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今年は「坂本勇人」のフルネーム表示。同姓同名選手の表記を振り返る

阿佐智ベースボールライター
今シーズンからフルネームでスコアボードにその名が表示される坂本選手(巨人)(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 22日の巨人の紅白戦で「巨人の顔」、坂本勇人遊撃手の名がスコアボードにフルネーム表示されたことがちょっとした話題になった。これは昨秋のドラフトで、全く同姓同名の唐津商の捕手が育成指名され入団したことに伴うもので、こちらの新人は「坂本勇」とスコアボード表記されるという。

 新人の方の「坂本勇」が生まれたのは2002年。「本家」の「坂本勇人」はまだこの時中学生だったので同名になったのは全くの偶然である。名字、姓などのファミリーネームの数が多い日本では、そもそも同姓が他の文化圏と比べ少ない上、「下の名前」にもあまり制約がないので、同姓同名が発生することはまれであり、それゆえ、プロ野球の世界でも通常、スコアボードには名字のみを示すので十分であるのだが、同姓の選手が複数いる際は、「下の名」の最初一字を加えることで区別するのがほとんどだ。近年では、オリックス時代の金子投手(現日本ハム)が、同姓の選手が入団してきたため、フルネームの「金子千尋」の表記となったが(その後同姓の金子圭輔選手が移籍した後も継続)、今回のフルネーム表示は、日本球界ではあまり例のないことでもあり、話題になったのだろう。

フルネームが当たり前の海外

フルネーム表示がスタンダードの台湾の球場のスコアボード(筆者撮影)
フルネーム表示がスタンダードの台湾の球場のスコアボード(筆者撮影)

 しかし、同じアジアでも、姓の数が限られている中華文化圏の台湾、中国、韓国では、スコアボードの選手名表記はフルネームが当たり前である。とくに韓国では姓だけの表示となると、スタメンのほとんどが「キム」と「リ」で埋まってしまい、誰が誰だかわからないということにもなってしまうということになりかねない。だからこれらの国ではユニフォームの背番号の上にもフルネームが記載されるのが常である。もっとも最近は、漢字やハングルだけでなく、アルファベット表記も多くなってきているので、その際は、漢字二文字で構成されていることがほとんどの「下の名」のそれぞれの文字のアルファベットの頭文字に姓のアルファベット表記を続けている。そもそも、これらの国々では、普段も選手の名をフルネームで呼ぶことが多い。

メキシコの球場。ラテンアメリカでは姓だけでは個人を判別しにくく、フルネームを表記すると長くなりすぎるため、そもそもスコアボードには背番号だけが表示されることが多い。(筆者撮影)
メキシコの球場。ラテンアメリカでは姓だけでは個人を判別しにくく、フルネームを表記すると長くなりすぎるため、そもそもスコアボードには背番号だけが表示されることが多い。(筆者撮影)

 太平洋を渡っても事情は同じようなものだ。キリスト教文化圏の南北アメリカ大陸、とくにカトリックの影響の濃い中南米では人々の姓名は聖書に由来していることがほとんどで、同姓同名は日常茶飯事である。だからそれらの地域では姓は正式には父方と母方のそれを併記することになっている。実際、現地で選手名簿を見ると姓がふたつならんでいるのを目にする。もっとも、その長いアルファベットの羅列をスコアボードにすべて載せることは現実的でない。したがって、通常は「下の名」の頭文字に父方から受け継いだ姓を組み合わせて表示するか、そもそも背番号のみの表示にとどまることがほとんどだ。これは、複数の音節をひとつの漢字にまとめることができないアルファベット圏に共通していることで、北米でも同様である。

それでも多い同姓選手

 日本の名字の数は実に30万にも及ぶという。それでも、一部の「おなじみ」に多くの人々の名字が集中していることも確かである。100万人を超える名字は現在、「佐藤」、「鈴木」、「高橋」、「田中」、「伊藤」、「渡辺」、「山本」、「中村」、「小林」の9つらしい。以下に続く「加藤」、「吉田」などと並んで、プロ野球界でもよく見かける名字だ。当然、同一チームに複数の同じ名字の選手が出てくることもある。その際は、すでに述べた通り、「下の名」の最初の漢字を続けてスコアボードに表記するのだが、これに待ったをかけた選手もまれにいた。

 昭和の終わりごろ、日本で最も多い名字は「鈴木」だった。今はなき近鉄バファローズには、一時期チーム内に3人の「鈴木」選手がいたのだが、その筆頭が最後の300勝投手、鈴木啓示投手だった。「我が道を行く」を地で行った大投手はそのプライドも他の選手の比ではなく、自身の現役晩年を抑えとして助けてくれることになる同姓の康二郎投手がヤクルトから移籍してきたときには、「近鉄で鈴木と言えば、オレ。むこうに『康』の字を付け加えればいいだろう」と言い放ったという。もっとも実際は、この大投手も複数の「鈴木」選手が在籍しているときは、当時の慣例に従い、「鈴木啓」と表示されていた。

 そう言えば、あのイチローも本名は「鈴木一朗」。当時の仰木監督が、彼をブレイクさせるべく画期的なカタカナネームを採用したのだが、根本的な背景にはチームに「鈴木」姓が複数いたことがある。彼と同時にカタカナネームで登録されたのは、パンチ「佐藤」だったが、これも当時のオリックスのエース投手が佐藤義則であったことも関係している。

 同じ同姓選手でもそれが兄弟の場合はまた違ってくる。西武ライオンズ発足時に同時に入団した松沼博久、雅之の兄弟や、巨人にいた兄が中日に移籍したため、兄弟揃い踏みとなった仁村薫、徹の場合、「松沼兄」、「仁村弟」と兄弟関係を示した表示がなされた。これより少し前には、外国人選手のレロン、レオンのリー兄弟がともにロッテに在籍していたが、この場合は、先に来日していた兄の登録名を「リー」、後で入団した弟のそれを「レオン」とすることで紛らわしさを回避していた。

過去にもあった「同一球団同姓同名」

 今回話題になった「同一球団同姓同名」だが、実は過去にも3例存在している。その名字だが、やはり「高橋」、「佐藤」、「田中」とおなじみのものだ。

 現在のファンの記憶に残っているのは、日本ハムにいた「田中幸雄」コンビだろう。年長の方の投手が、初の規定投球回数を達成し、主力投手の仲間入りを果たした1985年オフに高卒ドラフト3位で入団してきたのが後輩の内野手だった。球団は、このとき投手の方を「田中幸」、内野手の方を「田中雄」とすることで「名前問題」を解決した。後に2000安打を達成する「田中雄」内野手は早くも2年目にはレギュラーポジションをつかんだので、両者の名が同時にスコアボードに表示される場面も度々見られることになった。

 この「下の名」の初めの一字と後の一字を名字の後に加える方法は、1981年、阪神にともに投手として在籍していた「佐藤文男」ですでに採用されていた方法である。しかし、「下の名」が一字の場合はその方法ではどうにもならない。

 1970年代初め、西鉄(現西武)ライオンズに「高橋明」という外野手がいたのだが、入団3年目の1971年に巨人から全く同姓同名の投手が移籍してきた。この時球団は、元からいた外野手の方を「高橋外」、移籍選手の方を「高橋明」のフルネームで表記することにした。一見、年長の移籍選手をたてたのか、名門球団から来たというプライドに忖度したのかとも思われるが、実は、高橋明投手は前所属の巨人でも、チームの主力投手に高橋一三がいたため、「高橋明」と表示されており、そのまま移籍先でもその表記を続けることになったというのが真相のようだ。

写真:長田洋平/アフロスポーツ

「巨人の坂本」と言えば、長らくショートに君臨する「坂本勇人」を誰もが思い浮かべる。育成選手の新人と彼が同じスコアボードに名を連ねることは当面考えられないだろう。しかし、新人の捕手には、数年後、まだ「坂本勇人」が健在のうちに同じスコアボードに名を連ね、ベテランの「改名」が功を奏したと思わせる成長を見せてほしいものである。

ベースボールライター

これまで、190か国を訪ね歩き、22か国でプロ、あるいはプロに準ずるリーグの野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当、WBC2017年大会ぴあのガイドの各国紹介を担当した。国内野球についても、プロから独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。

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