シリア――潰えた正義、新たな大義:シリア情勢2018(1)

シリアの首都ダマスカスの夜明け(筆者撮影)

 「革命」と「テロとの戦い」の正義は潰え、「復興」と「無関心」が新たな大義となった――2018年のシリアをめぐる動きはこう約言できよう。

 2011年に「アラブの春」が波及して生じたいわゆるシリア内戦は、7年を経て事実上の終わりを迎えようとしている。むろん、戦争の古典的定義が当てはまらないこの紛争には、宣戦布告による「始まり」もなければ、終戦宣言による「終わり」もない。だが、諸外国の代理戦争、イスラーム国やアル=カーイダ系組織に対する「テロとの戦い」、シリア軍と反体制派の戦闘のどれをとってもほぼ決着している。

 独裁の打倒、自由と尊厳の実現をめざす「シリア革命」は決して終わらない、そう口にする者もいる。だが、こうした言葉は、シリアを題材とした映画や演劇に触れた時のような感傷を呼び起こすことはあっても、現実を言い表していない。

 イスラーム国の台頭を受けて、声高に主唱されるようになった「テロとの戦い」も形骸化して久しい。この正義を振りかざし、暴力を正当化してきた当事国・当事者は、自らの利益に従って動いていることを隠そうとすらしていない。

 シリアという国の名は、ミサイル攻撃に代表される米政権の独断や奇行、あるいは日本人フリー・ジャーナリストの解放をめぐる報道で頻繁に耳にした。だが、これらの出来事は、ほとんどの場合、米国政治の文脈や日本の社会問題として取り上げられただけだった。シリアという言葉は連呼されたが、シリアそのものについては語られることはなくなった。

 その一方、政治的にも軍事的にも勝利を確実にしたシリア政府、そしてそれを後押ししてきたロシアやイランは、内戦後を見据え、復興に本腰を入れ始めている。たが、欧米諸国、そして日本でこうした動きが紹介されることはほとんどない。シリア介入の失敗を隠そうとしているかのようだ。シリア内戦は、過去の悲劇として記憶の片隅に追いやられてしまった。

死者数の推移

 とはいえ、2018年のシリア情勢に目を向けると、「今世紀最悪の人道危機」と称された惨状が、徐々に緩和していったことを確認できる。イスラーム国に対する米主導の有志連合と人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍の掃討戦、シリア軍と反体制派の戦闘は完全には収束してはいないものの、散発的なものにとどまった。是非はともかくとして、事態は安定に向かっている。

 英国で活動する反体制NGOのシリア人権監視団によると、2018年12月10日までに確認された死者数は36万7965人だった。同監視団によると、この数値には、シリア当局の拘置所で拷問によって死亡したとされる約8万8000人、イスラーム国に拉致された行方不明者5200人以上、シリア軍兵士・親政権民兵の行方不明者4700人以上、反体制派やイスラーム国が拘置している政府支持者2000人以上など、消息が確認できない者は含まれておらず、実際の死者数は50万人を超えるとされる。

シリア内戦の死者数の推移(シリア人権監視団データより筆者作成)
シリア内戦の死者数の推移(シリア人権監視団データより筆者作成)

 こうした膨大な死者数は、シリア内戦が「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれる所以の一つだ。だが、2018年の月平均の死者数は、前年に比べて大幅に減少し、1881人にとどまった。この数値は、シリア内戦発生以降では2011年に次ぐ低いものだ。

月平均の死者数の推移(シリア人権監視団データより筆者作成)
月平均の死者数の推移(シリア人権監視団データより筆者作成)

難民・国内避難民の増減

 難民・国内避難民(IDPs)に目を向けると、依然として多くの人々が避難生活を余儀なくされている。国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2018年12月9日現在の難民登録者数は565万2186人だった。

難民・国内避難民の推移(UNHCR、OCHAデータより筆者作成)
難民・国内避難民の推移(UNHCR、OCHAデータより筆者作成)

 だが、2018年の月平均の登録難民数は、死者数同様に前年より大幅に減少し、1万4421人だった。この数値も、シリア内戦発生以降では2011年に次いで低い。

月平均の難民登録者数の推移(UNHCRデータより筆者作成)
月平均の難民登録者数の推移(UNHCRデータより筆者作成)

 一方、国内避難民については、国際連合人道問題調整事務所(OCHA)によると、2016年11月30日推計で632万5978人だったのが、2018年4月1日推計で660万人に増加した。だが、9月30日推計では620万人と減少傾向に転じている。

「内戦はほぼ終わった」

 こうしたなか、シリア政府とロシアも、難民・避難民についての統計データを公表するようになった。シリアの地方行政省が所轄する最高救済委員会が2018年12月25日の会合で明らかにしたところによると、12月20日までに帰国を果たした難民は420万人にのぼり、国内避難民も291万9000人に減少したという。また、シリア国内各所に設置されている202の一時居住センター(避難民収容センター)の収容者数は、国内避難民全体の2.5%にあたる6万5245人で、それ以外の国内避難民は賃貸住宅に居住するか、親戚の住居に身を寄せているという。

 ロシア合同調整センター所轄の難民受入移送居住センターが2019年1月1日の日報で明らかにしたところによると、ロシアがシリア領内で航空作戦を開始した2015年9月30日以降に帰国した難民は31万3785人(2018年7月18日以降に帰国したシリア難民は84,505人)に達した。また、2015年9月30日以降に反体制派支配地域からシリア政府支配地域に戻った国内避難民は126万8596人(2018年1月以降に帰宅した避難民は18万6234人)に及んだ。

 ロシア合同連携センターとシリア国外難民帰還調整委員会が2018年12月11日に開いた合同会合では、「戦争は終わり、国家再建が全速力で推し進められている」と強調された。また、UNHCR中東・北アフリカ局長のアミーン・アワド氏も同日、「戦争はほぼ終わった…。2019年にはシリア難民25万人の帰国が予想される」と述べた。国連西アジア経済社会委員会(ESCWA)が8月8日に発表した推計によると、内戦での被害総額は3880億ドル(うち実際の物的被害1200億ドル、またこの被害額のなかには人的被害は計上されていない)とされるが、その復興が難民・避難民の帰還を軸に本格化しようとしているのである。

「シリア情勢2018」の狙い

 7年ぶりにシリアが享受することになった安定は、さまざまな問題を孕んだ脆いものではある。国土は依然として、シリア政府、アル=カーイダ系組織を含む反体制派、そしてシリア民主軍の制圧地域の自治を担う北・東シリア自治区(2018年9月樹立)によって分断され、イスラーム国の残党も活動を続けている。また、米国、トルコ、イスラエルが国土の一部を違法に占領し、ロシアとイランも軍や武装勢力を駐留させている。

2018年末のシリア国内の勢力図(筆者作成)
2018年末のシリア国内の勢力図(筆者作成)

 筆者は「シリア・アラブの春顛末期:最新シリア情勢」での情報収集を通じて、2011年3月以降のシリアの政情を細かに見る一方、『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』(岩波書店、2017年)と「シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後」(Yahoo! Japan News個人、2018年2月21日~3月21日)で、2017年末までのシリア内戦の経緯を明らかにした。「シリア情勢2018」と題した本論考集では、2018年のシリア情勢に焦点を当て、シリア内戦が終わりを迎えていくさまを振り返る。

ジュネーブ会議の終焉

 前述した通り、UNHCRのアワド中東・北アフリカ局長は2018年12月11日、「戦争はほぼ終わった」との見方を示した。シリア内戦は、米国とロシア共同議長国とする国連主導の和平プロセスであるジュネーブ会議において解決をめざされてきた。だが、この和平プロセスは、米国(バラク・オバマ前政権)が2017年9月に関与を止めたことで機能不全に陥っており、内戦終結をもたらすことはなかった。

 2012年から2017年にかけて8度にわたって開催されてきたジュネーブ会議は、2018年にも1度は開かれた。1月25日から26日にかけてのジュネーブ9会議では、反体制派代表団(最高交渉委員会)を後援してきた米英仏、サウジアラビア、ヨルダンが新憲法起草や国連監視下での選挙実施の具体的方法の検討を求めるための「非公式文書」が示された。だが、シリア政府側はこれを拒否し、何の成果も見なかった。

 こうしたなかでシリア内戦を終わりに導いたのは、アスタナ会議の保障国を務めるロシア、トルコ、そしてイランだった。2017年1月に発足したこの会議は、シリア政府と反体制派(より厳密には反体制武装集団)の停戦プロセスを推し進め、ジュネーブ会議での和平プロセスを補完しようとするものだった。だが、この三カ国は、アスタナ会議に和平プロセスとしての機能をも与え、ジュネーブ会議を「ハイジャック」していった。

ジュネーブ会議、アスタナ会議、シリア国民対話大会略年表

2012年6月30日 ジュネーブ1会議(ジュネーブ合意採択)

2014年1月22~31日 ジュネーブ2会議

2015年12月18日 国連安保理決議第2254号採択

2016年1月29日~4月26日 ジュネーブ3会議

2017年1月23~24日 アスタナ1会議

2017年2月15~16日 アスタナ2会議

2017年2月23日~3月3日 ジュネーブ4会議

2017年3月14~15日 アスタナ3会議

2017年3月24~31日 ジュネーブ5会議

2017年5月3~4日 アスタナ4会議(緊張緩和地帯設置合意)

2017年5月16~19日 ジュネーブ6会議

2017年7月4~5日 アスタナ5会議

2017年7月10~14日 ジュネーブ7会議

2017年9月14~15日 アスタナ6会議(緊張緩和地帯第1ゾーン3分割)

2017年10月30~31日 アスタナ7会議

2017年11月28日~12月14日 ジュネーブ8会議

2017年12月21~22日 アスタナ8会議

2017年1月25~26日 ジュネーブ9会議

2017年1月29~30日 シリア国民対話大会

2017年5月14~15日 アスタナ9会議

2017年7月30~31日 アスタナ10会議(ソチ開催)

2017年11月28~29日 アスタナ11会議

出典:筆者作成

シリア国民対話大会に向けた動き

 こうした動きの起点となったのが、1月30日にロシアの避暑地ソチで開催されたシリア国民対話大会(いわゆるソチ会議)だった。

 この大会は、2017年10月にロシアのヴラジミール・プーチン大統領が「シリア諸国民大会」の名で提唱し、同月のアスタナ7会議でのロシア、トルコ、イランの合意に基づいて開催が決定された。その目的は、シリア政府(および親体制派)と反体制派の代表を一同に介し、内戦終結の方途や国の未来を議論する場を提供することにあった。つまり、シリア人どうしの対話を通じた内戦の政治的解決をめざすジュネーブ会議にとって代わって、和平プロセスを推し進めようとした。

 シリア政府は大会に前向きな姿勢を示したが、反体制派の対応は多様だった。

 ジュネーブ会議において反体制派を代表してきた最高交渉委員会は、組織としてのボイコットを決定した。だが、ロシアの後押しを受ける「モスクワ・プラットフォーム」(2017年11月に最高交渉委員会に合流)、カタールを拠点とするアフマド・ウワイヤーン・ジャルバー(ガド潮流代表、シリア・エリート部隊代表)、欧州で活動を続ける重鎮のハイサム・マンナーア(カムア潮流代表)らは、個人資格で出席した。

 シリア民主軍の制圧地域の政治を主導する民主統一党(PYD)は当初、参加に意欲を見せていた。だが、同組織をクルディスタン労働者党(PKK)と同根の「テロリスト」とみなすトルコの強い反発に晒された。PYDは最終的に、トルコ軍のアレッポ県アフリーン市一帯への侵攻作戦(「トルコのアフリーン郡侵攻、漁夫の利を得るシリア政府」で後述)に抗議するとして参加をボイコットした。

 一方、トルコの支援を受けてシリア北部でシリア民主軍に対峙するようになった反体制派やそれと連携する政治組織(シリア国民連合(シリア革命反体制派勢力国民連立)傘下の暫定内閣のアフマド・トゥウマ首班)は、トルコの説得に応じて代表の派遣を決定した。その数は78人に達し、彼らはトルコ政府がチャーターした専用機でアンカラからソチに向かった。

 このほか、ダマスカス郊外県東グータ地方を活動拠点とし、サウジアラビアが後押ししてきたイスラーム軍は参加拒否を表明した。だが、ムハンマド・ハイル・ワズィール元司令官は個人資格で参加した。

 なお、アスタナ会議に基づく停戦合意を拒否するアル=カーイダ系組織のシャーム解放委員会やシャーム自由人イスラーム運動は、言うまでもなく、大会そのものを認めない立場をとり、反体制派に参加を見合わせるよう迫った。

 オブザーバーとして招待された諸外国のなかでは、ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、イラク、レバノン、カザフスタン、中国、英国が参加する一方、米国とフランスはボイコットした。理由として、両国は、ダマスカス郊外県東グータ地方で停戦履行に関する誓約をロシアが履行していないためと主張した。この誓約は、ジュネーブ9会議で交わされたものだったが、ロシアは東グータ地方の制圧(「東グータ地方制圧、打ち砕かれた「革命」の幻想」で後述)に向けた準備を進め、シリア軍とともに同地の反体制派への攻撃を続けていた。

 国連は、スタファン・デミストゥラ・シリア問題担当国連特別代表の派遣を決定した。シリア国民対話大会の開催をめぐっては、欧米諸国が、ジュネーブ会議の基礎をなす国連安保理決議第2254号に準拠していないとの非難を繰り返してきた。だが、デミストゥラ特別代表の出席によって、大会は国連のお墨付きを得たかたちとなった。

波乱含みの展開

 シリア国民対話大会には、シリア社会のさまざまな階層を代表する1292人、国外の反体制派101人、外国からの招待者34人、国連からの招待者19人が出席した。大会は終始波乱含みの展開となった。1月29日にソチ国際空港に到着した反体制派の面々は、空港内でシリア国旗があしらわれた施設や掲示物を見て、空港当局や大会関係者にその削除・撤去を要請、これが聞き入れられないと知るや、トルコへの帰国を決心し、入国を拒否した。彼らは14時間空港に滞在し、30日にソチをあとにした。

ソチ国際空港に居座る反体制派(al-Durar al-Shamiya, January 30, 2018)
ソチ国際空港に居座る反体制派(al-Durar al-Shamiya, January 30, 2018)

 またロシアのセルゲイ・ラヴロフ外務大臣の基調演説でも混乱が生じた。プーチン大統領のメッセージを代読するかたちで演説したラヴロフ外務大臣が「大会はシリア国民全員を一つにまとめるためのものだ」と述べると、シリア政府支持者らは拍手喝采を送り、「シリア万歳…プーチン万歳」と声援を送った。だが「シリアはロシア空軍の支援によってテロ勢力を壊滅することができた」と発言するや、会場にいた反体制派が、ロシア語やアラビア語で「シリア国民に対する爆撃を停止しろ」などと野次を飛ばし、大臣は演説の中断を余儀なくされた。

 こうした混乱にもかかわらず、シリア国民対話大会は「シリアの主権、独立、平和、統合の尊重」、「諸外国の内政不干渉」、「国際社会におけるシリアの地位の回復」、「選挙を通じた民主的な方法を通じたシリアの未来の確定」、「政治的多元主義、市民の平等の原則に基づき、宗教的、人種的、民族的な帰属を超えた非宗派主義的民主国家としてのシリア(の樹立)」を確認する閉幕声明を採択した(拙稿「ロシア主導の和平協議「シリア国民対話大会」は失敗に終わったのか?:アサド政権を存続させる反体制派」を参照)。また、内戦終結後の国のありようの基礎となる新憲法の起草(ないしは現行憲法の再検討)を目的とする制憲委員会の設置を圧倒的多数で可決した。

制憲委員会の躓き

 制憲委員会は、国連安保理決議第2254号(S/RES/2254 (2015))に基づく和平プロセスの「肝」となるはずだった。同決議は、シリア政府と反体制派によるシリア人どうしの対話に基づく協議を通じて移行期統治機関(移行政府)を樹立し、そこで新憲法を制定したうえで、同憲法に従った自由で公正な選挙を実施し、紛争を終結させることをめざしていたからだ。

 アスタナ会議の保障国であるロシア、トルコ、イランは、この行程を踏まえて(あるいは乗じて)、制憲委員会の設置をデミストゥラ特別代表に付託することで、シリア国民対話大会(さらにはアスタナ会議)を、ジュネーブ会議にオーヴァーラップさせていった。

 150人から構成されることが決定されていた委員会の人選は、委員のうち50人をシリア政府が、50人を反体制派が、そして50人をデミストゥラ特別代表が選ぶことになった。また、このなかから15人(シリア政府選出5人、反体制派選出5人、シリア問題担当国連特別代表選出5人)に、新憲法草案の起草を委託することが基本方針となった。

 シリア政府は5月、そして最高交渉委員会は7月に、デミストゥラ特別代表に委員候補者名簿を提出、デミストゥラ特別代表も人選を行った。だが、シリア政府は、人選が「アスタナ会議の保障国の役割」が踏まえられねばならず、「第三者を政府や反体制派と平等に扱うことはできない」として、デミストゥラ特別代表が選んだ候補者を拒否した。ここでいう「アスタナ会議の保障国の役割」とは、「制憲委員会の委員はトルコ、イラン、ロシアに等しく配分される」というシリア国民対話大会でのトルコのメヴリュト・チャヴシュオール外務大臣の発言を踏まえたものだった。シリア政府は、対立するトルコの主張を逆手にとって、ロシアとイランが後援するシリア政府支持者が委員の3分の2を、トルコが後援する反体制派が無所属とともに3分の1を占めるべきだと主張したのである。

 デミストゥラ特別代表は10月17日、「純粋に個人的理由」で辞任を表明し、さじを投げた。また、10月26日の国連安保理会合で、制憲委員会設置に向けた自身の試みが頓挫したことを認め、12月20日には「シリア危機解決を支援するのに必要なことを実現できなかったことを謝罪する」と述べた。

 米仏独、サウジアラビア、エジプト、ヨルダンからなる「シリア問題にかかる小グループ」は9月末、外相会合で制憲委員会の早期設立を呼びかけ、対抗しようとした。また、ジェームズ・ジェフリー米国務省シリア問題担当特使は12月4日、ニューヨーク国連本部での「シリア問題にかかる小グループ」会合後、「彼ら(アスタナ会議参加国・参加者)は(設置を)試みたが、失敗した。あるいは少なくとも今のところ、失敗している。もし彼らが12月14日までに失敗し続けるようなら…、アスタナのプラグを抜いてしまおう」と述べた。だが、オブザーバーに過ぎないこれらの国の発言で趨勢が変わることはなかった。

アスタナ9、10、11会議

 制憲委員会設置に向けた動きが躓きを見せるなか、アスタナ会議は粛々と継続され、5月14~15日にはアスタナ9会議、7月30~31日にはアスタナ10会議、そして11月28~29日にはアスタナ11会議が開催された。このうちアスタナ10会議は、カザフスタンのアスタナではなく、ロシアのソチで開催された。

アスタナ11会議(SANA, November 29, 2018)
アスタナ11会議(SANA, November 29, 2018)

 これらの会議では、緊張緩和地帯の維持・強化を通じた停戦の維持、イスラーム国、シャーム解放機構、アル=カーイダとつながりのある組織に対する「テロとの戦い」の継続、シリア政府、反体制派双方が拘束している逮捕者・捕虜の釈放・解放、失踪者・行方不明者の捜索など、停戦プロセスにかかる諸問題が協議されるとともに、制憲委員会設置をめざすデミストゥラ特別代表との連携のありようなどについても意見が交わされた。

緊張緩和地帯(筆者作成)
緊張緩和地帯(筆者作成)

 審議事項はそれだけではなかった。アスタナ10会議では、7月に入ってロシアとシリア政府が本格的に取り組むようになった難民の帰還についても協議がなされた。また、アスナタ11会議では、「「テロとの戦い」を口実として新たな現実の創り出そうとするあらゆる試み」と「シリアの主権と国土統一を反故にしようとする分離主義的アジェンダ」を拒否する声明を採択し、イスラーム国との戦いを根拠としてシリア民主軍への支援を続け、シリア国内での軍事的プレゼンスを維持しようとする米国を牽制した。

 これらの会議、そしてその前後に繰り返された首脳会談をはじめとする一連の折衝を通じて、ロシア、イラン、そしてトルコは、内戦後の秩序作りに向けて、各々の国益をこれまで以上に剥き出しにして、結託を強めていった。

「トルコのアフリーン郡侵攻、漁夫の利を得るシリア政府」に続く)