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ウクライナ情勢をめぐってロシアを厳しく追及する米国が続けてきたシリアでの力による現状変更の試み

青山弘之東京外国語大学 教授
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

力による現状変更――ロシアがウクライナでの特別軍事作戦を開始して以降、欧米諸国だけでなく、日本においても、ロシアの非を糾弾するフレーズとして多用されている。だが、それはロシアの専売特許ではない。ロシアを悪魔化することに躍起な西側陣営も同じようなことを何の躊躇もなく行っている。

米軍の車列に対峙するシリアの住民と兵士

シリア・アラブ通信(SANA)が伝えたところによると、3月3日、トルコ国境に近いシリア北東部のハサカ県カーミシュリー市近郊で、住民が兵士らとともに、米軍の車列の通過を阻止し、これを退却させた。

事件が発生したのは、カーミシュリー市近郊のサーリヒーヤ村とダアドゥーシーヤ村の入口。

同市近郊の複数の地元筋の話によると、サーリヒーヤ村の住民とシリア軍兵士らはこの日、村を通過しようとした米軍とシリア民主軍の車列の進行を、同地の入口に設置されているシリア軍の検問所で阻止し、これを退却させた。またダアドゥーシーヤ村でも、住民とシリア軍兵士らが、村を通過しようとした米軍装甲車4輌からなる別の車列の進行を同様に阻止し、退却させた。

シリア民主軍がシリア軍の拠点を襲撃

同様の事件は3月1日にも起きていた。

英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団やSANAによると、この日の午後2時頃、米軍のパトロール部隊がシリア民主軍の部隊を伴ってハサカ県のタッル・タムル町近郊のクーザリーヤ(グーザリーヤ)村にあるシリア軍の拠点間の地域に侵入、シリア軍のパトロール部隊がこれを阻止し、排除した。だが、その直後、シリア民主軍の戦闘員らがシリア軍の拠点の一つを機関銃や迫撃砲で攻撃し、士官を含む兵士2人を殺害した。これに対して、シリア軍もシリア民主軍に応戦し、戦闘員多数を負傷させた。

シリア北東部の住民や同地に駐留するシリア軍部隊は、2020年頃から米国パトロール部隊に度々対峙するようになっていた(『膠着するシリア:トランプ政権は何をもたらしたか』を参照)が、シリア軍とシリア民主軍が直接交戦したのはこれが初めてだった。

国際法に基づかない干渉

ハサカ県はシリア政府と北・東シリア自治局が共同統治(分割統治)を行っている。そのほとんどは北・東シリア自治局が実効支配するが、県庁所在地であるハサカ市の中心部、国際空港がありロシア軍も駐留するカーミシュリー市の中心部、そしてアレッポ市とイラク国境を結ぶM4高速道路沿線などは政府の支配下に留まっている。

北・東シリア自治局とは、クルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が主導する自治政体である。PYDの民兵組織の人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍がイスラーム国に対する「テロとの戦い」で制圧した地域の自治を担っている。

シリア民主軍は米国の肝煎りで結成された武装連合体で、有志連合(生来の決戦作戦合同部隊(CJTF-OIR))はこれを「テロとの戦い」の「協力部隊」(partner forces)と位置づけている。米国はこのシリア民主軍を全面支援し、その作戦・制圧地域の各所に基地を設置し、部隊を駐留させていった。ただし、有志連合によるシリア領内での「テロとの戦い」は国連法に基づいてはいない。

米国、西欧諸国、日本はまた、2011年3月に「アラブの春」がシリアに波及した際、シリア政府による抗議デモ弾圧を理由にその正統性を一方的に拒否、代わって在外活動家を主体とするシリア国民評議会やシリア国民連合(シリア革命反体制勢力国民連立)を「シリア国民の唯一の正統な代表」として一方的に承認した。だが、シリア政府の正統性否定、シリア国民評議会、シリア国民連合の正統性承認も国連決議に基づくものではない。しかも、シリアでの軍事行動は、シリア政府の同意も得ていなければ、シリア国民評議会、シリア国民連合を含むシリアの反体制派諸派の同意も得ていない。

米国は、イスラーム国の再興を阻止し、油田を防衛するという口実のもと、シリア領内の27カ所に、900人とも3,000人とも言われる将兵を違法に駐留させ、同地で生産される原油やの農産物をイラクへと持ち去り、シリアの主権、領土的一体性の尊重という国連憲章が定めた権利を阻害している。

なお、PYDは、トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルディスタン労働者党(PKK)の系譜を汲む組織で、米国もこれを外国テロ組織(FTO)に支援している。つまり、米国は自らがテロリストとみなしていた組織さえも利用し、シリアで力による現状変更を行っているという批判が成り立つのである。

エスカレートの兆しを見せる力による現状変更の試み

米国によるシリアでの力による現状変更に向けた試みがエスカレートするのではと思わせる情報も流れている。

PYDに近いニュース・サイトのノース・プレスは2月25日、複数の米国筋の話として、米国のジョー・バイデン政権がシーザー・シリア市民保護法(通称シーザー法)の枠組みのもとでシリアに科している制裁を部分解除することを決心しようとしていると伝えたのだ。

シーザー法とは、2016年に米国の議員が超党派によって法案を提出し、2019年12月20日にドナルド・トランプ前大統領によって施行された法律で、シリア政府・軍の高官とその協力者、政府を後援するロシア、イランなど諸外国の個人・団体に制裁を科すことを定めていた。また、シリア中央銀行の資金洗浄への関与が認められた場合、追加措置を講じるとも規定している。

「シーザー」(アラビア語でカイサル)とは、2011年3月から13年8月にかけてシリア国内の刑務所で11,000人が組織的に処刑されたことを示すとされる写真55,000枚を撮影した離反兵の偽名で、写真の一部は、2014年1月に英国のカーターラック法律事務所が「シリア現体制による収監者の拷問と処刑の確かな証拠についてのレポート」のなかで公開していた。

シーザー法は2020年6月17日に発動し、バッシャール・アサド大統領、アスマー・アフラス大統領夫人、息子のハーフィズ・バッシャール・アサド、大統領の弟のマーヒル・アサド准将、姉のブシュラー・アサド、シリア中央銀行総裁、総合情報局(内務省所轄の諜報機関)長、シリア軍第一師団などが制裁対象となった。なお、同法に基づく制裁に先立って、米国は2005年からシリアに対して段階的に政府関係者・団体の資産凍結、渡航禁止、禁輸措置、取引禁止といった制裁を科しており、これはシリア全土に適用されている。

ノース・プレスによると、制裁が解除される地域は、北・東シリア自治局の支配下にあるシリア北・東部、トルコが占領下する北部、北西部(いわゆる「ユーフラテスの盾」地域、「オリーブの枝」地域、「平和の泉」地域)。

シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構が軍事・治安権限を握り、「シリア革命」最後の牙城と目されている北西部の反体制派支配地、いわゆる「解放区」、そしてシリア政府の支配地は除外されるという。

シーザー法の制裁が部分解除されれば、北・東シリア自治局の支配地やトルコ占領地は、外国の企業などとの取引が可能となる。これに関して、同米国筋はノース・プレスに対して「2019年に施行された制裁の目的は、アサドがシリアでの紛争を長引かせることを可能とした資源を利用するのを阻止することにある。だから、米国の外交官は、アサドと協力関係にない地域をこの制裁から解放する必要があると見ている」と述べている。

そのうえで「アサドの支配を脱している地域でのあらゆる金融取引に対する制裁が解除され、それによって、外国の企業はこの地域で活動できるようになる。その一方、シリア産の石油は、シリア北・東部産も含めて制裁対象となり続ける」と付言している。

同様の情報は、レバノンの日刊紙『アフバール』も3月1日にPYDの複数筋の話として報じている。

内容はほぼ同じだが、制裁の部分解除の理由に関して、バイデン政権がシリア政府の支配を脱している地域に対して大々的に経済支援を行う準備をしているとしたうえで、こうした動きが現実のものとなれば、北・東シリア自治局の支配地で産出される原油の密輸がイラク国境経由だけでなく、トルコの占領地、さらにはトルコ国境経由で拡がるだけでなく、「分離主義的な傾向」を煽ることが懸念されるという。

米国による力による現状変更の試みは、ロシア軍によるウクライナでの特別軍事作戦のような分かりやすいものではなく、欧米や日本のメディアも問題視はしない。この事実を踏まえたうえで、ロシアのウクライナでの行動が非難されなければ、それは身勝手な正義感の押し付け以外のなにものでもない。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリア地震被災者支援キャンペーン「サダーカ・イニシアチブ」(https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』などがある。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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