あの震災から四半世紀。オリックス、「聖地」でブルーウェーブ復活

ブルーウェーブ復刻試合の行われたほっともっとフィールド神戸

 オリックス・バファローズは、例年、過去のユニフォームの復刻試合を行っているが、ブルーウェーブ時代のホーム用のものは毎年のように復刻されている。神戸移転の1991年からイチローが日本で最後のシーズンを送った2000年のものだ。このユニフォームは、イチローが着用していただけでなく、阪神淡路大震災が神戸の町を襲った1995年に球団買収後初優勝を遂げ、その翌年には、球界の盟主・長嶋巨人を破って日本一に輝いた時代のものとあって、オリックス球団にとっても思い入れの強いものなのだろう。

 今シーズンは、ほっともっとフィールド神戸で実施予定だった全8試合で、このユニフォームを着用した復刻シリーズ、「THANKS KOBE ~がんばろうKOBE 25th~」を行うことになっていたが、新型コロナによるスケジュール変更により、9月15日からの対楽天3連戦のみの企画となった。

名門球団の衝撃的な身売り

 巨人とここだけは絶対に身売りはないと言われた名門・阪急ブレーブスのオリエントリース社への球団譲渡が発表されたのは、1988年のシーズン最終盤のことであった。すでに発表されていた、同じ関西に拠点を置く南海ホークスの身売りを他人事のように眺めていたファンにとっては、大きな衝撃であった。

 社名変更に合わせるかたちで、プロ野球球団を買い取ったオリックスは、平成の始まりとともに、パ・リーグに参入したが、阪急時代の本拠、西宮スタジアムとニックネームの「ブレーブス」はそのまま使用した。1970年代の黄金時代を牽引したサブマリンエース、山田久志と、「世界の盗塁王」、福本豊は去ったものの、当時最強を誇った西武ライオンズと伍した戦力に、福岡に去ったホークスから前年のMVP、「不惑の大砲」門田博光を迎えたチームは、「ブルーサンダー打線」を前面に押し出し、新球団1年目に優勝争いを演じた。翌1990年も2位になったが、この年限りで、西宮から撤退し、新たな本拠、神戸で「ブルーウェーブ」として再出発を図ることになった。

「イチローを招き寄せた家」。聖地・「グリーンスタジアム神戸」

1996年日本シリーズの優勝を決め、場内を一周するオリックスナイン
1996年日本シリーズの優勝を決め、場内を一周するオリックスナイン

 新生ブルーウェーブの本拠、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)は、東京ドームと同じ1988年に開場した。東京ドームの屋根は、当時の野球ファンにスタジアムの近未来を感じさせたが、国際規格の広さを備えた(当時の日本の野球場の多くは国際規格以下のフィールドの広さしか持ち合わせていなかった)フィールドとスマートなつくりの上層スタンドにガラス張りのレストラン席を備えたシンメトリックなグリーンスタジアムは、その先を行く「ボールパーク」の先駆けをなすものであった。

 この広い球場の青々とした外野フィールドにさっそうと現れたのが、あのイチローである。オリックスの神戸移転の翌年、1992年に愛知の愛工大名電高から入団した鈴木一朗は、1994年から指揮を執った仰木彬監督に見出され、登録名を「イチロー」とすると、たちまちのうちにスターダムにのし上がった。不世出のヒットメーカーに引っ張られるようにチームも強化され、1995年、神戸の町が震災で打ちひしがれる中、オリックスは、ひとびとを励ますかのようにブルーウェーブとして初のリーグ制覇を遂げる。そして、翌年には、前年は果たせなかった地元神戸での胴上げと、日本シリーズ制覇を果たした。神戸移転後の、オリックス・ブルーウェーブとイチロー、そしてグリーンスタジアム神戸の織りなしたドラマは、20世紀最大のプロ野球チームとフランチャイズの美しき物語だったと言っていいだろう。

1996年の長嶋・巨人との日本シリーズはオリックス・ブルーウェーブ最大の晴れ舞台となった
1996年の長嶋・巨人との日本シリーズはオリックス・ブルーウェーブ最大の晴れ舞台となった

「球界再編」の波にのまれたブルーウェーブ

 しかし、甘美なドラマはいつまでも続かない。世紀がかわるとイチローはメジャーリーグにその活躍の場を移し、オリックスも新たな歴史を紡ぐべく、ユニフォームを変えた。しかし、主の去った家に再び活気が戻ってくることはなかった。オリックス・ブルーウェーブは、皮肉なことに、イチローが去った2001年にパ・リーグを制した大阪近鉄バファローズと合併することになる。イチローがシーズン262安打のメジャーリーグ新記録を打ち立てた2004年シーズン限りで、オリックスは神戸を去り、ブルーウェーブのニックネームも捨て去ることにした。

 「合併球団」、オリックス・バファローズは、オリックスによる近鉄の買収とされている。しかし、当初採用された大阪と神戸の「ダブルフランチャイズ」も、合併3年目の2007年からは事実上、京セラドーム大阪がメイン球場となり、2008年からは野球協約上もスカイマークスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)は、「地方球場」扱いとなり、ここでのオリックスのホームゲームは年々その数を減らしている。ファンとしては、「神戸のブルーウェーブ」が「大阪のバファローズ」に奪われたかのように感じることもあるだろう。

それでも、「聖地」であり続ける神戸

フランチャイズ球場ではなくなったが、オリックスの準本拠地として、ほっともっとフィールド神戸は多くの野球ファンを魅了している
フランチャイズ球場ではなくなったが、オリックスの準本拠地として、ほっともっとフィールド神戸は多くの野球ファンを魅了している

 しかし、神戸がオリックスにとって特別な場所であることには変わりない。とくに今年は、あの震災から25年ということで、神戸での全てホームゲームでは、ブルーウェーブ黄金時代のユニフォームでオリックスナインは試合に臨むことになった。新型コロナによるスケジュール変更で、この3連戦のみとなったが、振るわないチーム成績にもかかわらず、このシリーズの前売り券は順調に売れた。ナインも「聖地」での試合にハッスルし、このシリーズ直前に育成契約から支配下登録された新星・大山誠一郎や未完の大砲、杉本裕太郎らの活躍で楽天に連勝。昨日の3戦目も負けはしたものの、9回裏に1点差まで追い上げ、ファンを沸かせた。

 また試合中のイニング間には、かつてのラインナップ紹介の映像が流されるなど、雨天が心配される中、集まった4455人のファンは、しばしオリックス黄金時代へのタイムスリップを楽しんでいた。

 

 しかし、この3連戦を秋の夕べのフィールド・オブ・ドリームスに終わらせてはならない。来年は、夢幻ではなく、リアルな「強いオリックス」を神戸のファンに見せるため、オリックス・バファローズは残りシーズンを無駄にしてはならない。

(写真はすべて筆者撮影)