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地方にあって「国際戦略」を仕掛ける独立リーグ球団・高知ファイティングドッグスの目指す先

阿佐智ベースボールジャーナリスト
高知ファイティングドッグスの入団会見(2017年, 高知球団提供)

 日本の野球界にすっかり根付いた感のある独立リーグだが、その中でも様々な仕掛けを試み、黒字経営を続けているのが四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグス(高知FD)だ。人口減に悩む四国という地、その中でもとくに過疎化が進んでいる高知にありながら、地域密着を推し進める一方、国外への遠征やヨーロッパ、アフリカ、南米という「野球不毛の地」からも選手を獲得するなど、国際戦略を推し進めているのだ。その仕掛け人と言えるのが、球団副社長・北古味潤である。

高知ファイティングドッグス副社長・北古味潤
高知ファイティングドッグス副社長・北古味潤

ここ数年、高知FDから入って来る情報はずいぶん羽振りのいいものだった。国外でのトライアウトやキャンプ、遠征。それに「こんなところから」と思うような野球の世界では聞いたことのないような国からも選手を獲得している。そのスカウティングのためなのだろうが、北古味は年中世界中を飛び回っている。とは言え、決して資金の潤沢ではない独立リーグ球団。その国際戦略の資金はどこにあるのだろう。

十数年前、存続の危機に瀕していたチームを助けるべく兄が運営会社を設立、その兄と二人三脚で球団を黒字化した実績のある北古味にとって「埋蔵金」を探し当てるのはお手のものだ。プロ野球球団でありながら、農業や観光業にも手を広げてきた北古味の信条は、「独立リーグは野球だけじゃダメ」というものだ。とくに過疎の進む高知に根を張る球団としては、地域創生のために様々な活動をせねば球団の存在価値がなくなってしまうという危機感をもっている。国際戦略はそのひとつの方法論なのだ。

太平洋に浮かぶ島々へ

 実は高知県は日本有数の移民送出県である。日系人と言えばブラジルが多くの人の頭に浮かぶが、そのブラジルへ移民を送る事業を手掛けた水野龍(みずのりょう)は高知出身の人物である。彼の孫、ジョナタン正一は、数年前、高知FDに練習生として所属していた。

日系移民の仕掛け人、水野龍の孫、ジョナタンも高知FDに在籍していた
日系移民の仕掛け人、水野龍の孫、ジョナタンも高知FDに在籍していた

 日本中で観光ブームが起き、インバウンドを求める中、高知県もやはり国外との交流を求めている。そこで、かつての移民送出県という強みを生かして高知にルーツをもつ日系人のいる国々とのつながりを再構築すべく県知事以下県会議員らが積極的に海を渡っている。その際、日系人たちのアイデンティティのよりどころとなっている「国技」・野球が有用なツールとして浮かび上がってくるのだ。

「最初は、ミクロネシアのトラック(チューク)諸島ですかね。知事が訪問する際に県の予算で同行したんです。県としてもやはりきっかけづくりのために野球が必要だったんでしょう」

日本列島の南、赤道のすぐ北に位置する島嶼国家・ミクロネシア連邦は第一次大戦後に日本の委任統治領「南洋諸島」だったところだ。ここにも高知から多くの移民が渡っていった。前大統領マニー・モリは高知県出身の曽祖父をもつ。さらにこの曽祖父、森小弁(もりこべん)の孫娘の婿もまた相沢進という日系人で、結婚前はプロ野球選手として日本でプレーしていた。そして彼ら日系人の多くが生活の基盤を置いていたのが、トラック諸島だった。

そういう縁もあり、モリ家と野球とのかかわりは深い。前大統領の息子は現在、現地野球連盟の役員をしており、現地の少年野球は、ポニーリーグに加盟している。それが縁になって、現在高知FDは日本ポニ-ペースボール協会とのコラボ事業も視野に置いている。

「ミクロネシアの隣のパラオにも行きましたよ。これはうちの選手のひとりが父親の仕事の関係で小学校まで住んでいたのが縁になりました。ここもやっぱり日本の旧委任統治領で、ソフトボールもひっくるめていまだにヤキュウって呼ばれてプレーされていますよ」

人口の少ないこれら島嶼国家はインバウンド需要という視点からは有望とは言えない。しかし、ここに野球というコンテンツが乗ってくると話が違ってくる。北古味は言う。

「ポニーリーグって海外との交流に積極的なんです。そういう点では我々の目指すところと似ています。実は、ポニーリーグのアジア太平洋地区の国際大会を2年後に高知でやろうって話が出てきているです。私としては、球団単体というより四国アイランドリーグとして誘致できないかと思っているんですけど。以前は、シンガポールからチームを招いて合宿をしてもらったりしたことがあるんですけども。要するに『ベースボール・ツーリズム』です。チーム単位で来てくれればそれなりのお金が落ちますし、選手の親たちが気に入ってくれれば、リピーターとしてまた戻って来てくれるかもしれませんしね。もちろん、高知県も乗り気です」

県の経費で海を渡るということは、要するに税金を使っているということだ。当然、それなりの結果も求められるだろう。それに対しても、高知FDはきちんと答えを出している。

地球の裏側でのトライアウト

 高知FDがブラジル人選手を受け入れていることは、すでに報じたが(「地球の裏側にもうひとつの野球が。ブラジルからやってきた日系人選手の「プロ初シーズン」, https://news.yahoo.co.jp/byline/asasatoshi/20191201-00153070/)、高知FDはここ数年、ブラジルやパラグアイなど南米各国の日系人コミュニティとの関係構築を進めている。

「やはり中南米は日系人の多い土地ですから。高知からもよく県会議員が訪問しているんです。そういう中で、現地の野球連盟からの野球を通じた交流の申し出であって、それでウチに話が回ってきたんです。だから最初はやはり県の費用で行きましたね」

 その後も、日系人の多いブラジル、パラグアイに継続的に足を運び、途上国援助を行う国際協力機構(JICA)から、ブラジルでの野球指導者の研修の要請を受け、中南米の指導者を高知で1カ月間指導者講習を行った。その延長として、提案書を提出の上、採択されたのが、昨年行われたブラジルでの野球講習だ。このような活動も北古味は、球団の認知度を高める営業活動の一環だととらえている。とにかく様々なかたちで高知FD、あるいは高知県の魅力を世界中に発信していく必要があるのだと北古味は言う。

 そしてその野球講習の一環として行ったトライアウトで獲得したのが、日系人のサロモン・コバだった。これについても、北古味は、戦力補強、チームの広報、選手本人のキャリアパスなど様々なことを考えて獲得を決めたとする。

「今、ブラジルにもMLBがどんどん入ってきています。だから今はもうブラジル人選手にとっての第一目標、『プランA』は、アメリカのメジャーリーグ、マイナーリーグです。でも、誰もがメジャーまで上がれるわけでもないし、MLB球団と契約できるわけではない。そういうときの『プランB』として日本の独立リーグがあっていいと思うんです。ブラジルには日系人も多いです。彼の場合、幸い戦力としても駒田監督が使ってくれましたし。それにやはり彼自身がブラジル・ナショナルチームのメンバーでインフルエンサー(影響者)としての魅力をもっていますから。もちろん、彼がじゃあ、独立リーグからNPBに進めるかというと、それは難しいんですが、彼はもともと歯医者なので、野球選手が駄目だったとしても、帰ってもきちっと職がある。日本の独立リーグはセカンドキャリアのこともしっかり考えて運営していくべきだと思うんで、そういう視点からも考えて彼の獲得を決めました」

 高知という田舎にあって北古味の目は常に世界に向いている。将来的には、東南アジア、ミクロネシア、インドなどからの選手の受け入れも考えているという。

「それには、まずはパイプをつくらないとダメですね。理想を言えばアイランドリーグ全体で、当面はインドネシアでのトライアウトを考えています。あそこは日本人の方が普及活動をしていましたから」

そう言いながら北古味はすでに動き出している。このインタビューを行ったのは後期シーズン開幕直前の7月だったのだが、そのタイミングで2017年WBCの中国代表選手、許桂源を獲得したのだ。

「アイランドリーグは北米遠征を前後期の間に行っているんですが、ニューヨークに遠征していた時に、ある人物から帯同していたリーグの理事長の方に『マイナーチームからリリースされて行き場を探している選手がいる』って話が行ったんですよ。それでリーグの方からうちに話が回ってきて、獲得することにしたんです。そういうところにも遠征の価値はありますね」

野球だけではない総合ビジネスモデルへ

 さまざまな仕掛けを試みている高知FDだが、その現実は順風満帆というわけではない。今シーズン、高知球団の運営会社が変わった。地元球団を救うため、北古味の兄が私財を投げうって立ち上げた旧運営会社だったが、単年度の黒字は達成しても、累積した赤字を解消できず、新たなスポンサーにチームを委ねることになったのだ。旧運営会社は清算のため残しながら北古味以下の球団スタッフは、横滑りで新会社に転籍となった。

 北古味たちは、ゼロどころかマイナスから旧球団運営会社をスタートさせ、県からの補助金で賄っていたスタッフの給与も自らで賄った上で、収支も黒字化させることに成功した。それでも新たな経営陣は、現状維持からの脱却を目指し、収支に関してよりシビアになったという。

「結構しんどい中やってきたんですけど、少ないスタッフでぎりぎりでやっていること自体が健全じゃないという意見も新経営陣からは出てきています。僕らはそれが当たり前だと思ってやっていましたけれど、やはり次の段階に行くには、新たな切り口は必要だと思うんです。だから、新経営陣にはちょっとハードルを上げたところでものごとを見てもらっているという感じですね。結局アイランドリーグはプロスポーツだというものの、まだエンタテインメント性が足りないんですよ。僕らも藤川(球児・現阪神)君、伊良部(秀輝・元ロッテなど)さんやマニー・ラミレス(元レッドソックスなど)に来てもらいましたけど、それもエンタテインメントですよ。でも、そういうビッグネームがいないときでも、球場が常にエンタテインメント空間であり続けないと。まじめにやっていますとか、(球団があることに)意味がありますって言っただけではお客さんも来てくれないですから」

 とは言え、NPBに進めなかった選手が集う独立リーグというコンテンツでは集客にも限界がある。そこで高知球団はスポーツという枠だけにはこだわらない様々な事業を手がけてきたのだが、やはり根本に「野球」があってこそだというのが北古味の信念だ。

「独立リーグのプロ球団という筋が一本あって、他のビジネスも成立していって、初めて真ん中の筋が立つようなものです。野球があって、そこからスポーツの交流へ、それが別のビジネスにつながる。野球と他が両立できるようなものを構築していきたいですね。それにはやはり継続性が必要です。いつまでたってもJICAの予算とか、県の予算を頼っているようではだめです。もちろんそういうところと共存はしていいと思いますが」

 だから高知FDの海外事業も再考する時期に来ていると北古味は考えている。かつて他のリーグでも国外との交流に力を入れた時期があったが、特定の球団が音頭を取っただけで、リーグ全体の動きとならなかったため、その後尻すぼみになってしまった。だから高知FDが手掛けている国際事業も将来的にはリーグに国際部をつくって動いて行くべきだと北古味は考えている。

「今やっていることが、人口減で苦しむ四国に野球で留学生を受け入れられるとか、海外のアマチュアチームを合宿で呼んで来るなどのきっかけづくりになればいいなと思っています。なかなか個人の情熱だけで組織は動かない部分はありますけど(笑)。」

そういう意味で提携したポニーリーグだが、このリーグの名は「Protect Our Nation’s Youth」に由来し、「若者を守る」というコンセプトの下、近年話題に上ることの多い、投手の球数制限にも力を入れている。そういう球界の改革の実験の場としても独立リーグの生きる道はあると北古味は考えている。

「我々はちゃぶ台をひっくり返すようなことは考えていませんけど(笑)。いい悪いじゃなく、世の中の流れは認識しなきゃいけないと思います。だから、まず試してみようってハードルを下げることができるのが独立リーグかなと思うんです。アメリカでも、MLBが独立リーグのアトランティックリーグと提携してロボット審判や「一塁盗塁(捕逸の際、カウントにかかわらず、打者が一塁へ走る)」なんかいろんな試みをやっているでしょう、あれも議論を生むためであって、あれがベストだと思ってはやっていないと思うんです」

アイランドリーグも現在、夏場のデーゲームに7イニング制を採用している。これも、世の中の動きを見て、まずは独立リーグから変わっていこうという試みなのだと言う。

「いざやってみたんですが、そんな大きなクレームはありません。だって、アメリカだってマイナーではダブルヘッターは7イニング制ですからね。そうやって試してみてみる場として独立リーグが日本の野球界で先駆的なことをしていきたいですね」

 高知FDは、今シーズン、前期は優勝争いを演じ2位になったものの、後期は最下位に沈んだ。リーグ優勝、独立リーグ日本一からは10年遠ざかっている。このオフには長らくコーチとしてチームを見続けてきた吉田豊彦(元南海・ダイエーなど)への監督交代、10年前の優勝監督、定岡智秋(元南海)のコーチ招聘などプロ球団としてチーム改革にも舵をきったが、これと同時に、地域貢献や国際交流も引き続き行っている。

 この冬も北古味は、世界中を飛び回っている。

(文中の写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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