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ロシアが雇ったシリア人傭兵はウクライナで戦闘に参加せず、死傷者もゼロ

青山弘之東京外国語大学 教授
Alsouria.net、2019年8月30日

ウクライナ侵攻にシリア人の「傭兵」が参戦するとの報道が過熱してから4ヵ月が経つなか、英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団が傾聴に値する発表を行った。

シリア人権監視団とは?

シリア人権監視団は2006年に英国在住のシリア人、ラーミー・アブドゥッラフマーンが設立した人権団体。2011年にシリアに「アラブの春」が波及して以降は、国内各地の人的・物的被害や人権侵害についての情報を発信し続けている。

類似した組織のほとんどが、シリア政府側の犠牲や反体制側の暴力を限定的にしか取り上げないのに比して、シリア人権監視団は、紛争被害に関する情報を網羅的に収集・発表しようとする姿勢が見て取れる。そのため、シリア人権監視団の発表は、国連諸機関にも紛争被害を把握する際の主要データとして利用されており、またAFPをはじめとするメディア機関もその情報に依拠して、被害状況を伝えている。

筆者も「シリア・アラブの春顛末記:最新シリア情勢」(http://syriaarabspring.info/)において、日々シリア人権監視団の発表に注視し、内容の真偽を確認しつつ、これを紹介している。というのも、「シリア人権監視団発表の死者数統計に潜む政治的偏向」(浜中新吾教授との共著)において分析した通り、誤情報の拡散や情報の操作が散見されるためである。

戦闘に参加していないシリア人傭兵

そのシリア人権監視団が7月27日、複数の消息筋から得た情報をもとに、ロシアがウクライナでの戦闘に参加させるために募集したシリア人の傭兵が今のところ、ロシア軍の作戦にまったく参加しておらず、死傷者も出ていないことを確認したと発表したのだ。

ロシア軍が募集したシリア人の傭兵の数も3月から4月にかけて欧米メディアやアラブ・メディアが報じていた25,000人の10分の1にも満たない約2,000人だけだという。

シリア人権監視団、2022年7月27日
シリア人権監視団、2022年7月27日

「国際義勇兵」vs「志願兵」

ウクライナへの傭兵の参集は、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が2月27日にロシア軍と戦う「国際義勇兵」への参加を呼び掛け、またロシアのヴラジーミル・プーチン大統領が3月11日に外国からの「志願兵」の参加を認めるべきだと発言したことで注目が集まった。

ウクライナ外務省が3月7日に発表したところによると、52ヵ国から20,000人もの「国際義勇兵」が集まった。出身国は明らかにされなかったが、欧米諸国や日本のメディアは、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、ノルウェー、ラトビア、ベルギー、ポーランド、ジョージア、イスラエル、インド、そして日本などから志願者が相次いだと伝えた。

シリアでは、アメリカ製のTOW対戦車ミサイルによる攻撃の名手であることからスハイル・アブー・トウ(TOW)の名で呼ばれていた反体制活動家で、トルコが全面支援するシャーム軍団メンバーのスハイル・ムハンマド・ハンムードが2月25日、ウクライナでロシア軍との戦闘に参加する意思を示した。

Twitter (@suheilhammoud)
Twitter (@suheilhammoud)

一方、ロシア側の「志願兵」も、民間軍事会社のワグネル・グループに雇われたロシア人に加えて、シリア各地で募集が行われ、ウクライナ行きに向けた準備を進めているとされた。欧米諸国やアラブ諸国のメディアが3月に伝えたところによると、その数は23,000人に達しているとされた。

「国際義勇兵」、「志願兵」と言えば聞こえはいい。だが、実態は、金銭などの報酬を受け取って、直接の利害関係がない戦闘に参加している「傭兵」である。

ロシア側のシリア人傭兵の動静

シリア人権監視団も、ロシア側のシリア人傭兵の動静について詳細に伝えた。

それによると、パレスチナ解放軍やクドス旅団などシリアで活動するパレスチナ人民兵組織、親政権民兵の一つバアス大隊が、1,500~2,000ドルの月収が得られるなどと宣伝して、反体制武装勢力の元戦闘員や退役兵士を勧誘したという。

また、3月下旬には、「トラ」の異名で知られ、ロシアの支援を受けるスハイル・ハサン准将が指揮するシリア軍第25師団、反体制武装勢力の元戦闘員を主体とし、同じくロシア軍の支援を受けるシリア軍第5軍団、クドス旅団、バアス大隊の代表団が現地視察のためにロシアを訪問したことを明らかにした。さらに、代表団の帰国を受けて、ロシア軍の監督と資金援助のもとに、イドリブ県南部、ホムス県東部、ハマー県北西部で、第25師団の将兵約700人に対して、ウクライナ東部への派遣を前提とした空挺作戦などの特殊軍事演習が実施されたと発表した。

同様の報道は、欧米諸国のメディアもこぞって行い、シリア人民兵がウクライナでの市街戦に投入されるといった情報も流れた。

ウクライナ側のシリア人傭兵の死

だが、戦闘への参加が確認されたのは、ロシア側ではなくウクライナ側のシリア人傭兵だった。

NHK World-Japanは5月17日、ロシアの侵攻に立ち向かうウクライナに共鳴し現地入りしていたアブドゥッラフマーン・アフマドを名乗る28歳のシリア人ら10人が5月初め、ハルキウ州に対するロシア軍の爆撃で死亡したと伝えたのだ。

アフマドらが所属していた反体制武装勢力のリーダーによると、ウクライナに派遣されているシリア人傭兵の数は3,000人に上り、彼らは「仲介者」を通じてウクライナ軍の指揮下に入り、ロシア軍と戦っているという。

問われているのは、メディア・リテラシーである。シリア政府の主張や政府寄りのメディアの報道はすべてがフェイクで、反体制派の言うことこそが真実。あるいは、その逆に反体制派は、欧米諸国の支援を受けるテロリストで、その主張はプロパガンダ以外の何ものでもなく、義は政府側にある――このように頭ごなしに決めつけて情報に接したり、他者を非難したりするのであれば、事実を知ることはできない。

一つ一つの発言、あるいは記事に耳を傾け、冷静にその是非を判断すること。これこそが、敵も味方も自分たちに有利な情報しか流さない状況下で何よりもまず求められるものである。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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