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柔軟な日本プロ野球のフランチャイズ制度:ライバル球団も使用する京セラドーム大阪

阿佐智ベースボールジャーナリスト
オリックスの他、阪神、巨人、ソフトバンクの主催試合が行われる京セラドーム大阪(ペイレスイメージズ/アフロ)

 1998年、観客席の破損のため、ヤンキースが同じニューヨークに本拠を置くメッツのシェイ・スタジアムを間借りしたことがある。交流戦の際、日頃名門球団の後塵を拝しているメッツファンは、ここぞとばかりにヤンキースファンにヤジを飛ばした。

「球場貸してやっただろ!」

 フランチャイズ制の確立されたメジャーリーグでホーム球場以外で主催試合が行われることは珍しいが、そういう例は過去数件ある。大谷翔平のいるエンゼルスは、球団発足当初、1966年にホーム球場、アナハイム・スタジアム(現・エンゼルスタジアム・オブ・アナハイム)ができるまでの4年間、先にロサンゼルスに進出していたドジャースの本拠を間借りしていたし、ヤンキースは先述の他、本拠、ヤンキースタジアムの改修工事のため、1974年と75年シーズンはメッツの当時のホーム、シェイ・スタジアムを使用していた。メジャーリーグでは、同一リーグのチームが同一の都市圏に本拠を構えることは許されないので、同じ町にある他リーグのチームが何らかの事情で、もう片方のリーグの本拠を使用することはあるのだ。しかし、国外での試合開催を除けば、ホームタウンで主催試合を開催することはない。マイナーリーグも同様で、チームは特定の都市の特定の球場を本拠として、基本的に他の球場で試合を開催することはない。例外として、同じ町の新球場に移転したチームが、イベント試合として旧本拠で試合をしたり、かつて毎年7月に行われていたメジャーチームによる野球の聖地・クーパーズタウンでの奉納試合(オープン戦)がなくなってしまったので、代わりにこの町の近隣にホームを置いていたマイナーチームが、主催試合を行ったりすることがあったが、それらはごく例外的なものと言っていいだろう。

世界のプロ野球のフランチャイズ制度

 全世界的にみても、特定の町の特定のスタジアムに本拠を置くというフランチャイズ制度は、野球に限らずプロスポーツのスタンダードである。ただし、野球に関して言えば、アメリカのように厳格なものはむしろ少ないと言える。ここで世界のプロ野球のフランチャイズ制度を概観してみよう。

 アメリカの隣、メキシコは比較的アメリカに近いかたちであるが、過去2度、アメリカでの試合開催を行ったり、ファームリーグでは主催試合の一部を近隣の町で行っていた球団があった。トップリーグのメキシカンリーグのドスラレドは、アメリカとの国境の町に本拠があるということで、3連戦のうちのひとつはアメリカ側の球場を使用するというかつての近鉄バファローズや阪急ブレーブス、あるいは現在のオリックス・バファローズのようなダブルフランチャイズ制をとっている。

 フランチャイズ制度が未確立だったと言っていいのが、台湾だ。そもそも1990年にプロリーグが発足したとき、明確なフランチャイズ制度を敷かなかった台湾では、現在も首都台北の天母球場を本拠とする球団がなく、ようやくフランチャイズ制が根付いてきた現在でも、本拠地の変更は珍しいことではない。

 そういう意味では、ドラフトにおいても地元選手を優先的に獲得できる縁故地制度がある韓国は、比較的厳格なフランチャイズ制を敷いていると言える。これまでホームタウンを移動したのは、リーグ発足当初テジョンを本拠にしながら現在はソウルのチャムシルスタジアムをホームにしている斗山ベアーズだけで、基本、各チームはホーム球場で全主催試合を行う。ただし、この韓国でも、縁故地エリア内の別の町で年間数試合の主催試合を組むことはある。

緩やかな日本のフランチャイズ制度

京セラドーム大阪での巨人戦はいまや恒例と化している
京セラドーム大阪での巨人戦はいまや恒例と化している

 そういう意味では、どの球団もホームタウン周辺の商圏を越えて年間10試合近くの地方試合を行う日本のプロ野球はアメリカや韓国と対極的だと言える。この地方試合については、マイナーリーグがアメリカのように発展していないことがその背景にあると思われるが、日本の場合、ある球団のホーム球場で別の球団が主催試合を行うという一見、フランチャイズ制度の精神に反することが行われているいる点でその特異さが際立つ。

 日本のプロ野球の場合、ホーム球場の置かれている都道府県は「保護地域」とされ、そのエリア内での独占的な試合興行権が認められている。しかし、それも当該球団の承認さえあれば、例外が認められるため、とくにパ・リーグ球団のなくなった首都・東京では、ここを本拠とする巨人と、都内の神宮球場をホームとするヤクルトの承認の下、かつてここを本拠としていた日本ハムをはじめパ・リーグ各球団が東京ドームで主催試合を行っている。今シーズンはオリックスを除く5球団がここで試合を挙行しているが、オリックスも過去にはここで主催試合をおこなっている。

ライバル球団にも球場を提供するオリックス

タイガースファンで埋まった京セラドーム大阪。このドームのおかげで夏の高校野球の時期の「死のロード」はもはや死語となった
タイガースファンで埋まった京セラドーム大阪。このドームのおかげで夏の高校野球の時期の「死のロード」はもはや死語となった

 東京ドームの場合、ここをホームとするのがセ・リーグの巨人ということで、東京の不野球ファンにパ・リーグの野球も楽しんでもらおうという趣旨は理解できる。しかし、「西の都」・大阪では、同一リーグのいわばライバル球団にも球場を貸し出すという事例が見られる。オリックス・バファローズの本拠、京セラドームでは、今シーズンも、阪神、巨人、そしてソフトバンクの主催試合が行われた。

 大阪と言えば、オリックスより阪神のイメージが強いが、ルール的には阪神は「兵庫県の球団」である。ホーム・甲子園球場は、大阪都市圏内に位置しているものの、行政的には兵庫県にあるからだ。涙ぐましい企業努力にもかかわらず、人気・集客面では完全に阪神に押されているオリックスだが、両球団はある意味持ちつ持たれつの関係で、オリックスは阪神の承認の下、球団の「聖地」ともいえる神戸をサブフランチャイズとして試合を行うことができ、阪神もオリックスの持ち物となった(現在京セラドームはオリックスの子会社の運営)京セラドームで、春夏の高校野球の時期に主催試合を行っている。ただ、阪神ファンにとっては、ドーム球場は「聖地」の代わりにはならないようで、ドームでの空調の効く中での観戦より、甲子園での汗をかきながらのナイター観戦を好む人が多い。

 京セラドームでの今年の夏の主催ゲームは、8月4、5日に行われたが、それに先立って行われたのが、巨人戦だ。花の都の球団が、ライバル・阪神のおひざ元で主催ゲームを行うとは、少々違和感も感じるが、その人気は、ほとんどすべての試合が全国中継されていた往時には及ばないものの、いまだ「全国区」であることには変わりなく、今年はヤクルトとの「東京ダービー」を大阪で行うことを逆手にとって、コテコテの「関西色」を生かしたマーケティングで、満員の観客をドームに集めていた。

 そして、なによりも、オリックスの懐が深いと言えばいいのか、この巨人戦の前日には同一リーグのソフトバンクが京セラドームで主催試合を行った。メジャーで例えるなら、エンゼル・スタジアムでヤンキースが主催ゲームをするようなものだ。ホーム・福岡だけでなく東京ドームでも行われるファンイベント試合、「鷹の祭典」の一環として行われるこの試合だが、当日は、レプリカユニフォームの来場者プレゼントもあって、京セラドームをホークスファンがジャックしたかのような様相を呈していた。

 同一リーグのライバル球団にホーム球場を貸し出すという世界的にみても非常に特異な例といえる京セラドームでのソフトバンク主催試合だが、歴史を振り返ると、このドームをホークスが使用することになっていたかもしれないと考えるとある意味納得もいく。ご承知のとおり、ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスは、かつてこの京セラドームからほどない場所にあった大阪球場をホーム球場としていた。関西空港建設とそれにともなう親会社南海電鉄のターミナル駅難波周辺の再開発により駅横にあった球場の移転が不可避となったことも球団身売りの背景にあったが、ドーム計画がもう少し早く、そして、南海球団の観客動員がもっとあれば、京セラドームの主も変わっていたかもしれない。そう思うと、ホークス一色に染まる現在の京セラドームでの「鷹の祭典」はある種の歴史の皮肉と言えよう。

 思えば、南海の本拠、大阪球場は一番多い時期には、「家主」である南海のほか、近鉄、松竹の3球団のホームを兼ねていた。京セラドームでの、複数球団による主催試合実施は、多様性を是とする野球処・ナニワの野球ファンの気質が支えているのかもしれない。

ホークスファンで埋まった京セラドームのスタンド
ホークスファンで埋まった京セラドームのスタンド

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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