誰も望まなかったイドリブ総攻撃:シリア情勢2018(7)

(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

「世紀の取引、革命発祥の地の陥落」の続き)

 革命発祥の地ダルアー市を含む南西部が堕ちたことで、反体制派の支配地はイドリブ県、ラタキア県北東部、ハマー県北部、アレッポ県西部からなる緊張緩和地帯第1ゾーンだけとなった。トルコと米国がそれぞれ占領していたアレッポ県北部(いわゆる「ユーフラテスの盾」地域と「オリーブの枝」地域)やヒムス県南東のタンフ国境通行所一帯(55キロ地帯)とは異なり、同地は、アスタナ会議の枠組みのなかで、停戦と和解(つまりはシリア政府支配下への復帰)がめざされていた。それゆえ、シリア軍の総攻撃に晒され、他の緊張緩和地帯と同じ運命を辿ると思われていた。だが、この予想は良い意味でも悪い意味でも外れた。

最後の牙城

 シリア内戦は当初、政府と反体制派の二項対立として描かれ、イスラーム国が台頭して以降は三つ巴の戦いと評された。この解釈において、体制打倒をめざす反体制派、さらには彼らの支配下での生活を選んだ人々は、「反体制派」という言葉で十把一絡げにされることが多かった。反体制派やその支配地の内実に踏み込み過ぎると、複雑なシリア情勢がかえって理解しづらくなるというのが、過剰一般化の主な理由だった。だが、反体制派(支配地)の実態に目を向けなければ、戦闘がどのように収束していったのかを的確に理解することはできない。

 反体制派と総称されてきた雑多な集団は、独裁に対して立ち向かう「革命家」などではなく、アル=カーイダ系の「テロ組織」にハイジャックされて久しい――これが実態であって、それがもっとも顕著なのがイドリブ県だった。

 イドリブ県は、2015年3月にファトフ軍を名のる連合体が全域を掌握した。この連合体は、シャーム解放機構(当時の呼称はシャームの民のヌスラ戦線)、シャーム自由人イスラーム運動、トルキスタン・イスラーム党、ジュンド・アクサー機構などからなり、これらはいずれもアル=カーイダの系譜を汲んでいた。

 2016年末以降、アレッポ市東部、ダマスカス郊外県カラムーン地方、同東グータ地方、ダルアー県、クナイトラ県がシリア軍によって制圧される過程で、シリア政府との和解を拒んだ戦闘員の多くが家族とともに逃れていったのもイドリブ県だった。その数は3万人とも、9万人とも言われた。反体制派内の最強硬派が蓄積していった最後の牙城。それがこの地だった。

 一方、内戦前に150万人だったイドリブ県の人口は、戦闘員や避難民の流入によって300万人に膨れあがった。その数は、シリア軍が武力で制圧したアレッポ市東部の人口(27万人)や東グータ地方の人口(40万人)よりも多かった。避難民、そして地元住民のなかには、反体制派を支持し、活動する者もいた。だが、シリア政府支配地域で暮らすことを選んだ住民と同じく、ほとんどは反体制派を積極的に支持しているわけではなかった。にもかかわらず、シリア軍の総攻撃が始まれば、反体制派と「共生」してきた(あるいは反体制派が「人間の盾」としてきた)彼らが被害を免れることなどできなかった。

離合集散を繰り返す反体制派

 イドリブ県で「虐殺」が起こるともっとも声高に叫んだのは、アル=カーイダの系譜を汲む組織だった。南西部の次は自分たちが狙われる番だと察知していたからだ。南西部の反体制派がシリア政府との協議に応じていくなか、シャーム解放機構は、停戦を「ハラーム中のハラーム」と主張し、抵抗継続を呼びかけた。彼らはまた、シリア軍に二正面作戦を強いようと、ハマー県北部で攻勢を強めた。

 とはいえ、反体制派は一枚岩ではなかった。ファトフ軍として糾合していた彼らは、アレッポ市東部での敗北やアスタナ会議への対応をめぐって対立を続けた(2017年の反体制派のありようについては「混濁続く「反体制派のスペクトラ」/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(13)」などを参照)。

 2018年に入っても状況は変わらなかった。なかでも、シャーム解放機構とシャーム自由人イスラーム運動は鋭く対立し、支配地の争奪戦に終始した。シリア・ムスリム同胞団の系譜を汲みトルコが全面支援するシャーム軍団が両者の和解を試みたこともあったが、奏功しなかった。

 また、フッラース・ディーン機構に代表される新興のアル=カーイダ系組織も台頭し、求心力を高めていった。この組織は、アブー・ハマーム・シャーミーなる人物が2018年2月に結成した。彼はアル=カーイダのメンバーとしてアフガニスタンやイラクでの戦歴を持ち、ヌスラ戦線のメンバーとなった。だが、ヌスラ戦線が2016年7月にアル=カーイダとの関係を解消し、組織名をシャーム・ファトフ戦線に変更したことを不服として離反、アル=カーイダの「再興」をめざした。なお、シャーム・ファトフ戦線は2017年1月、シャーム解放機構に再改称し、今日に至っている。

 濫立する反体制派は離合集散を繰り返した。2月にはシャーム自由人イスラーム運動が、バラク・オバマ前米政権の支援を受け、一時期(2017年1~7月)シャーム解放機構の傘下に身を置いていたヌールッディーン・ザンキー運動と統合し、シリア解放戦線を名のった。シャーム解放機構とシリア解放戦線の戦闘に巻き込まれることを恐れた反体制派14組織は3月、シャーム軍団の傘下に入った。さらに4月には、フッラース・ディーン機構が、イスラーム国とつながりがあるジュンド・アクサー機構(2017年2月に消滅)の残党からなるアンサール・タウヒードとイスラーム・ヌスラ同盟を結成し、「ヌスラ」の名を復活させ、「アル=カーイダらしさ」を誇示した(「ガラパゴス化するシリアのアル=カーイダ系組織」を参照)。

反体制派14組織を吸収したとのシャーム軍団の声明(https://eldorar.com/node/119510)
反体制派14組織を吸収したとのシャーム軍団の声明(https://eldorar.com/node/119510)

国民解放戦線の結成

 反体制派の再編は5月に入ると加速した。シャーム軍団、自由イドリブ軍、ナスル軍など10組織が5月28日、自由シリア軍国民解放戦線の名で糾合したのである。この新たな連合体には、8月1日にシャーム解放戦線(シャーム自由人イスラーム運動、ヌールッディーン・ザンキー運動)、シャームの鷹旅団など5組織が、同月15日には殉教者ムハンマド・サッルーム大隊など11組織が加わり、一大勢力に躍進した。

国民解放戦線への合流を発表する11組織の声明(https://eldorar.com/node/124945)
国民解放戦線への合流を発表する11組織の声明(https://eldorar.com/node/124945)

 自由シリア軍を名のる国民解放戦線の登場により、イドリブ県の反体制派は、同組織に結集した「革命家」と、シャーム解放機構、そしてこれと共闘するトルキスタン・イスラーム党やイッザ軍、さらにはフッラース・ディーン機構、アンサール・タウヒードなどからなる「テロ組織」に整理されたように見える。だが、両者は、アル=カーイダ系組織を包摂している点、欧米諸国、トルコ、サウジアラビア、カタールの支援を受けてきた点で差がなかった。シリア政府は、反体制派がアル=カーイダで、欧米諸国が国際法に違反して彼らを支援していると非難するが、この主張はあながち間違いとは言えなかった。

イドリブ県の反体制派(筆者作成)
イドリブ県の反体制派(筆者作成)

ロシアとトルコの思惑

 だが、国民解放戦線結成にいたる反体制派の再編は、彼らの自助努力ではなく、トルコとロシアの結託の結果だった。

 ロシアは、イドリブ県での停戦を実現することを何よりもめざしていた。それは、同地をシリア政府の支配下に復帰させるためだけではなく、シリア駐留ロシア軍の安全を確保するためでもあった。ロシア軍はラタキア県のフマイミーム航空基地に本部を構えていたが、2018年に入ると反体制派の無人航空機が同地に頻繁に飛来するようになった。ロシア軍は、これらの無人航空機を撃破したが、爆撃の危険を回避するため、反体制派に停戦を遵守させる必要を感じていた。

 一方のトルコは、シリア軍がイドリブ県を力で制圧する動きを食い止めたかった。なぜなら、総攻撃が行われれば、反体制派の大敗は必至で、それはトルコにとっても敗北を意味したからだ。

 最悪のシナリオを回避するため、トルコは、アスタナ6会議(2017年9月)での合意に基づき、シリア政府支配地域に接する緊張緩和地帯の境界に監視所を設置し、シリア軍と反体制派の兵力引き離しに務めた。監視所の設置は2017年10月から2018年5月にかけて行われ、その数は12カ所に及んだ。なお、シリア政府支配地域側の境界には、5月下旬までにロシアも10カ所、イランも7カ所の監視所を設置した。これにより、戦闘は小康状態となり、シリア軍は南西部への攻撃に注力していった。

 実は、国民解放戦線は、こうした動きのなかでトルコがイニシアチブを発揮することで結成された連合体だった。その狙いは、反体制派を「合法的な反体制派」と「テロ組織」に明確に区分することにあった。しかし、峻別の基準は、国連安保理決議第2254号(ジュネーブ会議の起点となった2015年12月採択の決議)が定めるようなアル=カーイダとのつながりの有無ではなかった。

 停戦を実現したいロシアとトルコに意を酌むか否かが重要だった。両国の意を酌めば、アル=カーイダの系譜を汲んでいようがいまいが、シリア軍の攻撃の対象とはならず(あるいはその攻撃は停戦違反とみなされ)、両国の意に反する行動をとれば、「革命家」であっても「テロとの戦い」の標的となった。つまり、国民解放戦線はトルコの意を酌む組織として作り出されたのである。

緊張緩和地帯第1ゾーンに設置されたトルコ、ロシア、イランの監視所(http://norsforstudies.org/2018/05/7060/)
緊張緩和地帯第1ゾーンに設置されたトルコ、ロシア、イランの監視所(http://norsforstudies.org/2018/05/7060/)

奔走するトルコ

 南西部での戦闘が終わると、シリア軍のイドリブ県総攻撃は時間の問題と思われるようになった。事実、緊張は再び高まりを見せた。シリア軍と反体制派の戦闘は徐々に激しさを増し、フマイミーム航空基地への無人航空機の飛来も頻発化した。9月に入ると、シリア軍は、ロシア軍とともに爆撃を再開し、地上部隊を進攻させる準備を本格化させた。シリア政府は和解に応じなければ、総攻撃を行うという強気の姿勢を見せた。

 これに対して、反体制派がとった策は粛清だった。シリア軍の圧力を前に、和解に応じようとする地元名士や住民が現れると、彼らを次々と拘束していったのである。粛清は、シャーム解放機構をはじめとする「テロ組織」だけでなく、「革命家」であるはずの国民解放戦線によっても躊躇なく行われた。自由と尊厳を実現するための「革命」は、今や抑圧の口実となっていた。

 むろん、住民のなかには、徹底抗戦を支持する者もいた。9月に入るとイドリブ県、アレッポ県西部、ハマー県北部の各所で金曜日の午後に抗議デモが行われ、参加者たちは和解拒否を訴えた。

 この光景を「アラブの春」波及当初のデモの様子に重ね合わせた者もいたかもしれない。だが、シリア革命旗(委任統治領シリアの国旗)だけでなく、シャーム解放機構の旗やトルコ国旗が掲げられたデモは、シリア政府支配地域での「官制デモ」と本質は同じだった。住民は、その時々の政治状況のなかで、自らのために賢い選択をする。「官制デモ」に参加し、政府に忠誠を誓うフリをすることもあれば、「逆立ちした官制デモ」に参加し、反体制派を支持するフリをすることもあるのだ。シリアは「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」というカール・マルクスの言葉を地で行っていたと言えるのかもしれない。

シャーム解放機構の旗や「シリア革命旗」を掲げるデモ参加者(https://eldorar.com/node/125825)
シャーム解放機構の旗や「シリア革命旗」を掲げるデモ参加者(https://eldorar.com/node/125825)

 トルコは8月31日、シャーム解放機構を「テロ組織」とみなす政令を施行した。トルコはそれまでシャーム解放機構を水面下で懐柔し、幹部に組織の解体を宣言させたうえで、これに同意する戦闘員の国民解放戦線への受け入れと、解体を拒否した幹部のシリア以外の紛争地域への逃亡を保証しようとしていたとされる。「テロ組織」が消滅したこととし、イドリブ県の反体制派をトルコの管理下に置くことで、シリア軍総攻撃の理由を奪おうとしたからだ。

 シャーム解放機構の「テロ組織」への指定は、トルコ(そしてロシア)の意を酌まないシャーム解放機構に対する最後通告であるとともに、国民解放戦線に従順であり続けることを迫るメッセージでもあった。トルコに従わなければ、見限られ、シリア軍の攻撃に晒されかねない――反体制派はそう思ったに違いない。

非武装地帯の設置

 こうしたなか、ロシアのヴラジミール・プーチン大統領とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が9月17日にソチで会談、イドリブ県の処遇について協議した。そして、この会談で交わされたのが、非武装地帯設置にかかる合意だった。

 合意は以下10項目からなっていた。

  1. 緊張緩和地帯第1ゾーンを維持するとともに、トルコ軍の監視所を強化し、その活動を継続させる。
  2. ロシアは、同地に対するシリア軍の軍事作戦と攻撃の実施を回避し、現状を維持するために必要なあらゆる措置を講じる。
  3. 緊張緩和地帯第1ゾーンの境界に幅15~20キロからなる非武装地帯を設置する。
  4. 非武装地帯の境界線については、継続協議をもって画定する。
  5. 10月15日までに非武装地帯内からすべての過激な「テロ集団」を排除する。
  6. 10月10日までに非武装地帯から当事者が保有するすべての戦車、多連装ロケット砲、大砲、迫撃砲を撤去する。
  7. トルコ軍部隊とロシア軍憲兵隊は、無人航空機を使用して非武装地帯で連携パトロールを実施し、監視活動に取り組む。合わせて、両部隊は、地元住民や物資の自由な移動を保障し、通商経済活動再開のために活動する。
  8. 2018年末までにM4高速道路(アレッポ市・ラタキア市間)とM5高速道路(アレッポ市・ハマー市間)の輸送ルートを再開する。
  9. イドリブ県の緊張緩和地帯内での停戦を持続させるための措置を講じる。そのために、イラン・ロシア・トルコの合同調整センターの任務を強化する。
  10. ロシアとトルコは改めて、シリア国内であらゆるかたちでテロと戦う決意を確認する。
非武装地帯(筆者作成)
非武装地帯(筆者作成)

 合意の肝は、非武装地帯の設置、そして同地からの「テロ組織」の排除と全当事者が配備する重火器の撤去だった。そして、これらはいずれもシリア政府にとって有利なかたちで実施に移された。

 非武装地帯は、本来であれば緊張緩和地帯とシリア政府支配地域の両境界地域に設置されるはずだった。だが、実際に設置されたのは、緊張緩和地帯内の境界地域だけで、シリア軍が重火器を撤去することはなかった。

 むろん、イドリブ県に対する総攻撃の中止を余儀なくされたことは、強気な姿勢をとっていたシリア政府にとって痛手だと見ることもできる。南西部で和解に応じた反体制派を動員し、地上部隊を進攻させようと試みていたからだ。だが、シリア軍は実はイドリブ県を奪還するだけの兵力を回復しておらず、総攻撃に踏み切る準備はできていなかった。南西部の反体制派は、ハーリド・ブン・ワリード軍やイスラーム国との戦いに参加した時は異なり、イドリブ県の反体制派と戦うことを承諾しなかった。

 一方、反体制派は渋々合意に従った。国民解放戦線は9月22日に声明を出し、「ロシアを信用しない」と批判し、「革命」を継続すると主張しつつも、合意を「トルコの勝利」と絶賛、幹部の言葉を借りると「トルコを煩わせないようにするために合意を受諾」した。彼らは10月6日から重火器の撤去を開始し、トルコ国防省は同月10日、撤去作業が完了したと発表した。

 イドリブ県から消滅することを求められていたシャーム解放機構も合意に従った。彼らは10月7日、重火器の撤去を開始、ラタキア県北部方面に戦闘員を撤退させた。彼らは10月14日、合意についての姿勢を発表した声明を出し、「ジハードから逸脱することはない」と主張したが、合意そのものに拒否の姿勢を示すことはなかった。

 反体制派のなかでは、フッラース・ディーン、イッザ軍、トルキスタン・イスラーム党が拒否を表明した。だが、国民解放戦線とシャーム解放機構が攻撃を停止したことで、戦闘は散発的なものにとどまるようになった。

 なお、非武装地帯設置合意に従うと、2018年末までにM4高速道路とM5高速道路がロシアの主導のもとに再開され、反体制派の支配地はこの道路によって三分割されるはずだった。ただし、この項目は本稿執筆時点においても履行されていない。

難民と復興

 イドリブ県を制圧する軍事力(そして意志)を欠くシリア政府、大敗を避けたかった反体制派――約言すると、この二つが、イドリブ県総攻撃を回避させた国内的要因だった。ただ、非武装地帯設置合意を交わしたトルコとロシアもまた、イドリブ県で「勝者なし、敗者なし」の状態を維持することに利益を見出しており、そのことが総攻撃回避を決定づける外的要因となった。

 トルコは、イドリブ県で一度戦闘が激化すれば、大量の難民が領内に流入することを強く懸念していた。既に350万人以上もの難民を受け入れているトルコは、最近の経済事情の悪化もあいまって、これ以上難民を受け入れる余裕などなかったからだ。

 トルコへの難民流入を避けたかった点では、ロシア、そしてシリア政府も同じだった。ロシアは7月に難民と国内避難民(IDPs)の帰還促進を目的とした合同調整センターを設置し、難民問題への対処を通して復興プロセスを軌道に乗せようとしていた。シリア政府も歩調を合わせるかたちで、8月に国外難民帰還調整委員会を設置した。ロシアもシリア政府も、最後の牙城に対する勝利を鼓舞し、反体制派やその支配下で困難な暮らしを強いられてきた住民のなかに禍根を残すことよりも、復興に向けて国内の求心力を高めることに力点を置いていたのである。

残る火種

 かくして、イドリブ県への総攻撃は回避された。だが、火種は残った。

 非武装地帯設置合意を拒否したフッラース・ディーン機構は10月15日、アンサール・タウヒード、アンサール・ディーン戦線、アンサール・イスラーム集団といったアル=カーイダ系組織とともに「信者を煽れ」作戦司令室を設置し、シリア軍との戦闘を続けた。また、シャーム解放機構も11月に入ると、シリア軍との戦闘を再開、トルキスタン・イスラーム党やイッザ軍もこれに同調した。

 反体制派に停戦を遵守させる責任を負っていたトルコは、こうした動きを「非武装地帯設置合意を阻害する挑発行為」と非難した。だが、戦闘を停止させることはできなかった。

 こうしたなか、またしてもあの事件が発生した――化学兵器使用疑惑事件である。

 シリアの主要メディアは11月24日、アレッポ県西部で活動を続ける反体制派が、有毒ガスを装填した砲弾でアレッポ市各所を攻撃、多数の市民が呼吸困難などの症状を訴え、子供4人を含む7人が死亡し、107人が市内の病院に搬送されたと伝えた。ロシア国防省は翌25日、「確たる情報」をもとにシャーム解放機構が塩素ガスを使用したと断定、対抗措置としてアレッポ県西部一帯に爆撃を実施した。

 イドリブ県での化学兵器使用の危険は、この間も間断なく指摘されていた。ロシアやシリア政府は、ホワイト・ヘルメットがシャーム解放機構や「外国人専門家」とともに、シリア軍による化学兵器攻撃を偽装する準備を進めていると繰り返した。反体制派や欧米諸国はこれに反論した。ホワイト・ヘルメットのラーイド・サーリフ代表は8月28日、「化学兵器攻撃に関するロシアの発言は、イドリブ県で彼らがそれを使うための口実だ」と批判した。また9月10日付『ウォールストリート・ジャーナル』は、米政府複数高官の話として、バッシャール・アサド大統領がイドリブ県でのシリア軍による化学兵器の使用に同意したと報じた。事件は、非武装地帯設置合意の成立後もこうした舌戦が続くなかで発生したのだ。

 事件発生を受け、化学兵器禁止機関(OPCW)は、調査の実施を検討、米国防総省報道官も「ロシアに事件現場を改ざんしないよう警告し、OPCWによる公正で透明性のある調査を求める」と述べ、攻撃の事実を一旦は認めた。だが、米国は12月に入って、この攻撃が「信頼できる情報」に基づき、シリア軍の偽装作戦だったと断定、OPCWによる真相究明も行われることはなかった。

 イドリブ県での化学兵器使用疑惑騒動は、2013年夏の東西グータ地方での事件、2017年4月のイドリブ県ハーン・シャイフーン県での事件、2018年4月の東グータ地方での事件のような騒動を引き起こすことなく幕を閉じた。だが、その背後で、小康状態だったはずのイドリブ県は、再びシリア軍と反体制派、そして反体制派どうしが戦火を交える場となっていった。

「「戦争なし、平和なし」の新秩序――懲りないイスラエル、退かない「抵抗枢軸」」続く)