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カリブ野球の祭典、カリビアンシリーズ、プエルトリコの連覇で幕を閉じる

阿佐智ベースボールジャーナリスト
2017年WBCでプエルトリコは2大会連続の準優勝を遂げた(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 メキシコ第2の都市、グアダラハラで2月2日に開幕したウィンターリーグの頂点を決めるカリビアンシリーズが8日、幕を閉じた。国を背負って出場した選手たちは、一旦母国に帰った後、アメリカでのキャンプに参加し、いよいよ球春が到来する。

ウィンターリーグナンバーワンを決めるカリブ野球の祭典

今年のカリビアンシリーズが行われたグアダラハラのエスタディオ・チャロス
今年のカリビアンシリーズが行われたグアダラハラのエスタディオ・チャロス

 カリビアンシリーズは、1949年、キューバ、ベネズエラ、プエルトリコ、パナマの4か国のプロリーグが、ウィンターリーグナンバーワンを決める大会として始まった。この頃までは、メジャーリーグの選手報酬は、他国のリーグと比べ物にならないほど高いわけでもなく、したがって、ウィンターリーグには、その国出身のメジャーリーガーはもちろん、アメリカ人メジャーリーガーもオフシーズンの稼ぎ場を求めて参加していた。しかし、その後、次第にメジャーリーガーの参加は減少、11回のうち7大会を制したキューバが革命により共産主義化し、プロ野球を廃止したこともあって、1960年大会を最後に一旦中断してしまった。

 その後、1970年にキューバとパナマに代わり、ドミニカとメキシコを新たに加えて再開され現在に至っている。しかし、1976年にフリーエージェント制度が導入されたことによりメジャーリーガーの報酬が高騰すると、トップ選手の参加はますます少なくなり、魅力をなくしたこのシリーズは再び危機を迎える。それまで参加国の持ち回りで開催されていたこの大会はスポンサーをアメリカに求め、1990年と1991年の大会をフロリダ州のマイアミで実施するはめになった。

 この頃から、このシリーズを席巻するようになったのは、ドミニカだ。1977年にトロント・ブルージェイズが、選手獲得・育成のためにアカデミーを開設して以降、メジャー球団が次々とこれに続き、ドミニカ野球のレベルは一気に上がった。選手層の厚みを増したドミニカは1980年代に入ってからは無敵を誇り、1980年代以降の33大会で約半数の16回の優勝を誇った。

 しかし、この状況も2010年代に入ると、大きく変わる。それまで国内に夏のプロリーグがあるため、メジャーリーガーの輩出が少なかったメキシコだったが、他国の経済の低迷をよそに経済成長を遂げ、好選手を集めるようになると、ドミニカに代わり「カリブの盟主」となっていった。とくにキューバの復帰により大会のフォーマットが、リーグ戦中心からトーナメント中心に変わった2013年以降の5大会、それまで6回しか優勝していなかったメキシコは3回の優勝をその歴史に加えた。

グアダラハラのエスタディオ・チャロスのビジョンに映し出されたカリビアンシリーズのロゴ
グアダラハラのエスタディオ・チャロスのビジョンに映し出されたカリビアンシリーズのロゴ

古豪の復活

 そのメキシコと対照的なのがプエルトリコだ。中断までの12大会で3連覇を含む4回の優勝とキューバと「カリブ最強」を争っていたこの島だが、アメリカ領という立場が、その後の弱体化を生んだ。メジャーと周辺リーグの格差が開けば開くほど、アメリカへの移動の自由なプエルトリコからは人材が流出、メジャーリーガーは輩出するものの、その多くは生活の拠点を本土に移し、故郷のウィンターリーグでプレーすることはなくなっていった。その結果、プエルトリコはカリビアンシリーズ優勝から遠ざかり、2000年代以降2016年まで、1度しか「カリブ一」の勲章を得ることはできなかった。トップ選手は集まらなくなり、FAで求職活動中の選手のショーケースでしかなくなったプエルトリカンリーグは、地元民にもそっぽをむかれ、各球場のスタンドには閑古鳥が鳴くことになった。そして、リーグの規模も、試合数、球団数とも減少の一途を辿ることになる。

観客減に悩むプエルトリカンリーグ
観客減に悩むプエルトリカンリーグ

 そんなプエルトリコ野球に光明をもたらしたのが、2013年のWBCだ。ドミニカには決勝で敗れたものの、準決勝で優勝候補のサムライジャパンを下したプエルトリコは、逆境を跳ね返すかのように、その後躍進。昨年、クリオージョス・デ・カグアスが17年ぶりにこのシリーズを制した。

連覇の先に

 2013年以降、5か国による1回総当たりの後、その上位4か国によるトーナメントと「一発勝負」の要素が高まったカリビアンシリーズだが、今年のプエルトリコの優勝は文句のつけようのないものとなった。予選リーグは、近年力をつけ優勝候補だった地元メキシコが、1勝3敗でよもやの敗退、人材の流出が相次ぎ弱体化がささやかれるキューバが3勝1敗で首位に立ち、プエルトリコなど3か国が2勝2敗で並んだ。プエルトリコは、準決勝でベネズエラを、決勝ではドミニカを破り、通算勝率でも準決勝で敗退したキューバを上回り首位とし、「完全優勝」を果たした。

 島の過疎化に追い打ちをかけるように来襲したハリケーンのため、この冬のプエルトリカンリーグは、さらなる縮小を余儀なくされた。チーム数は昨年より1チーム減の4チーム、その上、レギュラーシーズンの各チームの試合数20と、かつて6球団制で、決勝プレーオフだけでも9試合制を採用した頃の面影はすっかり影をひそめていた。それでも、シーズンをキャンセルしたため、不参加に終わった2008年大会の二の舞は踏むまいと、リーグ開催を決行、昨シーズンに引き続いて国内リーグを制したクリオージョズ・デ・カグアスが、プエルトリコ勢としては1993年以来のカリビアンシリーズ連覇を果たした。単独チームとしての連覇は、決勝の相手となったドミニカチャンピオン、アギラス・シバエニャスが1993年に達成して以来3度目の快挙だ。

 決勝で下したドミニカの監督は、メキシコ、プエルトリコなどでもチームを率いた経験のあるプエルトリコ出身のリノ・リベラ。かつてカグアスの監督も務めた名将の前で、プエルトリコはその底力を見せつけた。

敵将・リノ・リベラもかつて、クリオージョス・デ・カグアスで指揮をとった
敵将・リノ・リベラもかつて、クリオージョス・デ・カグアスで指揮をとった

さらなる拡大へ

 MLBサイトの記者、ジェシー・サンチェスによると、今後この大会は拡大の方向だという。現在、この大会の事実上の下位大会として、コロンビア、ニカラグア、パナマ、メキシコ(独立系ベラクルスリーグ)、キュラソーによるラテンアメリカンシリーズが開催されているが、将来的には、大会期間を延長してでもこれらの国も参加させようというのだ。それだけではない、日本を含むアジアのプロリーグを招く構想もあるらしい。さすがにこれは現実的ではないだろうが、本来なら、日本が音頭を取って始めながらもいつのまにか休止してしまったアジアシリーズが、シーズンインばかりの「カリブチャンピオン」を加えるくらいのことをせねばならなかったと個人的には思う。国際野球という観点では、日本は今、侍ジャパン一辺倒になっているきらいがあるが、「クラブチーム世界一」を争う大会も考えてほしいものである。

(トップ以外の写真はすべて筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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