トルコのアフリーン郡侵攻、漁夫の利を得るシリア政府:シリア情勢2018(2)

(写真:ロイター/アフロ)

「シリア――潰えた正義、新たな大義」の続き)

 アスタナ会議の保障国、とりわけロシアとトルコは、2018年を通じて、これまで以上にあからさまな取引を繰り返し、シリア国内の勢力図を塗り替えることで、各々の国益を極大化しようとした。

 ロシアは、停戦プロセスを維持・強化するとの名目のもと、反体制派支配地域(緊張緩和地帯)をシリア政府の支配下に戻すこと、そして同政府の存続を既定路線とする和平プロセスを推進すること(ないしは膠着させること)を画策した。対するトルコは、自らが支援を続けてきた反体制派の完敗を回避する一方で、クルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が主導する西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)やその武装部隊である人民防衛隊(YPG)を国境地帯から排除し、自らの安全保障を確保しようとした。

 両国の取引は、ロシアが貸しを作るかたちで始まった。この貸しとは、シリア国民対話大会を成功裏に開催するために、トルコが反体制派に参加の圧力をかけるなどして、協力するというものだった(「シリア――潰えた正義、新たな大義」を参照)。そして、その見返りとしてトルコが求めたのが、アレッポ県北西のアフリーン郡だった。

 トルコは2016年8月、「ユーフラテスの盾」作戦を開始し、アレッポ県北部ユーフラテス川西岸に位置するジャラーブルス市一帯からロジャヴァとイスラーム国を排除していた。また2017年2月には、バーブ市一帯の掌握にも成功、両市からアアザーズ市にいたる地域一帯を実質占領し、いわゆる「安全地帯」(guvenli bolge)を確保した。だが、この「安全地帯」は、ロジャヴァが実効支配するアフリーン郡(ロジャヴァ・ジャズィーラ地区)とシリア北東部(ロジャヴァ・タッル・アブヤド地区、ジャズィーラ地区)によって東西から挟み込まれていたため、依然として不確実だった。

トルコが設定した安全地帯(The Washington Post, July 26, 2016)
トルコが設定した安全地帯(The Washington Post, July 26, 2016)

「オリーブの枝」作戦

 「オリーブの枝」作戦と名づけられたアフリーン郡への侵攻作戦は、シリア国民対話大会が開催される10日前の1月20日に開始された。同地への越境砲撃などを繰り返していたトルコ軍は、この日から航空部隊による越境爆撃を本格化、地上部隊を進軍させた。この地上部隊は、トルコ領内で訓練を受けた反体制派(「オリーブの枝」作戦司令室――所属する武装集団については拙稿「ロジャヴァ支配地域に対するトルコ軍の「オリーブの枝」作戦に参加する「自由シリア軍」とは何者か?」を参照されたい)約2万5000人を伴った。

「オリーブの枝」作戦に参加した反体制派(Nors Studies, January 30, 2018)
「オリーブの枝」作戦に参加した反体制派(Nors Studies, January 30, 2018)

 YPG(そしてロジャヴァ)は徹底抗戦の構えを示したが、トルコ軍の圧倒的な軍事力を前になす術はなかった。トルコ軍と反体制派は3月4日までにアフリーン郡の国境地帯全域を制圧、3月18日に同郡におけるロジャヴァ・アフリーン地区の拠点都市だったアフリーン市を陥落させた。

 ロジャヴァでは、支配地域の自治を既成事実化するため、2017年半ばから恒久的自治政体「北シリア民主連邦」の樹立に向けた準備が進められ、2018年1月に議会に相当する民主諸人民大会の選挙が実施されるはずだった(拙稿「シリアで「国家内国家」の樹立を目指すクルド、見捨てようとするアメリカ」(Newsweek日本版、2017年8月19日)を参照)。だが、「オリーブの枝」作戦によって、選挙は中止を余儀なくされ、「北シリア民主連邦」構想も頓挫した。

見限られたロジャヴァ

 シリアにおけるロジャヴァの台頭は、同政体やそれを主導するPYD(さらにはYPG)がシリア内戦の主要な当時者を繋ぐ「バッファー」のような役割を担ったことの結果でもあった。

 PYDは、「アラブの春」がシリアに波及する以前から、バッシャール・アサド政権の退陣をめざす一方、弾圧から住民を守るとして、YPG(そして女性防衛部隊(YPJ))を養成してきた。だが、体制転換は政治的手段をもって行うと主張し、シリア軍と戦火を交えることはほとんどなかった。

 PYDはその代わりに、イスラーム国やアル=カーイダ系組織のシャームの民のヌスラ戦線(現在の呼称はシャーム解放機構)が主導する反体制派との戦いにYPGを投入し、「テロとの戦い」においてシリア政府と戦略的に共闘した。こうしたPYDの姿勢は、シリア政府を後援するロシアとイランからの支援を促した。

 また、有志連合を主導する米国も、YPGをイスラーム国に対する「テロとの戦い」における「協力部隊」(partner forces)とみなした。2015年半ばに米国の肝煎りで結成されたシリア民主軍(SDF)は、YPGを主体とし、イスラーム国の首都と目されたラッカ市やユーフラテス川以東地域での戦闘(2017年)の中軸を担った(拙稿「誰がイスラーム国を倒すのか:ラッカ市争奪戦/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(8)」などを参照)。

 だが、「オリーブの枝」作戦に際して、ロジャヴァはこれらの国にことごとく見限られた。

 米国は1月半ば、イスラーム国の勢力回復を阻止するとの名目で、シリア民主軍の戦闘員を主体とする「国境治安部隊」(border security force)の創設に向けて動き出そうとしていた。国境治安部隊は3万人の兵員を擁し、シリア民主軍の制圧地域を囲い込むかたちで、トルコ、イラクとの国境地帯、そしてユーフラテス川流域に配備されるとされた。

 だが、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は「米国は国境地帯にテロ部隊を創設することを承認した。我々が行うべき任務は、この部隊を生き埋めにすることだ」と反発した。こうした威嚇によって、米国のシリア民主軍支援策が抜本的に変わらないことは、トルコも承知していた。真の狙いは、限定的な条件闘争を行うこと、すなわちアフリーン郡の割譲を米国に認めさせることにあった。

 トルコの猛反発を受け、レックス・ティラーソン国務長官ら米高官は、国境治安部隊を創設している事実を否定するだけでなく、「米国はアフリーンのクルド人部隊を支援しない」、「米国はアフリーンに特別な関心はない」との発言を繰り返すようになった。トルコは米国の言質を引き出すことに成功した。

 YPGは欧米諸国から集散していた外国人戦闘員やシリア民主軍の一部をアフリーン郡に転戦させ、シリア民主軍は3月19日にダイル・ザウル県東部でのイスラーム国との戦いを中止すると発表、トルコの侵攻が有志連合の「テロとの戦い」に支障を与えると訴えた。だが、米国はこうした警告に耳を傾けず、不関与を貫いた。

ロジャヴァに酷な選択を強いたシリア政府、ロシア

 「オリーブの枝」作戦に対して、ロシア、イランは批判的な姿勢を示した。トルコ軍戦闘機が侵攻すれば、これを撃破すると主張していたシリア政府も「野蛮な敵対行為」と言い放った。だが、これらの国は、トルコに対して実効的な対応をとることはせず、ロジャヴァの方に酷な選択を迫った。

 その選択とは、アフリーン郡の支配権をシリア政府に移譲することで、トルコの侵攻の口実を奪うというものだった。ロジャヴァは、この要求に部分的に応じること、すなわちアフリーン郡の支配権を維持したまま、シリア軍部隊の進駐のみを認めることで、事態を乗り切ろうとした。

 これに対して、シリア政府は、正規軍ではなく「人民部隊」の名を冠した民兵を派遣、22日までにアフリーン市、ジャンディールス村などに展開させた。だが、ロジャヴァに対するシリア政府の対応は付け焼き刃的で、トルコ軍の進軍を食い止めるものではなかった。3月3日、「人民部隊」の拠点がトルコ軍の爆撃を受け、義勇兵36人が死亡すると、シリア政府は「オリーブの枝」作戦に抗うのを止め、トルコの占領を許した。

見返りとしての緊張緩和地帯第1ゾーン第1地区

 トルコによるアフリーン郡の占領は、同地の主権を回復できなかったシリア政府にとって損失だった。だが、このことはシリア政府が何も得なかったことを意味しない。なぜなら、シリア政府は、イドリブ県での「テロとの戦い」をめぐって、ロシアを介してトルコと取引を行ったからである。

 2017年末にダイル・ザウル県のユーフラテス川以西地域からイスラーム国を事実上壊滅させたシリア政府は、シャーム解放機構が主導する反体制派が支配するハマー県北東部、アレッポ県南西部、イドリブ県南東部での戦闘に注力、2018年1月になると、シャーム解放機構の一大拠点であるアブー・ズフール航空基地(イドリブ県)に迫った。

 シリア軍の攻勢に対して、反体制派は再び糾合した。中国の新疆ウィグル自治区出身者を中心に構成されるトルキスタン・イスラーム党は、戦車や重火器からなる大規模増援部隊をイドリブ県南東部に派遣し、1月11日には「アッラーには彼らを助ける力がある」作戦の開始を宣言、シャーム解放委員会を支援した。

 同じ日、トルコが後援するシリア・ムスリム同胞団系のシャーム軍団や、バラク・オバマ前米政権の支援を受けていた「穏健な反体制派」(ないしは「自由シリア軍」)のナスル軍、自由イドリブ軍などが「暴君への抗戦」作戦を開始し、シャーム解放機構やトルキスタン・イスラーム党に同調した。

 シャーム軍団は、この戦闘でトルコ軍から供与された装甲車や重火器を初めて実戦投入した。さらにシャーム解放委員会と密接な関係を築いてきた「穏健な反体制派」のヌールッディーン・ザンキー運動、アフラール軍、そして自由シリア軍を自称するアル=カーイダ系のシャーム自由人イスラーム運動も戦闘に加わった。

 事態が緊迫化するなか、トルコのフルシ・アカル参謀総長とハカン・フィダン国家諜報機構(MIT)長官が1月18日にモスクワを突如訪問し、セルゲイ・ショイグ国防大臣らと会談した。トルコのメディアによると、「オリーブの枝」作戦でのトルコ軍の航空作戦の実施の是非や、アフリーン郡に「人間の盾」として進駐していたロシア軍部隊の処遇が話し合われたという。

 だが、協議されたのは、おそらくそれだけでなく、「オリーブの枝」作戦を妨害しないことへの見返りについても話し合われたに違いない。その内容は定かではないが、「オリーブの枝」作戦の開始と時を合わせるかのように、「アッラーには彼らを助ける力がある」作戦と「暴君への抗戦」作戦に参加している反体制派は、突如としてシリア軍に対する抵抗の手を緩めたのだ。シリア軍は1月21日、アブー・ズフール航空基地を奪還、また軍総司令部は、イドリブ県南東部、アレッポ県南西部、ハマー県北東部の300の町村を合わせて解放したと発表、緊張緩和地帯第1ゾーン第1地区はシリア政府の支配下に入った。

緊張緩和地帯第1ゾーン(筆者作成)
緊張緩和地帯第1ゾーン(筆者作成)

漁夫の利を得たシリア政府

 それだけではなかった。シリア政府はロジャヴァからも譲歩を引き出すことに成功した。

 シリア政府は2月22日、クルド人が多く居住し、ロジャヴァの支配下にあったアレッポ市内のシャイフ・マクスード地区の支配を回復した。また3月12日には、アレッポ市北西に位置するタッル・リフアト市や同地の軍事拠点であるマンナグ航空基地など、ロジャヴァがシャフバー地区と呼んでいた地域一帯に軍部隊を進駐させた。

 なお、シャフバー地区はイランにとって重要だった。12イマーム派(シーア派)宗徒が暮らすヌッブル市、ザフラー町の北西に位置し、両地をトルコ軍や反体制派の進攻から守る盾のような役割を果たしてきたからだ。トルコ軍がアフリーン郡を占領した今、シャフバー地区がロジャヴァによって支配されることは、同地区、さらにはヌッブル市、ザフラー町への侵攻の口実になりかねない。シリア政府がシャフバー地区に支配を伸長し、ロシアがトルコの攻撃を抑止するようになったことで、こうしたイランの懸念は解消されたのである。

ヌッブル市、ザフラー町一帯地図(筆者作成)
ヌッブル市、ザフラー町一帯地図(筆者作成)

トルコ占領地域、あるいは「解放区」のその後

 アフリーン郡からユーフラテス川西岸にいたる全長約200キロにわたる国境地帯を手中に収めたトルコは、同地で大学や病院などを建設し、生活・社会インフラを整備するとともに、トルコ・リラを流通させることで支配を強めていった。また「ユーフラテスの盾」作戦や「オリーブの枝」作戦に参加した反体制派を軍事・治安活動をアウトソーシングしていった。トルコは、この地域をロジャヴァ(PYD、YPG)やクルディスタン労働者党(PKK)に対する安全保障上の盾として利用するだけでなく、350万人以上いるとされるシリア難民の一部を押し返すための緩衝地帯にしようとしているとも言われる。

 だが、トルコの実効支配を支えるはずの反体制派は、対立を繰り返し、また犯罪行為が後を絶たなかった。バーブ市、アアザーズ市、ジャンディール村では、東部自由人連合、シャーム自由人イスラーム運動、スルターン・ムラード師団、山地の鷹旅団、東部軍、北部戦線、ファールーク大隊、シャーム戦線、ハムザート旅団、イスラーム軍、東部殉教者連合、スライマーン・シャー師団、地元部族の民兵が勢力争いや略奪品の分配をめぐって衝突したほか、強盗、拉致、殺人、身代金要求、略奪に手を染めた。

 11月にはトルコ軍がアフリーン市とバーブ市に特殊部隊を派遣し、犯罪者、指名手配者の摘発を敢行したが、一部の武装集団はこれに武力で抵抗した。

 YPGも抵抗を続けた。アフリーン郡では、「オリーブの怒り」作戦司令室やアフリーン抵抗軍団を名のる組織が、反体制派やトルコ軍の拠点や車輌に対する攻撃を繰り返した。

 トルコの占領によって、反体制派の「解放区」は拡大したはずだった。だが、自由や尊厳といった「シリア革命」の正義が実現することはなかった。

(続く)