結婚は消費行動である

未婚男女の間には「結婚はコスパが悪い」という説がある。

それに対して、既婚者は「結婚はコスパで考えるものではない。結婚をコスパなんかで考えているから、いつまでも独身なんだよ」と説教したい衝動に駆られるかもしれない。

しかし、一方で、恋愛の末に結婚した既婚者自身でも「愛さえあればなんでも乗り越えられる」とは言えないのではないだろうか。

結婚後の二人、あるいは、子が産まれて家族となった後の生活というのは、恋愛関係とは違い、否が応にも現実が突きつけられる。現実とはお金である。

「結婚とは、ひとつの消費行動である」とは、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの言葉だが、ある意味、結婚とはひとつの共同体運営であり、経済活動でもある。消費の一形態というとらえ方はむしろ的を射ていると言える。

結婚のメリットの男女差

出生動向基本調査において、18-34歳の独身者を対象として「結婚の利点」「独身の利点」を聞いたものがある。ここから見える男女の違いは、それこそ結婚というものに対する男女の経済的価値観の違いを如実に表している。

まず、「結婚の利点」の男女差分である。

女性は、圧倒的に「経済的に余裕が持てる」項目が男性より多く、その差分も拡大している。2015年にはついに、ずっと安定的に高かった「子どもや家庭を持てる」を抜いている。対照的に「愛情を感じている人と暮らせる」は下がり続けている。

一方、男性は、「社会的信用や対等な関係が得られる」「生活上便利になる」などで女性より多い部分があるものの、それもほぼ経年で下降傾向である。全体的に、女性と比較して男性は「結婚するメリットを感じていない」もしくは「結婚するメリットが年々減っている」と考えていることがわかる。

独身のメリットの男女差

続いて、「独身の利点」の方を見てみよう。

こちらも一目瞭然。意外にも、独身の利点として「行動や生き方が自由」をあげているのは、男性より女性の方が多く、これも年々伸びている。つまり、女性の方が独身の利点を「自由」であることに見いだしており、かつ、独身のままの方が、男性より友人や社会との関係性を保持できるととらえているようだ。

逆に、男性が独身のままでいたいのは、「自分のためにお金を使いたい」からである。彼らは「自分のために金を使える自由」を捨ててまで、結婚をする必要性を感じない。

定期的に既婚サラリーマンのお小遣いのデータが発表されているが「結婚したら月3万円台の小遣いにされる」なんて情報を聞くと、経済的デメリットが大きすぎて、とても結婚に前向きにはなれない。しかし、それは、女性にとっても同様で、「自分の自由を奪われてまで、経済的メリットのない結婚をする必要もない」ということになる。

女は「金をよこせ」、男は「金はやらん」

すなわち、女性が「結婚するのは金のため」であり、男性が「結婚しないのも金のため」ということになる。結婚に対する意識では、男も女もしょせん「お金」なんだが、その意識は相反する。

身も蓋もない言い方をすると、結婚に際して、女は「金をよこせ」、男は「金はやらん」と思っている。双方譲れないポイント(お金)がここで真っ向からぶつかっているのだから、こんな人たち同士がマッチングされるわけがない。

写真:アフロ

もちろん、すべての女性が結婚後夫の経済力に完全依存しようとしているわけではない。しかし、たとえ結婚した時点では共にフルタイムで働いていたとしても、育児の時期は離職する可能性も高い。実際、多くの夫婦はそうなっている。そうなる可能性がある以上、少なくとも自分の稼ぎ以上の相手との結婚でなければ不安になるし、「そもそも一緒になる意味がない」と未婚女性が考えるのも無理からぬ話だろう。

お金がなければ欲しいものは買えない。裕福な者は、たくさんの選択肢の中から好きなものを自由に選べるが、貧乏であれば財布の中身と相談するしかない。場合によっては、諦めるほかはない。まさに「結婚は消費」なのだ。

結婚の新自由主義市場化

「一人口は食えねど、二人口なら食える」というように、本来、結婚とは貧しい者同士でも寄り添って助け合えばなんとかなるというものであった。皆婚社会を実現したのは、お節介にも等しい親族や地域のお見合いの設定などによる。それは、結婚の社会的お膳立てシステムでもあった。商い形態で例えれば、取引の不自由はあったが安心もあった、いわば互助会的な「結婚の地域商店街」だった。

隆盛を誇ったそれらの商店街は、今やほぼ廃業し、かわって訪れたのが「自由な結婚の直接取引市場」というべき「結婚の新自由主義」時代だ。奇しくも、それは、英国サッチャー首相や米国レーガン大統領によって推進された「経済の新自由主義」の1980年代以降の時代と重なる。

写真:ロイター/アフロ

誰もが平等に機会を得て、自由に相手を選択できる「結婚の新自由主義」市場がもたらしたものは、一部の恋愛強者と経済力強者だけが結婚相手を選択できる「勝者総取り」の世界であり、「結婚の自己責任社会」だ。恋愛における強者と弱者の格差が拡大したのも、経済の新自由主義がもたらした結果と重なる。

結婚が一部の人たちだけの「贅沢な消費」となる時代がやってくるのかもしれない。いや、すでに来ているというべきか。

岸田文雄首相は、その所信表明演説では、新自由主義の弊害を指摘し「分配なくして次の成長なし」と述べた。果たして「結婚の新自由主義」の現状にも楔を打ち込むことができるのだろうか。

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