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ミャンマー軍事クーデターに際し 緊急座談会をネット公開

阿佐部伸一ジャーナリスト
33年前、民主派学生の話を聴く筆者=ビルマと呼ばれていたミャンマー・カレン州で

コロナ禍は人生初めての体験だが、2月1日にミャンマー(旧ビルマ)で国軍がクーデターを起こしたというニュースには、既視感(デジャブ)を抱かざるを得なかった。同時に私は1988年の民主化闘争との違いを探しはじめていた。なるべく大きく違っていてほしい。違っていなければ、33年間なにも変わっていなかったという虚しさに苛まれるから。

時代遅れのジャーナリストかも知れないが、私は今でも現場へ足を運び、自ら見て聞いたことを伝えたく思っている。コロナ渦中でなければ、ヤンゴンかタイ国境の街メソートへ飛んでいるところだ。東南アジアをライフワークとしてきた者として、いまミャンマーに関わらなければ自己存立さえ揺らぐ。現地取材が儘ならず、日本にいてできることは…。隔靴掻痒としながら考えついたのが、この専門家や当事者との公開座談会だった。

1988年、軍政下のビルマで全国民が蜂起しての民主化運動がおこり、国軍はデモに参加していた子どもを含む市民に向け発砲した。非武装の自国民を撃つ軍など、あって良いのか。当時新聞社に勤めていた私は88年末、迫りくる国軍と戦っていた民主派学生たちを取材するため、タイ国境沿いのジャングルへ赴いた。

1990年には総選挙を取材すべく、品川のビルマ大使館に通って、やっとのことでビザを取り、ラングーン(現ヤンゴン)入りを果たした。アウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が8割超えの支持を得て、地滑り的大勝をおさめたのを自ら確認した。これで民主化が進むかと思いきや、国軍は敗北した選挙をなかったこととした。選挙をしておいて、その結果を反故にする国など実在するのか。

以来、タイ国境の亡命政府や民主派キャンプ、ビルマ国内、在外ビルマ人の取材を続けてきた。NLD幹部の息子が国内には自由がないと、私を保証人にビザを取って来日したこともあった。近隣のタイやカンボジアでも然り、日本の政府や企業は民選された人たちとはほとんど親交を深めず、武力を盾に政治権力と経済利権を手放さない旧体制と付き合ってきた。それでもミャンマーでは、ここ10年ほど部分的にだが民政移管され、市民の暮らしも少しずつ良くなってきていた。

ところが、世界中の人々が新型コロナで身動きが取れない非常時に乗じるように、ビルマ国軍は三度クーデターを起こした。33年前と同じように、国軍は軍政に反対する人々に発砲し、すでに500人を超す市民が亡くなっている。少数民族が暮らす州へは空爆し、33年前のようにタイ側へ難民が発生している。そのタイでもコロナ渦中の去年から民主派への弾圧が強まり、学生や弁護士らが逮捕収監されている。

前回との違いは、何と言ってもデジタル技術による通信の発達だ。88年はビルマ国内で起こっていることが、世界に伝わりにくかった。僧に変装した学生が衣に隠してタイへ持ち出したフィルムを受け取ったこともあった。90年総選挙には暗室道具一式をホテルに持ち込み、部屋の電話に電送機をつないでモノクロ写真1枚送るのに15分くらい国際電話を繋ぎ放しにしたものだった。

しかし今や、自宅のパソコンにビルマ国内の友人知人、そして、そのまた友人知人からスチル写真だけでなく、シュプレヒコールや銃声などの音声がはいった映像も直送、転送されてきている。現場に居合わせた人がスマートフォンで撮影し、簡単に伝送できる時代になっている。どれだけ理不尽で残虐なことが起こっているのか、その日のうちに全世界が知ることができる。そうした核心を突く投稿映像をニュースにして発信した現地テレビ局は、軍政に放送免許を取り上げられ、身の危険も感じてインドなどへ移動し発信を続けている。彼らともメールで連絡がとれ、映像のダウンロード権と当番組での使用許可を得られた。

人命がかかっている内容だけに、もっと早く座談会を催し、鮮明な画と音で公開すべきだった。しかし、コロナでリモート取材が多用されている昨今だからこそ、発言者が一堂に会することで発する熱量を大切にしたく、リアルでの座談会にこだわった。敢えてリアルで開催した会場には、アルコールと予備マスク、アクリル板、空気清浄機を用意した。また、参加者にとって都合がよい日時と場所に、カメラマンやサウンドエンジニアの予定も合わせていては、開催自体が難しくなるため、少なくとも3人スタッフが必要なところを私一人で収録した。こうして番組制作が一人で可能になったのも、デジタル技術の発達のお蔭である。今回は内容とタイミングが重要ということで、画質音質の悪さはご容赦いただきたい。ただし、インターネットという媒体では、従来の商業メディアでは不可能なこうした硬派のテーマで1時間番組を公開でき、参加者は多角的に言及でき、視聴者はノーカットで視聴できる。

今のところ日本などでは、こうして言論と表現の自由は保たれている。なぜ軍事クーデターが繰り返され、市民の自由や命が守られないのか。参加者のミャンマー人とタイ人は、より伝わるよう日本語で話せる人とした。日本にいる我々は何ができるのか、何をすべきなのか、4人の座談会参加者の意見と擦り合わせていただければと思う。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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