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在日中国人研究者の失踪について思うこと:中国を見つめ直す(8)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

昨年末に失踪状態になった香港銅鑼湾書店の株主・李波が3月24日、香港に戻った。彼は拘束の事実を否定し、自ら進んで中国の警察の捜査に協力したと話すなど中国政府を擁護し続けた。その上で中国の禁書を扱ってきた銅鑼湾書店の活動を自ら批判し、今後この類の活動をしないことを表明した。

李波の件はいろんな角度から論じることができるが、ここでは日本との比較から話してみたい。ここ数年、日本の大学に属する幾人かの中国人教授が中国帰国中に失踪状態に遭っている。彼らは釈放され、日本に戻ってきた後、表向きには中国での出来事についてほとんど語らず、結果として中国の警察当局の言いなりになった形だ。ここまでは李波の反応とよく似ている。ただ1つ、日本の彼らが異なるのは、彼らが中国での出来事に口を閉ざしつつ、失踪前ととりたてて変わることなく職場復帰していることである。

彼らは現代中国を研究対象としているのであり、その中国で自らに降りかかった出来事に口を閉ざすべきではないと思うし、拘束された事実に口を閉ざしつつ元の活動を続けることは、いろんな疑惑を連想させてしまいもする。ただし、彼ら自身の身の処し方の是非をここで論じようとは思わない。彼らには彼らなりの事情があるはずで、研究者としての身分の安定や大陸にいる親戚の身の安全、それに中国政府との一定の関係も大切なことには違いない。だとすれば、口を閉ざしつつ元の仕事を続けるのは、いいか悪いかは別として不可解では全くない。

むしろ不可解なのは彼らを取り巻く社会、すなわち学校や研究会やメディアなどの反応であろう。失踪中は騒ぎながら、いざ彼らが帰国すると、少なくとも表面的には彼らの失踪を取り沙汰することなく、何事も起きなかったかのように以前同様に接している。内部調査はしたであろうが、少なくともメディアや集会、それに教室といった公の場で事実を明らかにしたようには見えない。それはあたかも、ある会社で1人の社員が業務以外のことで性犯罪などのひどい目に遭い、職場の同僚があたかも何事も起きなかったかのように彼と接するのによく似ている。普通に考えて、それが可能なのはその出来事が業務と関係ないからであり、もしそれが業務内でのことならば、何事もなかったかのように接することなどありえまい。現代中国を研究する限り、自身の中国での拘束が業務範囲外だとは考えづらいが、こと彼らを取り巻く日本社会について言えば、そのようなありえないことが常態化しているのである。

北京のはずれの看守所の前で
北京のはずれの看守所の前で

香港銅鑼湾書店の李波のケースと比較してみると、よりはっきりする。李波は拘束の事実を否定しつつ、銅鑼湾書店の経営からも身を退いた。彼のこの言動は是非はさておき、不可解ではない。むしろ彼が拘束の事実を否定しつつ、相も変わらず銅鑼湾書店の経営に携わっているとしたら、それこそ不思議ではないか。李波と彼らの政治的スタンスの違いはここではあまり関係がない。たとえ彼らが銅鑼湾書店と違って、中国政府と友好的な関係にあるとしても、だとすればなおさら、親中国政府的なスタンスの正当性をはかる意味でも、拘束の事実を問わないことが不思議に思われるからだ。

繰り返すが、ぼくはこのことで彼らや彼らを取り巻く社会をよしあしの尺度から論じるつもりはない。言いたいのは、日本でのこうしたありようが示しているのが、彼ら中国人研究者の、日本社会における位置だということだ。すなわち彼らがいかなる態度で研究しようが、あるいは彼らがいかに情熱を持って法治や自由や自治を語ろうが、こと日本においてそれらは現実世界から隔絶した特殊専門分野としての「中国」にほかならないことを意味する。そうでなければ、彼らが拘束されたか否かを不問に付すことなど考えられない。

もう1つ言えば、彼らのこのようなありようは中国の警察が研究者や言論人をより容易に拘束できるための悪しき前例を作ったとも言える。強大な権力を前にしては一個人など微々たる存在でしかない。だが、口を閉ざしていては私たちはいっそう弱小であるほかないのではなかろうか。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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