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オーストラリアに誕生した韓国球団、ジーロング・コリア

阿佐智ベースボールジャーナリスト
メルボルン郊外のジーロングの町にはためくGKの幟

 4年ぶりにオーストラリアにやって来た。今回はメルボルンをゲートウェイに選んだ。多文化共生社会を目指すこの国にあって、この町はとくにマルチエスニックな感覚に満ち溢れている。市内郊外にくまなく走っているトラム(路面電車)で少し足を延ばせば、車窓からギリシア教会が見え、電車から降りた途端に中華料理やカレーのにおいが充満し、聞きなれない言葉が行きかう様子に、自分がどこにいるのかわからなくなる。トラムを一日乗り回せば、世界旅行をしたような感覚が味わえる。

ABLのアジア戦略の結果誕生したエスニックチーム

 この国にプロ野球があることは今や、多くの野球ファンが知っているだろう。横浜DeNAベイスターズがキャンベラキャバルリーと業務提携を結び、主力投手の今永らを派遣するなど、日本やアメリカとは逆の季節を利用した、いわゆるウィンターリーグ、オーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)は、今年で創設9年目を迎える。

 発足当初はメジャーリーグ(MLB)からの出資も受けていたが、5年目シーズンを終えたところでMLBの資本は撤退、ABLは「自立」を迫られるようになった。無論、現在もMLBとのかかわりは強く、アメリカはオーストラリア野球にとって最大の選手送出先であるし、ABLもアメリカから毎シーズン相当数のマイナーリーガーを受け入れている。

 一方でABLは、発足当初から日本をはじめとする東アジアのプロリーグからの選手受入れを行っていたが、その後一時この「アジア戦略」は停滞気味となっていた。しかし、「自立」後は再び東アジアとの提携に力を入れ始め、アジア人チーム結成の計画も持ち上がった。日本に対しても、独立リーグによるチーム結成の話も打診されたが、資金面などから実現には至らず、その後しばらくこの話は沙汰止みのような状態になったが、今シーズン、悲願のニュージーランドの新球団設立を実現すると同時に、韓国人球団を参戦させ、8球団制へのエクスパンションに踏み切った。

 この韓国人による新球団の名は、ジーロング・コリア。人呼んで「GK」。メルボルンの南西75キロのところにある港町に早速足を運んだ。

ジーロング駅前の商店街にあった韓国料理店の看板
ジーロング駅前の商店街にあった韓国料理店の看板

メルボルンから列車で1時間。ジーロングは、かつて金と羊毛の輸出港として栄えた町だ。駅前の繁華街でいきなり目に入ってきたのは韓国料理店だった。余程韓国人の数が多いのかと思ったが、実際はそれほどでもないようで、この地に韓国人球団が本拠を置いたのは、このメルボルン周辺地域が野球が盛んなところだということらしい。この国の野球どころと言えば、オーストラリア野球連盟の本部があり、かつて中日がキャンプを張ったゴールドコーストを含むブリスベン都市圏が思い浮かぶが、メルボルンにもオーストラリア野球連盟のオフィスがあり、新チームの運営をメルボルン・エーシズ球団が引き受けたということもあって、同じ都市圏あり、野球施設を備えたジーロングに白羽の矢が当たったようだ。この野球施設では、2006、07年にロッテがキャンプを張っている。コリアチームの一同は、シーズン中は球場近くの大学寮に住んでいるらしいので、そういう点もここに本拠が置かれた要因だろう。

多民族共生社会・豪州におけるコリアン

ジーロンコリアの監督、具台晟
ジーロンコリアの監督、具台晟

 このチームを率いるのは韓国球界のレジェンドのひとり、ク・デソンだ。彼と豪州の因縁は浅からぬものがある。2000年のシドニーオリンピック、オールプロで必勝を期した韓国は、プロアマ混成の日本を破って銅メダルに輝いた。この3位決定戦で日本代表に立ちはだかったのが、彼だった。彼はこの後、日本に渡り、オリックスで4シーズンプレー、 2005年シーズンをニューヨーク・メッツで過ごした後、翌年には古巣、ハンファ・イーグルスで戻り、2010年シーズンまでプレーすると、そこで一旦「引退」するが、そのまま家族ごとオーストラリアへ移住し、同じタイミングで発足したABLのシドニー・ブルーソックスに入団、45歳になる2015-16年シーズンまでプレーすると、ここで本当に引退した。その間、2012年秋に母国・韓国の釜山で開催されたアジアシリーズでは、ABLチャンピオンチーム、パース・ヒートにレンタル移籍し、故郷に錦を飾っている。

 引退後も、彼はシドニーのピッチングコーチとして第2の故郷となったオーストラリアの野球に貢献していたが、今回、韓国球団設立にあたって監督を引き受け、シドニーに家族を残して、選手とともに球場近くの寮で寝食を共にしている。

 オーストラリアではプロアマの壁がなく、ABLの選手は、各々アマチュアクラブチームにも籍を置き、ク・デソンも渡豪後、クラブチームでもプレーしていたが、現在は、そこでもプレーせず、指導者として余生を過ごしている。

 彼には、過去2度の取材時にも話を聞いたが、英語は片言しか話せなかった。今回も同様で、逆に言えば、現在のこの国ではコリアンコミュニティに身を置いていれば、英語を話せずとも問題なく生活を送れるようだ。そのコリアンコミュニティの存在が、新球団GK発足の背景になっているのだろう。

豪州で捲土重来を期するベテラン、メジャーを目指す若者

 ABLは発足以降、ウィンターリーグとして北半球の主要プロリーグとの提携により、日本やアメリカから選手を受け入れている。韓国のプロリーグ・KBOとも提携し、初年度にはロッテ・ジャイアンツが選手を派遣していたが、その後、ABLが資本関係のあったMLBとの提携に力点を置いたこともあってか、選手の派遣は途絶えていた。

 そういうこともあって、GKの結成にあたってはKBOは関与していない。韓国のスポーツマネジメント会社が9月に国内でトライアウトを実施し、メンバーをそろえた。渡航費、滞在費は球団持ちだが、選手には報酬は出ないというから、いわゆるトライアウトチームである。

 選手の多くは、韓国では受け皿の少ない学卒後、プレーの場を失った者であるが、中にはKBOでプレーしながらも自由契約になり、次のプレー先を模索している者もいる。

韓国プロリーグ、KBOで主軸を打っていたチェ・ジュンソク
韓国プロリーグ、KBOで主軸を打っていたチェ・ジュンソク

 

 その中で一番の大物はチェ・ジュンソクだろう。試合前の練習でも、その堂々たる体躯はひときわ目立っていた。KBO実働16年。1270安打201本塁打というから、その実績は十分なものがある。3年前2015年にはロッテ・ジャイアンツで打率.301、109打点、31本塁打を記録している。しかし、NCダイノスに移籍した昨年は控えに甘んじ、93試合で39安打、4本塁打に終わると自由契約となり、GKで捲土重来を期している。

 一方で、アメリカでプレーしているマイナーリーガーも在籍している。

 こちらはひときわ端正なマスクで目立っているクォン・クヮンミン。高卒後、シカゴカブスと契約を結び、渡米。昨夏は、ショートシーズンA級でプレーした。

シカゴカブス傘下のマイナーでプレーするクォン・クヮンミン
シカゴカブス傘下のマイナーでプレーするクォン・クヮンミン

兵役という韓国アスリートに立ちはだかる壁

昨シーズンは日本の独立リーグ、高知ファイティングドッグスでプレーしたハン・ソング(元起亜タイガース)とイ・サンハク(元三星ライオンズ)
昨シーズンは日本の独立リーグ、高知ファイティングドッグスでプレーしたハン・ソング(元起亜タイガース)とイ・サンハク(元三星ライオンズ)

 日本でプレー経験のある選手も2人いる。

 捕手のハン・ソングと投手のイ・サンハクは、ともに昨年シーズンを日本の独立リーグである四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスで送った。彼らはともにKBOでプレーしていたが、兵役後、元いた球団に戻れず、アイランドリーグが韓国で実施したトライアウトを経て日本に活路を求めたという。

 韓国のアスリートにとって兵役は避けては通れない壁である。球団もプロである以上、兵役にとられた選手の復帰を無条件で受け入れるわけにもいかない。難しい問題であるが、多くのアスリートがこの制度によって選手生命を事実上断たれているのが韓国プロスポーツの現実である。

 昨夏のアジア大会野球で、ナショナルチームのメンバーの一部が、兵役逃れのために選出されたという批判を浴び、金メダルに輝いたにもかかわらず、バッシングを浴びたが、確かに、最大のライバルである日本がアマチュアで臨み、オールプロであるならある程度金メダルが見込める状況では、メンバーを選出する側が、兵役を念頭におきなが選んでしまうのもいたしかたないようには思う。 

 彼らはともにトライアウトを経て、オーストラリアへやってきた。韓国で行われたトライアウトはまだシーズン中の9月だったが、その時点でペナントの行方がほぼ決まっていたので、トライアウト受験を許可されたのだという。

 「目標はKBOへの復帰です」

 2シーズンを高知で送ったハン・ソングは流暢な日本語で決意を述べてくれた。30歳になる彼は、このオーストラリアでのシーズンをひとつの区切りと考えている。

ホスピタリティあふれるファン

ジーロング球場のコリアンファン
ジーロング球場のコリアンファン

取材した試合は、メルボルン・エーシズとの試合。ジーロングはメルボルン大都市圏に属するのでこのカードは、国際ダービーマッチと言っていい。ABLでは経費節約のため、通常各都市への遠征は1回のみ。1カードは4連戦が基本なのだが、このカードだけは同じ都市圏の移動ということで、両都市で2戦ずつの4連戦となっている。メルボルンから1時間も車を飛ばせば観戦に来ることができるのだが、500人も収容すれば満員になりそうな小さなスタンドには以外にもエーシズのファンの姿はほとんどない。試合中は、球団スタッフ(と言っても、彼らはメルボルンのスタッフも兼ねているのだが)のリードもあって、スタンドの声援はGK一色となる。見たところコリアンのファンも多いが、観客の8割方はオージーだ。

 ジーロングの町を歩いていると、至る所にGKののぼりがはためいている。この国では野球はマイナースポーツとあって、そののぼりが衆目を集めているわけではないのだろうが、他の町でABL球団の広告を目にすることなどないことを考えると、それが外国人球団であったとしても、ジーロングの町は新球団をバックアップしようとしていることがわかる。7回恒例のストレッチの際の歌、 “Take Me out to the Ball Game” ではエーシズのユニフォームを着た小さな女の子がマイクを向けられ “Root Root to the Aces” と歌って場内が大爆笑に包まれたのはご愛嬌として、スタンドのファンたちは戦力不足から低迷しているGKの勝利に大喝采を送っていた。かつての白豪主義の時代からメルボルンはマルチエスニックな町であり続けた。その伝統が、外国人チームであっても「おらが町のチーム」として受け入れる素地になっているのかもしれない。

 GKナインもその地元ファンのホスピタリティに応えるべく、試合後はファンの足が途絶えるまでサインや談笑に応じていた。

試合後のファンと選手の交流
試合後のファンと選手の交流

 ところで、ABLは豪州国内最高野球大会として位置付けられ、優勝チームには「クラクストン・シールド」という優勝盾が授与される。これはこの国にアマチュア野球しかなかった時代に、州対抗の大会の勝者に送られていたものなのだが、今シーズン、ニュージーランドに新球団、それに韓国人球団GKが生まれたことによって、この盾の扱いがどうなるのかは気になるところである。今後、ペナントレースの行方よっては、「豪州チャンピオン」の優勝盾が、「オーストラリア」というネーションを越えて授与される可能性もあるのだ。しかし、これもまた野球というスポーツがグローバルに展開しているがゆえに起こる現象なのだろう。

試合前のオーストラリア国歌斉唱に臨むGKファンの日系人の子ども。多文化共生社会を目指す豪州らしい光景だ
試合前のオーストラリア国歌斉唱に臨むGKファンの日系人の子ども。多文化共生社会を目指す豪州らしい光景だ

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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