中国が変わらなければ香港問題は解決しない :中国を見つめ直す(21)

 近年中国政府が香港への介入を強めていることに対し、なぜ中国政府はわざわざ事を荒立てることをしたがるのだろうかと不可解な気持ちを持つ人もいるに違いない。中国政府の行為は結果として昨年来のデモによる香港社会の不安定化および経済の悪化をもたらし、国際社会の痛烈な批判を招き、さらには台湾の中国離れを加速させているだけなのだから。

 中国政府の思惑など、それが一枚岩かどうかも含めて、知るよしもないが、ただ1つ確実に言えるのは、中国政府が香港の処遇を内政問題として扱う限り、それなりの一貫性はあるということだ。

 それは、21世紀初頭に台頭した人権活動や市民活動に対する扱いが、香港に対する姿勢と実に酷似していることだ。こうした市民社会(公民社会)を構成する団体・人物は、習近平が国家主席に就任した2013年頃を境に大きな変化を強いられた。度重なる拘束や団体の閉鎖命令、さらには海外からの資金援助を含む協力関係を絶つ法律(境外非政府組織境内活動管理法)によって、中国政府を監視する役目を持つ団体は活動不能状態に陥った。他方で中国政府は民間団体の中に党支部を設けることを推奨するなどし、それに従った民間団体は地方政府との協働事業などで活躍の場を広げた。つまり、経済というアメと弾圧という鞭を使い分け、市民社会というものを政府の傘下に収めようとしてきたのである(習近平の大弾圧政策は失敗だった:中国を見つめ直す(11))。

 このことは、中国と香港の経済共同体を築いて開発業者たちに経済的恩恵を与えつつ、言論・集会の自由を抑圧しながら一国二制度を中国政府の傘下に収めようとする中国の香港政策と酷似している。さらに、こうした強引な方針の実行に法が用いられるように、法もすでに中国政府の統治の道具になっている。

かつて筆者が毎週1回続けていた香港ネットメディアでの連載。2017年7月にコーナーごと廃止に追い込まれた(筆者撮影)
かつて筆者が毎週1回続けていた香港ネットメディアでの連載。2017年7月にコーナーごと廃止に追い込まれた(筆者撮影)

 香港の一国二制度とは、中国の社会主義と香港の民主主義の二制度だと考えられているが、今、この制度が死にかけているというのは、中国が香港を社会主義化しようという、当初懸念された事態ではなく、市民社会や法もそうなっていったように、社会主義と民主主義の二制度がともに中国政府の傘下に置かれようとしていると言うべきである(もちろん、ともに中国式に作り替えられて)。

 非常に不可解に思うかもしれないが、中国政府の側に立ってみると、珍しいことでもなんでもない。すでに中国政府は国内において資本家の代表でもあれば労働組合の代表でもあり、海外においては世界有数の経済大国を牽引する政権であるとともに、世界で最も代表的な発展途上国における民間の声の代弁者であることを自認しているのである。

 今後香港でいかなるふるまいをしようとも、中国政府は自らが香港の民主主義を踏みにじったとはけっして認めないであろう。むしろ「西側」民主主義の議会制・三権分立・言論自由にもとづくさまざまな出来事に難癖をつけ、独自に解釈した民主主義観にもとづいて、「香港の民主主義」を護ることに努めようとするのではないか。

 近年の中国政府のように、何でもありたがることこそは権力の本質なのだと言えるかもしれない。万能の神たらんとすることを支えているのは、コロナ対策や経済政策で不満こそ挙がるものの、こうした対策を政府が一手に引き受ける現状そのものは今のところ揺るがない、国内でのある種の「安定」にほかならない。権力の無制限の膨張は、本来政府を相対化させる役目を持つはずの市民社会や法を傘下に収めることで、国内的には実現しつつあるのである。香港という「内政問題」もこの延長線上でとらえるべきであろう。

 だとすれば、今後アメリカなど国際社会の圧力で中国の香港政策がなんらかの挫折を強いられることがあるにせよ、それはせいぜい時間稼ぎの役目しか果たさず、外圧によって中国が貶められた恨みを政府にも一部の国民にも残し、結果的に同じことが行われると考えるのが自然であろう。この問題を根本的に解決するには、上で述べたある種の「安定」を崩すこと、すなわち中国の政府もしくは国民の一部から、権力の膨張にノーを突きつける声が高まってくること以外にはないのではなかろうか。日本がすべきなのも、その支援を念頭に置いた中国との付き合いなのではないかと思っている。