カリブ海の「高校野球」、ドミニカ・メジャーリーグアカデミー。その現状を探る

ドミニカだけでなく、中南米各地を中心に世界各国からの選手を育成するアカデミー

ドミニカ・アカデミーの原初的風景

 数年ぶりにドミニカ共和国(ドミニカ)の地を踏んだ。最初にカリブ海に浮かぶエスパニョーラ島の東半分を占めるこの国に来たのは1997年のことだった。インターネットが未発達で情報など何もなかった当時、首都サントドミンゴで町ゆく人に尋ね、ウィンターリーグのチームがあるサンフランシスコ・デ・マコリスという町に行けばアカデミーがあると聞き、足を運んだ。そこでアカデミーを探すと、また別の町の名を言われ、言われるがままに足を運ぶのを繰り返し、たどり着いたのはサルセードという山に囲まれた小さな町だった。バイクタクシーにまたがり到着した町はずれの野球場のスタンドには、入場無料とあって、娯楽の少ない田舎町の男たちが押しかけていた。フィールドには、胸に「ロイヤルズ」と縫いこまれた白いユニフォームと「オクラホマシティ」とあるグレーのユニフォーム姿があった。「オクラホマシティ」は当時、テキサス・レンジャーズの3Aチームだった。このチームのおさがりを着たレンジャーズのアカデミーがビジターチームとしてカンザスシティ・ロイヤルズのアカデミーのあるこのサルセードに乗り込んでいたのだ。

かつてドミニカ中部、サルセードで行われていた試合風景
かつてドミニカ中部、サルセードで行われていた試合風景

 この試合の後、サンチアゴという町まで抜けた。このドミニカ第2の都市はウィンターリーグの名門、アギラス(イーグルス)の本拠である。そのホーム球場にも足を運んだ。試合は行われていなかったが、ラテンアメリカには珍しく外野席も備えた2万人収容のスタンドからこのチームの人気のほどがうかがえた。ここは、夏の間、クリーブランド・インディアンスのアカデミーが使用しているらしく、アメリカで使われていたスクールバスのお古にチームのロゴが描かれていた。

 首都のサントドミンゴ。ウィンターリーグの名門、ティグレス・デ・リセイとレオーネス・デ・エスコヒードの本拠で「ドミニカ野球の聖地」とでもいうべきキスケージャ・スタジアムではニューヨーク・メッツとオークランド・アスレチックスの試合が行われていた。田舎町とは違い、大きなスタンドのネット裏には50人ほどの観客がいるだけだった。ツーアウトランナー二塁からの安打で二塁を欲張った打者走者が外野手の送球で刺された。ゆっくりベースを回っていたセカンドランナーのホームインはスリーアウトのコールより遅かったと認められない。攻撃側は当然のように抗議したが、主審はスタンド最前列にいた観客のひとりでしかない私に判定の同意を求めてきた。そこにはラテンアメリカらしいのどかな雰囲気が漂っていた。

かつては首都サントドミンゴのキスケージャ・スタジアムでもDSLの試合が行われていた
かつては首都サントドミンゴのキスケージャ・スタジアムでもDSLの試合が行われていた

 続いて足を運んだ市内のオリンピック公園の野球場には翌年からメジャーリーグに参入が決まっていたタンベイ・デビルレイズ(現レイズ)のアカデミーの選手が練習を行っていた。ここはまさに草野球場のようなところで、メジャーチームがまだ正式に発足しておらず、選手は練習用ユニフォームで練習していた。それゆえはじめは少年野球の練習かと思ったが、聞けば、すでにメジャーチームのスタートに先立って育成が行われているとのことであった。

サントドミンゴのオリンピック公園を使用していたデビルレイズ(当時)のアカデミー
サントドミンゴのオリンピック公園を使用していたデビルレイズ(当時)のアカデミー

 これらはもう20年以上前のことである。すでに当時、メジャーリーグ各球団はこの国にアカデミーを置いていたが、ほとんどの球団は、国内各地の既存の施設を間借りして選手育成のための野球学校、「アカデミー」を開校し、そのアカデミーの選手で構成されたファームチームによるドミニカン・サマー・リーグ(DSL)を開催していた。

 ドミニカ人にとってプロ野球とは、メジャーリーガーも参加するウィンターリーグのことである。しかし、観客を集めて木戸銭をとることはないものの、DSLもれっきとしたプロ野球だ。リーグ戦はマイナーリーグの最底辺であるルーキー級に位置付けられ、リーグが行われる夏の3か月間、メジャー球団と契約した選手は給与を手にする。

 シーズンが終わればチームは解散となるアメリカ本土のマイナーリーグとは違い、アカデミーは年中稼働している。公式戦が終わった後も、契約選手は寮生活の下、衣食住を保証され、午前中は練習、あるいは練習試合、午後はアメリカに渡っても困らぬようにと英語を中心とする講義を受講する。ただし、私が最初に足を運んだ1997年当時は寮が間に合わず、自宅から「通い」の選手もいたようだった。

変貌するドミニカ・アカデミー

 そして今回、22年ぶりに夏のドミニカを訪ねた。この間、ウィンターリーグには2度ほど足を運んだが、メジャーリーグによるサマーリーグ以外に、国外で契約を結ぶことのできなかった選手による夏のプロリーグを目にしたいと思い、久々のドミニカ行きを決めた。残念ながら日程が合わず、そちらはふた月ほどの短いシーズンをすでに終えてしまっていた。

 聞くところによると、国内の様々なところに散らばっていた各球団のアカデミーはこの国の玄関口であるラスアメリカス国際空港とその50キロほど東にあるこの国一番の野球選手の産地、サンペドロ・デ・マコリス周辺に集約され、現在はすべての球団が寮付きの自前の施設を備えている。ニューヨークからラスアメリカス国際空港までは約3時間半。その気になれば、日帰りで視察できる場所にMLB球団は現在アカデミーを置いている。

 ドミニカにアカデミーを最初に設置したのは、カナダを本拠とするトロント・ブルージェイズである。フリーエージェント(FA)制導入以降、寒冷地の球団を選手が避ける傾向が強くなり、せっかく育て上げた選手がFAで去ってしまうという悪循環を避けるため、球団創設にあたって、ブルージェイズは新たな選手獲得網をドミニカに求めた。1977年、メジャーリーグを夢見る少年たちを早期に囲い込むべく野球学校を開校したのだ。貧困層が大半で、少年たちは、牛乳パックを切り抜きグラブ代わりに野球を始めるというこの国にあって、寝床と三食が保証され、教育を受けることができる上、給料までもらいながら野球に打ち込める環境はこの上ないものだった。メジャー球団にとっては、当時、素質十分の有望株との契約金が邦貨にして数十万円程度で済むことも魅力だった。ブルージェイズのアカデミーからは西武でもプレーしたトニー・フェルナンデスらメジャーリーグのスター選手が出現した。

 この状況に、他球団も追随した。資金力に乏しい「スモールマーケット」球団のロイヤルズも早期にドミニカに進出した球団だ。実は、アカデミーのいうシステムを1970年、最初に導入したのはこの球団で、ロイヤルズは米国内にこれを開いている。

 次々とドミニカに進出してきた球団の中でもロサンゼルス・ドジャースは、自前の施設を最初に建設した球団である。最初はサンペドロ・デ・マコリス郊外の施設を間借りしていたこの名門球団は、サントドミンゴ北東のゲラという町のはずれに1986年、自前の専用施設を建設、カンポ・ラス・パルマスと名付けた。これを皮切りに、メジャー球団は自前の施設をドミニカに建設するようになる。

 現在、この「ドミニカのドジャータウン」周辺には数球団のアカデミー施設が存在する。カンポ・ラス・パルマス前の道を5分も歩けば、かつてオリンピック公園の草野球場を使用していたレイズのアカデミーが、そしてその先にはロイヤルズがサルセードから移転した自前の施設がある。

 現在、DSLは全45チーム(複数の球団が2チームを参戦させている)が6地区に分かれて公式戦を消化している。レギュラーシーズン終了後にプレーオフを行って年度チャンピオンは決めるものの、地区ごとにチーム数も違いレギュラーシーズン中は他地区との対戦はないところから、このリーグ戦はあくまで育成目的であることがうかがえる。だからこそ、アメリカからやってきたスカウトが見て回りやすいように各アカデミーは空港周辺に集約され、アカデミー間の距離が近いチーム同士がリーグ戦を行うのだ。中には、複数球団のアカデミーが隣接して、一大野球コンプレックスを形成している場所もあり、そういう場所には「ベースボール・シティ」、「ベースボール・バレー」、「ベースボール・オアシス」などの異名がつけられている。アカデミー制度の開拓者であるブルージェイズのアカデミーは現在、6球団のアカデミーが集まるベースボール・シティと呼ばれる一角にあり、そこからほど近い、エンゼルスやヤンキースなど実に9球団が集まる地域は、道路を挟んで西側がベースボール・バレー、東側がベースボール・オアシスと名乗っている。

ドミニカ共和国・ボカチカ郊外、ベースボール・バレーにあるエンゼルス・アカデミー
ドミニカ共和国・ボカチカ郊外、ベースボール・バレーにあるエンゼルス・アカデミー

エンゼルスのアカデミー、ベースボール・バレー

ベースボール・バレーの入り口
ベースボール・バレーの入り口

 今回最初に足を運んだのは、エンゼルスのアカデミーだ。首都サントドミンゴとサンペドロ・デ・マコリスを結ぶハイウェイをボカチカ西郊の立体交差で北に折れ、鬱蒼とした林を北へ少し進むと、突如としてメジャーリーグ各球団のアカデミーを示す看板が次々とあらわれる。ここがベースボール・バレーである。ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとワシントン・ナショナルズは道路に面した表門を共有し、手前にナショナルズが、奥手にエンゼルスが数面のフィールドとリゾートホテルを思わせるような寮を置いている。さらには入り口を別にして隣にはニューヨーク・メッツの施設が広がっている。おそらくこれだけの野球場が集中しているような場所はドミニカ以外には存在しないだろう。そこは貧困にあえぐ一般のドミニカ社会とは完全に隔絶された、いわばアメリカの「租界」と言っていい。

リゾートホテルを思わせるアカデミー建物
リゾートホテルを思わせるアカデミー建物

 試合の行われていたメインフィールドには、ネット裏に3段の小さなスタンドがあるに過ぎない。DSLはプロリーグとは言えども、集客を想定はしていない。かつて既存の施設を使用していた時代には、地元民に娯楽を提供していたが、現在、このリーグ戦を見に来るのは選手の家族とスカウトくらいしかいない。球団によって外来者に対する構えには相違があるのだが、そもそも辺りに集落もなく車でアクセスできないようなところにはドミニカの「庶民」は来ることはない。 

 

 この日ゲームを行っていたのは、ホームチームのエンゼルスとミネソタ・ツインズだった。試合内容は、現在行われている甲子園の高校野球と比べればはるかに劣る。投手が捕手の届かないところにボールを投げるなどは日常茶飯事だ。

 ドミニカではプロ契約を結ぶことのできる年齢は16歳。メジャー球団はできるだけ早くいい素材を獲得しようとするので、現実には20歳を超えて契約する選手はほとんどない。したがって、このリーグでプレーする選手は日本で言うと高校世代が中心である。

エンゼルスのヨハン・ブリトー選手はまだ17歳の少年だ。日本で言えば高校球児の彼がドミニカではプロとしてプレーしている
エンゼルスのヨハン・ブリトー選手はまだ17歳の少年だ。日本で言えば高校球児の彼がドミニカではプロとしてプレーしている

 この日も、ユニフォームの胸番号がベルトに隠れるくらい小柄な選手がプレーしていた。その外見は全くの子どもだ。コーチに聞けば17歳という。それでもスターティングラインナップに名を連ねているのは、なにがしか光るものがあるのだろう。しかし、彼が現状で甲子園のフィールドに立てるのかと問われれば100%ノーというほかない。

対戦相手、ツインズのモイゼス・カウサード投手は18歳。ベネズエラからやってきた
対戦相手、ツインズのモイゼス・カウサード投手は18歳。ベネズエラからやってきた

 そういう選手たちによる試合内容を見れば「草野球レベル」と言われても仕方がない。しかし、投手が放つボール、打球の飛距離、速さはまさにプロのそれである。

 試合は、1点差でエンゼルスが勝利した。試合が終わると、ベンチ入りしたメンバーはフィールドでハイタッチをすると、そのままフィールドの横にあるドミトリーに姿を消した。負けたツインズの面々も待機していたバスに乗り込むと早々に球場を後にしていった。勝つには越したことはないが、勝敗は二の次、彼らの視線の先には、与えられたチャンスを生かしてアメリカ行きの切符をつかむことしかないのだろう。

(写真は全て筆者撮影)