世紀の取引、革命発祥の地の陥落:シリア情勢2018(6)

(写真:ロイター/アフロ)

「シリア版「パレスチナ難民キャンプ戦争」の決着」の続き)

 シリア政府による失地回復の動きはとどまることを知らなかった。6月に入ると、シリア軍は「シリア革命」発祥の地と目されてきたダルアー市を含む南西部の奪還に向けて本腰を入れるようになった。

革命発祥の地を支配するアル=カーイダ、そしてイスラーム国

 ダルアー市は、シリアで「アラブの春」が高揚するきっかけとなる事件が起きた町だ。2011年3月末、10代前半の子供たちが、チュニジアやエジプトでの抗議デモを真似て、遊び半分で「出て行け、バッシャール」、「お前の番が来た、ドクター」などと落書きしたのがこの町だった。抗議デモの波及に神経をとがらせていた当局は、この一件に過剰に反応し、子供たちを捕らえて拷問にかけた。家族や地元住民の不満は抗議運動に発展し、デモは各地に拡がった。治安部隊・軍の弾圧と武装化した反体制派による暴力の応酬が「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるシリア内戦を誘発していった。

「お前の番が来た、ドクター」と書かれた落書き(出所:Sdusyria, March 3, 2016)
「お前の番が来た、ドクター」と書かれた落書き(出所:Sdusyria, March 3, 2016)

 2012年夏頃から反体制派が支配を拡大していった南西部は持ち堪えた。シリア政府はダルアー市の北半分と首都ダマスカスに至る県内の国際幹線道路沿いの地域を掌握していた。だが、それ以外のほぼ全域は反体制派が死守し続けた。

 とはいえ、同地の反体制派は、自由や尊厳といった「シリア革命」の理念ではなく、暴力によって支配を維持し、利己的な動機によって離合集散を繰り返した。2014年2月に南部戦線として糾合した彼らは、2017年2月には「堅固な建造物」作戦司令室の名で再編した。中核をなしたのは、アル=カーイダの系譜を汲むシャーム解放機構やシャーム自由人イスラーム運動だった。

 それだけではなかった。イスラエル占領下のクナイトラ県ゴラン高原に面するダルアー県ヤルムーク川河畔地域は、イスラーム国に忠誠を誓うハーリド・ブン・ワリード軍が手中に収めていた。

 ハーリド・ブン・ワリード軍は、自由シリア軍が「進化」して、2016年に5月に結成された組織だ。その前身であるヤルムーク殉教者旅団は、南部戦線に所属したこともある組織で、2013年5月にUNDOF(国際連合兵力引き離し監視軍)のフィリピン軍21人を身代金目当てに拉致したことで知られる。ヤルムーク殉教者旅団は、シャーム解放機構(当時の呼称はシャームの民のヌスラ戦線)との対立を激化させ、2015年4月にイスラーム国に忠誠を誓った。その後、2016年5月に、イスラーム国とつながりがあるとされるジハード軍やイスラーム・ムサンナー運動と統合、ハーリド・ブン・ワリード軍を名乗るようになった。

 さらに、イスラーム国もいた。彼らは、スワイダー県東部の砂漠地帯、そしてそれに隣接するサファー丘(ダマスカス郊外県)に支配地を温存していた。

 かくして南西部では、シリア政府、アル=カーイダ系組織が主導する反体制派、イスラーム国(そしてその系譜を汲む組織)による三つ巴の戦いが続いてきた。

2018年5月半ばの南西部の勢力図(筆者作成)
2018年5月半ばの南西部の勢力図(筆者作成)

シリア軍の攻勢を前にアル=カーイダと革命家が糾合

 南西部の戦況は、2017年5月にロシア、トルコ、イランが同地を含む各所を緊張緩和地帯第4ゾーンに設置して以降膠着した。だが、2018年5月までに首都ダマスカス一帯で反体制派の掃討に成功したシリア軍は6月19日、大規模な掃討作戦を開始、ロシア軍も24日、約1年ぶりに爆撃を再開した。

 反体制派は徹底抗戦を試みた。「堅固な建造物」作戦司令室を含む7つの作戦司令室は6月20日、南部中央作戦室の名で統合し、戦闘を継続した。この動きはアレッポ市東部地区で抵抗を続けてきた反体制諸派が、同地陥落(2016年12月)直前にアレッポ軍を結成したのに似ていた。アル=カーイダの系譜を汲む武装集団と「革命家」を混濁させ、「テロとの戦い」を主唱するシリア軍の攻撃に正当性を付与するだけだったからだ。

南部中央作戦司令室発足声明(出所:Eldorar, June 20, 2018)
南部中央作戦司令室発足声明(出所:Eldorar, June 20, 2018)

 しかも、徹底抗戦の是非をめぐって、反体制派内でも意見が割れた。勝機がないと悟った戦闘員、活動家、地元名士は、停戦協議に応じていったのである。

米国とヨルダンの譲歩

 しかし、シリア政府による南西部の奪還を可能とした最大の要因は、シリア・ロシア両軍の「非道」な攻撃や殺戮ではなかった。シリア政府、反体制派、イスラーム国、ロシア、イラン、米国、ヨルダン、そしてイスラエルによる入り組んだ取引、すなわちアラブ・メディアが言うところの「世紀の取引」が事態を決着へと導いていったのである。

 ドナルド・トランプ政権発足以降、シリア情勢への関心を低下させ、アル=カーイダと共闘する反体制派との関係を解消した米国は5月31日、シャーム解放機構をヌスラ戦線の別名(alias)としてテロ組織(FTO、SDGT)に追加登録した。また6月24日、反体制派に「あなた方は我々の軍事介入を想定、期待して決定を下すべきでない」と文書で通達し、彼らを切り捨てた。米国の対応は徹底しており、支援停止はホワイト・ヘルメットにも及んだ。

 一方、65万人以上ものシリア難民を抱え、経済、安全保障の両面で負担を強いられてきたヨルダンは、2017年末頃から、反体制派にナスィーブ国境通行所(ダルアー県)をシリア政府に引き渡すよう求めるようになっていた。シリア政府と関係を修復し、難民を帰還させる経路を確保するのが狙いだった。南西部で戦闘が激化すると、ヨルダンは国境を封鎖、避難してきた住民と反体制派の入国を阻止した。殺到した住民は、シリア人権監視団などによると30万人以上にのぼった。だが、欧米メディアがそのことを大々的に報じることはなかった。

 シリア軍がダルアー県東部の戦略的要衝ブスル・ハリール市やフラーク市などを次々と制圧するなか、なす術を失った反体制派は、シリア政府との停戦に応じた。彼らは、ロシアとヨルダンを仲介者とした合意に基づき、7月6日にはUNESCO(国連教育科学文化機関)世界文化遺産のローマ劇場を擁するブスラー・シャーム市、7日にはナスィーブ国境通行所、9日にはダルアー県のヨルダン国境全域、そして12日にはダルアー市中心街をシリア軍に明け渡した。また、一部の戦闘員は武装を棄てて投降し、和解を拒否した者たちは家族とともにイドリブ県(緊張緩和地帯第1ゾーン)に去っていった。また、国境に押し寄せていた住民らは、戦闘が終わると、「独裁」であるはずのシリア政府が支配するところとなった自らの町や村に帰っていった。

2018年7月13日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年7月13日の南西部の勢力図(筆者作成)

「イランの民兵」の排除

 米国とヨルダンが、ダルアー市制圧にいたる譲歩の見返りとして、ロシア(そしてシリア政府)に求めたのは「イランの民兵」の排除だった。

 「イランの民兵」とは、シリア政府側が「同盟部隊」(あるいは「同盟者部隊」)と呼ぶ勢力で、イラン・イスラーム革命防衛隊(そしてその精鋭部隊であるゴドス軍団)、同部隊が支援するレバノンのヒズブッラー、イラクの人民動員隊、アフガン人の民兵組織ファーティミーユーン旅団、パキスタン人の民兵組織ザイナビーユーン旅団などを指す。「シーア派民兵」と称されることもある(詳細については拙稿「シリアの親政権民兵」『中東研究』第530号、2017年、pp. 22-44を参照)。

「イランの民兵」を含む親政権民兵のエンブレム(出所:FSA News, November 2, 2016)
「イランの民兵」を含む親政権民兵のエンブレム(出所:FSA News, November 2, 2016)

 だが、「イランの民兵」の存在にもっとも神経をとがらせ、南西部でのシリア政府の支配回復に最後まで難色を示したのは、米国でもヨルダンでもなく、シリアの旧知の敵であるイスラエルだった。シリア政府の勢力伸長が「イランの民兵」の南西部への浸透を伴い、安全保障上の脅威が増すと考えていたためだ。イスラエルはまた、シリア政府がゴラン高原の兵力引き離し地域(AOS)に部隊を進駐させ、1974年に確立した停戦の秩序が、自国にとって不利なかたちに変更されることにも警戒していた。

 南西部が緊張緩和地帯第4ゾーンに指定されると、イスラエルは、ゴラン高原から40キロ以内の地域に「安全ベルト」を設置し、同地から「イランの民兵」を排除するべきだと主張するようになった。同時に、シリア領内に点在する「イランの民兵」の拠点(とされる施設)への爆撃やミサイル攻撃を繰り返すようになった(後述)。

 「イランの民兵」とAOSの処遇をめぐるイスラエルの懸念を払拭しようとしたのは、ロシアだった。モスクワで7月11日に行われたベンジャミン・ネタニヤフ首相との会談で、ヴラジミール・プーチン大統領は、シリア領内での「イランの民兵」を主たる標的としたイスラエルの軍事作戦を黙認するとともに、AOSを内戦以前の状態に現状復帰させることを確約した。ネタニヤフ首相は、これに応えるかたちで南西部でのシリア軍の攻勢に青信号を出した。

 なお、ロシアによるイスラエル(そして米国、ヨルダン)説得の過程で、アスタナ会議の保障国であるトルコも一役買った。レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は5月29日の会談で、プーチン大統領と「シリアをイランとイスラエルの戦場とすることを阻止する」ことで一致、ロシアの調整を側面支援した。

 この合意に沿うかたちで、「イランの民兵」は南西部から撤退(ないしは規模縮小、あるいは潜伏)したと報じられ、イラン一国だけが損をしたように見える。だが「イランの民兵」とは捉えどころのない曖昧な存在で、その撤退の有無を確認するなどそもそもできなかった。言い換えると、イラン(そしてシリア政府)は、撤退合意の有無にかかわらず、「イランの民兵」の存在をちらつかせて、イスラエルに心理戦を挑むことができるのだ。

 また、イランは目に見える見返り、ないしは成果を得ることができた。イドリブ県のフーア市とカファルヤー町の処遇だ。この二つの町には、シリア政府を支持する12イマーム派(シーア派)が暮らし、2015年3月にシャーム解放機構とシャーム自由人イスラーム運動などからなるファトフ軍が同地を包囲して以降も、イランは住民を支援し続けていた。

 フーア市とカファルヤー町の住民の一部は、アレッポ市東部、ダマスカス郊外県ザバダーニー市一帯(2017年3月――「アレッポ・モデルの停戦:退去か強制移住か/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(12)」)、首都ダマスカス南部での戦闘の最終局面で、シャーム解放機構の戦闘員らのイドリブ県への退去の見返りとしてシリア政府に移送されていた。そして、南西部の戦闘の最終局面でも、イランはシャーム解放機構と水面下で交渉し、(1)二つの町の全住民6900人のシリア政府支配地域への退去、(2)反体制派が拉致していたイドリブ県(イシュタブリク村住民)33人の解放、(3)シリア政府が拘束してきた反体制活動家1500人の釈放、(4)ヒズブッラーが拘束してきた活動家36人の解放、を骨子とする合意を交わした。7月17日に交わされたこの合意は20日までに履行され、イランはフーア市とカファルヤー町の住民を救出することに遂に成功したのである。

兵力引き離し地帯の現状復帰

 国境地帯を掌握したシリア軍は、ロシア軍とともにシャーム解放機構が活動を続ける「死の三角地帯」(ダマスカス郊外県、クナイトラ県、ダルアー県の県境一帯)への爆撃・砲撃を激化させ、ゴラン高原に向けて西進を続け、反体制派の支配地を次々と制圧していった。

 イスラエル軍は7月11日と13日、シリア軍の無人航空機がゴラン高原上空を「侵犯」したとして、パトリオット・ミサイルで撃破、クナイトラ県のシリア軍拠点複数カ所を爆撃した。だが、実質的な報復は、捉えどころのない「イランの民兵」に向けられた。イスラエルは15日、アレッポ市東部のナイラブ航空基地近郊にあるイラン・イスラーム革命防衛隊の拠点とされる標的をミサイル攻撃したのだ(後述)。こうした行動は、イランの脅威に対するイスラエルの断固たる姿勢を示しているように見えた。だが、実際には、ゴラン高原から500キロ以上も離れた無関係な場所を狙うことで、シリア軍の進軍を黙認したようなものだった。

 それだけではなかった。イスラエルはこれまで、負傷した戦闘員の国内への搬送や治療のほか、武器弾薬の供与を通じて反体制派を支援していた。だが、今回は、シリアからの難民流入を拒否すると強調することで、反体制派に対する門戸を閉ざした。こうした措置は、反体制派の退路を奪うことで、彼らにシリア政府と停戦するよう迫っているかのようだった。なぜなら、シリア軍と反体制派の全面軍事衝突を回避することがAOSを維持し、シリア軍の進駐を抑止するうえで有効だったからだ。

 シリア軍の進攻を受けて、3000人からなる避難民が兵力引き離し地帯に殺到し、イスラエルへの入国を求めているとの情報が流れた。だが、欧米諸国の政府やメディアはまたしてもこの事実を大きく取り上げることはなかった。

 退路を断たれたクナイトラ県の反体制派は、7月19日にクナイトラ市で、23日にジャバーター・ハシャブ村でシリア政府との停戦に応じ、和解を拒否する戦闘員は家族とともに26日までにイドリブ県に退去した。シリア軍は26日、クナイトラ市に進駐した。

 南西部の反体制派支配地域のすべてを奪還したシリア政府は、各地に軍・治安部隊を展開させ、インフラの復旧作業を進めていった。だが、クナイトラ市を含むAOSに部隊を進駐させることはなかった。その代わりに、ロシア軍憲兵隊の護衛を受けたUNDOFが8月2日、AOSでの停戦監視活動を再開、停戦秩序は「アラブの春」以前の状態へと現状復帰された。

2018年7月19日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年7月19日の南西部の勢力図(筆者作成)

ホワイト・ヘルメット救出

 こうしたなか、奇妙な美談が注目を浴びた。ホワイト・ヘルメットのメンバーとその家族の救出である。

 シリア軍が攻勢を強めるなか、ホワイト・ヘルメットのメンバーとその家族は「差し迫った危機」に晒され、シリア政府の「報復」に怯えている――欧米メディアはそう報じた。クナイトラ県で活動するホワイト・ヘルメットのメンバーも次のように述べ、助けを求めた。

私の人生で最悪の日だ。手遅れになる前に彼ら(西側諸国)が私たちを救出することを望む。

出典:Time, July 20, 2018

 作戦は7月22日に実行された。イスラエルは欧米諸国の要請を受け、ホワイト・ヘルメットのメンバーとその家族約400人を「純粋に人道的な理由」でAOSから救出し、占領下ゴラン高原を経由してヨルダンに引き渡したのである。

 しかし、死を恐れずに住民の救出活動にあたっていたはずのホワイト・ヘルメットが、住民を差し置いて命乞いをし、欧米諸国が彼らを救出するというのは異常だった。人道という価値観に真に依拠するというのであれば、西側諸国が救いの手を差し伸べるのは、ホワイト・ヘルメットではなく、国境に避難していた住民に対してであるべきだったからだ。

 救出されたメンバーらはその後、10月に約370人が西欧諸国、約120人がカナダに移送され、これまでの「働き」への論功行賞を得るかのように、そこで市民権を付与されていった。

 ところで、ホワイト・ヘルメットは、これまで各地で停戦が成立する度に忽然と姿を消していた。

 シリア政府との和解に応じた元戦闘員や兵役忌避者のなかに、ホワイト・ヘルメットのメンバーだったと告白する者はいなかった。和解を拒否した戦闘員やその家族は、退去に先立ってシリア政府当局が氏名などを記録したが、その身元が暴露されることもなかったし、ホワイト・ヘルメットのメンバーのなかに退去したと証言した者もいなかった。だが、クナイトラ県での停戦に限って、ホワイト・ヘルメットは姿を消さず、その存在が「報復の恐怖に怯える人々」としてクローズアップされた。

 クナイトラ県での停戦には、これまでと異なる点がもう一つあった。それは、シリア政府との和解を拒否し、退去した反体制派のなかに、シャーム解放機構が含まれないとされた点だ。

 シャーム解放機構は7月22日、停戦に応じた反体制派が放棄した地域からAOSに退却、その際にクナイトラ通行所を破壊した後、姿をくらました。そして、これと時を同じくして、イスラエルの占領地域とシリア政府支配地域に挟まれて孤立したとされるシャーム解放機構の残留地域から、ホワイト・ヘルメットが救出されたのだ。こうしたシンクロこそが、ホワイト・ヘルメットを「化粧したヌスラ戦線」と断じる主張をサポートしてきたのだ。

ハーリド・ブン・ワリード軍との戦い

 反体制派支配地域の消失と並行して、ロシア・シリア両軍は、ハーリド・ブン・ワリード軍に対する攻勢を強め、7月24日には21カ村を、25日には14カ村を、そして26日には主要拠点のサフム・ジャウラーン村、タスィール町など9町村を順調に制圧していった。

2018年7月26日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年7月26日の南西部の勢力図(筆者作成)

 この戦闘には、革命軍、スンナ青年旅団、クナイトラ軍事評議会といった反体制派も参加した。このうちスンナ青年旅団は「ダルアーのカエル」の異名で知られるアフマド・アウダが率いる武装集団で、7月1日にブスラー・シャーム市でシリア軍との停戦を受諾した際、シリア軍第5軍団に従軍する旨合意していた。同軍団は2016年11月に新設された部隊で、志願者より構成され、既存の部隊、予備部隊、そして「イランの民兵」とともにシリア全土における治安と安定の回復をめざすため、テロを掃討することを任務としている。

 ハーリド・ブン・ワリード軍掃討戦に注力するようになったのは、ロシア・シリア両軍だけではなかった。イスラエルも7月25日、攻撃に踏み切った。イスラエル軍の声明によると、占領下ゴラン高原に迫撃砲2発が撃ち込まれたことへの対抗措置として、砲弾が発射されたハーリド・ブン・ワリード軍の砲台1カ所を爆撃・砲撃したのだ。

 実はこの前日の7月24日、イスラエルはシリア軍戦闘機を撃墜し、パイロット1人が死亡、掃討戦の行方に暗雲が立ちこめたかに見えた(拙稿「イスラエルはシリアでイスラーム国を支援しているのか?:珍しくない「テロとの戦い」からの逸脱」を参照)。だが、この「不意の出来事」によって、ロシア、シリア、イスラエルの連携は逆に促されたかたちとなった。

 シリア政府は、イスラエル軍によるハーリド・ブン・ワリード軍への越境攻撃を非難せず、完全に黙認した。ロシアがとった対応はより大胆だった。ロシア軍戦闘機は7月25日、イスラエル占領下のゴラン高原上空に進入させ、爆撃を実施したのだ。シリア軍による侵犯とは対象的に、イスラエルはこの領空侵犯を黙認した。

 なお、戦闘激化を受けて、住民約1万人がゴラン高原に向かって避難を試みた。だが、イスラエルは彼らが停戦ラインを越えることを認めなかった。

イスラーム国の反撃、シリア軍の追撃

 イスラーム国も黙ってはいなかった。7月25日、スワイダー市で連続自爆テロを敢行し、シリア人権監視団の発表によると、民間人135人を含む246人が死亡した。

 それだけではなかった。イスラーム国はテロ実行の直後にスワイダー県東部に侵攻し、シブキー村およびその近郊に位置するドゥーマー村、シュライヒー村、タッル・バスィール村を一時占拠、多数の住民を殺害、女性や子供ら36人を人質として拉致・連行した。

 米国務省のヘザー・ナウアート報道官は、スワイダー市での連続自爆テロを非難し、「無実の犠牲者」の遺族に弔意を示した。シリア政府側に犠牲者に対して米国が弔意を示すのは極めて異例だった。

 ハーリド・ブン・ワリード軍は、連続自爆テロや住民拉致事件後もシリア軍の攻勢に晒され続けた。彼らは8月1日、ロシアの仲介によりスワイダー県東部の砂漠地帯とサファー丘にあるイスラーム国の支配地への戦闘員とその家族約400人を退去させることをシリア政府と非公式に合意した。これによりヤルムーク川河畔地域のハーリド・ブン・ワリード軍の支配地は消滅、シリア政府がダルアー県全土を回復した。

2018年8月1日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年8月1日の南西部の勢力図(筆者作成)

 シリア軍はまた、和解に応じた反体制派とともに、イスラーム国支配地への攻撃も本格化させ、8月12日にスワイダー県東部の砂漠地帯を完全に制圧した。だが、同地に隣接するサファー丘での掃討戦は、岩石砂漠によって進軍を阻まれたために難航した。

2018年8月12日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年8月12日の南西部の勢力図(筆者作成)

 人質解放交渉も、イスラーム国が10月2日に女性1人を処刑するなどして徹底抗戦の構えを示したことで滞った。交渉にあたったロシアは、シリア政府だけでなく、米国、そして人民防衛隊(YPG)主体のシリア民主軍にも協力を仰いだ。その結果、10月16日、イスラーム国が人質10人を解放する見返りとして、シリア政府が拘束中のイスラーム国メンバーの家族25人を、またシリア民主軍が拘束していたメンバーの家族29人を釈放することで合意が成立、20日に身柄の引き渡しが行われた。

 残りの人質は、シリア軍が11月2日、ヒムス県南東部のハミーマ砂漠地帯にあるイスラーム軍の潜伏先を急襲し、救出した。

 人質全員の解放を受けて、シリア軍はサファー丘への総攻撃を開始し、11月19日に同地を完全制圧した。これにより、南西部のイスラーム国支配地も完全に消滅、シリア政府は南西部全土を手中に収めた。

2018年11月19日の南西部の勢力図(筆者作成)
2018年11月19日の南西部の勢力図(筆者作成)

「誰も望まなかったイドリブ総攻撃」に続く)