本当に身売り?台湾の大人気球団、ラミゴ・モンキーズを本拠・桃園に訪ねる

「アーミーパーティー」と題されて行われた桃園でのラミゴ・モンキーズの試合

 この夏、台湾球界を揺るがす大ニュースが報じられた。台湾屈指の人気入団で日本の野球ファンにもおなじみのラミゴ・モンキーズが今シーズン限りで球団を売却すると発表したのだ。2004年に、ラニュー・ベアーズとして台湾リーグ、CPBLに参入し、2006年の初優勝以来16年で実に6回の台湾チャンピオン、半期の優勝は12回を数える。とくに2012年以降の7シーズンで5回優勝し、3連覇を目指す今年も前期シーズンを制した上、現在年間総合勝率も首位をひた走り、台湾シリーズ出場は半ば確実視されている。日本球団との交流試合や、日韓のプロ野球を参考にした、チアガール集団、「ラミガールズ」と名物応援団長による派手なスタンドのパフォーマンスで若いファンの獲得に成功し、人気も老舗球団、中信兄弟と双璧をなしている。身売りなどする状況はなにもないように思えるのだが、親会社のラニューは、「新たなオーナーの下でさらなる発展を」と球団の譲渡を決めた。

今や桃園棒球場の内野スタンドはラミゴファンで満員となる
今や桃園棒球場の内野スタンドはラミゴファンで満員となる

台湾屈指の人気球団、ラミゴ・モンキーズの歴史

 ラミゴ・モンキーズ、台湾語で「Lamigo桃猿」は、かつての2リーグ分裂時代にCPBLのライバルリーグであった台湾大聯盟(TML)の系譜を現在まで受け継ぐ唯一の球団である。2003年の両リーグ合併に際して球団数を減らす必要のあったTML側は、高屏年代雷公と台北太陽が合併し、金融業の大手、第一金控をオーナーに迎えた上で、もう一組の合併で消滅する金剛の名跡を継ぎ、第一金剛としてCPBL球団としてのスタートを切った。しかし、第一金控は、チームが台湾プロ野球史上最低勝率の20勝71敗9分という成績に終わると、このシーズン限りで球団経営から撤退、靴の製造販売を手掛けるラニューに球団を委譲した。

 ラニューはチームのニックネームをベアーズと変更した上で、本拠地は雷公時代からの高雄・清澄湖球場を引き続き使用し、この「最弱球団」の強化と人気チームへの変貌を図った。2006年、台湾人初のメジャーリーガーとなった陳金鋒の獲得が起爆剤となり、レギュラーシーズンを前後期とも制すると、台湾シリーズでも名門球団・統一ライオンズに4タテを食らわし完全優勝。当時行われていたアジアシリーズでも、下馬評を覆し、2位に食い込んだ。そして、2011年シーズンからは、国際性のある地域密着型球団を目指して台湾最大の国際空港のある桃園市に本拠を移し、球団名も、ラニューの「ラ」とスペイン語で親友を意味する「アミーゴ」を合わせた造語である「ラミゴ」を冠し、ベアーズを「モンキーズ」と改め、ニックネームの漢字名は、桃園の「桃」の字を加えた「桃猿」とした。

 そして、先述の応援団やイベントユニフォームなど様々な工夫により、試合のエンタテインメント性を高め、それまでは中年男が日ごろの憂さを晴らしにやってくるようなある種殺伐した雰囲気のあったスタンドを老若男女問わず問わず楽しめるエンタテインメント空間に変えた。その一方で、ウェブを駆使した日本語での情報発信、日本球団との交流戦など、狭い台湾にとどまらないビジネス展開を行い、ラミゴはCPBL屈指の人気球団に成長した。

世界に類をみないエンタテインメント・ベースボール、「ラミゴ・ワールド」

ボールパーク化により、球場入り口はスタンドの外に移動し、スタンド周辺のスペースでは試合前には様々な催し物が行われる
ボールパーク化により、球場入り口はスタンドの外に移動し、スタンド周辺のスペースでは試合前には様々な催し物が行われる

 9月1日日曜日、この日の桃園棒球場での対統一ライオンズ戦は、「Army Party」と銘打って行われた。アメリカでも軍へのリスペクトを示すイベント試合が行われるが、ここ台湾でもそれに倣っているようだ。最初そのことを知らなかったので、球場正面に自動小銃を持った軍服姿の男たちがいたのを見て、暴徒化するファンににらみをきかせているのかと驚いたのだが、子どもたちがその「兵隊」にまとわりつき、珍しそうに銃を触っているの見てコスプレであることを理解した。

アーミー・ユニフォームをまとったラミゴ・ナイン
アーミー・ユニフォームをまとったラミゴ・ナイン

 当然この日のゲームには、ラミゴ・ナインは、迷彩模様のイベントユニフォームで臨む。ただし日本のように来場者へのレプリカユニフォームのプレゼントはなく、球場内に数か所あるグッズショップでTシャツなどの関連グッズが販売される。

イベントユニフォーム試合の多いチームだけにショップの充実ぶりは日本以上だ。価格の方は、レプリカユニフォームは日本と同等、キャップは日本よりかなり高額だったが、スタンドのファンのほとんどはチームのユニフォームを身にまとっている。

様々なラミゴのユニフォームをまとったファンに、日本球団のユニフォームも混じっている
様々なラミゴのユニフォームをまとったファンに、日本球団のユニフォームも混じっている

 面白いのは、日本のチームのユニフォームを着ているファンもちらほら見たことだ。もちろん、人気ナンバーワンは日本ハムファイターズ。このチームから旅立った王柏融の背番号99が目立つ。また陽岱鋼の在籍する巨人のTシャツやユニフォームも見かけた。

 試合前のアトラクション、ラミガールズによるダンスもアーミー姿。試合中ビジョンにはアーミー仕様のユニフォームをまとい敬礼した各選手の姿が映し出されていた。

ビジョンに映る選手もアーミー仕様
ビジョンに映る選手もアーミー仕様

 台湾では野球観戦は内野席が主流。日本のように、じっくり観戦したい人は内野、応援したい人は外野という区別もない。むしろ逆といった感じで、しかも外野席で観戦する人はあまりいない。

 ところがこの試合では、ビジターチーム・統一の応援団は、外野席に陣取ってトランペットを使った日本風の応援を繰り広げている。台湾では、ホームチームは地の利を生かしたスピーカーを使った大音響の応援、ビジターチームは応援団による楽器を使った応援というのが基本パターンのようだが、多くの場合、ともに内野に陣取る。

人気者の名物応援団長
人気者の名物応援団長

 

 その理由はすぐにわかった。ここ桃園では内野スタンドは全てと言っていいくらいホームチーム、ラミゴのファンで埋まるのだ。だからベンチ上で踊るラミガールズたちも、ホームチームが陣取る三塁側だけではなく、ビジター側の一塁側でも応援をリードしている。名物応援団長、阿誠さんのリードにより彼女たちが踊るダンスに合わせて、スタンドのファンも一緒に踊るのがここのスタイル。ラミゴの攻撃時にはネット裏席のファンも立って応援するが、ここではホームチームの応援時に座っての観戦などかえって野暮になる。

ラミガールズのダンスに合わせながらの応援
ラミガールズのダンスに合わせながらの応援

 

 応援のハイライトは、7回裏攻撃前。ネット裏中央最前列にある、応援団長を乗せた飛行機をあしらったゴンドラがどんどん持ち上がってゆくのだ。どこまで上がるのかと思いながらみると、上層スタンドの観客の目線まで上がっていった。この時だけは、スタジアムの主役はフィールドの選手より応援団長となる。スタンドのファンのボルテージは一挙に上がる。

応援団長の「航空ショー」。まるでアイドルのコンサートのようだ
応援団長の「航空ショー」。まるでアイドルのコンサートのようだ

 

 このファンの熱狂に後押しされてか、同点から7回に5点をリードされたラミゴは、8、9回に2点ずつを取り1点差とする。なおも2アウト満塁という絶好のチャンスだったが、最後の打者はライトフライで万事急す。かつての台湾プロ野球では、このような展開だと、怒り狂ったファンが暴徒化し、スタンドの椅子をはがしてフィールドに投げつけるようなこともあったというが、応援団とともにパフォーマンスを楽しんだ観客たちは満足したようにナインの健闘を讃えていた。

試合後もミニコンサートが行われた
試合後もミニコンサートが行われた

 試合後もアトラクションは続く。場内が暗くなると、始球式を務めた地元女性アイドル(選手曰く、それほど有名ではないとのこと)が試合中、ラミガールズが踊っていたダグアウト上の舞台で2曲ほど歌ったが、これは前座に過ぎなかった。続いて、1塁側ダグアウトから香港の有名歌手ウィリアム・ソー(蘇永康)が登場。台湾でもおなじみの大スターは、マウンド上で歌い始めた。そして1,3塁側スタンド沿いを歌いながら歩くと、最後はスタンドに上がってファンにもみくちゃにされながら数曲を披露した。4時間を超える長い試合だったにもかかわらず、スタンドのファンはほとんど帰ることなくソーの歌に酔いしれていた。

試合後に登場した香港のスター、ウィリアム・ソー
試合後に登場した香港のスター、ウィリアム・ソー

この雰囲気を次の企業にバトンタッチ

 台湾きっての人気球団ラミゴだが、財政事情は決して良くはない。球団買収以来、選手の年俸は3倍になったというが、収入の方はさほど伸びていない。桃園棒球場の入場料は、内野で400~550元(約1200~1650円)、外野は250~350元(約750~1050円)。こちら方は10年前と比べてほとんど変わっていない。親会社のラニューは中小企業。現在の成長を続けていくには体力がもたないのだという。

 かつて、名門・阪急ブレーブスが球団譲渡を発表した時、時のオーナーは「社会的使命を果たした」と発言した。今思えば、人口減少が不可避となったあの時代、バブル景気もあり、選手の報酬は高騰していた。電鉄会社の体力ではこれ以上プロ球団は持てないというのは、正しい経営判断だったのかもしれない。かつて昭和のプロ野球には中小企業も参入していた。しかし、プロ野球が隆盛を極める中、球団経営は大企業へと移っていく。

 それと同じく、台湾プロ野球も次のフェーズへ入ったのだろう。幸い、身売りが常の台湾ではファンの反対運動などは起こっていないようだった。ファンの願いはただひとつ、桃園に根付いたチームを来年も残して欲しいということだけだ。そして次のオーナーの下で、チームの黄金時代を継続することをファンは夢見ている。

球場最寄り駅のコンコースはラミゴであふれている
球場最寄り駅のコンコースはラミゴであふれている

(写真は全て筆者撮影)