米国のミサイル攻撃と化学兵器問題の幕引き/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(6)

(写真:ロイター/アフロ)

ドナルド・トランプ米政権は「人権」と「テロとの戦い」という二つのパラダイムを混淆させた前政権の「マッチポンプ」式の反体制派支援策を中止した。これにより、米国がシリア内政、なかでも同国内のパワー・バランスに及ぼす影響は著しく低下した。だが、トランプ政権が発足後最初に敢行した軍事外交政策は、このシリア政府に対するものだった。ヒムス県にあるシャイーラート航空基地に対するミサイル攻撃がそれである。

化学兵器の政局化

きっかけとなったのは、4月4日にイドリブ県ハーン・シャイフーン市で発生したシリア軍によるとされる化学兵器使用事件だった。

化学兵器問題は、米国がシリア内戦に介入する「好機」を与えてきたアジェンダだった。それは、2013年4月30日のバラク・オバマ前大統領の発言を起点とした。前大統領は、2012年半ば以降、シリア軍(そして反体制派)による化学兵器使用がとりざたされるようになるなか、「シリア政府による化学兵器攻撃を確認できれば、それは「ゲーム・チェンジャー」(ゲームを変える要因)になる」と述べ、軍事介入を国際公約した。

シリア政府は、2013年3月のハーン・アサル村(アレッポ県)でのシリア軍に対する化学兵器使用などを引き合いに出し、反体制派の方が化学兵器を使用していると反論、国内での化学兵器使用の実態調査を国連に要請した。これを受けて、国連調査団がシリアに派遣された直後の2013年8月21日にダマスカス郊外県グータ地方で起きたのが、サリン・ガス使用疑惑事件だった。

オバマ前政権は軍事介入をちらつかせて圧力をかけた。その結果、シリア政府は、ロシアとの協議の末、一貫して否定してきた化学兵器の保有(使用ではなく、あくまでも保有)を認め、化学兵器禁止条約(CWC)に加盟することで、米国の攻撃を回避した。

グータ地方での事件は、2013年12月に国連調査団が発表した最終報告書(United Nations Mission to Investigate Allegations of the Use of Chemical Weapons in the Syria Arab Republic)において「地対地ロケット弾にサリン・ガスと思われる有毒ガスが装填され、住民に対して使用された」と結論づけられた。だが、調査団は、化学兵器使用の実行犯を特定する権限を持たなかったため、シリア政府は追及・制裁を免れた。

なお、国連調査団はこの事件のほかにも6件の疑惑を調査し、3件で化学兵器使用が認められたと指摘した。うち2件は、ハーン・アサル村での事件を含むシリア軍を標的とした攻撃、1件は住民を狙った攻撃だった。

1 2013年12月提出の国連調査団最終報告書(出所:https://unoda-web.s3.amazonaws.com/)
1 2013年12月提出の国連調査団最終報告書(出所:https://unoda-web.s3.amazonaws.com/)

一方、CWC加盟国となったシリアでは、有毒物質、関連装備、施設の廃棄・破壊作業が進められ、化学兵器禁止機関(OPCW)は2015年1月、シリアで化学兵器が全廃されたことを確認したと発表した(拙稿『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』岩波書店、2017年、pp. 69-77)。

塩素ガスの政局化と化学兵器問題の矮小化

その後、シリア政府(そして反体制派)による塩素ガス使用が問題視されるようになると、国連は2015年3月、米とロシアの合意に基づき安保理決議第2209号(S/RES/2209 (2015))を採択、サリン・ガスなどの化学兵器に加えて、塩素ガスの使用を禁止、国連とOPCWの合同査察機構(JIM)を設置し、シリア国内での調査と責任追及を行うことを決定した。

JIMが2016年8月に提出した報告書(S/2016/738)で、調査対象とした9件の事件のうちの3件でシリア政府が塩素ガスを使用したと結論づけた。だが、オバマ前政権は、これに先立って(2015年5月)「塩素そのものは歴史的に化学兵器には挙げられない」と述べ、シリア政府による使用を「レッド・ライン」としないとの立場を示しており、行動に訴えることはなかった(『シリア情勢』pp. 78-80を参照)。

2 JIMは2016年8月に提出した報告書(出所:http://www.securitycouncilreport.org/)
2 JIMは2016年8月に提出した報告書(出所:http://www.securitycouncilreport.org/)

ハーン・シャイフーン市での化学兵器使用事件

ハーン・シャイフーン市で起きた事件に話を戻そう。その概要は以下の通りだ。

4月4日早朝、ハーン・シャイフーン市が3度にわたる爆撃を受け、直後に住民が有毒ガスによると思われる呼吸困難、痙攣、意識薄弱といった症状を訴えた。被害状況は、トルコのイスタンブールで活動するシリア革命反体制勢力国民連立(シリア国民連合)によると、死者70人、負傷者200人以上、英国で活動するシリア人権監視団によると、死者87人、負傷者約60人、イドリブ県医療局のムンズィル・ハリール氏を名乗る人物がロイター通信に明らかにしたところによると、死者50人以上、負傷者300人以上、そしてカタールの衛星テレビ局ジャズィーラ・チャンネルによると死者100人あまり、とされた。

中毒症状に苦しみ、息絶える住民を撮影したとされる映像や画像、治療のためにトルコに搬送されたという住民の証言、そして彼らから採取されたサンプルの検査結果が、インターネットやメディアを通じて拡散された。それらはいずれもシリア軍の犯行を裏づけていた。欧米諸国の政府、反体制派はこぞって、シリア軍がサリン・ガスを使用したと断じ、厳しく追及した。

3 化学兵器攻撃で被害にあったとされる住民の救出作業にあたるホワイト・ヘルメット(出所:https://www.almasdarnews.com/)
3 化学兵器攻撃で被害にあったとされる住民の救出作業にあたるホワイト・ヘルメット(出所:https://www.almasdarnews.com/)

シリア・ロシア両政府の反論:化学兵器使用の「前科者」の「集積地」としてのハーン・シャイフーン市

だが、シリア・ロシア両政府はこれに異論を唱えた。両国は、シリア軍が同地への空爆を開始したのが、早朝ではなく午前11時半頃で、有毒ガスの発生・飛散は、反体制派の武器弾薬庫に保管されていた化学兵器、ないしは化学兵器製造工場が被弾したためだろうと反論した。そのうえで「現時点で世界が手にしている唯一の情報はアル=カーイダの分派が発信したものだけだ」と強調、インターネット上に公開された映像なども含めて、その被害の実態のすべてが反体制派の「自作自演」だと主張した。

両者の主張は真っ向から対立した。だが、ハーン・シャイフーン市という現場に目を向けると、いずれもがそれなりの説得力を帯びていた。

ハーン・シャイフーン市は、2012年7月にシリア政府の支配を脱し、2014年末頃までに、シリアのアル=カーイダと目され得るシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放委員会)が掌握した。その後、2017年2月半ば、イスラーム国とつながりがあるとされるジュンド・アクサー機構が侵攻し、一部を制圧、両者の対立は、ジュンド・アクサー機構の戦闘員の一部がイスラーム国支配下のラッカ市方面に退去し、一部がシャーム解放委員会に吸収されるまで続いた。

3月末になると、シャーム解放委員会は、オバマ前米政権の支援を受けてきたナスル軍、自由イドリブ軍、イッザ軍、アジュナード・シャーム・イスラーム連合、そしてウズベク人、トゥルキスタン人、コーカサス人戦闘員とともにハマー県北部に侵攻し、ロシア・シリア両軍はこれに対抗するかたちで空爆・砲撃を強化していた。

国連やOPCWによる一連の報告書において、これらの反体制派は、シリア軍とともに化学兵器使用を疑われていた。ハーン・シャイフーン市は言わば化学兵器使用の「前科者」の「集積地」だった。

これらの「前科者」にはいずれも動機があるとの説明がメディアではなされた。シリア政府の動機は、トランプ政権に攻撃を黙認させ、反体制派に孤立感をあじあわせ、その志気を挫くというものだ。これに対して、反体制派の動機は、アル=カーイダとの共闘を理由として支援中止を決定したトランプ政権の方針の変更を促すため、欧米メディアが大きく取り上げるような「自作自演」を行ったというものだ。

トランプ政権の行き過ぎた行動主義

誰が化学兵器を使用したのかを断じることはできなかった。にもかかわらず、トランプは突如爆撃に踏み切った。

米国防総省は4月7日、地中海沖に配備された艦船2隻からトマホーク巡航ミサイル60発を発射し、59発がヒムス県南東部のシャイーラート航空基地一帯に着弾、シリア軍の航空機、掩蔽壕、石油・装備貯蔵施設、防空システム、レーダー施設を破壊し、シリア政府の化学兵器生産能力を低下させたと発表した。

米国家安全保障会議(NSC)は攻撃の4日後の11日、公開されている映像・画像、レポート、地理空間情報(GEOINT)、通信情報(SIGINT)、犠牲者から採取した物理的サンプルの検査結果に基づき、ヒムス県南東部のシャイーラート航空基地から飛来したシリア軍戦闘機Su-22がサリン・ガスを装填した爆弾少なくとも1発を投下し、被害をもたらしたと断じ、ミサイル攻撃を正当化した。この結論は反体制派の主張を踏襲していた。

4 米軍のミサイル攻撃で破壊されたシャイーラート航空基地の掩蔽壕とシリア軍航空機の残骸(出所:http://all4syria.info/)
4 米軍のミサイル攻撃で破壊されたシャイーラート航空基地の掩蔽壕とシリア軍航空機の残骸(出所:http://all4syria.info/)

ミサイル攻撃によって何がもたらされたか?

シリア政府と反体制派双方の動機を踏まえると、トランプ政権が攻撃に踏み切ったことで、シリア政府側の当ては外れたことになる。だが、トランプ政権の行き過ぎた行動主義は、シリア政府と反体制派のパワー・バランスに何の変化ももたらさなかった。

トランプ政権の言説を見る限り、ミサイル攻撃は「レッド・ラインだけでなく、多くの一線を越えた」シリア政府に、化学兵器の再使用、そして「心ゆさぶられる」殺戮を断念させることが目的であるはずだった。米国防総省はこの攻撃で、シリア政府の化学兵器生産能力を低下させたと鼓舞した。だが、ロシア国防省の発表によると、基地には化学兵器や関連施設があったことを示す痕跡もなかった。

ミサイル攻撃後、シリア軍による「心ゆさぶられる」殺戮が止むこともなかった。シリア政府は「米国のパートナーであるテロ組織を掃討することで報復する」と発表、ダマスカス県ジャウバル区およびカーブーン区、ハマー県北部などで反体制派への反転攻勢を維持強化した(シリア各地での戦況については稿を改めて詳述したい)。また真偽はともかく、塩素ガスを含む有毒ガスによる攻撃は、その後(そしてその前)も続いた(拙稿「シリアのアサド政権は「まだ」化学兵器を使っているのか、そして「また」使うのか?」を参照)。

反体制派も再活性化しなかった。トランプ政権は、その後もバッシャール・アサド大統領を「アニマル」と呼ぶなど非難を続け、ショーン・スパイサー米ホワイト・ハウス報道官にいたっては、「無垢の市民に「樽爆弾」が落とされたら、報復を見ることになるだろう」と脅迫した。だが、米国の反体制派支援は、イスラーム国と戦う「協力部隊」に限定されたままで、シャーム解放委員会と連携する反体制派への支援が再開されることはなかった。

米国とロシアの馴れ合い

ミサイル攻撃をその後の対シリア政策と結びつけるヴィジョンを欠いていたことが、こうした結果をもたらしたことは言うまでもない。だが、中長期的なヴィジョンはなかったわけではない。それがロシアへの配慮というかたちをとったことが、攻撃の政治的・軍事的効果を奪ったのだ。

トランプ政権は、シリア政府が化学兵器を温存し、そして使用したことを承知していたとの非難をロシアに浴びせた。だが、攻撃実施に先立ってロシア政府に事前通告を行い、イスラーム国に対する掃討作戦を行うシリア軍を支援するとして、シャイーラート航空基地に駐留していたロシア軍部隊に被害が生じないよう標的から外すことで、事態悪化を避けようとした。つまり、トランプ政権は、このミサイル攻撃によって、ロシアの理解を得ることなくしてシリアで何もするつもりはないということを暗示したのである。

オバマ前政権は、シリア政府による化学兵器使用を「レッド・ライン」と位置づけ、軍事介入を国際公約したにもかかわらず、それを躊躇したことで、ロシアに影響力拡大の余地を与えた。トランプ政権は、この「レッド・ライン」を口実として軍事介入に踏み切ることで、前政権の無能を際立たせたかったのかもしれない。だが、攻撃が形ばかりのもので、米国に有利な状況を作り出すことができなかった点では前政権と変わらなかった。

トランプ政権のミサイル攻撃を受け、ロシア政府は、シリア領空での偶発的衝突を回避するために米国との間で開設していたホット・ラインを中断するといった対抗措置をとった。また、シリアでの「テロとの戦い」を遂行するために設置されていたロシア・イラン合同司令部センターを通じて、「米国の攻撃は多くのレッド・ラインを越えている」と批判、今後同様の行為が行われた場合は断固として報復すると発表し、米国がシリアからの影響力排除をめざすイランと連携を強化する姿勢を示した。

これにより、ロシアと米国の関係は「冷戦後最悪」などと評された。だが、ロシア側の強硬姿勢もまた実質的な動きを伴わったわけではなかった。米軍主導の有志連合はその後も、おそらくはロシアの了解のもとにシリア領空を侵犯し、イスラーム国の支配下にあったラッカ県やダイル・ザウル県での空爆を継続した。

幕引き

JIMは2017年10月26日に提出した報告書(S/2017/904)で、ハーン・シャイフーン市での事件の調査結果を開示、以下の通り指摘し、シリア政府の犯行を断定した。

「2017年4月4日の午前6時30分から7時にかけてハーン・シャイフーン市上空から装備が投下された…。

シリア・アラブ共和国所属の航空機がこの時間にハーン・シャイフーン市上空を旋回していた…。

まさにこの時間にサリン・ガスが飛散したことで、ハーン・シャイフーン市で多くの中毒患者が出た。高速で旋回していた航空機からの爆撃によって穴が生じた…。

午前6時半から7時にかけて多くの人がサリン・ガスの被害を受け…事件の10日後もその穴は残っていた…。

このことは、飛散したサリン・ガスが大量だったことを示している。これは、化学物質による空爆が行われたとの見方に合致する」。

シリア・ロシア両政府は、現地での実査が行われないまま、欧米諸国や反体制派の主張をトレースするかたちで作成された報告書の内容を拒否した。とりわけ、ロシアは、シリア政府だけでなく、ロシアの責任も非難・追及しようとする欧米諸国に強く反発した。ロシアは10月24日と11月17日、JIMの任期延長を求める国連安保理決議案に対し、調査の中立性が担保されないとして、拒否権を発動し、シリア内戦下の化学兵器問題に幕を引いた。

シリア国内では、その後も化学兵器(塩素ガス)が使用されたとの情報がしばしば流れた。2018年に入って、シリア・ロシア両軍がダマスカス郊外県東グータ地方やハマー県北東部への攻勢を強めると、トランプ政権は再び、シリア軍による使用に対して懲罰行為に踏み切る可能性を示唆した。だが、反体制派、シリア政府、そして西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)、欧米諸国、ロシア、トルコといったすべての当事者が、「狼少年」のように政敵の化学兵器使用を告発し合い、情報戦を激化させたことで、化学兵器が持っていた政局としての「利用価値」は薄れた。化学兵器使用をめぐる欧米諸国のバッシングは続いたが、それはシリア内戦の趨勢を左右するアジェンダではなくなった。

続く