることのない輪の中でぐるぐる回ってるだけ。男を翻弄しているのは個々の女じゃなく自身の性欲で、たとえ男根を切り落としても解脱することはできないんです。人間がその苦痛から解放されるのはどうしたらいいのか、そもそもそんな方法があるのでしょうか。始まりはアホな浮気男の話だったのに、中盤からはやけに宗教的で哲学的になってゆきます。こんな作品撮れる人、なかなかいません。

この映画のもうひとつのギドクらしい特徴は、なんとセリフが一言もないこと。ストーリーはすごく単純でわかりやすいけれど、1シーン1シーンの説明は少ないので「この画面にはどんな意味があるんだろう」と深読みしながら見るのがすごく面白い作品です。私が一番うなったのは、妻が息子をちょん切るために手に取ったデカいナイフが、金色の仏像の首のオブジェの下に置いてあった場面。仏像は韓国の倫理観を作る宗教の象徴で、それが取り払われた時に、この家族の日常は坂を転げ落ちるように大崩壊してゆくのです……なーんて監督から聞いたわけでもないのに、もっともらしいこと言っちゃったりなんかして!「メビウス」というタイトルだって、表裏一体の快楽と苦痛、罪悪感と快楽、父と息子、妻と愛人、様々に解釈ができて、なんか深いんですよねー。みなさんもそんなふうに深読みして、どうぞキム・ギドクの哲学的エロ世界をお楽しみください~。

『メビウス』12月6日(土)公開

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映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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