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MLBインディアンス、名称変更へ。アメリカ大陸では定番のニックネームの行く末は?

阿佐智ベースボールジャーナリスト
1990年代後半のインディアンス黄金時代の名ショート、オマー・ビスケル(写真:ロイター/アフロ)

 年号が昭和から平成に変わった頃というからあの「野茂フィーバー」による本格的なメジャーリーグブームの前夜のことだ。一足早くプチ・メジャーリーグブームが起こった。その名も「メジャーリーグ」というコメディ映画が海の向こうから上陸してきたのだ。

 チームの弱小ぶりに業を煮やしたオーナーが、徹底的に弱くなって地元ファンに愛想をつかされれば、念願のフロリダへの移転が実現するだろうと、「ポンコツ」選手を集めてシーズンに臨んだところ、それを感知した選手たちが奮起して優勝を果たすというある種ベタなストーリーなのだが、これが大ヒットし、海の向こうの「大リーグ」を身近な「メジャーリーグ」に変貌させたのだ。バブルを謳歌していた若者たちは、子供の頃かぶっていた日本のプロ野球チームのキャップをメジャーリーグのそれに被りなおしたのだが、その正面にはヤンキースやメッツの「NY」でも、ドジャースの「D」でもなく、髪に羽根を刺した赤い顔のイラストが刺繍されていた。あの頃、確かにクリーブランド・インディアンスは日本人にとって最もなじみのあるメジャーリーグチームだった。

弱小チームから強豪へ。映画を地で行った1990年代の躍進

 クリーブランド・インディアンスの源流は、1894年にマイナーリーグのひとつであったウエスタンリーグに加盟したグランドラピッズ・ラスターズに遡る。ウエスタンリーグは1990年にアメリカンリーグに改称。それと時を同じくしてラスターズはミシガン州からエリー湖畔にあるオハイオ州のクリーブランドに本拠を移してニックネームをレークショアズと変更する。その翌年、アメリカンリーグが自らをメジャーリーグと宣言すると、チームはブルーバーズと改称。その後も、ブロンコス、ナップスと改称を繰り返すが、1915年に「インディアンス」と名乗った。そして1920年に初のリーグ制覇を成し遂げると、勢いそのままにワールドチャンピオンに輝く。

 その後、1954年までに2回のリーグ優勝を果たすが、それ以降は、製鉄業をはじめとする重工業を背景としていた町の繁栄が陰りを見せる中、チームも低迷を続けることになる。映画「メジャーリーグ」はまさにこの低迷期を反映したものだった。さびれゆくクリーブランドは「湖畔の失敗」とも揶揄された。

 しかし、1994年に荒廃したダウンタウンを復興させるべく街中に流行のネオ・クラシック様式のボールパーク、ジェイコブス・フィールド(現プログレッシブ・フィールド)が開場するとスタジアムにファンが戻り、チームもよみがえった。1995年に41年ぶりのリーグ優勝を飾ったインディアンスは、以後地区5連覇。ワールドシリーズにも4度駒を進めている。映画を地で行くその姿に地元ファンは熱狂した。

新球場ジェイコブス・フィールド(現プログレッシブ・フィールド)によりチーム強化と町の活性化に成功した。
新球場ジェイコブス・フィールド(現プログレッシブ・フィールド)によりチーム強化と町の活性化に成功した。

コロンブスの誤解が生んだ「インディアン」の呼称

 クリーブランドのファンは、敬愛の念を込めてチームを「トライブ」と呼ぶ。「部族」という意味だ。キャップに描かれているチームのロゴも、西部劇に登場するアメリカ大陸の先住民のイメージそのままのものだ。我々はかつて彼らを無自覚に「インディアン」と呼んでいた。

 「インディアン」とは無論のことインド人を指す呼称である。これがアメリカ大陸先住民に対して使用されたのは、この大陸を「発見」したクリストファー・コロンブスが、自身がたどり着いた小島をアジアの一部だと誤認したことに始まる。「文明人」を自認し、のちにこの大陸の支配者となるヨーロッパ人は、コロンブスの誤りに気付くが、カリブ海に浮かぶ島嶼を「西インド」と呼ぶように、自分たちが行ったネーミングを改めることはなかった。アジア人とその源流を共にするアメリカ大陸先住民は、北米では「インディアン」、中南米ではそのスペイン語である「インディオ」と呼ばれ、我々日本人もそれを受け入れてきた。しかし、そこにある「インディアン」のイメージは、西部劇に象徴される「粗野な未開人」というものであった。

 しかし、時流はそれを許さなくなってきた。先住民、少数民族の権利が叫ばれるようになり、植民地支配の下、ヨーロッパ人が名づけた地名などが次々と「元の名前」に改められる中、「インディアン」の呼称をプロスポーツチームが名乗ることは難しくなってきたのだ。そういえば、いつの頃からか、インディアンスの選手は、1947年以来使用されて続けてきた「ワフー酋長」のロゴ入りのキャップではなく、「クリーブランド」の「C」の文字が刺繍されたシンプルなデザインのキャップをかぶるようになっていた。

 現在、日本の学校ではアメリカ先住民の名称は「ネイティブ・アメリカン」だと教えられている。「インディアン嘘つかない」と広げた掌を丸めた唇に当て、奇声を発して子供が遊ぶシーンは昭和の風景として時の彼方に消え去ってしまった。

中南米では定番の「インディアンス」

 しかし、その由来はともかく、「インディアン」、「インディオ」の呼称は根強く残っている。とくに先住民系の人口比が高く、ヨーロッパよりも先住民のDNAに自らのアイデンティティを重ねる傾向の強い中南米においては、「インディオ」の呼称は自らのルーツの誇りともなっている。当然スポーツチームのネーミングにも頻繁に使用されている。

 現在、中南米にはウインターリーグというプロ野球リーグが存在する。アメリカに「出稼ぎ」に行ったマイナーリーガーが里帰りし、次シーズンへの準備と新たな契約を売り込むためにプレーする場だ。各国のリーグにも当然「インディオス」つまり、「インディアンス」は存在する。

 プエルトリコで最多タイの18回の優勝を遂げているのは、インディオス・デ・マヤゲス(マヤゲス・インディアンス)だ。このチームにはオリックスや巨人が選手を派遣している。このチームのユニフォームやキャップにはいわゆる「インディアン」の意匠は凝らされていないが、同名のバスケットチームのロゴはステレオタイプ的な「酋長」のそれが採用されている。

ニカラグアの名門チーム、インディオス・デ・ボエル。ユニフォームやキャップに先住民のアイコンである羽根が描かれている。
ニカラグアの名門チーム、インディオス・デ・ボエル。ユニフォームやキャップに先住民のアイコンである羽根が描かれている。

 ニカラグアにも「インディアンス」はある。プロリーグができる前の1905年に発足した首都マナグアの名門チームの名は、インディオス・デ・ボエル。「ボエル」はチーム発足の直前に南アフリカで行われていたボーア戦争に由来するという(「ボーア」のスペイン語読みが「ボエル」)。プロリーグ発足後最多である7度優勝を誇るこのチームの真っ赤なキャップには「B」の文字の下に「インディアン」を想起させる羽根が描かれている。

カルタヘナの球場にあるコロンビアリーグ最長試合を示すペイント。1957年、インデォオスは延長24回の死闘を制した
カルタヘナの球場にあるコロンビアリーグ最長試合を示すペイント。1957年、インデォオスは延長24回の死闘を制した

 球団の消滅、移転、名称変更が頻繁に行われる中南米のプロ野球。その中で、現在では消滅してしまったが、パナマにはインディオス・デ・ウラカ(ウラカ・インディンアンス)、コロンビアにはインディオス・デ・カルタヘナ(カルタヘナ・インディアンス)がウインターリーグに、メキシコに目を移すと、インディオス・デ・シウダーフアレス(シウダーフアレス・インディアンス)というチームが夏のメキシカンリーグ、マイナーのリガ・ノルテ・デ・ソノラに加盟していたことがある。ちなみに、シウダーフアレスはメキシコ最初の先住民系大統領ベニート・フアレスの名に由来するアメリカとの国境にある町である。

テキサスへのゲートウェイの町、シウダーフアレスにはかつてインディオスというチームがあった。
テキサスへのゲートウェイの町、シウダーフアレスにはかつてインディオスというチームがあった。

由緒ある名が消えていくのも時代の流れなのか

 「インディアンス」のネーミングは決して先住民を見下しているわけではない。シウダーフアレスの場合、最初の「インディアン」系大統領を誇りに思うがゆえのネーミングのはずなのだが、やはりそのネーミングがそもそも誤認の下で行われ、マイナスのイメージに基づくステレオタイプとともに使用され続けてきた事実を前には消え去る運命にあるのが現在の潮流なのかもしれない。

 国民の9割に「インディオ」の血が流れているというメキシコには、先住民に由来する野球チーム名が他にもある。メキシカンリーグにはゲレーロス・デ・オアハカ(オアハカ・ゲレーロス)のネーミングは先住民の戦士に由来するし、オルメカズ・デ・タバスコ(タバスコ・キャトルメン)は、先住のオルメカ族の名をそのまま採用している。過去には、古代マヤ文明に由来するマヤス・デ・チェトマル(チェトマル・マヤス)というチームもあった。また、ウインターリーグのメキシカン・パシフィック・リーグのヤキス・デ・オブレゴン(オブレゴン・ヤキス)、マヨス・デ・ナボホア(ナボホア・マヨス)は、先住部族の名をそのまま採用している。

 個人的には、アメリカの潮流が中南米に押し寄せ、これらのチーム名もやり玉にあがるようなことはあってほしくないのだが、どうだろうか。

 話をアメリカに戻すと、そもそもクリーブランド・インディアンスの名も、元々はナショナルリーグに所属していたクリーブランドの先代メジャーリーグチームであったスパイダースに在籍していた最初のネイティブ・アメリカン系選手とされるルイス・ソカレキスを顕彰する意味でつけられたものである。インディアンスは、以前からあったネーミングについてのクレームを意識してか、個別のネーミングを行わないルーキークラスを除いて、すでに傘下のファームチームに「インディアンス」を採用していないので、このネーミング問題はマイナーリーグには波及しないようにも思えるが、実はピッツバーグパイレーツの3A級チームの名は、インディアナポリス・インディアンスである。おそらくはこのチームの名も変更を迫られることだろう。

 さらには、ネイティブアメリカンの使用していた武器を意匠化したロゴを使用しているアトランタ・ブレーブスの名も、「インディアン」の「勇者」をチーム名にしていると名称変更の圧力にさらされる可能性もあるという。「ブレーブス」のスペイン語名「ブラボス」は、メキシカンリーグやベネズエラ、パナマのウインターリーグでも採用されているのだが、今後、名称変更の圧力はどこまで広がってゆくのだろうか。

(文中の写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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