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靴下売上、日本一の会社で累計販売足数5000万超えの商品を担当するブランドマネージャーの戦略と情熱

浅野祐介OneNews編集長
岡本株式会社でココピタのブランドマネージャーを務める山野晃裕さん【筆者撮影】

靴下の売上日本一(※1)のメーカーが大阪にあることをご存じだろうか?岡本株式会社が展開するフットカバー「ココピタ」は累計販売足数がなんと5000万足を突破(※2)している。そこで「靴下の岡本」でココピタのブランドマネージャーを務める山野晃裕さんに直撃。同社がトップランナーである理由や、靴下への思いを聞いてみたところ、とにかく熱い思いと、情熱を土台にしたビジョンと戦略をうかがうことができた。

※1…2021年8月12日付 繊研新聞による ※2…2018年1月~2021年12月 岡本株式会社 出荷ベース

――まずは勉強不足のお詫びから、貴社が日本国内で売上ナンバーワンの靴下メーカーとは存じ上げませんでした。すみません。山野さんが考える、岡本がトップランナーである理由をおうかがいさせてください。

【山野晃裕】端的に言うと、団結力が強い会社であること。細かく言うと、リサーチであったり、技術開発であったり、マーケティングであったり、生産、セールスと、すべてを自社で、一気通貫で行うバリューチェーンを持つところ、ここが他社と違う特徴ではないかと考えています。一般的に靴下メーカーで多いケースとしては、企画、生産、そして営業という構成だったりしますが、弊社の場合は技術開発部門もしっかりと存在し、リサーチ部門では消費者調査を徹底的に行っています。一丸となって顧客の足もとを豊かにするような商品を開発し、徹底的に調査して、このことを繰り返しやっているところが他社と圧倒的に違うところだと思います。もちろん、効率の良し悪しはありますし、他社のほうがもっと組織的にシンプルな部分もあるのではないかと思いますが、我々が顧客から支持され続ける理由はそこにあるのではないかと感じています。

――専門領域ごとにチームがあって、トータルで動くところが強みということですね。

【山野晃裕】「大企業です」みたいなことを言っちゃいましたけど(苦笑)、そこまで大きい会社ではないんですよ。でも、各専門部門がちゃんとありますし、中小企業という規模感のわりには各部門がしっかりと組織されています。マーケターというすべてを統括して見る立場からすると、各部署が一気通貫でできているという強みは実感しますね。

――メンバーは生え抜きの方が多いのか、それとも専門領域でやっていた方が転職などで入ってこられるケースが多いのかはいかがですか?

【山野晃裕】現場はどちらも同じくらいですかね。会社としても転換期といいますか、「靴下は消費ものなので量を売る」という時代から「顧客に支持されるような確かな価値の靴下を」という考え方になり、今のお客様の消費価値観に沿ってマーケティングカンパニーへとシフトしていくという方向転換期でもありましたし、ここ10年くらいのスパンで考えると、もともと靴下の専門知識がある生え抜きや、営業・得意先さんとの繋がりがある生え抜きと、新たな専門知識を持った中途入社メンバーがいい具合に融合して、組織的にはすごくバランスの取れたチームになっていると感じています。

――靴下のメーカーを調べると大手が関西エリアに多いと感じました。この理由も可能であればおうかがいさせてください。

【山野晃裕】もともと奈良自体が綿産業の盛んな土地でした。時代的には江戸時代の頃からと言われていて、「大和木綿」といった表現もされています。そういった産地であったという背景から、時代が進んで明治時代頃になると産業の転換期を迎え、「良質な綿がある」という状態から、もうワンステップ進み、商品として産業を転換していこうとなった際に、その土地柄でできること、それが靴下の編み立てだったと聞いています。奈良を中心に靴下というものが出来上がっていって、そこから一番近い流通の拠点となると大阪や関西になるので、西日本エリア、関西に多くの靴下メーカーが集中しているという背景があるようです。

――なるほど、歴史的な背景があるんですね。ありがとうございます。では、山野さんのキャリアについても質問させてください。学生時代はどのような時間を過ごしたか。また、なぜ「靴下の岡本」に入社しようと決めたのか教えてください。

【山野晃裕】祖父が空手の師範だったこともあり、5歳の頃に空手をはじめて、高校も大学も空手の推薦で進学。空手一筋で大学まで進みました。ほとんど空手ばかりしていましたね(笑)。もっとも、高校時代にしっかりと結果を残せた(高校時代にはインターハイで優勝、日本一に)こともあり、大学は勉強との両立を視野に入れて選びました。

――大学(関西学院大学)時代、当初の就職先として考えていたのは海上自衛隊とうかがいました。

【山野晃裕】そうなんです。空手を小さい頃から続けていた中で、祖父や空手の先生の教えが、「空手は人を守るため。自分より弱い者には決して手を出してはいけない」であったり、「ケンカをするなら自分より強い相手と、自分より年上と」であったり、めちゃくちゃ昭和風な感じでして。僕自身は平成生まれなんですけど(苦笑)。

――たしかに、自分より年上の方に話を聞いているような印象です(笑)。

【山野晃裕】ですよね(笑)。そういう教えを受けてきた影響もあって、熱意というか正義感というか、ここは自分の本当に暑苦しいところではあるんですけど(苦笑)、そういった思いが意識として強くて、自分が経験してきた武道の精神と、鍛えてきた体を活用して日本を守れるならと考えて、海上自衛隊に入りたいという気持ちがありました。

――でも、進まなかった。

【山野晃裕】これは本当に偶然の巡り合わせだったのですが、大学時代いろいろと今後のことを考えていたときに、知り合いの方から「こういう会社があるよ」と岡本を紹介してもらったことがあり、一度、岡本に直接、話をうかがいに行ったことがきっかけです。

――社長(現会長)と話をしたそうですね。

【山野晃裕】知り合いの方が現会長、当時の社長に近い存在の方だったこともあり、運よく会話の場を設けていただいて、直接お話をさせていただけたんです。そこで僕自身のそれまでの経験や、今なぜここにいるのかを話した際に、感動してもらえたようでして…。会社のこともいろいろと聞く中で、「日本一、業界ナンバーワンの会社というのは、経済的な面から日本を支えることもできるんだよ」と声をかけていただき、「こういう人についていきたい」と、一発でここで働きたいと思いました。

――これもまたストーリーのある話ですね。

【山野晃裕】空手の経験が影響しているのか…僕の生き方って、どうしても古くさい感じかもしれないですね(苦笑)。

――ここからは入社後のキャリアをおうかがいさせてください。2012年入社、最初の5年間は調達部門に配属されたそうですね。

【山野晃裕】はい、調達部門に所属し、商品計画や社内の在庫調整といった業務から、海外の仕入れ先交渉、国内も一部担当しながら、商品のサンプルを指示したり、納品管理をしたり、工場のキャパシティ管理をしたり、あとは単価交渉ですね。5年の間はほとんど、月のうち1週間程度は上海であったり、中国のどこかにいるような暮らしをしていました。

――中国語は堪能なのですか?

【山野晃裕】日常生活やちょっとした移動をする分には問題ないレベルでしたが、商談は通訳の方についていただく形で行っていました。

――数字意識や利益へのこだわりといったものはその頃に身についたものですか?

【山野晃裕】単価をはじめ、生々しい数字を見る部隊だったので、得たものは大きかったです。自分が今行っている交渉で、いくらのもうけが出るか。利益や売上に対する意識はそこでかなり身についたと思いますし、その感覚は今も生かされています。

――最初に数字への意識や感覚を身につけたのは大きいかもしれないですね。

【山野晃裕】そのとおりですね。自分の性格的に、はじめは絶対に営業に配属されると思っていたのですが、まさかの「調達部門」。最初は自分には合わないのではないかと思っていたのですが、そこで自分の新しい性格に気づきました。

――新しい性格?

【山野晃裕】とにかく負けず嫌いなので、新しいこと、経験したことのないことでも、結局はなんでも熱中するという性格です。何をやっても負けたくない、という(笑)。調達部門はすごくやりがいがあって、楽しかったですね。

――その後、営業に異動。

【山野晃裕】はい、実はずっと希望は出していました。調達部門でも商品を入荷して、店頭に出て、品質面の管理もしていたので、営業に絡んではいたのですが、最前線で売上に直結する部門は、その後のキャリアを考えても絶対に経験しておくべきだと考えていたので、営業への異動希望を出していました。念願かなって営業を担当させてもらえることになり、営業自体は3年間の経験になりましたが、この3年間も、人と得意先様にとても恵まれたと感じています。営業で最初に担当させていただいたのが沖縄の地場に根付いた大型の総合小売会社さんなのですが、そこのバイヤーさんが日本一厳しいのではないかと思うほど厳しい方で、「靴下バイヤー歴30年」みたいな本当にすごい方で、「メーカーよりも詳しいのでは?」と思わせるほどの方でした。社内でも「知識・経験ともに右に出る人はいないというほどの有名バイヤー」という話で。ただ、自分はこういう性格ですし、体育会系で育っているので、そういう方とお仕事させていただくほうが、成長できるしやりがいも感じる、といった思いでした。

――思想が少年漫画ですね(笑)。

【山野晃裕】そうなんです(笑)。そのバイヤーさんとともに、売れる売り場づくりや販売スケジュールについて、「8割怒られながら2割くらい自分の意見を盛り込んでもらう」といった感じで取り組みました。「売れる仕組み」を逆に教えてもらったという感じですね。3年間担当しましたが、徐々に自分の提案が通る割合が増えていき、少しずつ頼ってもらえる存在になれたような気がしています。営業2年目の春には、今担当しているココピタのデビューの年の営業を担当させてもらいました。当時はまだフットカバーは300円ぐらいのボリュームゾーンのアイテムが増えてきた状況。既に他社のブランドが存在する中で、岡本が新しい企画商品を出したからといってわざわざ入れ替える必要はないという状況でした。しかしながら、フットカバーユーザーでもある自分自身、ココピタを初めて履いたときにすごく感動して、“脱げてしまう悩み”を解消する商品だという手応えを感じていました。「ついにきた!」と。この感動を消費者の方に何としても味わってもらいたいと思いました。ただ、そのためには店頭に置いてもらわなければいけない。でも、バイヤーさんからすれば入れ替える必要がない。どうやって口説き落とそうかと真剣に考えました。考えた結果、実際の現場でお客様に商品を販売してくださっている方々とのコミュニケーションをとにかく密に行い、流通先との関係性構築に力を注ごう、そして商品の魅力を知ってもらうおう、という結論に至り、それを行動に移しました。おかげさまで、売り場の方、そしてバイヤーさんにもココピタの魅力を伝えることができ、半台だけスペースを確保してもらうことができたんです。その後、売り場づくりについても提案させていただき、ココピタの売上に結び付けることができました。店頭が成功事例の発信基地だと考えていたので、売れ方の事例として販売データをすぐに全社に共有しました。営業のパイオニア、先駆者でありたいとは常に思っていましたし、成功事例を先駆けてつくり、それを共有していくことで、自分の担当領域だけではつくれないもっと大きな売上をつくることができるのではないかと常に考えています。成功事例をつくり、共有すること、それが自分の仕事だと考えながら営業を担当していました。

――ココピタの販売スタート時はある意味、レッドオーシャンへの挑戦だったいうことですよね。変える必要がない、と。

【山野晃裕】そうですね。ただ、商品名のとおり、「脱げない」と言いきったところは、当時、ほかになかったと思います。岡本の技術開発力をもって、4年の歳月をかけて1000足以上の試作を経てうまれたこの製品への絶対的な自信があってこそのものでした。

――「ココピタ」売り場といえばあの“ひっぱり”足マネキンのインパクトが印象的ですよね。売り場で「脱げない」を試してもらう。正しい戦略ですね。話を聞くと思いつきそうですが、難しい。あらためて、素晴らしいアイデアですね。

【山野晃裕】靴下は試着ができないので、価値を実感いただくのが難しいのですが、「なんとかこの感動を知ってほしい!」と思いまして。当然、売り場のマネキンに実際の生地をつけるとなると「生地のメンテナンスはこうしてほしい」など、細かい調整も必要になるのですが、各所へ説明してまわって実現しました。買う前に体験できる靴下は、ココピタが最初かもしれないです。

「脱げないココピタ」レディース浅履き 着用イメージ
「脱げないココピタ」レディース浅履き 着用イメージ

――その後、マーケティング本部に異動。

【山野晃裕】営業活動を続ける中で、このココピタという商品に出会ったことが大きなきっかけだったと思います。次はこの商品にもっと広い視野で関わる部署に行きたいと考えました。マーケティング本部も自分で希望を出して異動させてもらった部署です。実はちょっとしたきっかけがあって、営業部門での上司がマーケティング本部も経験したことのある方で、営業部門だけを経験してきた方のアドバイスと比べると、視野の広さが大きく違っていました。自分も年齢を重ね、いずれ上司という立場になったときに、メンバーに対してこういうアドバイスができる人間になりたいと思い、若いうちにマーケティング本部での経験を積んでおかなければいけないのではと考えました。その後、マーケティング本部に配属されたのですが、1年目から、まさかのココピタの担当に。最初はメンズの担当でした。ココピタを担当することはとても光栄でしたが、正直、最初はプレッシャーしかなかったです。もちろん、それまで行っていた営業活動にもマーケティング要素はあります。でも、当時の自分はまったくの“ど素人”。そんな状態で重大なブランドを担当することになり、当初はプレッシャーばかりでした。1年間は前任のブランドマネージャーのもとでメンズを担当させていただき、2年目からは、これはさらにあり得ない話なのですが、マーケティング本部2年目でココピタのブランドマネージャーに就任しました。本当にびっくりして、プレッシャーに押しつぶされそうだったんですけど…いや、正確には今も毎日、押しつぶされそうです(苦笑)。ただ、担当になったからには全力で取り組みますし、今は必死に、日々、学びながら商品を生み出しているといった状況です。まだまだ至らない点ばかりですが、このブランドを通じてお客様の足もとの悩みが解消され、普段の生活の中で、足もとについて一日中、何も気にせずに安心して過ごしていただきたい、その思いで全力で取り組んでいます。日常にちょっとした安心感や快適さを与えることができればと考えています。

「脱げないココピタプラス さらっと実感」
「脱げないココピタプラス さらっと実感」

――次に、入社後一番のピンチを教えてください。またそれをどのように乗り切ったかも合わせてお聞かせください。

【山野晃裕】ピンチ…難しいですね…。正直、一番のピンチは今かもしれないです(苦笑)。日々、ピンチとチャンスの連続が続いているという感覚ではありますね。

――質問が少し漠然としていましたね。たとえば、コロナ禍の影響などはいかがですか?市場自体の変化や、貴社の商品への影響、傾向などがあれば。

【山野晃裕】外出の機会が減り、買い控えも起こりましたし、そういう意味では大きなピンチでした。あとはピンチという話でいえば、特別なときだけに準備をするのは避けたいと日頃から考えています。常に、「何が起きても対応できるように」ということは考えておき、「プランは既にあり、まだ実行していないだけ」という状態でありたいと日頃から心掛けています。やはり流動的なものですし、常に何が起こるかわからないという状況の中で、こうだった場合、ああだった場合を事前に想定しておくことが大事だと思います。常日頃から自分にそう言い聞かせています。

――靴下は日々のアイテムですし、たしかに「常に」という発想が大切ですね。

【山野晃裕】中長期のプランはもちろん立てますが、消費者のニーズや外部環境、消費者の方、個人個人が思っていることは常に変わっていくものなので、プランを常にアップデートしていくことはマストだなと考えています。今も絶賛、アップデート中です。毎日が修正、アップデートですね。

――一方、アパレル全体で見ると、靴下って必ずしも目立つ部分のアイテムではないようにも思います。山野さんが考える靴下の魅力は?

【山野晃裕】魅力…難しいんですよね。僕自身、家に帰るとすぐに靴下を脱ぐ人間なのですが、自分が岡本に入社してから目指し続けている姿としては、靴下を履いているほうが快適、それをずっと目指しています。「ココピタ」ブランドの方向性とも一致するのですが、常日頃、靴下を履いていることに対して不満が生じない、安心する、快適だ。それが靴下に一番求められていることだと考えています。魅力という質問への回答からは逸れるかもしれませんが、靴下は“負の解消”だと思っています。

――僕も家に帰ると靴下を脱ぐタイプです。ただ、逆に履くと「オンだな」という気持ちになりますし、それこそ、リモートワークの日も仕事をはじめるときは履いています。気持ちの切り替えアイテムというか。

【山野晃裕】それはあるかもしれないですね。家に帰って靴下を脱いだとき、スイッチがオフに切り替わる気はしますし。

――安心したオンの状態というか、その切り替えにもなりますよね。ちなみに、靴下のプロとして、靴下を購入時に意識する際の選び方などはありますか?他社さんの商品を買うことは?

【山野晃裕】買います、買います。靴下のプロだからこそ、こだわりを持たずに、いろいろな靴下を履く、これが自分のこだわりでもあります。特に、売れている靴下は、先入観を持たず、とにかくいろいろ履いてみる。こだわりを持たないところがこだわりです。

――こだわりを持たないことがこだわり。納得です。では次に、個人としての活躍と、チームを率いるリーダーとして活躍の仕方、違いとして意識していることなどはありますか?

【山野晃裕】マジメントの立場になってからのほうが、自分にとって必要とされる能力が変わったこともあり、圧倒的に難しいと感じているところはあります。個人戦は、極論、自分さえがんばっていればなんとかなる、そういうプレーヤーの立場からマネージャーに変わったことで、人に何かをしてもらうことの大変さを痛感しました。マネージャーになった当初は、どうしても昔のくせが抜けず、自分の感覚とメンバーの感覚を合わせる機会をおざなりにしてしまうことがありました。普段共有できていないことを急に指示すると、自分が思っているとおりには動いてもらえなかったり、考えていたリアクションがこなかったりという状況が何カ月か続きました。そこで、どれだけ忙しくても、自分が今考えていること、それを短期的なこと、中期的なこと、長期的なことにわけて、週次でメンバーにしっかり共有する、目線を合わせることを徹底して行うように自分の行動を変えました。そうすると、各仕事が大きくブレない。組織で動くうえで、目線合わせは本当に重要なことだと感じながら仕事をしています。「自分でやったほうが早い」と、ついついやってしまうんです(苦笑)。

――多くの人がそうですよね。プレーヤー、マネージャー、プレイングマネージャーとあって、やりがちなのは、“ほぼほぼプレーヤのプレイングマネージャー”。理由は、スキルや経験的に自分でやったほうが早いのと、メンバーに共有すべきプランが自分の頭の中にはあっても、それを説明するコストよりも「自分でやるほうが」と選択してしまう。よくわかります。あとは、「伝わっているはずだ」と思っている以上に伝わっていないものですよね。伝わっていない原因は伝える側にあるものだなと自分も感じることが少なくないです(苦笑)。

【山野晃裕】コロナ禍でより難しくなりましたよね。自分は昔ながらというか、たまに上司と飲みに行ってそこで相談したり共有したり、いわゆる飲みニケーションも楽しんでやっていましたが、コロナ禍になってそういった場はなかなか持ちづらくもなったので、あたりまえですが、仕事の中できちんと共有の場をつくることをあらためて大切にしています。

――過渡期ですよね。ただ、リアルとリモート、選択肢が増えたと考えればプラスだとも思います。

【山野晃裕】同感です。今、毎週月曜日に各部署のメンバーを集めて、「ココピタ」ブランドの状況について、調達面からプロモーション面まで、文字どおり、全員で会話をしています。自分のパートだけを直接、関連する部署・メンバーだけに伝えるやり方だと、自分の仕事の“先”が伝わっていないので、仕事の“濃度”が落ちるんです。でも、全員で、担当じゃない領域についても話をすべて聞いてもらうことで、自分の仕事のその先であったり、自分の仕事の前段階や後工程など、全員が一連の流れで動くことができるようになりました。「いま○〇さんがやっている仕事がこうで、ここでこうなったものが私のところに来ている」、そうしたことがわかるようになっているので、すごくいい形だと思っています。もちろん、僕がうまく伝えられていればですけど(笑)。

「もっともっと愛される靴下をつくり、もっともっと愛されるメーカーになりたい」と抱負を語る山野晃裕さん【筆者撮影】
「もっともっと愛される靴下をつくり、もっともっと愛されるメーカーになりたい」と抱負を語る山野晃裕さん【筆者撮影】

――伝わっていると思いますよ。今日お話を聞いていてそう思います。では最後に、今後の目標をおうかがいさせてください。

【山野晃裕】今担当しているココピタ、ここにしっかり責任感を持って、このブランドで岡本をさらに有名な会社にしていき、いずれはこの会社の経営に携われるくらい成長していきたいと思っています。あと、いつも取材のときに「靴下の魅力は?」と聞かれるのですが、その答えが難しくて…。消費者の方も靴下についてわざわざ興味を持って会話をすることってあまりないでしょうし。ですので、靴下という商品にもっともっと世の中の人に目を向けてもらい、靴下のことにこんなにこだわっている人たちがいて、こんなにいい靴下があるんだ、ということを知ってもらい、この靴下を履けば悩みが解決し、不満に感じていたものがすべて解消され、暮らしが豊かになっていただけるように、これからも日々取り組んでいきたいと考えています。個人的には、まずは成功事例をつくることで、大きく会社に貢献できる人間になりたいですね。そしてもっともっと愛される靴下をつくり、もっともっと愛されるメーカーになりたいと思います。

OneNews編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAに所属。『ウォーカープラス』編集長を卒業後、動画の領域でウォーカー、レタスクラブ、ザテレビジョン、ダ・ヴィンチを担当。2022年3月に無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」をスタートし、同年9月、「OneNews」創刊編集長に就任。

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