混濁続く「反体制派のスペクトラ」/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(13)

(写真:ロイター/アフロ)

「アレッポ・モデルの停戦:退去か強制移住か/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(12)」の続き)

シリア内戦というと、シリア政府、反体制派、イスラーム国の「三つ巴」の戦いと評されることが多い。ここにおいて、反体制派は、一方で「独裁」に対する「民主化」闘争を、他方でイスラーム国に対する「テロとの戦い」を推し進めているとイメージされた。

反体制派とイスラーム国の関係に着目した場合、もちろんこうしたイメージに合致した対立構図もあった。ダマスカス県南部のカダム区、ヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ、そしてこれらに隣接するダマスカス郊外県ハジャル・アスワド市一帯のイスラーム国と反体制派の対立や、ダルアー県南西部のヤルムーク川河畔地域でのハーリド・ブン・ワリード軍と反体制派の勢力争いがそれである。ハーリド・ビン・ワリード軍は、2016年5月にヤルムーク殉教者旅団とイスラーム・ムサンナー運動によって結成された連合体で、イスラーム国そのものではないが、イスラーム国に忠誠(バイア)を誓っている。

1 2016年5月21日に発表されたハーリド・ブン・ワリード軍の発足声明(出所:https://syrian-reporter.net/)
1 2016年5月21日に発表されたハーリド・ブン・ワリード軍の発足声明(出所:https://syrian-reporter.net/)

「反体制派のスペクトラ」のなかのイスラーム国

だが、イスラーム国もまた、「反体制派のスペクトラ」の一端にその身を置いていた。拙稿「シリア反体制武装勢力の同質性と異質性:アル=カーイダ系組織、ジハード主義者、「穏健な反体制派」」(『国際情勢紀要』第85号、2015年3月、pp. 125-133)で詳述した通り、イスラーム国の戦闘員、そしてその傘下の部隊は、その時々の戦況に応じて、「自由シリア軍」、「アル=カーイダ」といった「看板」を掲げることで縦横無尽に所属や帰属を変更し、生き残りを図ってきたからだ。

イスラーム国を含む「反体制派のスペクトラ」の動態(ないしは混濁)は2017年初めのイドリブ県でのジュンド・アクサー機構をめぐる離合集散に際して改めて顕在化した。

ジュンド・アクサー機構は、シャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放委員会)を離反した武装集団が2014年11月に結成した組織で、イドリブ県、ハマー県北部、アレッポ県南部を主な活動拠点とした。アル=カーイダに忠誠を誓っていたが、メンバーのなかにはイスラーム国に共鳴する者も多く、そのことが理由で、ヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動(現シリア解放戦線)とたびたび衝突した。その一方で、これらの組織とイスラーム国の活動を架橋する役割も果たしてきた。ジュンド・アクサー機構は、2016年9月に米国が特別指定グローバル・テロ組織(SDGT)に指定、またその直後にシャーム自由人イスラーム運動との戦闘に敗れ、10月に両者の対立を仲介したシャーム・ファトフ戦線(旧ヌスラ戦線、現シリア解放戦線)に吸収統合されていた。

だが2017年に入ると、ジュンド・アクサー機構の元メンバーが反体制派内で「不協和音」を奏でることとなった。

きっかけは、ドナルド・トランプ米政権が正式発足する直前から、米国がシャーム・ファトフ戦線に対する空爆を頻発化させたことにあった。攻撃は3月下旬まで断続的に続き、その多くが、幹部が乗った車輌や拠点をピンポイントで狙った正確なものだった。こうした「めざましい」戦果に対して、シャーム・ファトフ戦線内部では、これまで共闘してきた「穏健な反体制派」が索敵情報を提供しているのではとの疑念を強める者が現れるようになった。

2 米主導の有志連合の爆撃で狙われたシャーム・ファトフ戦線拠点で救出作業を行うホワイト・ヘルメット(出所:EMC, January 11, 2017)
2 米主導の有志連合の爆撃で狙われたシャーム・ファトフ戦線拠点で救出作業を行うホワイト・ヘルメット(出所:EMC, January 11, 2017)

シャーム・ファトフ戦線は1月21日、イドリブ県北部のザーウィヤ山地方一帯のシャーム自由人イスラーム運動の拠点を襲撃した。反体制派による密告疑惑に加えて、国境管理の利権争いに端を発していたとされる攻撃を首謀したのは、ジュンド・アクサー機構の元メンバーだった。

シャーム・ファトフ戦線は1月23日、ジュンド・アクサー機構の元メンバーに破門を言い渡すことで事態収拾を計った。だが、戦闘は止まず、シャーム自由人イスラーム運動は、イスラーム軍、ムジャーヒディーン軍、「命じられるまま正しく進め」連合とともに、ジュンド・アクサー機構の元メンバーの掃討に本腰を入れた。

こうしたなか、元メンバーどうしも、反体制派との関係をめぐって内部対立を激化させ、三つの派閥に分裂した。第1の派閥は、シャーム自由人イスラーム運動との衝突を避けようとするシャーム・ファトフ戦線指導部に同調し、これに合流した。第2の派閥と第3の派閥は、これに異議を唱え、シャーム・ファトフ戦線を離反し、それぞれアンサール・トゥルキスターン、アクサー旅団という新たな武装集団を結成した。アンサール・トゥルキスターンはイドリブ県出身者から、アクサー旅団はハマー県出身者から構成された。

この二つの派閥は、シャーム自由人イスラーム運動だけでなく、シャーム・ファトフ戦線に対しても攻撃を行うようになった。だが、アクサー旅団は2月末、中国新疆ウィグル自治区出身者からなるトゥルキスターン・イスラーム党の仲介で、シャーム・ファトフ戦線と停戦合意し、戦闘員はイスラーム国に加わるためにラッカ市方面に移動することを認められた(なおアンサール・トゥルキスターンの消息は不明)。

3 ジュンド・アクサー機構元メンバーの破門を告知するシャーム・ファトフ戦線の声明(出所:ARA News, January 23, 2017)
3 ジュンド・アクサー機構元メンバーの破門を告知するシャーム・ファトフ戦線の声明(出所:ARA News, January 23, 2017)

反体制派の離合集散

ジュンド・アクサー機構をめぐる不協和音は、元メンバーがシャーム・ファトフ戦線とイスラーム国のいずれかに合流することで解消した。だが「反体制派のスペクトラ」の混濁は続いた。

イスラーム国を除く反体制派は、2016年12月まで続いたアレッポ市東部でのシリア軍との攻防戦を通じて結束を強め、アレッポ・ファトフ軍(2015年5月結成)、新生ファトフ軍(2016年5月)、アレッポ軍(同年12月)をはじめとする連合体を結成した(参加組織は拙稿『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』岩波書店、2017年、巻末表を参照)。だが、アスタナ会議の枠組みのなかで呼びかけられる停戦受諾の是非、自らの支配地域の維持拡大をめぐって、再び離合集散するようになったのだ。

最初に動いたのは、シリアのアル=カーイダであるシャーム・ファトフ戦線だった。彼らは1月24日、ザーウィヤ山一帯を含むイドリブ県北部とアレッポ県西部(およびアレッポ市西部郊外)で、ムジャーヒディーン軍、シャームの鷹旅団、シャーム戦線の拠点を制圧した。これらはいずれも、アレッポ市東部での戦闘で共闘していた組織だった。

窮地に立たされた3組織は同日、シャーム自由人イスラーム運動に支援を求め、忠誠(バイア)を表明した。また、イスラーム軍(イドリブ地区)、シャーム戦線(西アレッポ地区)、「命じられるまま正しく進め」連合、シャーム革命家大隊も26日、シャーム・ファトフ戦線の侵攻から身を守るべくシャーム自由人イスラーム運動に忠誠を表明した。29日にもイブン・タイミーヤ大隊、ミクダード・ブン・アムル旅団がシャーム自由人イスラーム運動に合流した。

シャーム自由人イスラーム運動はこれに応えるかたちで、1月26日にこれらの組織を吸収すると発表した。だが、シャーム・ファトフ戦線はシャーム自由人イスラーム運動の勢力拡大に警戒を強め、対抗した。

4 反体制派の吸収を発表したシャーム自由人イスラーム運動の声明(出所:http://syriaarabspring.info/?p=34886)
4 反体制派の吸収を発表したシャーム自由人イスラーム運動の声明(出所:http://syriaarabspring.info/?p=34886)

シャーム・ファトフ戦線は1月28日、バラク・オバマ前米政権の支援を受けてきた「穏健な反体制派」であるヌールッディーン・ザンキー運動、ハック旅団、アンサールッディーン戦線、スンナ軍と共同声明を出し、シャーム解放委員会という新組織として完全統合すると発表、また力によって反体制派の統合を進めるとの意思を表明した。

5 シャーム解放委員会結成声明(出所:http://syriaarabspring.info/?p=34930)
5 シャーム解放委員会結成声明(出所:http://syriaarabspring.info/?p=34930)

シャーム解放委員会には、シャーム自由人イスラーム運動を離反した幹部も多数参加した。また2月に入ると、機甲ミサイル旅団、ハムザ中隊、フザイファ・ブン・ヤマーン大隊、リヤーフ・ジャンナ大隊、フサイン連合、カーディスィーヤ連合、アリー末裔連合、補給旅団、クルド人部隊、アクサー中隊、イッザ大隊、殉教者船団などがシャーム解放委員会に合流した。シリア解放委員会は、シャーム自由人イスラーム運動を圧倒し、シリア最大の反体制派として躍進した。

シャーム解放委員会拡大の動きはその後も続いた。8月半ばには、ハマー県で活動するシャーム自由人イスラーム運動傘下の複数の武装集団が中心となってハマー軍として統合し、シャーム解放委員会に忠誠を誓った。また11月には、アジュナード・シャーム・イスラーム連合がシャーム解放委員会に忠誠を誓った。

シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動の軍門に降ったのは、そのほとんどが「自由シリア軍」、あるいは「穏健な反体制派」として知られてきた武装集団だった。

シリアのアル=カーイダの系譜

ところで、シャーム解放委員会とアル=カーイダの関係については若干補足しておく。

シャーム解放委員会の母胎であるヌスラ戦線は、その後イスラーム国を名乗ることになるイラク・イスラーム国のシリアにおける前線組織として、2012年1月に発足が宣言された。彼らは、2013年4にイスラーム国(当時の呼称はイラク・シャーム・イスラーム国)と訣別して以降は、アル=カーイダ総司令部のアイマン・ザワーヒリーへの忠誠を強調することで勢力拡大を試み、「もっとも攻撃的で成功した反体制武装集団」(The Washington Post, November 30, 2012)としての地位を揺るぎないものとした。

6 ヌスラ戦線のジャウラーニー指導者(出所:Kull-na Shuraka’, July 28, 2016)
6 ヌスラ戦線のジャウラーニー指導者(出所:Kull-na Shuraka’, July 28, 2016)

だが、ロシア軍と同盟部隊の支援を受けるシリア軍がアレッポ市東部制圧に向けた動きを本格化させると、ヌスラ戦線は2016年7月、「穏健な反体制派」との連携を強化するための「奇策」に出た。彼らは、アル=カーイダの「承諾」のもとにアル=カーイダとの関係を解消すると発表し、組織名をヌスラ戦線からシャーム・ファトフ戦線(シャーム征服戦線)に改称した。

7 シャーム・ファトフ戦線への改称を宣言するジャウラーニー指導者(Orient News, July 29, 2016)
7 シャーム・ファトフ戦線への改称を宣言するジャウラーニー指導者(Orient News, July 29, 2016)

ヌールッディーン・ザンキー運動をはじめとする「穏健な反体制派」と統合することで結成されたシャーム解放委員会は、こうした脱アル=カーイダ化の延長線上に位置していると言える。だが、こうした流れに関して、アル=カーイダはその後拒否の姿勢を明示した。

ザワーヒリーは2017年11月28日、「堅固な建造物をなして彼らと戦おう」と題された音声声明で、以下の通り述べ、アル=カーイダへの忠誠解消は無効だと非難したのだ。

我々は、ヌスラ戦線であれ、それ以外であれ、忠誠を解消しないし、ヌスラ戦線からの密かな忠誠も受け入れない…。我々はこうしたことを決定的な過ちとみなしている。我々に忠誠を誓うすべての者との関係は、違反が禁じられた遵守されるべき契約である。

ヌスラ戦線は、アル=カーイダとの結びつきを表明するすべての者に戦いを挑み、彼らの女性を捕らえ、子どもたちを尋問した…。シャーム解放委員会に対して、1年以上も改善の猶予を与えてきたが、彼らは要請を無視してきた。

これに対して、米国の態度は曖昧だ。マイケル・ラトニー米国務省シリア問題担当特使は3月10日、アラビア語の声明を出し、「シャーム解放委員会に統合された者はシリアのアル=カーイダのネットワークの一部となる」と述べた。また8月2日にも「今後も米国の攻撃目標であり続ける…。シャーム解放委員会に参加するすべての者は、シリアのアル=カーイダの一部である。アル=カーイダの思想に依拠している」と強調した。

だが、ニコール・トンプソン米国務省高官は5月15日、カナダのCBCチャンネルのインタビューで「シャーム解放委員会がヌスラ戦線と密接な結びつきがあるとしても、テロ組織には分類されていない…。国務省は声明で「ヌスラ戦線はテロ組織だが現存しない」と言うべきだった」と述べた。

一方、シャーム自由人イスラーム運動は、アフガニスタンやイラクでの戦闘経験を持つアル=カーイダ・メンバーのアブー・ハーリド・スーリーや、サイドナーヤー刑務所(ダマスカス郊外県)での収監経験を持つハッサーン・アッブードらが2011年末に結成した組織だ。創設時の幹部の一人アブー・ハーリドは、ザワーヒリーと親交があり、ヌスラ戦線とイスラーム国の不和を解消するために仲介を試みたことで知られている。だが、2013年2月下旬にイスラーム国メンバーとされる刺客の自爆攻撃で暗殺された。

アブー・ハーリドの経歴からも明らかな通り、シャーム自由人イスラーム運動はアル=カーイダの系譜を汲んでいるが、2015年に入って以降、アル=カーイダとの関係をことさら否定し、「独裁」打倒をめざす「フリーダム・ファイター」だとアピールするようになった。

8 『ワシントン・ポスト』に寄稿されたシャーム自由人イスラーム運動幹部の論説(出典:The Washington Post, July 10, 2015)
8 『ワシントン・ポスト』に寄稿されたシャーム自由人イスラーム運動幹部の論説(出典:The Washington Post, July 10, 2015)

アサド政権の存在で得られる求心力と混濁の原動力

シャーム解放委員会とシャーム自由人イスラーム運動による勢力拡大競争は3月初めの和解合意で一応収束した。だが両者の散発的な衝突は続いた。7月下旬には、シャーム解放委員会がシャーム自由人イスラーム運動の戦略拠点だったバーブ・ハワー国境通行所(イドリブ県)に向けて進軍し、周辺地域を制圧した。この対立は、バーブ・ハワー国境通行所からのシャーム自由人イスラーム運動の撤退と、文民による通行所管理を骨子とする停戦合意をもって解消した。

一方、1月に開始されたアスタナ会議が軌道に乗るなか、ロシア、トルコ(そしてイラン)が呼びかける停戦を拒否した「穏健な反体制派」(ないしは「自由シリア軍」)は、停戦プロセスから排除されたシャーム解放委員会との共闘を強めた。この動きは、ハマー県やヒムス県北部で顕著で、ナスル軍、自由イドリブ軍、イッザ軍、アジュナード・シャーム・イスラーム連合、トゥルキスターン・イスラーム党、ウズベキスタン出身者からなるイマーム・ブハーリー大隊、そしてムハージリーン・ワ・アンサールやアジュナード・カウカーズとを名乗ってきたコーカサス人戦闘員がシャーム解放委員会と連携した。このうち、ナスル軍、自由イドリブ軍、イッザ軍は、ヌールッディーン・ザンキー運動とともにオバマ前政権の支援を受けてきたが、トランプ政権発足に伴い、イスラーム国との戦いに専念せず、アル=カーイダと共闘を続けているとの理由で、支援を打ち切られていた。

勢力拡大競争で終始優位に立っていたシャーム解放委員会も安泰ではなかった。ヌールッディーン・ザンキー運動の元メンバーが7月20日、シャーム解放委員会が「シャリーアの裁定」に従っていないと非難、離反すると発表したのだ。これ以降、シャーム解放委員会とヌールッディーン・ザンキー運動は、アレッポ市西部郊外のハイヤーン町などで武器や車輌の争奪戦を行うようになった。

だが、こうした対立は、シリア軍が12月初めにイスラーム国との戦いを決着させ、緊張緩和地帯第1ゾーン(イドリブ県、ハマー県北東部、アレッポ県南西部)や第3ゾーン(ダマスカス郊外県東グータ地区)での反体制派との戦闘に注力するようになると収束した。同月半ば、シャーム解放委員会のアブー・ムハンマド・ジャウラーニー指導者、アウドゥッラー・ムハイスィニー(サウジアラビア人説教師)、シャーム自由人イスラーム運動のハサン・スーファーン最高司令官、アフラール軍のアブー・サーリフ・タッハーン最高司令官、ヌールッディーン・ザンキー運動のタウフィーク・シハーブ最高司令官らが一同に会し、ファトフ軍の再興に向けた協議を行ったのだ。

この協議が具体的なかたちを得たのは2018年1月に入ってからだった。1月11日、ハマー県北東部、アレッポ県南西部、イドリブ県南東部で、ナスル軍、自由イドリブ軍、精鋭軍、第二軍が「暴君への抗戦」の戦いを、トゥルキスターン・イスラーム党が「アッラーには彼らを助ける力がある」の戦いを開始し、シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動、アフラール軍がこの二つの作戦と連動するかたちでシリア軍への一大反抗を試みた。

反体制派の抵抗ぶりは、アレッポ市東部でのシリア軍の戦いを彷彿とさせた。だが、シリア軍は21日までに、イドリブ県南東部におけるシャーム解放委員会最大の軍事拠点であるアブー・ズフール航空基地を制圧し、優勢を見せつけた。

反体制派は、シリア軍の攻勢、そしてバッシャール・アサド政権の存在を前にすることで、求心力を強めることができた。だが、この求心力は「反体制派のスペクトラ」を混濁させる原動力でもあった。

続く