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20世紀最後のノーヒッター、ナルシソ・エルビラ凶弾に倒れる。その偉大な軌跡をたどる。

阿佐智ベースボールジャーナリスト
メキシコの名門、モンテレイのユニフォーム姿の在りし日のエルビラ(F・リベラ提供)

 昨日、悲報が舞い込んできた。2000年から2シーズン、大阪近鉄バファローズで先発投手として活躍したナルシソ・エルビラ氏が故郷であるメキシコ・ベラクルス州のハイウェイ上で武装集団に襲われ、息子とともに殺害されたとのことである。

52歳の若さだった。

ナルシソ・エルビラ氏近影(F・リベラ提供)
ナルシソ・エルビラ氏近影(F・リベラ提供)

 エルビラ氏は、1986年、18歳で下部リーグから国内トップのメキシカンリーグに昇格。ブラボス・デ・レオンで8勝5敗、防御率4.81の成績を残し、翌年も主に先発として6勝6敗の星を残すと、ミルウォーキー・ブリュワーズとの契約を勝ち取った。1990年にメジャーデビューを飾ったものの、このシーズンの4試合の登板で無勝利に終わると、長らくマイナーとメキシカンリーグを往復していた。この間、1995年にはメキシコの名門、スルタネス・デ・モンテレイで10勝5敗の成績を残しチームの優勝に貢献している。そして1999年にピラタス・デ・カンペチェに移籍すると、このシーズン、自身3度目の2ケタ勝利を挙げたほか、2度のノーヒット・ノーランを記録(1試合は7イニングでの記録)、95年のメキシカンリーグの歴史の中で、シーズン2度の「ノー・ノー」は唯一無二の記録となっている。

 そして、2000年に日本球界に移籍。近鉄では1年目に6勝を挙げたものの、2年目の2001年は1勝に終わり、通算7勝8敗、防御率4.79に終わったが、2000年6月20日には、対西武戦において日墨2シーズンで3度目となるノーヒット・ノーランを達成した。メキシコにおいても日本においても、ノーヒット・ノーランは20世紀中に彼が記録したのが最後で、彼は両国において「20世紀最後のノーヒッター」となった。

 近鉄退団後は、カンペチェに復帰していたが、ここで、8試合で4勝2敗、防御率1.87という好成績を残すと、韓国の名門・サムスン・ライオンズからオファーを受け移籍。シーズン途中の加入にもかかわらず、13勝6敗、防御率2.50とエース級の活躍でチーム創設以来初となる韓国シリーズ優勝に貢献した。しかし、2年目の2003年は開幕時から不振に終わると、自由契約となりメキシコに戻ることになった。メキシカンリーグでの記録は2009年の2試合の登板が最後だが、その後も地方リーグ、ベラクルス・ウィンター・リーグでプレーしていたようだ。

 引退後は、故郷ベラクルス州で実業家として活動する一方、メキシコの中でも長い野球の伝統を誇り、今なお野球人気の高いベラクルス州の野球振興に貢献していた。この地には、2005年にかつて存在したプロリーグを継承するかたちでベラクルス・ウィンター・リーグが立ち上がったが、2016年にいったん休止。これを受け継ぐべくエルビラ氏はベラクルス州リーグを立ち上げた。

エルビラ氏が立ち上げに尽力したベラクルス州リーグ(2017-18年シーズン)
エルビラ氏が立ち上げに尽力したベラクルス州リーグ(2017-18年シーズン)

 私は、このベラクルス州リーグを2年前に取材した。オルタという田舎町の一目見れば、町の運動場のような小さな球場で行われたプレーオフ決勝シリーズの試合だったが、決して豊かではない地元民のためだろうか、チケット代は日本円にして100円にも満たず、それゆえ小さなスタンドは試合前には満員となっていた。そこにあるのはプロ野球の原初を思わせるのどかな風景だった。

 その球場で出会ったのが、エルビラ氏の弟、アブラハムだった。彼もまたメキシカンリーグ17年で30勝を挙げたプロ野球選手で、現役の最晩年を兄がコーチングスタッフに名を連ねるトビス・デ・アカユカンで送っていた。あいにく兄のエルビラ氏はこの日の球場にはいなかったのだが、彼自身もジュニア時代に来日の経験があるらしく、兄が大記録をうちたてた大阪ドーム(現京セラドーム大阪)にも足を運んだと私に話してくれた。

エルビラ氏の弟、元メキシカンリーガーのアブラハムも凶弾を受けたが一命はとりとめた(写真は2017年、ベラクルス州オルタにて)
エルビラ氏の弟、元メキシカンリーガーのアブラハムも凶弾を受けたが一命はとりとめた(写真は2017年、ベラクルス州オルタにて)

 そういう牧歌的な野球シーンとはうらはらに、メキシコ野球には暗い影が付きまとっている。社会にはびこる麻薬カルテルを牛耳るマフィアの存在はときとして市民を恐怖に陥れ、その存在は野球界にも影を落としている。ベラクルス・ウィンター・リーグの球団オーナーの中にもかつては、裏稼業に手を出していた者もいたと聞くし、2006年にもアカユカンのチームのオーナーであったシリロ・バスケスという人物が、球場からの帰途、エルビラ氏と同じように凶弾に倒れている。また、2015年にはエルビラ氏も誘拐事件に巻き込まれている。外国でプレーした経験のある野球選手は、富める者として、アウトローたちの格好の的となっているのだ。

2006年、凶弾に倒れたアカユカン球団のオーナー、シリロ・バスケス氏を悼む横断幕(2017年12月、ベラクルス州オルタ、エミリアーノ・サパタ球場)
2006年、凶弾に倒れたアカユカン球団のオーナー、シリロ・バスケス氏を悼む横断幕(2017年12月、ベラクルス州オルタ、エミリアーノ・サパタ球場)

 

今回の凶行では、本人と子息だけでなく、弟のアブラハムも一緒に襲われた。残念ながらエルビラ氏父子は命を落としたが、かつてエルビラ氏とともにベラクルス州リーグの立ち上げにかかわった元マイナーリーガーのフランキー・リベラ氏によると、アブラハムは一命をとりとめたという。

 昨冬は、日本でもプレーしたベネズエラ人元メジャーリーガー、ホセ・カスティーヨ氏がウィンターリーグの試合からの帰途、強盗に襲われ命を落とすという悲報が入った。カスティーヨ氏には、実際インタビューをしたことがあっただけに、その悲報には非常にショックを受けた。エルビラ氏には私は直接お会いしたことはなかったのだが、弟のアブラハムにはやはり取材をしていただけに、今回の悲報にもいたたまれない気持ちになる。野球場にいる限りは、平和そのものなのだが、やはり貧困と暴力がいまだ社会に巣食っているラテンアメリカでは、このようなことは決して珍しいことではないようだ。

 今年のパ・リーグのスケジュールを見てみると、エルビラ氏がノーヒット・ノーランを達成した6月20日は、近鉄バファローズを吸収合併したオリックスのホームゲームが開催予定だ。残念ながらこの日は、かつてのブルーウェーブの本拠、神戸での試合だが、翌21日は、偉大な記録が打ち立てられた京セラドームでの試合となっている。「バファローズ」の後継球団として、何らかの追悼イベントをして欲しいものである。

 偉大なるノーヒッター、ナルシソ・エルビラ氏の冥福を心から祈る。

(リベラ氏提供以外の写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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