ポスト・イスラーム国段階の混乱、翻弄されるクルド、矛盾する二つの正義:シリア情勢2018(9最終回)

(写真:ロイター/アフロ)

「「戦争なし、平和なし」の新秩序――懲りないイスラエル、退かない「抵抗枢軸」」の続き)

 「国際社会最大の脅威」と目されたイスラーム国は、2017年12月までにシリア(そしてイラク)領内の主要な支配地を失い、2018年のシリアは「ポスト・イスラーム国段階」とでも呼ぶべき局面を迎えることになった。だが、これによってもたらされたのは、新たな混乱だった。

ユーフラテス川東岸での「テロとの戦い」のその後

 イスラーム国は事実上壊滅したが、彼らに対する「残党狩り」は続いた。「シリア版「パレスチナ難民キャンプ戦争」の決着」「世紀の取引、革命発祥の地の陥落」で述べた通り、シリア軍は、ハマー県北東部、ヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ、ダルアー県南西部、スワイダー県東部で掃討戦を続け、11月半ばまでにイスラーム国を根絶することに成功した。

 一方、イラク国境に近いダイル・ザウル県南東部ユーフラテス川東岸(ハジーン市、シャアファ市、スーサ町、バーグーズ村など)では、米国が主導する有志連合とシリア民主軍が「テロとの戦い」を続けた。両軍はイラク軍との連携も強化、8月にはイラクとの国境線を制圧するなどして、イスラーム国最後の支配地への包囲を強めていった。

 シリア民主軍は最終決戦を挑むべく、9月11日に「テロ駆逐の戦い」と銘打った新たな作戦を開始し、有志連合も爆撃を強化した。白リン弾も使用されたこの爆撃では、多くの民間人が巻き添えとなって死亡した。だが、イスラーム国は持ちこたえた。ロシアやシリア政府は、米国がイスラーム国を温存させることで、混乱を長引かせ、シリアに居座ろうとしていると非難した。

2018年1月2日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/01/5553/)
2018年1月2日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/01/5553/)
2018年6月4日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/06/7110/)
2018年6月4日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/06/7110/)
2018年9月11日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/09/7918/)
2018年9月11日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/09/7918/)
2018年10月2日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8095/)
2018年10月2日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8095/)
2018年10月27日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8289/)
2018年10月27日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8289/)
2018年10月31日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8319/)
2018年10月31日のダイル・ザウル県南東部の勢力図(http://norsforstudies.org/2018/10/8319/)

二つの「協力部隊」、二つの目的

 この非難の通り、米国はイスラーム国と戦う「協力部隊」(partner forces)を支援するとして、シリア各地に2000人規模の部隊を駐留させていた。

 「協力部隊」は二つに分けられた。

 第1は前述のシリア民主軍である。2015年半ばに米国の肝煎りで結成されたこの連合体は、クルド民族主義勢力の民主統一党(PYD)が民兵として結成し、同党が主導した暫定自治政体の西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ、2014年発足)の武装部隊となった人民防衛隊(YPG)を主力とした。米国はこのシリア民主軍(あるいはYPG)に武器供与や技術支援を行うとともに、その制圧地に二つの航空基地を含む10の基地を建設した。米軍以外にも有志連合に参加する英国、フランスが同地に部隊を駐留させた。

シリア国内の米軍基地(筆者作成)
シリア国内の米軍基地(筆者作成)

 第2は「ハマード浄化のため我らは馬具を備えし」作戦司令室、あるいは「自由シリア軍砂漠諸派」の名で知られた反体制派である。革命特殊任務軍、東部獅子軍、カルヤタイン殉教者旅団、殉教者アフマド・アブドゥー軍団などからなる彼らは、2016年に有志連合とともにヒムス県南東のタンフ国境通行所を制圧、同地を中心とするいわゆる55キロ地帯で活動を続けた。

 その目的は、イスラーム国と戦うことではなく、イランの影響力拡大を阻止することにあった。タンフ国境通行所は、イラクの首都バグダードとダマスカスを結ぶ主要幹線道路上に位置しており、シリア政府が同地の反体制派を放逐すれば、テヘラン、バグダード、ダマスカス、ベイルートが陸路で結ばれ、「抵抗枢軸の大動脈」が出現する――米国はこうした事態に危機感を覚えていたのである。

 だが、イスラーム国の消滅が確実なものとなると、ドナルド・トランプ米大統領は駐留部隊の撤退を模索、国防総省や軍と不協和音を奏でるようになった。米政権内で、イランの影響力拡大阻止やシリアでの政治移行が撤退の条件として強調され、米軍駐留の必要を訴える発言が繰り返されるようになったのはそのためだった。バッシャール・アサド政権の退陣を不問にするようになっていた米国が、駐留(そして干渉)を正当化し続けるため、イスラーム国に代わる新たな口実を探そうとしていることは誰の目からも明らかだった。

揺れる米国の政策、反発するトルコ

 撤退の是非をめぐって揺れる米国が2018年に入って最初に行った政策は「国境治安部隊」(Border Security Force)設置・教練の試みだった。この部隊は、シリア民主軍を中心とする3万人によって構成され、イスラーム国の勢力回復阻止するため、シリア民主軍の制圧地を囲い込むように、トルコ、イラクとの国境地帯、そしてユーフラテス川流域に展開するとされた。

 次に行ったのは、部隊駐留にかかる負担軽減の試みだった。これは湾岸諸国に資金拠出や部隊派遣を求めるかたちで推し進められた。米国の要請を受け、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)は11月に地上部隊を派遣したと報じられた。

 その一方で、シリア軍、「イランの部隊」、さらにはロシアが、ダイル・ザウル県南東部のユーフラテス川東岸への勢力伸長を企図するような動きを見せると、米国は厳しい姿勢で臨んだ。米国は1月から5月にかけて、シリア軍や「イランの部隊」の拠点に対して幾度となく爆撃を行い、その動きを牽制した。それだけでなく、2月7日、ユーフラテス川東岸の油田地帯への進攻を試みたとされるロシア民間軍事会社の「傭兵」に激しい爆撃を加え、西側メディアによると300人を殺傷した。

 こうした強硬姿勢にもっとも強く反発したのは、シリア政府でもなければ、ロシアでもなく、トルコだった。

 PYD、YPG、シリア民主軍、ロジャヴァの一切をクルディスタン労働者党(PKK)と同根の「テロ組織」とみなすトルコは1月、国境治安部隊の是非をめぐる米国との応酬を通じて、設置構想そのものを中止に追い込むだけでなく、ロジャヴァの支配下にあったアレッポ県アフリーン郡への軍事侵攻と占領を黙認させた(「トルコのアフリーン郡侵攻、漁夫の利を得るシリア政府」を参照)。

 トルコはその後も、シリア民主軍への支援中止を米国に強く求め、アフリーン郡の次はアレッポ県東部ユーフラテス川西岸のマンビジュ郡、さらにはユーフラテス川東岸から「テロ組織」を排除すると凄んだ。

 米国とトルコは6月4日、マンビジュ郡の処遇にかかる行程表に合意し、歩み寄りを試みた。この合意は、マンビジュ郡からのYPGの撤退、同郡とトルコ占領下のいわゆる「ユーフラテスの盾」地域の境界地帯での合同パトロールの実施、米軍監視所設置などを骨子としていた。だが、最重要項目であるYPGの撤退は履行されなかった。シリア民主評議会傘下のマンビジュ軍事評議会はYPGの顧問を退去させたと宣言したが、「オリーブの怒り」作戦司令室やアフリーン解放軍団を名のる組織が、トルコ軍やその支援を受ける反体制派への攻撃を続けた。トルコは米国が合意を遵守していないと批判、12月に入ると、マンビジュ郡とユーフラテス川以東に進攻する作戦を準備し、再び米国に圧力をかけていった。

新たな自治政体に向け奔走するPYD

 トルコと米国の確執が続くなか、翻弄されたのは言うまでもなくPYDだった。

 シリア民主軍の支配地が拡大を続けていた2017年半ば、PYDはロジャヴァに代わる恒久自治政体の北シリア民主連邦の樹立に向けて舵を切り、連邦議会に相当する民主諸人民大会の発足に向けた準備を進めていた(拙稿「シリアにおける分権制・連邦制の行方:アサド政権vsクルド民族主義組織PYD」『国際情勢』第89号、2019年3月、pp. 115-138を参照)。だが、2018年1月にトルコ軍がアフリーン郡に侵攻したことで、民主諸人民大会の選挙は中止され、北シリア民主連邦構想そのものも頓挫した。

北シリア民主連邦樹立に向けた準備選挙(ANHA, December 5, 2018)
北シリア民主連邦樹立に向けた準備選挙(ANHA, December 5, 2018)

 シリア民主軍の支配地は、その後しばらく、捉えどころのない多重統治の下に置かれた。ロジャヴァの暫定自治は継続される一方、アラブ人が多いラッカ県、ダイル・ザウル県の各所には民政評議会が設置されていった。その一方で、シリア民主軍の政治母体として2015年末に発足していたシリア民主評議会が存在感を増し、2018年7月にシリア民主軍の支配地域全域の統治を目的とする新たな自治政体を樹立することを決定した。

 シリア民主評議会はまた、米国を牽制するかのように、シリア政府への接近を試みた。両者は7月に代表者会合を行い、シリア民主軍の支配地にあるルマイラーン油田(ハサカ県)やタブカ・ダム(ラッカ県)の共同管理、ハサカ県産原油のシリア政府支配地域での精製、ハサカ市とカーミシュリー市(ハサカ県)での合同検問所の設置など、経済、治安面で関係を強めるようになった。

 だが、自治や分権制をめぐる協議は難航した。8月に行われた代表者会合において、シリア政府は中央集権体制下での地方自治拡大を提案し、シリア民主評議会に既存の国家の枠内で活動するよう求めた。これに対して、シリア民主評議会は、中央政府を置かない連合制(confederalism)への政治移行を模索し続けた。

 両者の協議は、シリア政府支配地域での統一地方選挙(9月16日投票日)の日程を見据えて繰り返され、一時はシリア民主評議会の選挙への参加の可能性も取りざたされた。だが、シリア民主評議会は最終的に選挙をボイコットし、シリア政府の支配下に復帰することを拒否した。

 それだけでなく、シリア民主評議会は投票日直前の9月6日、新たな自治政体の北・東シリア自治局の樹立を宣言した。自治局は、ロジャヴァや各地の民政評議会の代表70人からなる意思決定機関(議会に相当)の総務評議会と、16の委員会と局(省に相当)から構成される執行機関(政府に相当)の執行評議会を持ち、12月に活動を開始した。

北・東シリア自治局樹立(ANHA, September 6, 2018)
北・東シリア自治局樹立(ANHA, September 6, 2018)

 北・東シリア自治局樹立宣言を受けて、シリア政府とPYDの関係は一時緊張した。9月8日には治安部隊(アサーイシュ)がシリア軍に発砲、兵士10人以上を殺害した。また、25日にもハサカ市でシリア民主軍とシリア軍が衝突した。しかし、トルコの圧力を前に、両者はほどなく歩み寄った。シリア政府は「クルド政体は認めない」との厳しい態度を示しつつも、11月半ばには、自国領内であるはずのハサカ市に外務在外居住者省所轄の領事局事務所を開設した。

トランプ爆弾

 PYDがトルコとシリア政府の板挟みになるなか、最大の後援者である米国が、彼らへの支援を強化して然るべきだった。だが、米国は真逆の行動をとった。12月19日、トランプ大統領は、政権内の反対意見を押し切るかたちで、駐留米軍の即時完全撤退を決定し、一部の部隊の撤退を開始したと発表したのだ。

 この決定は、何よりもトルコを利するものだった。侵攻作戦の実施への青信号と理解し得るものだったからだ。事実、トルコ軍は国境地帯に部隊を増派する一方、米軍の撤退完了を合図に侵攻を開始する構えを見せた。

 これに対して、シリア民主軍は19日、「背中を刺された」と不快感を露わにした。シリア民主評議会も、国境地帯に飛行禁止空域を設定し、トルコの侵入を阻止するよう有志連合に呼びかける一方、トルコに国境地帯を奪われれば、ダイル・ザウル県南東部でのイスラーム国との戦いに支障が生じるだけでなく、収監中のイスラーム国のメンバーを拘置し続けられなくなると「脅迫」した。

 それだけではなかった。シリア民主軍は12月21日、「米国がいなくなればシリア国旗を掲げる」と表明、シリア政府とロシアに歩み寄る姿勢を見せたのだ。

 この発言に応えるかのように、シリア軍は28日に声明を出し、マンビジュ市とトルコ占領下のバーブ市を結ぶ街道沿いに位置するアリーマ町一帯に展開したと発表した。YPGも同日に声明を出し、「マンビジュ郡から撤退し、ユーフラテス川東岸などでイスラーム国をはじめとするテロ組織との戦いに専念することを宣言する」と発表し、シリア軍を受け入れた。また、2019年1月に入ると、同地にロシア軍憲兵隊が展開し、シリア民主評議会傘下のバーブ軍事評議会と合同パトロールを実施し、トルコ軍の侵攻を抑えようとした。

シリア国旗が掲揚されたアリーマ町(SyrianReporter, August 28, 2018)
シリア国旗が掲揚されたアリーマ町(SyrianReporter, August 28, 2018)

 ジェームズ・マティス国防長官やブレット・マクガーク大統領特使の辞任を招いたトランプ大統領による撤退決定は、撤退の日程や部隊の撤退先をめぐる調整が進められる過程で、徐々に語気が薄められていった。そして2019年2月22日、トランプ大統領が「方針は覆していない…。だが、我々は、北大西洋条約機構(NATO)の部隊であれ何であれ、他国の部隊とともに小規模な部隊を残すことはできる」と発言することで、事実上撤回された。

 「トランプ爆弾」とでも言うべきトランプ大統領の言動に振り回された2ヶ月だったが、その間、当事者たちは、米国がシリアから去ったら何が起きるか、そしてそれにどう対処すべきかをシミュレーションする機会を期せずして得た。

 トルコはロシア(そしてシリア政府)との新たな取引なくして、新たな侵攻作戦を行い得ないことを、PYDは米国に依存し続けることが危険な賭けで、シリア政府やロシアに歩み寄るために何を譲歩しなければならないかを再認識した。シリア政府も、トランプ大統領の決定を有名無実化してまで、シリアで得た既得権益を温存しようとする米国の「ディープ・ステート」の存在感を改めて思い知らされた。

復興の基軸に据えられた難民・IDPsの帰還

 とはいえ、2018年は、戦闘が収束に向かうなかで、復興への道筋が徐々に見え始めた年でもあった。

 復興を主導したのは、言うまでもなくロシアとシリア政府だった。両国は、ロシアが7月に国防省と外務省を主体とする合同調整センターを、シリア政府が8月にシリア国外難民帰還調整委員会を設置し、難民と国内避難民(IDPs)の帰還支援を本格化させることで、これを復興の基軸に据えていった。

 シリア政府はまた、難民の多くが、治安の悪化や戦闘に巻き込まれることを恐れて避難していたことを踏まえて、治安の回復やインフラ整備を行う一方、兵役に対する成人男性の懸念を払拭しようとした。アサド大統領は10月、2018年政令第18号を施行し、国内外に逃亡した兵役忌避者への恩赦を決定、シリア軍は12月末までに2013年以前に召集された予備役を解除した。

 SANAは恩赦を経て社会復帰する反体制派や徴兵忌避者の様子を頻繁に報じた。これに対して、反体制派は、当局が和解に応じた反体制派や若者を不当に逮捕し、兵役につかせていると主張した。

 その一方で、シリア政府は3月、開発地域内の私有化接収と所有者への配当金補償を骨子とする法律第10号(都市再開発法)を施行した。だが、これは、帰還できない難民・IDPsの財産を没収するものだとの批判を内外で招いた。米国、西欧諸国、アラブ諸国、オーストラリア、日本など40カ国は7月、この法律への正式な抗議文書を国連安保理議長と事務総長に提出した。

 なお、こうした政策の是非はともかくとして、ロシア合同調整センター所轄の難民受入移送居住センターによると、南西部での戦闘収束の目処が立った7月18日から12月31日までに帰国した難民は8万4505人に達した(うちレバノンからの帰国者は3万7056人、ヨルダンからの帰国者は4万7449人)。また、IDPsは18万6234人が反体制派やシリア民主軍の支配地、そしてシリア政府が運営する収容センターから帰還した。

「革命」を妨げるもの、復興を妨げるもの

 こうしたなか、シリア政府と断交してきた国も、難民帰還支援や復興参入に前向きな姿勢を見せるようになった。

 11月16日に開催されたロシア合同調整センターとシリアの国外難民帰還調整委員会の合同会合の発表によると、国内各所で着工された復興事業は236件を数え、その資本総額750億シリア・ポンド(約160億円)に達した。事業を推進したのは、シリア政府との関係を維持してきたロシア、イラン、中国、インド、インドネシア、北朝鮮、オマーン、エジプト、レバノン、アルジェリア、イラクといった国だけではなかった。制裁を続けるドイツ、カナダ、英国、カタール、オーストラリア、クウェート、UAE、ヨルダン、サウジアラビア、トルコ、バハレーンも参入を開始していた。

 このなかで、もっとも積極的に復興に参与しようしたのは、サウジアラビアとカタールを除くアラブ諸国だった。レバノンは8月、難民の自発的帰国を促すとして、各地に帰国希望者申請受付センターを開設した。ヨルダンも、シリア政府、ロシアとの調整を経て、10月15日、ジャービル国境通行所(シリア側はナスィーブ国境通行所)を再開した。

 ヨルダンは、南西部からのホワイト・ヘルメットの脱出を支援していたが(「世紀の取引、革命発祥の地の陥落」を参照)、9月になると、その活躍を描いたドキュメンタリー映画「アレッポ 最後の男たち」の上映を禁止し、2019年1月にはダマスカスの大使館への臨時代理大使の派遣を決定するなどして、シリア政府との関係改善に努めた。また、UAEが12月27日、バハレーンが28日にダマスカスの大使館を再開し、関係を正常化、16日には、スーダンのウマル・ハサン・バシール大統領がアラブ諸国の元首としては「アラブの春」波及後としては初となるシリアへの公式訪問を行い、アサド大統領と会談した。

 西側諸国のなかでは、フランスが7月、ロシアを仲介して、ダマスカス郊外県東グータ地方の住民に対して人道支援物資5トンを提供した。また日本も、8月に世界保健機関(WHO)を通じてハイテク医療機器を供与、9月には国連開発計画(UNDP)を通じて東グータ地方のハラスター市などの住民への人道支援として500万米ドルを拠出した。これらの支援は、純粋に人道的な動機に基づくとされたが、シリア政府との関係改善を見据えたものであることは明らかだった。

 だが、欧米諸国は、政治移行が実現しなければ「1ドルたりとも支援しない」との立場を貫き、復興への参与と難民帰還のいずれに対しても消極的だった。なかでも、米国は、難民の帰還をあからさまに妨害する行為をとった。

 ヨルダン南東部のルクバーン・キャンプがその現場となった。

 4万人とも5万人とも言われるシリア難民が身を寄せているこのキャンプは、米軍が駐留する55キロ地帯の後背地に位置し、米国の支援を受ける「ハマード浄化のため我らは馬具を備えし」作戦司令室に所属する反体制派が活動拠点を置いていた。

 欧米諸国は、シリア政府がこのキャンプへの人道支援の搬入を妨害しているとの喧伝を繰り返してきた。だが、事実は逆だった。シリア政府とロシアは、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)やヨルダンとともに、人道支援、難民の移送、反体制派の退去・投降に向けて努力を重ねた。だが、これらの活動は、キャンプへの接近を禁じる米国と反体制派によってことごとく阻止された。米国が、55キロ地帯を経由したUNHCRとシリア赤新月社によるキャンプへの人道支援物資搬入や医療支援を許可したのは11月の1度だけだった。しかも、同盟国であるヨルダンを経由して米国が人道支援を行うことはなかった。

 ロシアやシリア政府は、55キロ地帯が、反体制派だけでなく、イスラーム国のシェルターとなっており、難民が「人間の盾」として利用されていると非難した。当初プロパガンダだと思われていたこの主張は、実は的を射ていた。

 ルクバーン・キャンプの問題は、収束しつつあるシリア内戦をめぐる「正義」がもたらす矛盾を体現していた。

 「シリア革命」の論理に基づくと、独裁打倒を経て、自由と尊厳が実現して、初めて復興に機会が与えられる。それが革命の「正義」だ。

 だが、それは幻想に過ぎない。

 シリア政府、反体制派、シリア民主軍のいずれが支配者であろうと、戦闘が収束した地域で、生活再建を進められ、難民・IDPsが帰還を試み、それを支援する動きが広まる――これが現実だからだ。その原動力は、日常を取り戻そうとする人々の意志であり、それは、弾圧、爆撃、そして包囲に喘いできた人々の不屈の精神と何ら変わるものではない。こうした人々にとって、復興もまた「正義」なのである。

 2018年のシリアにおける悲劇は、人々の意志から発する二つの「正義」が衝突し合い、米国に代表される諸外国の介入の口実として利用されることで、人々を苦しませ続けていることにある。

(終わり)