反体制派を盾としたイスラエル/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(15 最終回)

(写真:ロイター/アフロ)

「東グータの反体制派は誰と戦っていたのか?/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(14)」の続き)

国際紛争としてのシリア内戦においては、これまで着目してきたロシア、トルコ、イラン、米国、反体制派、シリア政府以外にも重要な当事者がいた――イスラエルである。「シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後」の最終回にあたる本稿では、この国に焦点をあてる。

1 シリア地図(出所:筆者作成)
1 シリア地図(出所:筆者作成)

「アラブの春」以降急増した侵犯行為

イスラエルは、「アラブの春」が発生した2011年以降、領土領空侵犯、越境攻撃など、シリアへの侵犯行為を頻繁に繰り返すようになった。バッシャール・アサド政権が成立した2000年から2011年にかけて、イスラエルの侵犯行為は(筆者が調査した限り)4件だった。だが、2011年から2016年までの6年間でその数は15回に急増、2017年になると22回とさらに増加した。

2 ダマスカス国際空港一帯に対するイスラエル軍の爆撃(GMC, April 28, 2017)
2 ダマスカス国際空港一帯に対するイスラエル軍の爆撃(GMC, April 28, 2017)

イスラエルは、民主化、体制打倒、「テロとの戦い」といったシリア内戦の争点の渦中に身を投じず、独自の力学に基づいて行動してきた。その力学とは、シリア国内の混乱、あるいはその結果として生じる当事者間のパワー・バランスの変化が、自国の安全保障に及ぼす悪影響を最小限に抑えるというものだった。

そのためには、シリア政府が圧倒的優位を回復せずに「適度」に劣勢であること、そしてそれによって、シリア軍、レバノンのヒズブッラーに代表される「同盟部隊」、そしてこれらを物心面で支援するイランが、反体制派との戦いに注力し続けていることが理想だった。「抵抗枢軸」を自称するこれらの勢力が勝利することで政治的威信を高め、イスラエルへの軍事的圧力を強めることこそ最悪のシナリオだった。

反体制派の盾

シリア国内の勢力図は、こうしたイスラエルにとって長らく好ましいものだった。アサド政権が存続することで、シリア国内で最低限の秩序が保たれる一方、反体制派が2012年半ばまでにゴラン高原の停戦ラインのシリア側のほぼ全域を掌握し、「抵抗枢軸」からの(不意の)攻撃をかわす「盾」のような役割を果したからだ。

ゴラン高原南東に位置するヤルムーク川河畔地域(ダルアー県)は、イスラーム国に忠誠を誓うハーリド・ブン・ワリード軍が支配していた。彼らは2013年5月にゴラン高原に駐留する国連兵力引き離し監視軍(UNDOF)のフィリピン軍隊員を拉致したヤルムーク殉教者旅団が中心となって2016年5月に結成した組織だ。

それ以外の停戦ライン一帯は、ヘルモン軍、ムハンマド軍、シャイフ山部隊連合などを名乗る組織の支配下にあった。これらの組織はいずれも、アル=カーイダの系譜を汲むシャーム解放委員会(旧シャームの民のヌスラ戦線)、シリア解放戦線(旧シャーム自由人イスラーム運動)、南部戦線に参加する武装集団からなっていた。

3 ゴラン高原一帯で活動していた武装連合体(出所:筆者作成)
3 ゴラン高原一帯で活動していた武装連合体(出所:筆者作成)

対するシリア政府は、ゴラン高原北部のバアス市(クナイトラ市に代わる仮設の県庁所在地)、ハーン・アルナバ市、ハドル村などを維持するのみだった。

反体制派は2015年半ば以降、この地域からシリア軍を放逐しようと、攻撃を繰り返してきた。なぜなら、同地を制圧できれば、ダルアー県とダマスカス郊外県南西部に分断されていた支配地域がつながり、反体制派は首都ダマスカス県への攻勢をかけることができたからだ。

このことは、反体制派の「盾」が停戦ライン全域に構築されることを意味し、イスラエルにとっても好ましかった。

かくして、反体制派は、シリア人にとって生来の敵であるはずのイスラエルの支援を受けることでシリア政府に対峙した。一方、イスラエルは「十字軍とシオニスト」の殲滅を主唱するアル=カーイダ系組織を含む反体制派を利用した。シリア軍の包囲を受けるダマスカス郊外県南西部への兵站は、シリア領内での密輸ルートだけでなく、イスラエルの占領地を経由して反体制派に提供された。また、負傷した戦闘員は、イスラエル領内に搬送され、治療を受けた。

4 2017年初めのゴラン高原一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
4 2017年初めのゴラン高原一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

「アレッポ・モデル」の適用

ゴラン高原でシリア軍と反体制派の攻防戦は、2017年5月のアスタナ4会議で「緊張緩和地帯設置にかかる覚書」が交わされ、各地で停戦が発効して以降も続いた。とりわけ、6月には反体制派がバアス市一帯に進攻し、シリア軍と激しく交戦した。

だが、反体制派は同市を攻略できなかったばかりか、シリア軍の反転攻勢を前に徐々に支配地域を縮小させていった。ダマスカス郊外県南西部のヘルモン山(シャイフ山)麓、サアサア町、バイト・ジン村などで、シリア軍に包囲された反体制派は12月末、シリア政府との間で「アレッポ・モデル」の停戦合意(バイト・ジン合意)を交わした。この合意は、(1)シャーム解放委員会戦闘員のイドリブ県への退去、(2)「自由シリア軍」を名乗るそれ以外の武装集団戦闘員のダルアー県への退去、(3)投降希望者の免罪、を骨子とした。

12月29日、シャーム解放委員会戦闘員65人、「自由シリア軍」諸派の戦闘員106人とその家族がシリア政府によって用意された大型バスで退去、これと前後してシリア政府がゴラン高原北部の支配を回復した。

5 ゴラン高原北部を退去する反体制派戦闘員とその家族(出所:SANA, December 29, 2017)
5 ゴラン高原北部を退去する反体制派戦闘員とその家族(出所:SANA, December 29, 2017)

イスラエルによる反体制派支援

反体制派の勢力が弱まるなか、イスラエルは二つの施策を通じて事態に対処しようとした。

第1の施策は、反体制派と交戦しているシリア軍の前線拠点への爆撃・砲撃である。イスラエル領内(占領下のゴラン高原)にシリア軍の迫撃砲弾が着弾したことへの報復だとして繰り返された攻撃は、あからさまな反体制派支援だった。6月下旬から7月上旬にかけて、イスラエル軍は、バアス市の市街地や周辺の農場地帯を爆撃・砲撃し、シリア軍(さらにはヒズブッラーの)陣地や砲台を破壊した。このとき前線では、シャーム解放委員会をはじめとする武装集団とシリア軍と激しく交戦していた。

6 バアス市郊外での戦闘(出所:SANA, June 24, 2017)
6 バアス市郊外での戦闘(出所:SANA, June 24, 2017)

ヒズブッラーとイランへの攻撃

第2の施策はレバノンのヒズブッラーやイランを標的とした大規模な攻撃である。

イスラエル軍は4月27日、ダマスカス国際空港南西部のシリア軍陣地、燃料倉庫、貯蔵施設、さらにはヒズブッラーの武器弾薬庫を爆撃した。また9月7日には、ハマー県ミスヤーフ市東部にある軍事基地(ガドバーン野営キャンプ)を爆撃した。イスラエル側の発表によると、この基地には、過去に化学兵器やミサイルなどを製造していた施設があり、イランやヒズブッラーがこれに関与していたとされた。同様の爆撃は、ヒムス県ハスヤー町の工業地区(11月1日)、ダマスカス郊外県キスワ市郊外の軍事拠点(12月2日)に対しても行われた。

7 イスラエルの民放テレビ局Arutz 2が公開したシリア領内のイランのミサイル製造施設とされる画像(出所:Youtube, August 16, 2017)
7 イスラエルの民放テレビ局Arutz 2が公開したシリア領内のイランのミサイル製造施設とされる画像(出所:Youtube, August 16, 2017)

こうした攻撃と合わせて、イスラエルは、米国とロシアに働きかけ、シリア南西部に「安全ベルト」を確保した。7月の米・ロシア首脳会談において設置合意された「安全ベルト」は、停戦ライン以西の約40キロの地域から「同盟部隊」を撤退させ、以降その進駐を認めないとするものだった(拙稿「アスタナ会議5場外での米露の歩み寄り/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(3)」を参照)。

これを受け、ヒズブッラー、イラク人民動員隊、ファーティミーユーン旅団、そしてイラン・イスラーム革命防衛隊が撤退したのは、停戦ラインから20キロ以内の地域だけだった。とはいえ、イスラエルは「抵抗枢軸」の軍事的圧力を相対的に低下させることに一応成功した。

徒となった強硬姿勢

だが「抵抗枢軸」の増長に対処するための予防措置は2018年に入ると破綻した。

2月10日、ヒムス県タドムル市近郊のT4(第4石油輸送ステーション)航空基地(別名タイフール航空基地、ティヤース航空基地)から飛来したとされるイランの無人航空機がイスラエル領空を侵入、イスラエル軍はこれを撃墜するとともに、報復としてT4航空基地一帯の「イランの拠点」を爆撃した。しかし、シリア軍がこれに反撃、イスラエル軍のF-16戦闘機1機を撃墜したのである。

8 撃墜されたイスラエル軍戦闘機(出所:SANA, February 10, 2018)
8 撃墜されたイスラエル軍戦闘機(出所:SANA, February 10, 2018)

イスラエル軍戦闘機が撃墜されたのは1982年以来実に36年ぶりだった。シリア軍は侵犯を繰り返すイスラエル軍に対して、これまでにも防空兵器で迎撃してきた。だが、爆撃を食い止めることもできなければ、損害を負わせることもできなかった(ただし、シリア軍は3月17日にイスラエル軍戦闘機を、9月22日には無人航空機を、12月4日にはミサイル2基を撃破したと発表している)。

シリア政府は、イスラエルとの全面戦争に発展しかねない大胆な軍事行動をとらない「安心できる敵」のはずだった。だが、そんなシリア政府の背中を押したのはロシアだった。ロシアは、シリア軍、同盟部隊だけでなく、ロシア軍部隊も進駐していたT4航空基地を爆撃したイスラエル軍に対するS-200防衛システムでの迎撃をシリア政府に許可したのだ。

これ以降、イスラエルはシリアに対する侵犯行為を控えるようになり、一度も爆撃を行っていない。

イスラエルの攻撃は、シリアでのイランの勢力拡大を阻止するという点でドナルド・トランプ米政権と共通していた。しかし、トランプ政権が、シリア軍による化学兵器使用疑惑への報復として、ロシア軍部隊が駐留するシャイーラート航空基地をミサイル攻撃(2017年4月)した際、ロシア政府に事前通告したのとは対象的に、イスラエルは、シリアの「キングメーカー」となったロシアへの「配慮」を欠いていた。

シリア内戦だけでなく、アラブ・イスラエル紛争におけるもっとも困難な局面であるイスラエルと「抵抗枢軸」との対立においても、ロシアが圧倒的な存在感を示すようになったのである。

国際紛争としてのシリア内戦の終わりが意味するもの

「シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後」(1 序論)の冒頭で述べた通り、国際紛争としてのシリア内戦は終わりを迎えた。だが、このことは、実はシリア内戦が終わったことを意味してもいないし、シリアをめぐる国際紛争が終息したことも意味しない。

各地では今もなお、シリア軍と反体制派の戦闘が続いているし、諸外国によるシリアへの内政干渉や軍事介入が止まる気配もない。にもかかわらず、そこでは、民主化、主権尊重、化学兵器使用阻止、「テロとの戦い」は、シリア内戦を戦ってきた内外の当事者の行動を正当化(ないしは非難)する際の根拠ではなくなっており、内戦と国際紛争を結びつけてきたアジェンダが意味をなさなくなった。その代わりに、それぞれの当事者は、自己の利益をあからさまに追及し、利己的な動機を剥き出しにして行動するようになっている。

諸外国は混乱を収束させるために介入しているというよりは、シリアを単なる主戦場として蹂躙しているだけだ。国内の政治・軍事主体には、シリア政府であれ、反体制派であれ、互いを排除、さらには抹殺しようとする傾向が見て取れる。これでは、シリア内戦発生以前のアサド政権による強権支配と何ら変わらない。強権を振るう主体が多極化しただけで、政治的多元主義でも、民主化でもない。シリア政府、ロジャヴァ(西クルディスタン移行期民政局)、反体制派、米国、トルコの実効支配・占領によって社会が地理的に分断されるなか、人々はシリアという国の主権者であることを意識できないまま、互いを相容れることのできない「異なったシリア人」と認識することを余儀なくされている。

国際紛争としてのシリア内戦は終わった。だが、それはシリアの人々にとっての悲劇の終わりでない。国際紛争としてのシリア内戦は終わったことで、彼らの惨状はさらに深刻なものとなっている。

終わり