イスラーム国と戦わない反体制派の末路/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(7)

(写真:ロイター/アフロ)

「米国のミサイル攻撃と化学兵器問題の幕引き/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(6)」の続き)

ドナルド・トランプ米政権の反体制派支援は、イスラーム国との戦いに注力する「協力部隊」(partner forces)に限定された。協力部隊のなかでもっとも有力だったのは、西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)の人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍や、シリア・ガド潮流代表のアフマド・ウワイヤーン・ジャルバーが率いるシリア・エリート部隊で、これらはいずれもラッカ県やダイル・ザウル県でイスラーム国に対峙した(米主導の有志連合のイスラーム国に対する「テロとの戦い」については稿を改めて詳述する)。

その一方、これらの組織と共闘せずに活動する協力部隊もいた。彼らはイスラーム国と戦うために米国の教練や支援を受けていたはずだったが、次第に「テロとの戦い」とは「別の任務」を遂行するようになった。その任務の中核を担ったのが「新シリア軍」の系譜を汲む武装集団だった。

新シリア軍の挫折

新シリア軍とは、バラク・オバマ前政権による「穏健な反体制派」支援策を通じて創出された武装集団だ。

オバマ前政権は2015年1月、イスラーム国との「テロとの戦い」を地上で支援するための部隊を編成するとして、「穏健な反体制派」1万5,000人をトルコやヨルダンといった周辺諸国で軍事教練することを決定、国防総省はそのための予算として3年間で5億米ドルを確保した。

この決定に基づき、5月からトルコで教練が開始された。だが「反体制派のスペクトラ」状況(拙稿『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』岩波書店、2017年、pp.82-104を参照)ゆえに、教練候補者の選定や教練は困難を伴った。実際に教練を修了したのは100~200人程度にとどまった。しかも、彼らは2度にわたってシリアに派遣されたが、1度目はシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放委員会)の攻撃を受けて壊滅、2度目はヌスラ戦線に武器弾薬を譲渡してしまった。オバマ前政権は10月、支援策が「重大な欠陥」を有していたことを認め、廃止を決定した(拙稿『シリア情勢』pp. 118-121)。

新シリア軍はその直後の11月に新設された部隊だった。

1 新シリア軍の訓練風景(出所:Youtube, November 9, 2015)
1 新シリア軍の訓練風景(出所:Youtube, November 9, 2015)

新シリア軍を主導したのは、アサーラ・ワ・タンミヤ戦線を名乗る集団だった。イスラーム国がダイル・ザウル県やヒムス県南東部に勢力を拡大した際に、シリア東部に逃れていた彼らは、ヨルダン北部のラクバーン避難民キャンプ一帯に拠点を構え、同地で米国などから軍事教練を受けた。2016年3月、有志連合の航空支援と、英米両軍の特殊部隊の支援を受け、イラクとの国境に位置するタンフ国境通行所(ヒムス県)一帯を掌握、有志連合はここを拠点化した。

2 新シリア軍を支援する英軍特殊部隊(出所:BBC, August 9, 2016)
2 新シリア軍を支援する英軍特殊部隊(出所:BBC, August 9, 2016)

有志連合にとって、タンフ国境通行所は、イスラーム国との戦いにおいて二つの戦略的意義があった。第1に、イスラーム国のヨルダンへの浸透を抑止するうえでの前哨地となり得ること、第2にイスラーム国の「牙城」であるシリア・イラク国境のユーフラテス川流域(具体的にはシリア側のマヤーディーン市、ブーカマール市、イラク側のカーイム市など)に進攻し、イスラーム国の支配地域をシリア北東部で活動するシリア民主軍と挟撃するための拠点となること、である。

だが、新シリア軍を主導するアサーラ・ワ・タンミヤ戦線は、武力によるシリア政府打倒という反体制派本来の目標に固執した。彼らは、イスラーム国との戦いに専念せず、ダマスカス郊外県で、ヌスラ戦線やシャーム自由人イスラーム運動といったアル=カーイダの系譜を汲む反体制派と統一司令部を結成するなどして、シリア軍との戦闘を続けた。このことが米国との「方針の違い」を鮮明化させ、2016年8月にアサーラ・ワ・タンミヤ戦線が離反、新シリア軍は空中分解してしまった。

3 「シリア民主軍」からの離反を宣言したアサーラ・ワ・タンミヤ戦線の声明(出所:ARA News, August 4, 2016)
3 「シリア民主軍」からの離反を宣言したアサーラ・ワ・タンミヤ戦線の声明(出所:ARA News, August 4, 2016)

タンフ国境通行所死守をめぐる失策

2017年3月、新シリア軍の後身とでも言うべき「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」を名乗る作戦司令室が結成された。この作戦司令室には、アサーラ・ワ・タンミヤ戦線がかつて主導していた武装連合体の東部獅子軍、殉教者アフマド・アブドゥー軍団、カルヤタイン殉教者、革命特殊任務軍、部族自由人軍団、部族自由人軍(部族自由人軍団とは別組織)が参加し、米国、英国、そしてヨルダンがこれを支援した。今度こそ、その目的は、ダマスカス郊外県南東部からヒムス県南東部にかけて拡がるハマード砂漠からイスラーム国を掃討することに向けられた。

4 2017年3月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
4 2017年3月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室は、「カラムーンよ、(我々はまもなく)到着する」作戦と銘打って進軍し、ダマスカス郊外県東カラムーン地方のイスラーム国の支配地域を順調に制圧し、支配地域を拡大していった。

5 2017年4月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
5 2017年4月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

しかし、シリア軍と「同盟部隊」がこれに立ちはだかった。「同盟部隊」(al-Quwat al-Halifa)、ないしは「同盟者部隊」(Quwat al-Hulafa’)とは、イラン・イスラーム革命防衛隊が支援するイラク人民動員隊、アフガン人(ハザラ人)からなるファーティミーユーン旅団、そしてレバノンのヒズブッラーの武装部隊などをさし、反体制派や欧米諸国では「シーア派民兵」、「イランの民兵」などと呼ばれる(「同盟部隊」については拙稿「シリアの親政権民兵」『中東研究』第530号、2017年、pp. 22-44を参照されたい)。

彼らは5月下旬、ズィラフ・ダム地区(ダマスカス郊外県)、ザルカ地区(ヒムス県)に進軍し、イスラーム国だけでなく、「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室も掃討し、タンフ国境通行所に迫った。

6 2017年5月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
6 2017年5月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

これに対して「ハマード浄化のために我らは馬具を備えし」作戦司令室は5月22日、「自由シリア軍砂漠諸派」の名で声明を出し、シリア軍によって奪われた地域の奪還を目的とした「砂漠の火山」作戦を開始すると発表、31日には「土地は我らのものだ」作戦司令室を新設した。かくして、イスラーム国に対する「テロとの戦い」に注力していたはずの協力部隊は、再びシリア軍と同盟部隊との戦いを本格化させた。

この動きは、タンフ国境通行所に向けて勢力を伸長するシリア軍と同盟部隊に対する米国の警戒心を受けたものだった。米国は、同通行所がシリア政府に奪われ、ここを経由するかたちでレバノン、シリア、イラク、そしてイランの首都が国際幹線道路によって結節し、イラン版「一帯一路」が現出することに警戒していた。

米軍は6月6日、「自衛権」を発動するとして、シリア軍と同盟部隊の車列や拠点を空爆、8日と20日にも同盟部隊の無人航空機を撃墜し、同地に接近しないよう警告した。「土地は我らのものだ」作戦司令室に所属する革命特殊任務軍も7日、タンフ国境通行所の北東約70キロの距離にあるザクフ地区(ヒムス県)に進軍した。加えて、有志連合の支援を受けるイラク部族動員(ハシュド・アシャーイリー)隊(スンナ派)が、イラク軍とともにタンフ国境通行所に面するイラク領側のワリード国境通行所一帯を掌握し、防御を固めた。

だが米国の対応は奏功しなかった。シリア軍と同盟部隊は10日、タンフ国境通行所とザクフ地区を迂回して国境に到達した。18日には、イラク人民動員隊もイラク軍とともに国境に到達し、シリア軍と同盟部隊と対面、支線ではあったが両国を結ぶ街道が再開した。米国と「土地は我らのものだ」作戦司令室は、イラン版「一帯一路」を阻止できなかっただけでなく、イスラーム国の「牙城」であるユーフラテス川河畔への進路も絶たれてしまった。

7 2017年6月半ばのシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
7 2017年6月半ばのシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)

シリア軍はその後、10月10日までに、ダマスカス郊外県、スワイダー県のヨルダン国境のすべての国境監視所(第154監視所~第197監視所)から「土地は我らのものだ」作戦司令室を放逐し、制圧した。さらに、同盟部隊とともに、ユーフラテス川流域に向けて東進を本格化させ、10月26日に第2石油輸送ステーションT2(ダイル・ザウル県)を制圧した(シリア軍と同盟部隊のイスラーム国に対する「テロとの戦い」の進捗については稿を改めて詳述したい)。

8 2017年10月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
8 2017年10月下旬のシリア南部の勢力図(出所:http://syria.liveuamap.com/)
9 シリア地図(出所:筆者作成)
9 シリア地図(出所:筆者作成)

切り捨てられた協力部隊

ロシアのヴラジミール・プーチン大統領とトランプ大統領は7月7日、ドイツのハンブルグで初首脳会談を行い、緊張緩和地帯第4ゾーン(ダルアー県、クナイトラ県)の停戦に向けた協業と、イスラエルのための「安全ベルト」の設置に合意した(拙稿「アスタナ会議5場外での米露の歩み寄り/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(3)」を参照)。これ以降、米国は「土地は我らのものだ」作戦司令室への支援を徐々に減少させていった。

トランプ大統領は7月19日、2013年から中央情報局(CIA)が国防総省とは別途に続けてきた反体制派への支援プログラムを廃止すると発表した。また、このプログラムに沿って、CIAの主導のもと、ヨルダン、サウジアラビアも参与するかたちで運営されてきた「軍事作戦司令部」(Military Operations Command、通称MOC)も8月、「土地は我らのものだ」作戦司令室に対して、シリア軍との戦闘を停止してイスラーム国との戦いに専念するか、武器弾薬を返還してヨルダンに退去するかを迫った。

これに対して、「土地は我らのものだ」作戦司令室は、ヨルダン北東部に身を寄せる難民数千人を保護すると主張、米国の指示を無視してシリア軍との戦闘を続けた。彼らは8月15日、シリア軍戦闘機を墜落し、パイロットを捕捉するなどの戦果を挙げた。

だが、反抗もそれまでだった。今度はヨルダンが介入し、「土地は我らのものだ」作戦司令室は9月1日、捕捉したパイロットを捕虜交換で手放すことを余儀なくされた。

ヨルダンはまた、ダルアー県南部のナスィーブ国境通行所再開をめぐって反体制派に圧力をかけた。10月、同通行所をシリア政府に割譲するよう反体制派に要請し、これを拒否すれば、同通行所、タッル・シハーブ通行所、ダルアー旧通行所を封鎖し、ダルアー県南部への人道支援物資の搬入を停止するとの強圧的な姿勢を示したのだ。反体制派は、スンナ青年軍団、ヤルムーク軍、スンナの獅子師団が、人道状況改善という立場から通行所再開に前向きな姿勢を示したが、ファッルージャト・ハウラーン師団、3月18日師団は拒否の姿勢を示した。シリア政府への割譲は現在(本稿脱稿時)も棚上げとなっている。

トルコ、レバノンに次いで多くのシリア難民を受け入れてきたヨルダンは、シリア内戦に伴う負担を軽減するために欧米諸国、アラブ湾岸諸国からの支援を誘致する一方、負担そのものを軽減しようとしてきた。ここでいう負担とは、難民を収容し続けることでの経済的・社会的負担と、領内に反体制派(の拠点)を抱えることによる安全保障面脅威である。ヨルダンは、トランプ政権発足後の米国の対シリア政策の変化に同調するかたちで、負担軽減に向けて舵を切り始めたのである。

米国とヨルダンに見捨てられた「土地は我らのものだ」作戦司令室の活動は下火となっていった。彼らは9月19日、ザクフ地区を放棄し、タンフ国境通行所一帯に撤退した。

米国が主導する有志連合は、同通行所を中心とする半径約50キロの地域の占領を続け、「土地は我らのものだ」作戦司令室は、その一部が同地域に残留、別の一部がダイル・ザウル県でのイスラーム国との戦いに投入された。

続く