アサド政権は傀儡なのか?~ロシア・イランの主導権争いの是非:シリア情勢2019(11 最終回)

(写真:ロイター/アフロ)

「「体制デモ」と「官制デモ」に生じたねじれ:シリア情勢2019(10)」の続き)

シリア内戦は理想的な終わりを迎えないまま膠着した――筆者は「「膠着という終わり」:シリア情勢2019(1)」の冒頭でこう述べた。

そこでは、反体制派に対するシリア政府の完全勝利、全土回復、復興の加速が劇的なかたちで生じることもなければ、反体制派による「革命」運動が再興し、体制打倒、「自由」や「尊厳」の実現が達成されることもなかった。

とはいえ、シリア政府の優位がこれまで以上に揺るぎないものとなったのが2019年だった。そしてこの現実は、シリア政府と敵対してきた国の姿勢にも変化をもたらした。

アラブ諸国とのデタント

もっとも顕著だったのはアラブ諸国だった。

これらの国々とシリア政府の関係はシリア内戦によって悪化していた。とりわけ、サウジアラビアとカタールは、2011年11月にアラブ連盟でのシリアの加盟資格停止を主導、シリアへの投資を禁止し、在外資産を凍結、さらにトルコとともにアル=カーイダ系組織を含む反体制派を支援した。イラク、アルジェリア、オマーン、レバノン以外のアラブ諸国も、これに同調し、シリア政府に厳しい姿勢をとった。

だが、シリア政府と再接近を図る国・組織が徐々に増えていった。

欧米諸国に反体制派への支援の基地を提供してき隣接ヨルダンは、2018年8月にナスィーブ・ジャービル国境通行所を再開し、難民帰還を推し進めるなかで、シリア政府との距離を縮めていった。2019年1月になると、同国は臨時代理大使のシリアへの派遣を決定した。

パレスチナのハマースは、抗議デモに容赦ない弾圧を加えたシリア政府と断交し、ハーリド・ミシュアル政治局長(当時)ら幹部が長年にわたって滞在していたシリアを後にしていた。また、ダマスカス県南部にあるヤルムーク・パレスチナ難民キャンプでは、ハマースに近い勢力(アクナーフ・バイト・マクディス大隊)が、シャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放機構)が主導する反体制派と連携し、シリア軍(そしてそれに近しいパレスチナ諸派)と対峙した(「シリア版「パレスチナ難民キャンプ戦争」の決着:シリア情勢2018(5)」を参照)。

だが、ハマースは、イランやヒズブッラーの仲介でシリア政府との関係改善を模索するようになった。イブラーヒーム・ハニーヤ政治局長は7月20日、「強いシリアが復活し、健全さを取り戻して欲しい」と述べた。

パレスチナ自治政府、そしてそれを主導するファタハもこれまで以上に好意的な姿勢を示すようになった。マフムード・アッバース大統領は2月、「我々はシリアのアラブ連盟復帰を支持する」と表明した。ファタハ中央委員会のアッザーム・アフマドも7月、「アッバース大統領はバッシャール・アサド大統領と常に連絡を取り合っており、シリア訪問を望んでいる」と述べた。

湾岸諸国では、UAEとクウェートがシリア政府と関係改善を模索した。

2018年12月に首都ダマスカスにある大使館を再開し、関係を改善していたUAEは、2019年3月にダマスカス県郊外サブーラ町での観光プロジェクト「ハムス・シャーマート」(五つの頬ほくろ)を再開し、40億米ドルの投資を決定した。また、駐シリアUAE臨時代理大使が12月、シリア政府を「賢明な指導部」と賞賛した(ビデオ)。さらに同月には、UAE当局がトルコのシリア北東部侵攻を支持していた反体制系のシリア人ビジネスマンを拘束した。

クウェートは、大使館の再開には踏み切っていないが、8月、シリア政府支配地域での農業支援のために300万米ドルを供与することを決定した。

サウジアラビアとカタールの姿勢にも変化

サウジアラビアとカタールの姿勢にも変化が見られた。

3月にヨルダンの首都アンマンで開催されたアラブ議会連盟大会において、サウジアラビアの代表は、出席したシリアのハムーダ・サッバーグ人民議会議長に「ようこそ、アラブ議会連盟大会への復帰を歓迎する。シリアが平和でありますように」と祝辞を述べた。アラブ議会連盟にシリアの代表が出席を認められたのは2011年以降初めてだった。

デタントの兆しは、サウジアラビアの衛星テレビ局アラビーヤ・チャンネルが3月に、反体制派を「テロリスト」、イランの民兵を「武装勢力」と呼んだことからも感じ取れた。また12月には、与党バアス党の支持基盤の一つであるシリア記者連合のムーサー・アブドゥンヌール総裁が、サウジアラビアの首都リヤドで開催されたアラブ記者連合事務局の会合への出席を果たした。

リヤドを訪問したアブドゥンヌール・シリア記者連合総裁(Facebook、2019年12月5日)
リヤドを訪問したアブドゥンヌール・シリア記者連合総裁(Facebook、2019年12月5日)

カタール政府の厳しい姿勢は続いた。だが、カタール航空が7月、シリア上空への旅客便の通過を再開、1機あたり150米ドルのシリア上空通過料をシリア当局に支払うようになった。

サウジアラビアとカタールは、シリアのアラブ連盟への復帰に今も反対し続けていると言われる。ヨルダンのマムドゥーフ・アバーディー元副首相は、1月31日に死海で開催されたアラブ6カ国(エジプト、サウジアラビア、ヨルダン、UAE、クウェート、バハレーン)外相会議で、サウジアラビアがシリアの連盟復帰要請に応じなかったことを明らかにしている。だが『シャルク・アウサト』紙は「米国と西欧諸国が、シリアとの関係修復をめざすアラブ諸国に対して、ブレーキをかけるよう忠告してきた」と伝えており、サウジアラビアの強硬な姿勢が本意ではないことを示唆している。

強まるイラクとの関係

シリア政府との断交に至らなかった国との関係はさらに強まった。その筆頭がイラクだ。

イラクは、イスラーム国に対する「テロとの戦い」において、ロシア、イラン、そしてシリア政府とともに4カ国情報交換センターを設置するとともに、「イランの民兵」の一角をなすイラク人民動員隊を派遣し、軍事・治安面でシリア政府と連携してきた。

両国関係は、2019年に入ると経済・通商面でも強化された。9月30日、両国は2013年以来閉鎖されていたユーフラテス川西岸のブーカマール・カーイム国境通行所を正式に再開させた。

だが、こうした動きはイラン版一帯一路の確立に向けた動きと捉えられ、「「イランの民兵」封じ込めと油田防衛:シリア情勢2019(8)」で述べた通り、9月以降、所属不明の戦闘機がダイル・ザウル県南東部やイラクのアンバール県に展開する「イランの民兵」への爆撃を頻発させた。

ブーカマール・カーイム国境通行所(Alsumariya TV、2019年9月30日)
ブーカマール・カーイム国境通行所(Alsumariya TV、2019年9月30日)

イランの首都バグダードで2020年1月2日に行われた米軍によるイラン・イスラーム革命防衛隊ゴドス軍団のガーセム・ソレイマーニー司令官とイラク人民動員隊のアブー・マフディー・ムハンディス副司令官の殺害は、こうした流れのなかで発生した。

続く欧米諸国の制裁

アラブ諸国とシリア政府のデタント(の兆し)は、欧米諸国の姿勢にも若干の変化をもたらした。例えば、フランスのルーヴル・ホテル・グループは9月、首都ダマスカスにある二つのホテルを経営するための投資契約を交わしたと発表した。

しかし、欧米諸国政府との関係は冷え切った状態が続いた。米国は2011年4月末から、EUは2011年5月から、アサド大統領本人をはじめとする政府、軍の高官、そして政府を支援する企業や個人に資産凍結や渡航禁止といった制裁を科してきたが、それを維持・強化したのである。

EUは3月、イマード・ハミース内閣(2018年11月に改造)の新閣僚7人を新たな制裁対象とした。また5月には、269人、69機関に対する制裁を2020年6月まで延長することを決定した。

米国は、抗議デモ弾圧、化学兵器など大量破壊兵器の開発・使用への荷担などを根拠としたそれまでの制裁に加えて、新たな措置に踏み切った。ドナルド・トランプ米大統領は、12月20日、シリア政府、ロシア、イランへの制裁を目的とする「2019年カイザー・シリア市民保護法」を施行したのである。

カイザー・シリア市民保護法案は、2016年に超党派の議員によって提出された法案で、シリア国民に対する犯罪を続けるシリア政府・軍の高官、シリアを後援する個人・法人、そしてシリア政府を支援するロシア、イランなど諸外国の個人・法人に対して制裁を科すことを定めていた。「カイザー」(アラビア語でカイサル)とは、2011年3月から2013年8月にかけてシリア国内の刑務所で11,000人が体系的に処刑されたことを示すとされる写真55万枚を撮影し、シリア軍憲兵隊を離反したとされるカメラマンの偽名で、写真は、2014年1月に「シリア現体制による収監者の拷問と処刑の確かな証拠についてのレポート」として発表されていた。

欧米諸国は、アサド政権にあからさまに退陣を迫ることを止め、反体制派の武装活動への支援も控えるようになった。だが「政治移行なくして、復興支援は行わない」との姿勢を維持し、シリア政府との没交渉を貫いた。

長らく続いた参謀総長の不在

アラブ諸国とのデタントは、国際社会におけるシリアの主権国家としての地位回復に繋がる動きとして捉えることができる。しかし、その反面、8年にわたる紛争で疲弊したシリア政府は、ロシアやイランの傀儡だと中傷された。国民からの支持を失って久しい「独裁体制」は、ロシアとイランの全面支援がなければ、いとも容易に瓦解し、「自由」と「尊厳」という「シリア革命」の正義が実現していたはずだ――反体制派の主張は概ねこうしたものだった。

2019年には、こうした見方に加えて、シリア政府の存続という共通の目標を達成したロシアとイランが、シリアへの影響力行使をめぐって主導権争いを激化させているとの指摘が散見されるようになった。

その典型例が参謀総長の人事だった。

アサド政権発足(2000年7月)以降、シリアでは参謀総長は副参謀長が昇進するかたちで就任してきた。これは、軍・ムハーバラートとの個人的な人間関係を重んじ、サプライズ人事を行う傾向が強かった父ハーフィズ・アサド前大統領とは異なるアサド大統領独自の手法で、「制度重視の思考」(アラビア語で「フィクル・ムアッササーティー」)などと称された。

だが、2018年11月26日にアリー・アブドゥッラー・アイユーブ参謀総長(2012年7月18日就任)が国防大臣に任命されて以降、参謀総長の不在という状態が長らく続いた。あるいは今も続いている。

このような曖昧な書き方をするのは、一部メディアが2019年4月にサリーム・ハルバー少将(副参謀総長兼アレッポ最高委員会議長)の参謀総長就任を伝えたにもかかわらず(「シリア軍をめぐる「謎」:なぜ参謀総長は不在だったのか?」を参照)、この人事について公式発表がなされておらず、事実確認もとれていないためである。

ハルバー少将(Zamanalwsl.com、2019年4月17日)
ハルバー少将(Zamanalwsl.com、2019年4月17日)

陸・海・空・防空部隊の指揮命令系統を統括する参謀総長が不在というのは常識では考えられない事態で、その理由をめぐってはさまざまな憶測を呼んだ。

イスラエルの国家安全保障研究所(INSS)は「ロシアとイラン:シリアの蜜月は終わりか?」(2019年5月27日)という報告書のなかで、参謀総長人事をめぐって、ロシアとイランの間に軍人事をめぐる主導権争いがあるとしたうえで、ロシアに近いとされるハルバー少将が参謀総長に就任したことで、イランやヒズブッラーに近い軍幹部の影響力が低下しつつあると指摘した。

ムハーバラートの人事

軍とムハーバラート(諜報機関、治安維持警察、武装治安組織の総称)での大幅人事改編についての報道もこうした憶測に説得力を与えた。

ロシア・トゥデイ(RT)が7月8日に伝えたところによると、その内容は以下の通りである(詳細は「シリア:軍・ムハーバラートで異例の大規模人事異動、ロシアが介入か?」を参照)。

  • アリー・マムルーク国民安全保障会議議長(少将)が副大統領に内定(安全保障担当に任命される模様)。
  • マムルーク国民安全保障会議議長の副大統領就任内定を受けて、総合情報部長を務めてきたディーブ・ザイトゥーン少将が後任の国民安全保障会議議長に任命。
  • ジャミール・ハサン空軍情報部長(少将)が解任され、ガッサーン・ジャウダト・イスマーイール少将が後任の空軍情報部長に任命。
  • ディーブ・ザイトゥーン総合情報部長(少将)が解任され、政治治安部長を務めてきたフサーム・ルーカー少将が後任の総合情報部長に任命。
  • ルーカー少将の異動を受けて、ナースィル・アリー少将が後任の政治治安部長に任命。
  • サフワーン・イーサー刑事治安局長(少将)が解任され、ナースィル・ディーブ少将が後任の刑事治安局長に任命。

このうち、マムルーク国民安全保障会議議長とザイトゥーン総合情報局長(そしてルーカー少将とアリー少将)の異動は、その後(7月10日)RTが事実に反するとして訂正した。

だが、レバノンのオンライン新聞『ムドン』は7月8日、ハサン空軍情報部長の解任に関して、ロシアの関与があったと伝えたのだ。

同紙によると、ハサン少将は、6月30日にゴラン高原のウンム・ルーカス村(クナイトラ県)で行われた第5軍団司令部とイスラエル軍諜報機関代表との秘密会合に先立って、ロシアから、イスラエルの提案を受け入れる見返りとして、空軍情報部長職に1年とどまるか、提案を拒否して辞任するかのいずれかを選ぶように迫られたのだという。

イスラエルの提案とは、ロシアの監督のもと、シリア政府と和解した反体制武装集団を中心に編成された第5軍団のシリア軍への完全統合、ゴラン高原の兵力引き離し地帯から55キロ以内の地域からの「イランの民兵」の撤退、撤退に反対する「イランの民兵」に対するイスラエル軍の軍事作戦の黙認を骨子としていた。

ハサン少将は、この提案を拒否、空軍情報部長職を解任されたという。

一方、『シャルク・アウサト』は7月11日、複数の反体制筋の話として、シリア政府が最近、ロシアの提案を受けて、内務省総合情報局内に「第801課」なる新たな部局を新設したと伝えた。第801課は、政府関連施設、大使館、ラジオ・テレビ機構、銀行といった重要施設の警備統括が任務で、シリア国内でのイラン、あるいは「イランの民兵」の動きを制御することが狙いだとされた。

このほかにも、ロシア、イラン、さらには中国が、ラタキア県のラタキア港、タルトゥース県のタルトゥース港やバーニヤース港の施設の「租借」をめぐって競い合っているといった報道もなされた(「シリア:ロシアとの間のタルトゥース港開発事業」(中東調査会・中東かわら版No. 24、2019年4月26日)を参照)。

イラン電撃訪問

ロシアとイランの主導権争いの間で、アサド大統領が冷遇されているといった批判・揶揄も散見された。

アサド大統領は2月25日、イスラーム革命40周年に合わせるかたちで、イランの首都テヘランを電撃訪問し、最高指導者アリー・ハーメネイー師やハサン・ロウハーニー大統領と会談した。

アサド大統領とハーメネイー最高指導者(シリア大統領府、2019年2月25日)
アサド大統領とハーメネイー最高指導者(シリア大統領府、2019年2月25日)
アサド大統領とロウハーニー大統領(シリア大統領府、2019年2月25日)
アサド大統領とロウハーニー大統領(シリア大統領府、2019年2月25日)

この訪問には、イランの外務省は関与しておらず、イラン・イスラーム革命防衛隊ゴドス軍団のソレイマーニー司令官が、ハーメネイー師から直接の指示を受けて調整を行っていた。大統領府さえも、訪問の数時間前まで知らされていなかったという。外交儀礼を無視した招待は、「宗主国からの呼び出し」だと批判され、ロウハーニー大統領との会談でシリア国旗が飾られていなかったことがその証左だとされた。

なお、アサド大統領のイラン訪問を知らされていなかったモハンマド・ジャワード・ザリーフ外務大臣は2月25日、抗議の意志を示すために辞意を表明した。これに対して、ワリード・ムアッリム外務在外居住者大臣が27日にザリーフ外務大臣に電話会談を申し入れ、これと合わせて、在イラン・シリア大使が同大臣にシリアへの招待状を手渡したことも、「属国としての気遣い」だと揶揄された。

プーチン電撃訪問

ロシアとの関係でも、似たような非難がなされた。

2020年1月7日、ヴラジミール・プーチン大統領が東方教会のクリスマスに合わせて、2度目となるシリアを電撃訪問した。しかし、プーチン大統領は、首都ダマスカスにある駐留ロシア軍本部にアサド大統領、アリー・アブドゥッラー・アイユーブ国防大臣を呼び出し、戦況報告会を行ったのち、市内の史跡を訪問、シリアを後にしたのである。

プーチン大統領の1度目の電撃訪問、すなわちイスラーム国との「テロとの戦い」における勝利宣言を行った2018年12月11日のラタキア県フマイミーム航空基地への訪問についても、演壇の後ろで待たされるアサド大統領の写真が2019年2月に拡散され、嘲笑の的になった。

フマイミーム航空基地でのアサド大統領(Eldorar.com、2019年2月22日)
フマイミーム航空基地でのアサド大統領(Eldorar.com、2019年2月22日)

2度目の電撃訪問では、スペインで亡命生活を送るリフアト・アサド元副大統領の次男のドゥライド・アサド弁護士が、フェイスブックでのアカウントで、プーチン大統領の侮辱に沈黙し続けるいとこをこう批判した。

プーチン大統領が外交儀礼や主権を無視するという過ちを犯したのは、これが2度目だ。(2018年12月に)シリアを訪問し、シリア海岸地方(ラタキア県)にあるロシア軍基地で(アサド)大統領と会談したのが1度目で、2度目の訪問では(ダマスカスにある)ロシア軍司令部でそれを行った。

シリア政府は、ロシアやイランには、欧米諸国のような覇権主義・拡張主義的な志向はなく、国際法の諸原則に従って、支援してくれている、と主張する。

しかし、国際政治において、真の友人は存在しない!

シリア内戦における実質的な勝者となるであろうシリア政府が、反体制派、クルド民族主義勢力、そしてイスラーム国が欧米諸国、アラブ湾岸諸国、そしてトルコによって利用され、使い捨てられたと同じように、悪しざまに扱われることが、ロシアやイランの支援への見返りになるようなことがあれば、それは、シリア全体の敗北を意味するのである。

終わり