アレッポ・モデルの停戦:退去か強制移住か/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(12)

(写真:ロイター/アフロ)

「徹底抗戦を呼びかけるホワイト・ヘルメット/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(11)」の続き)

シリア政府と反体制派の停戦は、5月のアスタナ4会議で、ロシア、トルコ、イランが「緊張緩和地帯設置にかかる覚書」に合意したことで加速した。この動きは、7月のロシアと米国による第4ゾーン(ダルアー県、クナイトラ県)での停戦合意や国境地帯での「支配地域の交換」をめぐる「取引」、8月の第2ゾーン(ヒムス県北部)での停戦合意、9月のアスタナ6会議でのロシアとトルコによる第1ゾーン(イドリブ県など)の分割合意へと続いていった(拙稿「緊張緩和地帯の成立/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(2)」、「アスタナ会議5場外での米露の歩み寄り/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(3)」「国際紛争としてのシリア内戦の終わり/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(4)」を参照)。

「アレッポ・モデル」とは?

アスタナ会議の枠組みで停戦が発効した地域では、主にロシアの仲介によってシリア政府と反体制派の和解が推し進められ、ロシア国防省によると、12月31日までに2,319市町村がシリア政府との停戦に応じた。だがこのプロセスが軌道に乗るまでの約半年間に、これとは異なる手法でも停戦は推し進められた。「アレッポ・モデル」とでも呼ぶべき手法がそれだ。

シリア軍は2016年9月、アレッポ市東部を完全に包囲し、ロシア軍や同盟部隊とともに同地に激しい攻撃を加える一方、抵抗を続ける反体制派の戦闘員に退去を迫った。その結果、籠城を続けてきた戦闘員とその家族約3万5,000人がイドリブ県に退去、アレッポ市東部は住民約25万人とともにシリア政府の支配に再び服した。

1 シリア軍に制圧されたアレッポ市東部の旧市街(SANA, December 15, 2016)
1 シリア軍に制圧されたアレッポ市東部の旧市街(SANA, December 15, 2016)

シリア軍による包囲・攻勢と諸外国の仲介を通じて、反体制派を退去、あるいは投降させ、シリア政府の支配を回復する手法――これが「アレッポ・モデル」である。

なお「退去」(アラビア語では「フルージュ」、ないしは「ムガーダラ」)と書いたが、これはあくまでも勝者であるシリア政府やロシア側の見方だ。反体制派(そしてそれを支援する欧米諸国)は「退去」ではなく、「強制移住」(アラビア語で「タフジール」)という言葉を用いて、ロシア・シリア両軍、そして同盟部隊による「無差別攻撃」と合わせてその非道性を非難した。

とはいえ、すべての戦闘員、さらには住民が強制移住を余儀なくされた訳ではなかった。アレッポ県東部がそうであったように、住民のほとんどは退去せず、また多くの戦闘員が当局に投降した(投降者は2016年政令第15号に従い恩赦の対象となるとされているが、彼ら全員のその後の消息を把握することはできない)。

2 アレッポ市東部から「強制移住」させられた少女バナーちゃん(出所:Twitter, December 21, 2016)
2 アレッポ市東部から「強制移住」させられた少女バナーちゃん(出所:Twitter, December 21, 2016)

「アレッポ・モデル」は、拙稿「徹底抗戦を呼びかけるホワイト・ヘルメット/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(11)」で取り上げたダマスカス郊外県バラダー渓谷での戦いの停戦を皮切りに、「緊張緩和地帯設置にかかる覚書」に基づく停戦が本格化するまでに5度にわたり適用された。

「革命の首都」完全制圧:ヒムス市ワアル地区での停戦合意

バラダー渓谷での戦いに続いて「アレッポ・モデル」が適用されたのはヒムス市ワアル地区だった。

3 2017年3月のヒムス市の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
3 2017年3月のヒムス市の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

ワアル地区は、かつて「革命の首都」と呼ばれたヒムス市内最後の反体制派の支配地域だった。ヒムス市の他の街区は、2013年5月までにシリア政府の支配下に復帰したが、ワアル地区だけはシリア軍の包囲を受け、孤立していた。

人口30万人(シリア内戦以前は50万人)とされたこのワアル地区での停戦を仲介したのはロシアだった。3月12日にシリア政府と反体制派が交わした合意は、以下のような内容だった。

  • ワアル地区で抵抗を続けてきた反体制派戦闘員とその家族のうち、退去を希望する者をイドリブ県、ないしはトルコが実質占領するアレッポ県ジャラーブルス市に退去させる。
  • ワアル地区に対するシリア軍の包囲を解除し、人道通商回廊を設置する。
  • ロシア軍憲兵隊、シリア警察、総合情報局がワアル地区で治安活動にあたる。
  • 反体制派が包囲を続けるイドリブ県のフーア市、カファルヤー町の住民(の一部)をシリア政府支配地域に避難させる。

この合意に従い、3月下旬から5月下旬にかけて、戦闘員とその家族約1万1,500人が14回に分けて退去、6月までに戦闘員2,700人が投降し、免罪となった。なお、ジャラーブルス市郊外にあるザウガラ収容キャンプに退去した住民のうち約500世帯はその後7月、劣悪な生活環境を避けるため、ヒムス市に帰還した。

4 ワアル地区から退去する戦闘員と家族(SANA, May 10, 2017)
4 ワアル地区から退去する戦闘員と家族(SANA, May 10, 2017)

イドリブ県とダマスカス郊外県の住民・戦闘員交換

続いて3月28日、反体制派が包囲を続けるイドリブ県のフーア市、カファルヤー町と、シリア軍と同盟部隊が包囲を続けるダマスカス郊外県マダーヤー町、ザバダーニー市、ブルーダーン村の戦闘員の退去に向けた停戦が交わされた。

この停戦の仲介者と当事者は異例だった。仲介したのは、トルコとともに反体制派の支援を続けてきたカタールで、停戦を交わしたのはイラン・イスラーム革命防衛隊、ヒズブッラー、そしてファトフ軍だった。ファトフ軍は、2015年3月に、アル=カーイダ系のシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放委員会)とシャーム自由人イスラーム運動(現シリア解放戦線)、シリア・ムスリム同胞団系のシャーム軍団などによって結成され、イドリブ県の制圧(2015年3月)を主導した連合体である。

5 2017年3月のフーア市、カファルヤー町一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
5 2017年3月のフーア市、カファルヤー町一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
6 2017年3月のザバダーニー市一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
6 2017年3月のザバダーニー市一帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

停戦合意の主な内容は以下の通りだった。

  • 4月4日までにイドリブ県フーア市、カファルヤー町の住民避難を完了する。
  • 4月6日にダマスカス郊外県マダーヤー町、ザバダーニー市、ブルーダーン村で活動を続ける戦闘員を彼らが希望する場所(イドリブ県)に退去させる。
  • シリア治安当局が拘束中の逮捕者約500人(その多くが女性)を釈放する。
  • 2015年12月にサウジアラビア国境近くで狩猟中にシーア派と思われる一団によって拉致されたカタール人狩猟家26人を釈放させる。

これに従い、まず4月半ば、フーア市、カファルヤー町から住民約3,000人がアレッポ市に避難した。住民を乗せた車列が移動中に自爆テロに遭うという事態が起きたものの、合意は順調に履行され、マダーヤー町やザバダーニー市の戦闘員とその家族約700人もイドリブ県に退去し、同地にはシリア軍が進駐した。またシリア治安当局が逮捕者500人を釈放、イラクでもカタール人29人が釈放された。

7 ダマスカス郊外県からイドリブ県に退去した戦闘員とその家族(出所:Wikalat Iba’ al-Ikhbariya, April 21, 2017)
7 ダマスカス郊外県からイドリブ県に退去した戦闘員とその家族(出所:Wikalat Iba’ al-Ikhbariya, April 21, 2017)

西カラムーン地方平定

ところで、イドリブ県とダマスカス郊外県の住民・戦闘員交換の当事者となったヒズブッラーは、シリア内戦当初からシリア政府を支えるために戦闘員を派遣、各地で反体制派やイスラーム国と戦ってきた。また、2016年末に激化したバラダー渓谷での戦い(拙稿「徹底抗戦を呼びかけるホワイト・ヘルメット/シリア情勢2017「終わらない人道危機」のその後(11)」を参照)に積極的に参加した彼らは、同地での停戦成立後、シリア・レバノン国境地帯、具体的にはダマスカス郊外県西カラムーン地方とレバノンのベカーア県バアルベック郡の無人地帯で反体制派の完全掃討に注力した。この地域は、イスラーム国とシャーム解放委員会が共存(棲み分け)する「希有」な地域だった。

8 2017年7月のシリア・レバノン国境地帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
8 2017年7月のシリア・レバノン国境地帯の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

ヒズブッラーはまず、シリア軍とともに西カラムーン地方のフライタ村無人地帯とアルサール村郊外で、シャーム解放委員会(および連携組織のシャームの民中隊)への攻勢を強め、彼らに停戦受諾を強いた。両者は7月27日、レバノン政府(総合治安局)の仲介のもと、以下のような停戦合意を交わした。

  • 7月27日6時00分に停戦を発効する。
  • シリア当局が拘置していた逮捕者(捕虜)104人(うち女性24人)を解放する。
  • シャーム解放委員会戦闘員とその家族をイドリブ県に退去させる。

これに基づき、シリアの当局が8月13日に逮捕者104人を釈放、アルサール村郊外無人地帯で活動を続けてきた戦闘員約400人とその家族約2,600人が14日に、シリア政府によって用意された大型旅客バス40台とシリア赤新月社の車輌14台に分乗し、ダマスカス郊外県フライタ村を経由してイドリブ県に移送された。

9 シリア・レバノン国境地帯からイドリブ県に退去するシャーム解放委員会戦闘員と家族を乗せたバス(出所:SANA, August 14, 2017)
9 シリア・レバノン国境地帯からイドリブ県に退去するシャーム解放委員会戦闘員と家族を乗せたバス(出所:SANA, August 14, 2017)

ヒズブッラーは続いて、シリア・レバノン両軍とともにイスラーム国に狙いを定めた。ヒズブッラーとシリア軍は8月19日、西カラムーン地方のカーラ市近郊の無人地帯とジャラージール町近郊の無人地帯で、またレバノン軍はバアルベック郡ラアス・バアルベック村、ファーキハ村、カーア村一帯で攻撃を開始した。その結果、ヒズブッラー、シリア軍(、そしてレバノン軍)は8月27日、同地の戦闘員をダイル・ザウル県方面に退去させることをイスラーム国と合意した。

合意を受け、8月28日にイスラーム国戦闘員とその家族約300人が、シリア政府によって用意された大型旅客バスで退去を始めた。車列は、ヒムス県スフナ市東部のフマイマ村近郊の砂漠地帯からダイル・ザウル県に入ろうとした。だが、イラクのハイダル・アバーディー首相はイスラーム国との「取引」に強く反発した。また米主導の有志連合は同月30日、車列を爆撃し、イスラーム国支配地域への進入を阻止した。戦闘員とその家族は、自力でダイル・ザウル県に移動することを余儀なくされたという(ただし、有志連合は戦闘員らがダイル・ザウル県に入ったことを否定した)。

ダマスカス県ジャウバル区、カーブーン区、バルザ区での停戦

「アレッポ・モデル」が採用された最後の地域は、ダマスカス県ジャウバル区、カーブーン区、バルザ区だった。同地では3月半ば、シャーム解放委員会、シャーム自由人イスラーム運動、イスラーム軍、ラフマーン軍団、第1旅団、ウンマの曉旅団などが「アッラーの僕たちよ、しっかとせよ」と銘打った作戦を開始、数千人の戦闘員を動員して、ダマスカス郊外県東グータ地方に隣接するこれら3地区のシリア軍拠点への攻撃を激化させた。この作戦で、反体制派は「インギマースィー」と呼ばれる戦闘員による自爆攻撃を繰り返し、カーブーン区の工業地区、ジャウバル区内の複数の建物群、そしてアッバースィーイーン・バス・ターミナルの大部分を制圧、首都ダマスカス各所を砲撃した。これに対し、ロシア・シリア両軍は、反体制派の拠点である東グータ地方一帯への爆撃・砲撃を激化させ、喪失した街区の奪還をめざした。

10 反体制派の砲撃を受ける首都ダマスカス(Kull-na Shuraka’, March 19, 2017)
10 反体制派の砲撃を受ける首都ダマスカス(Kull-na Shuraka’, March 19, 2017)
11 2017年3月下旬のダマスカス県東部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
11 2017年3月下旬のダマスカス県東部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

イスラーム過激派による自爆攻撃は、大きく分けて二つある。一つは「イスティシュハーディー」(日本語に訳すと「殉教戦闘員」)による攻撃、もう一つは前述の「インギマースィー」(日本語訳は「特攻戦闘員」)による攻撃だ。前者は、爆弾ベルト、爆弾を仕掛けた車輌を自爆させる「単純な」攻撃であるのに対して、後者は、武器弾薬を携え、敵と交戦した後に自爆を行う「複合的な」攻撃を任務としている。「インギマースィー」は、イスラーム国の「専売特許」として広く知られるようになったが、シリアの反体制派も同様の戦術を採用していた。

シリア軍は、反体制派の奇襲により一時後退を余儀なくされたが、3月下旬までに優勢を回復、最終的には、5月8日にロシアの仲介によって停戦合意が成立した。これを受け、戦闘員とその家族約2,500人が同月半ばまでに、シリア政府によって用意された大型旅客バスに乗ってイドリブ県に退去した。

12 ダマスカス県バルザ区、カーブーン区から退去する戦闘員と家族(出所:Kull-na Shuraka’, May 12, 2017)
12 ダマスカス県バルザ区、カーブーン区から退去する戦闘員と家族(出所:Kull-na Shuraka’, May 12, 2017)

これによって、首都ダマスカス県東部とダマスカス郊外県東グータ地方での戦闘は順調に終息するかに見えた。だが、同地ではほどなくシリア軍と反体制派の戦いに加えて、想定外の対立が激化していった(この点については稿を改めて詳述する)。

解放の道を絶たれた「解放区」

これまで見てきた地域は、シリア軍・同盟部隊、反体制派、イスラーム国のいずれが包囲していたにせよ、無条件で解囲され、孤立状態を強いられていた住民の人道状況や生活状況が改善されるのが理想だった。国連主導のジュネーブ会議がよりどころとする国連安保理決議第2254号(S/RES/2254 (2015))も、第12項においてこのことを以下の通り明確に求めている。

12. Calls on the parties to immediately allow humanitarian agencies rapid, safe and unhindered access throughout Syria by most direct routes, allow immediate, humanitarian assistance to reach all people in need, in particular in all besieged and hard-to-reach areas, release any arbitrarily detained persons, particularly women and children, calls on ISSG states to use their influence immediately to these ends, and demands the full implementation of resolutions 2139 (2014), 2165 (2014), 2191 (2014) and any other applicable resolutions;

反体制派、そしてそれを支援する欧米諸国、サウジアラビア、トルコも、シリア軍による居住地域の包囲を「飢餓作戦」と非難し、その解放を強く主張してきた。

その一方、ジュネーブ会議であれ、アスタナ会議であれ、シリア内戦の停戦プロセスにおいては、イスラーム国、シャーム解放委員会、そしてアル=カーイダとつながりのある組織・個人との交渉は禁じられ、それらを撲滅することが至上命題とされた。

だが、「アレッポ・モデル」の採用は、こうした理想や至上命題にもはや現実味がないことを示していた。停戦は「国際テロ組織」であるシャーム解放委員会、イスラーム国との交渉という超現実主義の所産だった。また、反体制派の「解放区」の解囲は、その存在を止めることなくしては実現し得ないものとなっていた。反体制派の「解放区」に留まっていた住民(そして戦闘員)は、シリア政府の支配を再び受け入れるか、流浪の生活を選択する以外には、自らの惨状をもはや緩和(解消ではない!)できなくなっていた。

続く