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長寿国家の日本「平均寿命が延びれば出生率は必ず下がる」という事実

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

平均寿命が延びると少子化になる

厚労省の発表によれば、2020年の日本人の平均寿命は、男性が81.64歳、女性が87.74歳で、いずれも過去最高を更新するとともに、世界保健機関(WHO)に加盟する主要48か国の比較では、日本は女性が世界1位、男性は2位の長寿国家となった。

ところで、「平均寿命が延びると出生率は下がり、少子化になる」といわれたらどう思うだろうか。一見、何の脈絡もないように思えるが、実際その通りなのである。明治後期以降からの日本での女性の平均寿命と人口千対出生率との相関係数を算出すると、▲0.98372である。ほぼ最大値の1に等しい強い負の相関が見られるのだ。

もちろん、これは強い相関関係があるだけであってそこに因果があるとまでは言えない。「傘が売れる」ことと「長雨が続く」こととは相関関係にあるが、「傘が売れると雨が降る」とは言えないのと同じである。とはいえ、この相関に因果はないとは言えないかもしれない。

平均寿命の計算のカラクリ

以前、私は歴史人口学の第一人者でもある鬼頭宏先生と対談をしたことがある。その席で伺った話によれば、縄文時代の女性は1人で8人ほどの子どもを産んでいたそうだ。が、縄文時代の女性の平均寿命は、わずか15歳に満たなかったといわれている。

妊娠期間は縄文時代も現代も変わらないのに、15年の平均寿命で8人の子はとても産めない。勘違いしている人も多いと思うが、平均寿命とは、現在の男女が平均何歳まで生きたかという数値ではない。その年に生まれた0歳児が、平均で何歳まで生きるかを予測した数値のことである。

よって、平均寿命は、計算上乳児など子どもの死亡率が高ければ高いほどそれだけ下がることになる。

縄文時代は、8人の子を生んだとしても、乳児時点でその多くは亡くなっていた。15歳まで生きぬくことができた子どもというのは約半数程度といわれている。

写真:rei125/イメージマート

つまり、縄文時代の平均寿命が15歳だったからといって、必ずしも全員が15歳で死んだわけではなく、早逝してしまった子どもたちも合算平均するので、計算上縄文時代の平均寿命は15歳になるということである。

ちなみに、縄文時代の15歳時点での平均余命は約16年である。15歳まで生き延びた人は、大体31歳まで生きたということになる。

乳児死亡率が下がれば平均寿命は延びる

逆に言えば、現代の平均寿命が延びたということは、乳児死亡率が低くなったからということができる。つまり、乳児死亡率が高い時代(=平均寿命が短い時代)は出生率が高い。たくさんの子が早くに死んでしまう(乳児死亡率が高い)時代だからこそ、それだけたくさん産んでいたということだ。

そして医療の発達などで乳児が死ななくなれば、そもそも女性は出産をしなくなる。事実、乳児死亡率と出生率との相関係数は0.9341と高いものになっている。

これは、民族が違っても、宗教が違っても、文化が違っても、どこの国でも同様である。現在、人口が増え続けているのはアフリカ地域だけだが、それはそもそもアフリカ諸国ではいまだに乳児の死亡率が高いからでもある。

日本に限らず、全世界的な少子化傾向というのは、こういうメカニズムの中で起きている。

ライオンの「子殺し」

こうした出産のメカニズムは動物においても見られる。

写真:ロイター/アフロ

ライオンの群れのボスライオンに戦いを挑み、群れを乗っ取った雄ライオンは、まず、旧雄ライオンの子どもたちを殺す。そして、群れの雌ライオンと交尾して、自分の子どもを産ませるのだ。

これは「ライオンの子殺し」という習性だが、群れを乗っ取られた上に、元の旦那を追い出され、自分の子どもまで殺した相手の雄ライオンとよく交尾できるな、と思うかもしれない。我が子の仇じゃないか、と。

しかし、群れのメスは、子どもを殺され、失うことによって発情が起きる。育児中のメスは本来発情しないものだが、子どもへの哺乳が止まることでホルモン分泌が変わるからである。つまり、子がいなくなったことで本能的に新たな子を産もうとするわけである。

平安時代の過酷な出産

かつて、平安時代の娘で、天皇や高官貴族などに輿入れした娘は、とにかく子どもを産むことが役目だった。男児を産むことは、将来の天皇を産むことと同じだからである。そして、当時の出産は女性にとっても命がけでもあった。

藤原行成の妻は13歳で結婚、14年間で7人産んだとされる。22歳からは毎年5年連続で出産した。しかし、7人目の子を出産した後、そんな連続出産の無理がたたってか、亡くなってしまう。享年27歳。

しかも、産んだ7人のうち3人は早逝してしまった。貴族の子ですら、産んだうちの半分は死んでしまったわけで、庶民であればもっと死亡率は高かっただろう。

写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

「7つまでは神のうち」と言われたのはそのせいである。七五三のお祝いは、7歳まで育ったのでもう死んでしまうことはないだろう、よくぞ育ってくれたという意味のお祝いなのだ。

前述した行成の妻もそうだが、当時の貴族層の母親は、我が子に授乳させてもらえなかった。その役割は他人の乳母が担当した。授乳させない理由は、授乳による不妊期間を短縮させるためである。

とにかく子どもを産むことだけが求められたわけだ。過酷な話である。

別の視点で「少子化」を見てみると…

そういうことを考えれば、少子化とは多産しない母親の問題ではない。ましてやそもそも「子どもが生まれない」という問題でもない。結婚した女性は平均して大体2人の子どもを産んでいる。にもかかわらず、合計特殊出生率が2.0を切るのは、未婚女性及び無子夫婦の数が増えているのと同時に、無理に多産する必要性がなくなったからでもある。

要するに、現代は、「子どもが生まれない時代ではなく、産まれてきた子どもが死ななくてよくなった時代」ともいえる。

同時に「産んだ母親が死ぬこともなく、自分の子を自分の手で慈しみ育てることのできる時代」になったと言えるのであり、決してそう悪いことではないように私は思う。

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※記事内グラフの無断転載は固くお断りします。

独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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