台湾プロ野球・CPBL開幕。開幕戦で対戦した両チームをベースボールキャップから語る

CPBL開幕戦が行われた台中・洲際球場(2011年撮影)

 コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、4月12日、台湾のプロ野球リーグ、中華職業棒球大聯盟(CPBL)が開幕した。台湾は中国でコロナが発生した後、いち早く水際対策を打ち出し、それが功を奏した。

 CPBLは当初3月14日開幕の予定だったが、コロナ禍を受けてこれまで2度開幕を延期してきた。初動に成功したものの、その後、国外在住者の帰国に伴い感染者が増加したのを受けて開幕を延期してきたかたちだ。それでも4月12日現在で累計388人と感染者の封じ込めに成功していることもあり、4月11日に無観客での開幕に踏み切った。しかし、この日は雨により予定されていた2試合がともに中止、翌12日も雨天により桃園国際球場での新生球団・楽天対富邦の試合がキャンセルされ、台中・洲際球場での中信兄弟対統一が「世界一早い球春」を迎えた。

 試合の方は、台湾プロ野球には珍しい白熱した投手戦で、延長11回の末4対1で統一が勝利した。中信兄弟の先発は、昨年までソフトバンクでプレーしていたアリエル・ミランダだったが、2回に統一の鄭鎧文にソロホームランを許し5回1失点で降板した。4回に味方がやはりホームランで同点に追いついたため勝敗はつかなかった。

開幕戦でソロホームランを放った統一の鄭鎧文(2019年撮影)
開幕戦でソロホームランを放った統一の鄭鎧文(2019年撮影)

 CPBLの公式戦は、日本からでもネット中継を見ることができる。台湾代表チームは侍ジャパンとの対戦でこれまで何度も来日しているものの、日本の多くのファンには台湾リーグのチームはなじみが薄いだろう。そこでここでは、私が所蔵する両チームのキャップから両チームの歴史を紹介したい。

リーグ発足当初からの唯一の生き残り統一セブンイレブンライオンズ

 開幕戦で相まみえた両チームはCPBLの老舗球団だ。このリーグの発足は1990年。現在と同じ4球団でのスタートだったが、現在ある4球団(昨年復活した味全ドラゴンズは二軍のみの参加)のうち富邦ガーディアンズは1993年に参入した俊国ベアーズが源流で、これまで3度の身売りとニックネームの変更、本拠地も2度の変更を行っており、チームに「老舗色」は全くない。日本でも球団経営を行っている楽天モンキーズは、昨年までラミゴ・モンキーズというリーグ屈指の人気球団だが、こちらは1997年に発足し、2003年にCPBLと合併した台湾大聯盟という別リーグにその源流がある。

 市場規模の小ささゆえか、歴史的に頻繁に球団数の増減、身売りが繰り返されてきた台湾プロ野球にあって統一は唯一経営母体も本拠地も変更していない名門中の名門だ。リーグ優勝回数も最多の9回を誇る。

 12日の中継を見ると、両チームともキャップもジャージもすっかり洗練されていて、ある意味「台湾らしさ」がなくなっていたが、昨年の取材時には試合前、復刻ユニフォーム試合用の最新撮影がスタンド下の控室で行われていた。かつての台湾プロ野球のコスチュームには漢字が多用され、日本から観戦に訪れるとそのコスチュームに「台湾野球」を感じたものだった。

かつての統一ライオンズのキャップ
かつての統一ライオンズのキャップ

 

 その頃のキャップがこれだ。2000年シーズン、200元で購入と私の記録にはある。当時のレートで約730円というから、かなり安い。この頃台湾では、いまだマーチャンダイズ戦略が未発達だったことがうかがえる。この時期台湾プロ野球は2リーグの対立や八百長問題で「冬の時代」を迎えていた。

 日本のそれと同じく、いかにも子供用というデザインで正直、大の大人がかぶって街を歩けるような代物ではない。現在はオレンジと緑がチームカラーだが、この頃は赤と緑だった。ユニフォームが緑を基調としたものだったので、キャップの方は赤でまとめられていたのだろう。赤と青で色違いではあるものの、ライオンズつながりで黄金時代の西武のキャップにつながるものがある。額の部分には西武と同じくライオンのキャラクターが描かれているが、やはり手塚治虫の「レオ」に比べ、ちゃちな感じは否めない。

 ライオンズの親会社・統一グループは国内最大手の小売り企業で、台湾や中国では「統一」ブランドの飲料や食品をよく見かける。そのグループ傘下企業のひとつが台湾国内で日本でもおなじみのコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンを運営しており、球団も2008年から統一セブンイレブン・ライオンズを名乗っている。この年、統一は台湾シリーズを制し、各国のチャンピオンが覇を競うアジアシリーズに出場したが、この時のキャプはオレンジ色の「LIONS」の文字をポップにデザインしたものを緑地の帽子にあしらったものに変わっていた(これも大人が普段被るにはかなり抵抗があるデザインだが)。そしてジャージの方だが、そのビジター用は「7-ELEVEN」の文字がでかでかと胸に縫い込まれたもので、なんだか実業団チームのようだったことが印象に残っている。

 それに比べれば、先日の中継で見たキャップのデザインは非常に素晴らしかった。昨年取材したときのものは少々色合いや字体は落ち着いたものの、いまだ「LIONS」の白文字が黒地の帽子に縫い込まれた素気のないものだったが、12日の中継で見たものは、落ち着いたトーンながらも大人向けにデザインされたライオンのマークが正面に縫い込まれており、これなら大人が休日のゴルフでかぶっていても違和感ないだろう。

身売りがあっても外せないブランド。中信兄弟

 一方の中信兄弟も台湾チャンピオン7度を誇るリーグを代表する名門球団だ。ただしこちらは2013年シーズン後に身売りを経験している。

 元の親会社はホテルチェーンを経営する兄弟大飯店。そもそもCPBLじたいがこの企業の旗振りで結成された。その意味では発足当初から台湾プロ野球をリードする球団であったと言っていいだろう。当初の名前は兄弟エレファンツ。チームカラーの黄色を全面に押し出した上下とも黄色地のユニフォームは、日本の野球ファンにも衝撃を与えた。とくに上は黄色、パンツは黒という組み合わせには度肝を抜かれた記憶がある。正直ある種の「ダサさ」は否めなかったが、それはそれで「台湾野球」を十分に感じさせた。発足当初からの台湾プロ野球を知る私にとっては、この兄弟のコスチュームこそが「ザ・台湾野球」だった。

球団発足当初の兄弟のキャップ
球団発足当初の兄弟のキャップ

 

 その兄弟エレファンツが長らく使用していたキャップがこれである。黒地の正面にデカデカと縫い込まれているのは兄弟大飯店のシンボルマークだ。親会社のロゴをそっくりそのまま使用するなんて実業団みたいじゃないかと思われるだろうが、CPBLは日本のNPB以上に企業色の強いプロ野球で、その草創期には外国人選手の登録名に親会社の商品名をそっくりそのままあてるなど、企業の宣伝媒体という性格が非常に強いのが特徴である。そもそもエレファンツもプロ発足以前は実業団チームとして活動していた。

 このキャップを入手したのは2002年。当時兄弟が本拠としていた「首都」台北郊外の新荘球場でのことだ。現在はこの新荘を含む台北を囲むエリアは新北市(英語ではNew Taipei City)となり、この球場も富邦のホームグラウンドになっている。この時の対戦相手が中信ホエールズで、この球団は2008年に解散してしまう。

 中信ホエールズの親会社は大手金融会社の中国信託銀行(CTBC銀行)。球団を保有する体力は十分にあったはずだが、当時球界には幾度となく繰り返されてきた八百長事件がまたもや発生しており、球団解散は、経営難というより、度重なるスキャンダルに嫌気をさした親会社が球団経営から撤退したという色が強かったのではないか。

 一方の兄弟エレファンツの方は、親会社の兄弟大飯店は決して大手企業というわけでなく、そもそもの体力がなかった。リーグ草創期の1990年代前半とプロ野球暗黒時代の2000年代初めに2度の三連覇を成し遂げた名門だったが、日本円にして33億円超の累積赤字を前についに2013年シーズン後、身売り先を探すこととなり、これに球団経営の経験のある中信が手を挙げ、兄弟エレファンツは中心に身売りされることになった。

 球団を再び持つことになった中信だったが、買ったのが名門球団とあって、その扱いは慎重だった。ファンの心情を考えると、まさか「ホエールズ」を復活させるわけにはいかない。日本と同じく企業色の強いコーポレーション・アイデンティティ(CI)を基調に成立しているCPBLにあって企業名の「兄弟」がなくなることにさえ反発が大きいことは簡単に想像がついた。そこで新オーナーはウルトラCを思いつく。ニックネームに「兄弟」を採用したのだ。漢字の国・台湾にあっては、プロ野球チームのニックネームも漢字表記される。先の統一ならば「獅」、富邦は「悍將」、兄弟もかつては「兄弟象」と記されたものだ。ただ、近年は英語名を使うことが多くなってきていて、日本では通常、「統一ライオンズ」、「富邦ガーディアンズ」とニックネームはカタカナ表記することが多いのだが、中信だけは「ブラザーズ」の英語名はあまり使われず、「中信兄弟」とフルネームの漢字表記されることがほとんどである。それは台湾でも同じことで、新聞などで「統一」「獅」、「富邦」「悍將」と略すことはあっても「中信」という略称が用いられることはまずない。さらに中信兄弟はユニフォームなどもそのまま踏襲、ホーム用の「兄弟」の文字がでかでかと縫い込まれた黄色地のユニフォームは「身売り」など全く感じさせないものだった。「エレファンツ」のニックネームの方は消えてしまったが、マスコットとロゴマークとして残ることになった。

身売り後も「兄弟」の文字が描かれたユニフォームは残った(2019年撮影)
身売り後も「兄弟」の文字が描かれたユニフォームは残った(2019年撮影)

 

 ただしキャップだけは、旧オーナー企業のロゴを使うわけにいかず、普段ほとんど使われることのないニックネーム、「ブラザーズ」の「B」の文字をあしらったものに変わってしまった。

 しかし時が経つにつれ、旧親会社の色が消えていくのは世の常で、やがてユニフォームの胸の文字には「Brothers」が加わり、チームカラーも黒から濃紺に変わっている。

 台湾プロ野球の面白いところは、その発足時にフランチャイズ制を本格的には導入しなかった(各球団は台湾各地の球場を巡回するかたちで試合を行った)ため、エリア・アイデンティティ(AI)はあまり発達せず、本拠地球場の変更にはあまりファンのアレルギーがないことだ。「兄弟象」時代は台北を本拠とし、新荘球場をもっぱら使用していたのだが、現在はかつて他球団が本拠を置いていた台中に移転している。

 12日の中継を見ると、現在の黄色と濃紺を基調とした「Brothers」のロゴのユニフォームは、片方の袖が濃紺に染められた左右非対称のデザインである。

 中信兄弟は、こうやって少しずつ前身球団の色を薄め、「中信ブラザーズ」に変わってゆくのだろうか。それとも名門球団の跡目を継ぐものとして伝統を継承していくのだろうか。

 日本のプロ野球が休止している今、そんなこと考えながら台湾プロ野球、CPBLの中継を見るのも外出自粛の中、面白いかもしれない。

(文中の写真はすべて筆者撮影)