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野球新興国・タイ。アジア大会監督に聞く(前編)

阿佐智ベースボールジャーナリスト
アジア大会タイ代表チーム監督を務めた上野正忠氏

 8月に行われたアジア大会や9月初めのU18アジア選手権では、野球の世界ではあまり聞きなれない国々の名を目にすることが多かった。正直なところ、現在のアジアにおいて、日韓台の「ビッグ3」に中国を加えた4か国以外の国々の野球は、「草野球」レベルと言われても仕方がない部分がある。実際、日本で行われ、それなりに注目も集めたU18では、アジアの新興国のチームが甲子園のスターの集う日本相手に大敗を喫すると、「試合をする意味がない」、「かえって相手がかわいそうだ」などの辛辣な意見も飛び交った。

 しかしながら、世界的な普及なしに野球の五輪競技継続はありえないし、スポーツ、娯楽の多様化の中、日本やアメリカで「国民的娯楽」として君臨している野球の地位も揺るぎかねない。それを避けるためにも、野球先進国からの普及活動は欠かせないものであろう。今回のアジア大会で言えば、タイ、インドネシア、スリランカには日本、ラオスには韓国、香港、パキスタンにはアメリカのアクターが人材や道具の援助を行い出場を叶えた。

 タイに野球が持ち込まれたのは、1990年代初め頃、日本人ボランティアによってだと言われている。私自身、1996年にバンコクの北150キロのところにあるロプブリーという町で、子どもたちが野球のようなゲームをしているのを見たことがある。それから30年近くが経っているが、いまだこの国の野球は、「事始」の段階である。

 この国の野球のピークは1998年。自国開催となったこの年のアジア大会で、バンコク近郊に新造されたスタンドを備えた球場で、日本を含むアジア各国のチームがプレーした。これをきっかけとして2000年代には大学のチームなどもできたが、2008年のペキンオリンピックを最後に野球が五輪競技から外れると、急速にタイの野球熱は衰えた。それでも、2006年には、韓国資本によりプロ野球のキャンプなどを誘致することを目的にバンコクの南西150キロのペッチャブリーに野球の複合施設が作られるなど、この国における野球の灯は、いまだともり続けている。

 今回のアジア大会でタイ・ナショナルチームを率いたのは日本人監督だった。その監督、上野正忠さんは、大学から社会人野球に進み、アマチュアでの指導経験も豊富にもっている。今年69歳を迎えたが、まだまだ野球に対する情熱は失っておらず、手弁当のボランティアでアジア大会の代表チームを率いた。

 今回、タイチームの最終戦、インドネシア戦の前に上野さんに話を聞くことができた。

上野正忠タイナショナルチーム監督
上野正忠タイナショナルチーム監督

――このアジア大会で監督を引き受けられたのですが、その経緯についてお話しいただけますか?

「(野球普及活動に関わった)最初は、ミャンマーだったんです。2002年の末だったかな。あそこで野球普及活動をしている日本人に野球教室なんかで協力していたんですが、その際に、タイやインド、フィリピンのメンバーとも交流ができたんです。それが2005年かな。その翌年にドーハ(カタール)でアジア大会が開かれたんですけど、その時にタイチームのドタバタで前任の指導者が解任されちゃったんですよ。それで『お前どうだ』ってお鉢が回ってきたのが最初ですね。その時は、ヘッドコーチとしてタイチームに帯同しました」

――タイといえば、WBC(2013年大会)の予選にも出場しましたよね。その時は、かかわっていらっしゃったんですか?

「いいえ、あれはノータッチです。ドーハ以降はタイ野球には縁がありませんでしたので、今回は12年ぶりですね」

――大学卒業後、社会人野球まで現役を務められていたそうですが、引退後は野球から離れていたんですか?

「ノンプロを卒業した後は、監督もやりました。現役が終わった後に監督を少しさせていただいたんです。2003年だったと思いますが、リョーユーパンという会社がスポンサーになって、福岡市民球団のノンプロがスタートしまして、初代監督として私が入ったのですけれども、母体の状態問題により1年で解散になりました。選手全員と私が解雇になったのですが、それからは高校生や軟式のお手伝いをしたこともありますけれども、ほとんど野球とは縁はありませんでした。

 それで、身内の話になるんですが、昨年、女房をなくしまして、難病で6年ほど付きっ切りでね。その後は、好きなことをしようと、タイに旅行に行ったんです。もう気ままで、ビザが切れるまで現地にいて、日本に戻ってきて、またすぐ帰るという生活です」

――それはいつからですか?

「10月ですかね。その時は、まだアジア大会のエントリーは決まっていなかったです」

――エントリーはいつ決まったんですか。

「年が明けて、今年の2月ですかね。その際に私がたまたまタイにいたんです」

――ええっ!ずっとタイにいたんですか?別荘でもお持ちなのでしょうか?

「いえいえ。ホテル住まいですよ。それも、一旦帰ってます。タイにいる間、野球の練習には、ちょくちょく顔を出していたんです。タイの連中とは、連絡は取り続けていましたから。向こうに着いて、3,4日は観光するんですが、あとは野球です(笑)。『ちょうどいいところに来た。練習手伝ってくれ』ってなもんです。それで、『また来るよ』って、日本でひと月くらい過ごして、年が明けてから戻りました。

 それが2月で、彼らの練習を見させていただいたときにアジア大会のエントリーが決まったんです。それで、タイの連盟が監督をどうするかという話になり、たまたま私がタイにいて、選手たちからも推薦があったものですから、『じゃあ俺でよけりゃやろうか』という話です」

――ちなみ報酬などは出るのでしょうか?

「いえいえ、まったくのボランティアです」

――でも、もちろん経費などは向こうから出るんですよね。

「言っていいのかどうかわかりませんが、とにかく一銭ももらっていません。渡航費、生活費、すべて自腹です。一応、手当は支払うという形の契約はしています。ただ私自身は、もう一度ユニフォームが着られるなら、金の問題ではないと思ってます。彼らは道具なども持ってないんで、今回はそれもほとんど私が買いそろえました」

――それはさすがに寄付かなんかですよね。

「寄付も一銭ももらっていないです。金額は言えませんが、全部ポケットマネーです。そこまでやる必要はなかったと思いますけれども、それまでスポンサーだった企業が、5年前に完全撤退し、現状は、連盟も活動できていない状況なんです。だから国際大会にも出られない、野球の強化もできないという状態で、選手たちはソフトボールをコツコツやりながら待っているということでしたので」

――選手たちは、もちろん皆さん仕事を持ちながらやっているのですね。

「仕事しながらやっていますよ。学生もいます」

――仕事を持っている人は、会社から休暇をもらって国際大会に参加するんでしょうか?

「公務員とか、ポリスなんかは、まあまあ優遇されていますが、休暇分は給料カットですよ。有給休暇なんかありませんから。ただし、日当として600バーツ(約2000円)の合宿手当が連盟から出ています」

――その日当は、給与カット分を補うのに十分なのですか。

「足りませんよ。ただ、現実を言いますと、メンバーのうち6人が無職です」

――タイでは、それは結構当たり前の話なのですか。

「そうですね。日本と違って途上国ですから。でも誰かが助けてくれるという側面もあるんです。彼らにとってみれば、好きな野球がやれる。それは大きいですね。今年は、6月に東アジアカップが香港であって、それのエントリーと、今回の大会が2つ重なりましたので、久しぶりに国際大会に出られるということです」

予選にあたるラウンド1ではラオス、ネパールに快勝したが、「常連」がそろうラウンド2以降は勝ち星を挙げることはできなかった
予選にあたるラウンド1ではラオス、ネパールに快勝したが、「常連」がそろうラウンド2以降は勝ち星を挙げることはできなかった

(次回に続く。続きは明日朝にアップします。なおこの記事はインタビューを再編集したものです。写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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