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日本への送り出しも中国が ~カンボジア人実習生~

阿佐部伸一ジャーナリスト
全て中国の援助のように見える記念碑=プノンペンで筆者写す

 かねてから取材を続けてきた技能実習生の監理団体が今年4月、カンボジア人実習生6人を受け入れた。1993年に始まった外国人技能実習制度。新型コロナによる入国制限で2年ほど受け入れが止まっていたが、コロナの収束に伴って新たな実習生たちが続々と来日している。コロナ禍で売り上げが減り、日本でも失業する人が少なくなかった。それでも、食品加工や高齢者施設、宅配便の仕分け、食堂の洗い場、洗車、配達や引っ越しといった職場は連日求人広告を出していた。記者はこの取材の資金稼ぎを兼ねてそうした職場で働き、実習生ら外国人を雇用したい、あるいはすでに雇用している慢性的人手不足の現場を見ている。

 外国人技能実習機構(OTIT)によると、コロナ前の2020年、日本で働く実習生は25万6千人あまりで、コロナの間は新たに入国できない代わりに、帰国も儘ならず、その数はほぼ横ばいだった。もはや技能実習生ら外国人労働者が日本経済を底辺から支えていると言って過言ではない。実習生の国籍はベトナム人が56%と断トツ。2番目に多いのが中国人の14.5%で、インドネシア、フィリピンと続く。5位以下はミャンマーとタイ、カンボジアがそれぞれ7千人弱。経済発展を遂げる中国からの実習生は減少傾向にあるが、ポストコロナにはカンボジアからの実習生が増える兆しがある。なぜなら、ポルポト時代の虐殺政治が尾を引いて人口1700万人あまりの平均年齢が24歳と若い一方で、自国資本による条件がよい雇用が少ないこと、それに、カンボジアは長年日本が最大の援助国だったことから親日家が多いからだ。ただ、中国人に始まりベトナム人と10年以上実習生を受け入れてきた企業で聞いた「カンボジア人は素朴だから、いいよね」といった言葉が、ずっと耳に引っかかっている。

大分県の監理団体ワークビジョンが初めて受け入れたカンボジア人実習生たち(筆者写す)
大分県の監理団体ワークビジョンが初めて受け入れたカンボジア人実習生たち(筆者写す)

 カンボジアと日本は技能実習に関する協力覚書を2017年7月に交わし、翌年6月から受け入れが始まった。これまでカンボジア人実習生についての問題は耳にしていなかったが、今回来日したカンボジア人実習生たちの日本語能力は、挨拶だけといったレベルだった。彼らが持ってきた教科書には単語ばかり、文法や会話のやりとりがない。日本の監理団体は来日から企業へ配属するまでの約1カ月、実習生に直前研修を施し、実習中の相談や困りごとに対応し、無事帰国されるのが業務。これまで受け入れていたベトナム人と同じ教室での研修は難しく、カンボジア人だけ別室で初級からやり直した。日本の監理団体は、カンボジアの送出機関に問い合わせたが、回答が遅いうえにその内容も要領を得ない。覚書に則って実質送り出し側の政府が認定することになる送出機関は、実習志望者の人選、日本語と日本での生活の研修、配属先企業の採用面接、そして渡航に必要な書類を用意する。OTITがインターネット上で公開しているカンボジアの認定送出機関は今年5月時点で101団体。今回の6人のカンボジア人実習生を送り出した送出機関は、その中に確認できた。しかし、研修責任者と日本連絡所代表の欄には、両方とも中国人らしき氏名が記されていた。

競技場になっている自衛隊の駐屯地があった敷地=タケオ州で筆者写す
競技場になっている自衛隊の駐屯地があった敷地=タケオ州で筆者写す

 カンボジアは自衛隊が初参加した国連PKOで内戦を終結させ、明石康氏が代表を務めた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のもと、民主憲法を公布し総選挙を行って再建国した。あれから30年が経ったカンボジアを、実習生の来日の経緯を辿るために訪ねた。プノンペンの渋滞に引っかかった車のなかでカンボジア人の旧友が嘆く。「中国人がカンボジアの軍服を着て、高級車で乱暴な運転をして事故って、さすがに問題になったよ」。タイ湾に面するシアヌークビルでは、中国がカジノとリゾートホテル群に次いで、軍用機も離着陸できる国際空港を完成させたところだ。中国の援助はフンセン首相が独裁体制を敷きはじめた2000年代半ばから拡大の一途をたどり、2010年には日本に代わって中国が最大の支援国になった。大規模施設から農業まで、カンボジアは国の屋台骨となる基幹産業を中国に頼っている。だが、中国の援助は、教育を除いて有償。加えて、貿易相手国としても中国が最大で、2016年は約7億5100万ドルと、二位の日本(1億9900万ドル)を大きく引き離している。

 当ビデオリポートでは、来日したばかりのカンボジア人実習生に大分県で会って話を聞き、カンボジアでは取材を嫌がった件の送出機関を直撃する一方、セカンドオピニオンを日系送出機関に求めた。加えて、6人のうち二人の実習生の故郷を訪ねて両親にも会い、地方の社会経済状況を垣間見た。送出機関の中国人責任者は、再三の取材申し込みにも応じず、カンボジア人の“雇われ校長”を矢面に立たせた。図らずも、それが今のカンボジアと中国の関係を象徴している。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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