東グータの反体制派は誰と戦っていたのか?/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(14)

(写真:ロイター/アフロ)

「混濁続く「反体制派のスペクトラ」/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(13)」の続き)

シリアの雑多な反体制派は、軍が攻勢を強め、バッシャール・アサド政権の存続や復権を意識させられることで求心力を高めてきた。イドリブ県、アレッポ県西部、そしてハマー県北部に広がる「解放区」(緊張緩和地帯第1ゾーン)において、彼らは離合集散を繰り返しつつも、イスラーム国との戦いに勝利したシリア軍が「テロとの戦い」の矛先を向けてきたことを受けて、再び糾合した。

だが、シリア軍やアサド政権の存在がそうした効果を生み出さないこともあった。ダマスカス郊外県東グータ地方での反体制派どうしの対立がそれである。

東グータ地方の苦悩

東グータ地方は、「アラブの春」がシリアに波及した2011年3月から、ダルアー市、ヒムス市とともに反体制抗議運動がもっとも激しく展開し、シリア軍が執拗に攻撃を続けてきた地域だ。ドゥーマー市、ハラスター市、アルバイン市、ハムーリーヤ市、サクバー市、ザマルカー町、カフルバトナー町、アイン・タルマー村といった衛星都市と農村地帯からなる同地は、シリア内戦以前には219万人(2010年人口統計)の人口を擁していた。だが、現在同地に留まっているのは35~40万人ほどだという。

シリア軍は2012年12月に東グータ地方一帯への締め付けを強化し、2013年9月に完全包囲した。以降、この地域は孤立状態に置かれ、生活必需品(そして兵站)は周辺からの密輸に依存、深刻な人道危機に見舞われた。

1 抗議デモの犠牲者の葬儀に参列するドゥーマー市住民(出所:SNN, April 3, 2011)
1 抗議デモの犠牲者の葬儀に参列するドゥーマー市住民(出所:SNN, April 3, 2011)

緊張緩和地帯の第3ゾーンに指定された東グータ地方は、ロシアが中心となって停戦に向けた努力を重ねてきた。拙稿「アスタナ会議5場外での米露の歩み寄り/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(3)」で述べた通り、ロシアは2017年7月22日、同地で停戦を発効することを米国と合意し、8月18日にはシリア政府と反体制派が停戦合意を交わしたと発表された。だが、こうした努力は奏功せず、戦闘は続いた。

ここで言う戦闘とは、何よりもまずロシア軍や同盟部隊の支援を受けるシリア軍と反体制派によるもので、前者による「無差別」攻撃は常に欧米諸国の非難の的となった。

利用される子供たち

2016年12月末に決着したアレッポ市東部での攻防戦では、流ちょうな英語で、ツイッターから窮状を訴え続けた少女バナー・アブドちゃん(当時7歳)、シリア軍の爆撃によって倒壊した建物から血まみれになって救出された少年ウムラーン・ダクニーシュくん(当時5歳)らが、アイコンとして注目を集めた。

2 バナーちゃんのツイッター・アカウント(出所:https://twitter.com/alabedbana)
2 バナーちゃんのツイッター・アカウント(出所:https://twitter.com/alabedbana)
3 瓦礫のなかから救出されたウムラーンくん(出所:AMC, August 18, 2016)
3 瓦礫のなかから救出されたウムラーンくん(出所:AMC, August 18, 2016)

このうち、バナーちゃんはアレッポ市東部陥落直前に戦闘員とその家族とともにイドリブ県に退去、その後トルコに移った。一方、ウムラーンくんは、シリア軍に「保護」され、2017年6月にシリア・アラブ・テレビに出演し、父親だという人物が喧伝映像撮影のために反体制派に利用されていたと暴露した。

4 トルコでエルドアン大統領と面談するバナーちゃん(出所:Twitter, December 21, 2016)
4 トルコでエルドアン大統領と面談するバナーちゃん(出所:Twitter, December 21, 2016)
5 シリア・アラブ・テレビに出演するウムラーンくん(出所:SANA, June 5, 2017)
5 シリア・アラブ・テレビに出演するウムラーンくん(出所:SANA, June 5, 2017)

「アラブの春」のシリアへの波及は、ダルアー市で政権退陣を求める落書きをした子供たちが、当局に拘束され、厳しい処分を受けたことに端を発していた。それゆえ、反体制派は当初から、シリア政府の非道さを伝えるアイコンとして子供を利用した。これに対し、シリア政府側は、これを捏造だと非難、反体制派の主張を反駁することに力を注いだ。

東グータ地方でも例外ではなかった。2017年12月、ハムーリーヤ市に対する2度にわたるシリア軍の爆撃で頭蓋骨損傷を負い、左目を失明、母親を亡くしたシリア人の生後3ヶ月の赤ちゃん、カリーム・アブドゥッラフマーンくんの映像がインターネットなどで公開された。反体制派はシリア軍の攻撃に抗議するため、片手で左目を覆った自身の写真を拡散、国連英国代表大使、トルコの閣僚、レバノンのサアド・ハリーリー首相らが同様の写真を公開することで、連帯を表明した。

6 カリームくんの写真(出所:al-Hayat, December 19, 2017)
6 カリームくんの写真(出所:al-Hayat, December 19, 2017)
7 東グータ地方へのシリア軍の攻撃に抗議するマシュー・ライクロフト英国連大使(出所:al-‘Arabi al-Jadid, December 20, 2017)
7 東グータ地方へのシリア軍の攻撃に抗議するマシュー・ライクロフト英国連大使(出所:al-‘Arabi al-Jadid, December 20, 2017)

このほかにも、10月にはシリア軍による「飢餓作戦」のなかで餓死した、体重2,000グラムに満たないサフル・ダフダアちゃんの写真が公開・拡散された。

シリア軍の攻撃による被害は、こうしたアイコンに着目するまでもなく、筆舌に尽くし難いものだった。にもかかわらず、同地で活動を続ける反体制派は、子供たちの苦しみを尻目に勢力争いに終始し、反目し合った。

イスラーム軍とラフマーン軍団

対立したのは、東グータ地方で活動を続ける二つの有力組織のイスラーム軍とラフマーン軍団だった。

イスラーム軍は、2011年9月頃にダマスカス郊外県ドゥーマー市で結成されたイスラーム中隊を母胎とした。イスラーム旅団への改称を経て、2013年9月に約50の武装集団を糾合してイスラーム軍を名乗るようになった。サウジアラビアがもっとも支援に力を入れた組織で、ダマスカス郊外県のほか、イドリブ県やアレッポ県でも活動した。2012年7月に首都ダマスカス県でアサド大統領の義兄のアースィフ・シャウカト副参謀長らを爆殺した事件に対して、犯行声明を出したイスラーム旅団は、このイスラーム軍の前身である。

8 イスラーム軍の観閲軍事パレード(出所:Youtube, April 29, 2015)
8 イスラーム軍の観閲軍事パレード(出所:Youtube, April 29, 2015)

一方、ラフマーン軍団は、ダマスカス郊外県各所やダマスカス県ジャウバル区で活動してきたバラー旅団、アブー・ムーサー・アシュアリー旅団、グータ殉教者旅団、首都の兵連合、シャームの民大隊、ハールーン・ラシード旅団、カアカーア旅団、ハーフィズ・ザハビー旅団、ムハージリーン・ワ・アンサール旅団、アブドゥッラー・ブン・サラーム旅団、ウンム・クラー旅団、サナーディード旅団、サイフッディーン・ディマシュキー旅団、アジュナード・シャーム・イスラーム連合、第一旅団などが統合して、2013年末に結成された組織で、「自由シリア軍」を自称している。

9 ラフマーン軍団の教練風景(出所:Twitter, February 5, 2017)
9 ラフマーン軍団の教練風景(出所:Twitter, February 5, 2017)

両者は、2015年12月にロシア・シリア両軍が東グータ地方で実施した爆撃で、ザフラーン・アッルーシュ司令官を含むイスラーム軍の幹部や、ラフマーン軍団、シャーム自由人イスラーム運動の幹部を殺害されて以降、同地の支配をめぐって不協和音をきたすようになった。2016年4月末、ラフマーン軍団は、フスタート軍(シャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、ウンマの暁旅団からなる連合体)とともに、ザマルカー町、ジスリーン町、ミスラーバー市、ハムーリーン村、アイン・タルマー村、カフルバトナー町にあるイスラーム軍の拠点や幹部の自宅を襲撃、両者の衝突は10月まで散発的に続いた。

10 キティのノートを前に演説するイスラーム軍のザフラーン・アッルーシュ指導者(出所:The Independence, July 4, 2014)
10 キティのノートを前に演説するイスラーム軍のザフラーン・アッルーシュ指導者(出所:The Independence, July 4, 2014)

東グータ地方には、これ以外にも、アル=カーイダの系譜を汲むシャーム解放委員会(旧ヌスラ戦線)とシャーム自由人イスラーム運動(現シリア解放戦線)が有力だったが、彼らは「自由シリア軍」を自称するラフマーン軍団と連携した。

敗戦の責任のなすりつけ合い

イスラーム軍、ラフマーン軍団は2017年3月半ば、それまでの対立を解消し、シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動、第一旅団、ウンマの曉旅団などとともに「アッラーの僕たちよ、しっかとせよ」の戦いを開始、数千人の戦闘員を動員して、東グータ地方に隣接するダマスカス県ジャウバル区、カーブーン区、バルザ区に侵攻した。

作戦では、ラフマーン軍団とシャーム解放委員会がジャウバル区で、第一旅団とウンマの曉旅団がカーブーン区およびバルザ区一帯で進軍を開始し、カーブーン区の工業地区、ジャウバル区内の複数の建物群、そしてアッバースィーイーン・バス・ターミナルの大部分を制圧し、首都ダマスカス県各所への砲撃を激化させた(拙稿「アレッポ・モデルの停戦:退去か強制移住か/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(12)」を参照)。

11 「アッラーの僕たちよ、しっかとせよ」の戦い継続を発表するラフマーン軍団の声明(出所:Kull-na Shuraka’, March 21, 2017)
11 「アッラーの僕たちよ、しっかとせよ」の戦い継続を発表するラフマーン軍団の声明(出所:Kull-na Shuraka’, March 21, 2017)

だが、ロシア軍の航空支援を受けるシリア軍は、3月下旬までに反体制派を撃退することに成功した。このことが、イスラーム軍とラフマーン軍団の対立を再燃させたのだ。

イスラーム軍は、ラフマーン軍が前線への援軍派遣を妨害するだけでなく、「外来思想」のシャーム解放委員会と共闘していると非難した。これに対し、ラフマーン軍団は、批判が内部対立を正当化するための口実に過ぎないと反論した。

4月28日に両者の対立は武力衝突に発展した。シャーム自由人イスラーム運動、シャーム解放委員会はラフマーン軍団に同調し、イスラーム軍を非難した。

進まぬ和解

対立は、アスタナ会議への対応の違いを反映しているようにも見えた。ラフマーン軍団、シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動が、会議において推し進められた停戦プロセスを拒否した(ないしは排除された)のに対し、イスラーム軍は、シリア政府との交渉にあたる「シリア軍事革命諸勢力代表団」を主導していたからだ(代表団はイスラーム軍幹部のムハンマド・アッルーシュが団長を務めた)。

だが、停戦が具体化するなか、アスタナ会議は東グータ地方に緊張緩和をもたらす触媒のような役割を果たした。アスタナ4会議(5月3~4日)で「緊張緩和地帯設置にかかる覚書」が合意されると、イスラーム軍は、シリア軍事革命諸勢力代表団への積極参加を見合わせ、ラフマーン軍団に歩み寄った。イスラーム軍、ラフマーン軍団、シャーム自由人イスラーム運動は5月4日、シャーム解放委員会と共闘する自由イドリブ軍、ナスル軍などとともに共同声明を出し、「緊張緩和地帯設置にかかる覚書」に拒否の姿勢を示したのである(拙稿「緊張緩和地帯の成立/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(2)」を参照)。

12 5月4日の共同声明(出所:Kull-na Shuraka’, May 4, 2017)
12 5月4日の共同声明(出所:Kull-na Shuraka’, May 4, 2017)

とはいえ、イスラーム軍とラフマーン軍団の和解は困難を極めた。両者は8月、ロシアの圧力に屈するかたちで、シャーム解放委員会の排除をもって対立を解消することに合意した。だが、ラフマーン軍団は、シャーム解放委員会と連携し続けた。シャーム自由人イスラーム運動が11月半ばに「彼らが不正を働いた」の戦いと銘打って、ハラスター市一帯での戦闘を本格化させると、ラフマーン軍団はシャーム解放委員会とともにこれに参加した。

13 「彼らが不正を働いた」の戦い開始を宣言するシャーム自由人イスラーム運動の声明(出所:al-Durar al-Shamiya, November 15, 2017)
13 「彼らが不正を働いた」の戦い開始を宣言するシャーム自由人イスラーム運動の声明(出所:al-Durar al-Shamiya, November 15, 2017)

イスラーム軍は、こうした動きに反発こそしなかったが、「彼らが不正を働いた」の戦いとは距離を置いた。その一方、アスタナ会議の動静を見据え、東グータ地方の人道危機への対処や捕虜交換に力点を置き、ロシア、シリア政府、さらには国連との折衝を続けた。その甲斐もあって、12月下旬には、緊急の治療を要する住民約80人を東グータ地方からシリア政府支配地域の病院に移送することをロシアやシリア政府と合意、シリア席新月社と赤十字国際委員会の合同チームがその作業にあたった。またこれと合わせて、イスラーム軍は拘束していたシリア軍捕虜を釈放した。

なお、エリザベス・ホフWHO(世界保健機関)シリア事務所長が12月6日に発表したところによると、東グータ地方には患者約500人が治療を受けるために待機しているという。

最終局面

2018年に入ると、東グータ地方をめぐるシリア政府と反体制派の抗争は最終局面を迎えた。ロシア・シリア両軍は2月18日、同地の完全制圧に向けて爆撃・砲撃を激化させ、シリア軍地上部隊が「人民防衛諸集団」、「予備部隊」と総称される親政権民兵や同盟部隊とともに進攻した。英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団によると、3月15日時点でロシア・シリア両軍の攻撃による民間人死者は1,249人(うち252人が子供)に達しているという。

14 東グータ地方に対する爆撃で救出活動にあたるホワイト・ヘルメット(出所:al-Durar al-Shamiya, February 22, 2018)
14 東グータ地方に対する爆撃で救出活動にあたるホワイト・ヘルメット(出所:al-Durar al-Shamiya, February 22, 2018)

攻撃が激しさを増すなか、シリア軍による塩素ガス使用疑惑が幾度となく浮上、インターネット上では窮状を訴える地元の子供たちの映像や写真が拡散された。欧米諸国はロシアとシリア政府を非難、米国にいたっては軍事介入の可能性をちらつかせた(拙稿「シリアのアサド政権は「まだ」化学兵器を使っているのか、そして「また」使うのか?」「シリア 弾圧に曝される市民に寄り添うフリをしてきた欧米諸国の無力と敗北」Newsweek日本版、2018年2月28日を参照)。

だが、イドリブ県、アレッポ県西部、そしてハマー県北部の反体制派が、シリア軍の攻勢を前に結束を強めたのとは対象的に、東グータ地方の反体制派は一つにはならなかった。彼らは各々の支配地域で抵抗しただけだった。

それが弱点だった。

シリア軍は、イスラーム軍とラフマーン軍団の支配地域の境界に沿って進軍し、彼らを放逐していった。本稿脱稿時点において、東グータ地方は、シリア政府がその70%の支配を回復、反体制派支配地域は、イスラーム軍の支配下にあるドゥーマー市一帯、ラフマーン軍団、シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動などが活動を続けるハラスター市、そして同じくラフマーン軍団などが支配するアルバイン市、サクバー市、ザマルカー町、カフルバトナー町、アイン・タルマー村などからなる南部の三つに分断されてしまった。

15 2018年3月15日の東グータ地方の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
15 2018年3月15日の東グータ地方の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

徹底抗戦を続ける反体制派と連帯し、東グータ地方に留まっていたはずの住民も大挙してシリア政府支配地域に避難していった(「シリア・アラブの春顛末期:最新シリア情勢」2018年3月15日などを参照)。シリア政府寄りのメディアは、シリア政府当局に保護された住民、とりわけ子供たちの様子を伝え、反体制派が彼らを「人間の盾」として利用してきたとこぞって非難した(そして、言うまでもなく、反体制派はこうした言説をプロパガンダ、デマだと断じた)。

16 東グータ地方から家族とともにシリア政府支配地域に避難する子供たち(出所:SANA, March 15, 2018)
16 東グータ地方から家族とともにシリア政府支配地域に避難する子供たち(出所:SANA, March 15, 2018)

東グータ地方の反体制派は、「非道」な「独裁体制」であるアサド政権の存続や復権を意識することで一つになるべきだった。だが、勢力争いに終始した彼らは、四分五裂を解消できないまま、敗北しようとしていた。

続く