異国での野球生活

 荒波がプレーしたモンテレイ・スルタネスは1939年創立のメキシカンリーグ最古参チームのひとつだ。優勝回数は首都に本拠を置く、メキシコシティ・ディブロスロッホスの16回の後塵を拝しているが、10度の優勝を誇る。メキシコの野球人気はアメリカに近い北部と、太平洋沿岸、南部ユカタン半島に偏り、首都ではサッカー人気が圧倒していることもあり、観客動員においてはスルタネスは毎年のようにトップをひた走っている。

 荒波は、キャンプでの競争に勝ち残り、1番センターとしてモンテレイ・スタジアムのフィールドに立った。

「メキシコの国技はサッカーです。モンテレイでも隣の競技場を本拠としているティグレス(タイガース)というチームが一番人気ですが、野球も人気でした。日本のように毎試合満員というわけではないですが、開幕戦は満員でした。シーズン中はそれほどでもなかったですが……」

 日本から来たということもあり、ファンからはすぐに顔を覚えてもらった。その一方で、日本のファンとの気質の違いにとまどうこともしばしばだった。

「もう全然フレンドリーでした(笑)。日本の球場だとフェンスがありますが、モンテレイの球場はないんです。ベンチから観客席も近いので、ファンがヒマワリの種をくれたりしました。試合中でも、カメラマン席なんかから普通にサインを求められることもあります。そういうところは、少し違うなという感じでした」

 そんな野球人気の一方で、メキシコ北部の諸都市は現在、治安の悪化にも悩まされている。北部最大の工業都市・モンテレイもその例に漏れない。ホテル住まいの荒波は、結局、球場とホテルとの往復のみでシーズンを過ごしたと言う。

「出歩くことはなかったですね。ホテルの周辺はどうということはないですが、やっぱり出歩くのは危ないですし。車を持っていなかったので、移動は基本Uberでした。日本に帰ってきた時、みんなから『大丈夫だった?』って聞かれましたけど、裏通りが危ないのは日本でも外国でも一緒でしょう。『危ない』のレベルがメキシコは高いだけで、危ないところへ行かなければ大丈夫だと思っていました」

 広いメキシコ全土にわたるリーグとあって、移動は基本飛行機だったが、近くの町へはバス移動だった。また、適当な便がない時は多少遠くてもバスに揺られての移動ということもあった。

「最初の遠征がバスで8時間でしたね。試合が終わってホテルへ帰って、朝4時ぐらいに起きて空港へ移動。飛行機でモンテレイに戻って、そのまま3時間バス移動なんていうこともありました」

 16チームからなる(現在は18チーム)メキシカンリーグだが、例年上位半数のチームが進むポストシーズンに進出するチームはおおよそ決まっている。モンテレイの所属する北部地区は、野球人気が高いこともあって、人気実力とも備えた強豪がひしめいている。

「ティフアナ・トロスにはルイス・クルーズ(2014~17年,ロッテなど)とかがいて、強かったですね。あとサルティーヨという町がモンテレイの隣町みたいな感じで、ライバルチームでした。ここのサラペロスというチームとの対戦は盛り上がりましたね。ここには、今ソフトバンクにいるアルバレスがいました。あとはモンクローバ・アセレロスも強かったです」

突然のリリース通告。そして引退

 リードオフマンとして打率.293を残していた荒波だったが、シーズンも佳境に入った6月末に突如として、クビを言い渡される。これにはメキシコ特有の野球事情が絡んでいた。

 メジャーリーグでも、シーズン終盤になると、優勝をあきらめた下位チームがポストシーズンを狙う上位チームに主力を放出することが多々ある。ラテンアメリカのプロ野球はその傾向が一段と強く、ポストシーズンに補強選手(出場チームは、ポストシーズンに進出しないチームから選手を補強できる)の制度を設けているリーグさえある。メキシカンリーグは各地区Aクラスに入ればポストシーズンに進出できるが、1次プレーオフでは、レギュラーシーズン1位のチームはポストシーズン進出の最下位チームと対戦できるため、勝ち抜けの確率はより高まる。そのため、スルタネスもひと月以上にわたる長いポストシーズンに備え、7月中には終了するレギュラーシーズンを前に戦力補強に乗り出した。

「ティフアナとモンクローバの3強の争いになっていたんです。モンテレイは数年前から僕と同じ先頭打者タイプのアメリカ人の左打者を狙っていたんだけれど、その選手との契約がまとまったということで、僕がリリースということになりました」

 日本と違い、メキシコの契約は月単位。それもひと月は安泰というわけでもなく、月の途中も日払いで契約解除ということも珍しくはない。荒波もそのことは事前に知らされ、明日はクビになるかもしれないという状況で日々を過ごし、3割近い打率を残していたが、終わりはいともあっけなかった。

日本でともにプレーした久保康友、ギジェルモ・モスコーソのいるレオンとの連戦の後のことだった。続くビジターゲームの遠征の試合前に監督から呼び出された。

「もう終わりだ」

 その「終わり」は、メキシカンリーグでの「終わり」ではなく、荒波の現役生活の「終わり」でもあった。

 次の行き先を見つけることができず8月半ばに帰国した荒波に、独立リーグから声がかかった。地元・神奈川に新球団が立ち上がるから手伝って欲しいということだった。現役続行の選択肢もあったが、ここで荒波はフィールドから離れる決心をした。

「プレーを続けることは、もちろん考えていました。でも、チームの立ち上げは次の年の2月。当時はまだ球団に使えるグラウンドもないし、そもそもチームじたいがない(笑)。その中で半年間、一人でトレーニングを続けるのは難しいですね。プレーするからにはチームを引っ張ろうと思ってはいましたが、半年後の自分の姿を想像することができなかったんです。もちろん、ごまかしてというか、7、8割ぐらいの状態でプレーできるとは思いますが、野球をやる以上、その時点の全力のプレーを見せたいというのがありましたから」

 

メキシコ野球への思い

 巨人、広島でプレーした小川邦和投手が日本人選手最初のメキシカンリーガーとしてプレーしてから37年。日本人メキシカンリーガーの数は2000年代になって急増し、今やNPBで志半ばにしてプレーの場を失った者やNPBにたどり着けなかった選手の選択肢としてメキシコが挙がるようになっている。

 今シーズンも、2019年まで日本ハムに在籍していた中村勝が1年の「浪人期間」を経て新球団、グアダラハラ・マリアッチスに加入。先発投手として8勝負けなしという見事な成績を収めている。また、開幕をBCリーグの茨城で迎えた元DeNAの左腕、濱矢広大はシーズン終盤に復活した名門球団、ベラクルス・アギラスに合流した。冒頭に挙げた、メキシカンリーガーの来日と合わせ、日本球界とメキシコ球界の結びつきはこれまでにないくらい強くなってきている。

 荒波は自身の経験と合わせ、このような潮流を肯定的にとらえている。指導者となった今、メキシコでの経験は確かに生かされていると荒波は言う。

「僕は日本人選手もメキシコへ行ったほうがいいなと思うんですよ。もちろん日本の独立リーグでプレーすることもすごくいいと思いますが、例えばBCリーグよりメキシカンリーグの方がレベルは高いし、海外での経験はプラスになると思いますし。僕の場合も、外国人という立場でなにも分からないところから始めて、最終的には純粋に野球を楽しめるところまでたどりつけました。日本ではいろいろなところにメディアの目があったりしましたからね(笑)。日本では、例えば一軍だと、朝起きて、ナイターでも10時ごろには球場入りして、午後2時までにはきちんとストレッチをしたりして、試合に向けて準備します。それは日本人のいいところでもあるんですが、向こうは、試合は試合、練習は練習という考え方です。試合前に観光に行ったりもしていましたね。オンオフの切り替えがはっきりしています。日本は厳し過ぎて、練習を長くやる部分がありますよね。そういう野球に対する習慣の違いも経験できました。日本のいいところもあるけれども、あちらのいいところもあります。今は、そこをうまく融合させるといいなというイメージですね。もちろん向こうにも悪いところありますが」

 今でもスルタネスの成績はチェックし、かつての同僚ともSNSでやり取りしているという荒波だが、それだけに東京五輪でのチーム・メキシコの成績は残念に思っている。

「WBCでも結構勝っているでしょう。メンバーはどういう感じで選んだのかは分かりませんが、もっとやれる印象はありました。今回はイスラエルに負けたりもしていますし。日本には完璧にやられましたが、もう少しやれるかなという印象は僕にはありました」

 昨年から指導者の道を歩み始めた荒波の視線の先には、太平洋を渡る橋が架かっている。