シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(1 序説)

(写真:ロイター/アフロ)

国際紛争としてのシリア内戦は終わった――筆者は拙稿「今こそ、シリアの人々の惨状を黙殺することは人道に対する最大の冒涜である」(Newsweek日本版、2017年9月23日)で、2017年後半のシリア情勢をこう約言した。

「国際紛争としての内戦」とは矛盾した表現ではある。だが、この奇妙な言い回しこそが、2011年3月に「アラブの春」が波及するかたちで発生したシリア内戦が辿った悲劇を言い当てているように思う。

今世紀最悪の人道危機

シリア内戦は、バッシャール・アサド政権の強権に対する抗議行動に端を発し、当初は体制打倒(あるいは政権打倒、体制改革)の是非やその方法が争点だった。だがほどなく、欧米諸国、アラブ湾岸諸国、トルコが「人道」の立場から政権の正統性を否定し、反体制派への梃子入れを始めた。また、これを「主権」侵害と非難するロシアやイランが政権を全面支援していった。シリア内戦は「代理戦争」(proxy war)としての性格を強める一方、混乱のなかで、シャーム解放委員会(旧シャームの民のヌスラ戦線)やイスラーム国(ISIS、ISIL、ダーイシュ)など、アル=カーイダの系譜を汲む過激派が台頭した。

多くのシリア人が戦火のなかで家を追われ、命を落とした。体制打倒の是非をめぐって争い合っていた政治家たちは、政権であれ、反体制活動家であれ、外国に翻弄され、事態に対処する術を失った。武器をもって事態に対処しようとした者たちも、シリア軍の将兵、親政権民兵、反体制武装集団のいかんにかかわらず、外国軍や外国人戦闘員の圧倒的な暴力を前に、被害者、ないしは共犯者になりさがった。

「避難民」、「難民」、「傀儡」、「傭兵」となり、主体性を失ったシリア人の苦難こそが、シリア内戦がもたらした「今世紀最悪の人道危機」だった。この惨状は、内戦発生から8年目を迎えようとしている今もほとんど改善されていない。

把握困難な犠牲者数

シリア内戦の犠牲者数を把握することは困難だ。もっとも多く犠牲者数を算出しているのは、レバノンを拠点に活動する学術組織のシリア政策研究センター(SCPR)だ。同センターが2016年2月に公表した報告書(Confronting Fragmentation)では、2015年末の段階で47万人が死亡、190万人が負傷し、総人口(約2,300万人)の45%に相当する1,000万人強が住居を追われ、うち636万人が国内避難民(IDP)となり、311万人が難民として国外に逃れ、また117万人が国外に移住したという。この数値は2015年末の推計なので、その後さらに増大していることは言うまでもない。

一方、反体制系NGOのシリア人権ネットワーク(SNHR)によると、2017年9月の時点での民間人死者総数は21万2,786人で、そのほとんどがシリア・ロシア両軍の暴力や攻撃によって犠牲になった者という。ちなみに、同ネットワークによると、2017年の民間人死者数は10万204人にのぼる。これに対し、レバノンのジャディード・チャンネルは2017年8月10日、ダマスカス大学医学部法医学学科長の記録に基づき、2011年以降、シリア政府支配地域だけで40万人以上が死亡したと伝えた。この40万人が、民間人なのか兵士なのかは明らかにされなかったが、政府支配下の病院に搬送された兵士の数は、民間人の2倍に及んでいるという。

ちなみに、シリア内戦における死者数の変化を継続的に発表してきた在英の反体制系NGOであるシリア人権監視団(SOHR)によると、死者数は2017年11月初めに34万人を超え、2017年の死者数は3万3,425人に達したという。

死者数の推移(シリア人権監視団の発表をもとに筆者作成)
死者数の推移(シリア人権監視団の発表をもとに筆者作成)
2017年の死者内訳(シリア人権監視団ホームページ http://www.syriahr.com/en/?p=81564)
2017年の死者内訳(シリア人権監視団ホームページ http://www.syriahr.com/en/?p=81564)

減少しない難民、避難民

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、難民は2017年12月31日の時点で548万541人に達した。主な内訳は、トルコが342万4,239人、レバノンが99万5,512人、ヨルダンが65万4,903人、イラクが24万7,057人である。また、国連人道問題調整事務所(UNOCHA)によると、国内避難民は2017年9月の時点で610万人、支援を必要としている人は、2017年12月の時点で1,300万人にのぼる。

状況改善の兆しがない訳ではない。UNHCRは2017年8月11日、1月から7月までの7ヶ月間で、周辺諸国に避難していたシリア難民のうち60万2,759人が帰国したと発表した。この数は2016年に帰国した難民、すなわち68万5,662人にほぼ匹敵するという。またUNHCRは2017年11月27日、シリア南部の緊張緩和地帯(de-escalation zone)での停戦が発効した2017年7月以降、ヨルダン領内から同地に毎月約1,000人の割合でシリア難民が帰還を続けていると発表した。だが、これらの数は、UNHCRが把握しているシリア難民の総数からすると微々たるもので、帰国先の治安状況や生活インフラも決して万全ではない。

難民、避難民の推移(UNHCR、UNOCHAのデータより筆者作成)
難民、避難民の推移(UNHCR、UNOCHAのデータより筆者作成)

「シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後」の狙い

筆者は「シリア・アラブの春顛末期:最新シリア情勢」での情報収集を通じて、2011年3月以降のシリアの政情を細かに見る一方、『シリア情勢:終わらない人道危機(岩波新書新赤版1651)』(岩波書店、2017年)でシリア内戦の経緯を明らかにした。また『混迷するシリア:歴史と政治構造から読み解く』(岩波書店、2012年)では、現下の混乱を発生せしめたより根本的な要因を究明するため、シリアという国家の成り立ちや社会のありようの解明を試みた。「シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後」と銘打った本論考集(本稿がその第1弾にあたる)は、これらの成果を踏まえて『シリア情勢』で書ききれなかった2017年のシリア情勢を振り返る。

『シリア情勢』では、「民主化」、「政治化」、「軍事化」、「国際問題化」、「アル=カーイダ化」という、当事者と争点を異にする5つの局面(ないしは層)が重層的に展開するシリア内戦の「終わりの始まり」が見えてきたと述べた。だが、それは「今世紀最悪の人道危機」の終わりとはほど遠い悲劇の現出を意味していた。これらの局面が絡み合うことで続けられる暴力の応酬のなか、政権、反体制派、そして市井のシリア人のすべてが翻弄され、主体性を失い、介入を続ける部外者の駒になりさがるという惨状だ。

「国際紛争としてのシリア内戦は終わった」という言い回しは、部外者の介入がなくなり、過酷な現実に身を置くシリアの人々が自らの国を取り戻す新たな局面の始まりを意味していない。にもかかわらず「終わった」とはどういうことなのか? 本論考集ではこのことを明らかにしていきたい。

アスタナ会議とは?

まずは、アスタナ会議と呼ばれる会議から話を始めることにしたい。

アスタナ会議は、2017年のシリア情勢にもっとも大きなインパクトを与え、良い意味でも悪い意味でも、国際紛争としてのシリア内戦を終わらせるのに寄与した会議だった。2016年12月半ばのシリア軍によるアレッポ市東部の制圧を受けて発足し、シリア軍と反体制派の停戦、反体制派支配地域への人道支援を主目的とした。

シリア内戦の和平をめぐっては、2012年6月のジュネーブ合意に基づき、国連主催のもと、ロシアと米国が共同議長となって推し進めてきたジュネーブ会議があった(拙稿『シリア情勢』pp. 107-108, 112-114, 145-151を参照)。だが、アスタナ会議の保証国となり停戦プロセスを推し進めたのは、シリア政府を支援してきたロシアとイラン、そして反体制派を後押ししてきたトルコだった。

これらの国によって仲介される当事者、そして会議の目的も、ジュネーブ会議と若干異なっていた。ジュネーブ会議は、シリア政府と反体制政治家を当事者とする和平協議を行い、移行期を経てシリア内戦を最終解決し、持続的和平を実現することをめざしていた。これに対して、アスタナ会議は、シリア政府と「武装集団」(政治家でない)を当事者とし、内戦の政治的解決そのものではなく、それを促すための停戦の実現とその維持に力点が置かれた。

「勝ち馬」に乗ったトルコ

アスタナ会議に参加者のなかで、もっとも注目すべきはトルコの動きだった。なぜなら、シリア内戦の雌雄を決すると位置づけられていたアレッポ市東部での戦闘がシリア軍の勝利をもって決着したことは、反体制派を支援してきたトルコの敗北を意味しており、その後の政治プロセスにおける同国の存在感の低下が避けられなかったからだ。だが、トルコはアスタナ会議を通じて、ロシア(そしてイラン)に擦り寄ることで「勝ち馬」に乗った。

米国との確執

トルコの転身は、ともに反体制派を支援してきた米国との確執の結果でもあった。米国は、大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した2016年11月前後からシリア内戦への関与を弱めていった。2017年1月に大統領に就任したトランプは、イスラーム国に対する「テロとの戦い」を最優先に掲げる一方、「穏健な反体制派」支援の名のもと、アル=カーイダ系のヌスラ戦線を間接支援するバラク・オバマ前政権の対シリア政策を放棄、反体制派への支援を控えるようになった。米国と歩調を合わせるかのように、西欧諸国、サウジアラビア、カタールも反体制派支援から徐々に身を引くようになると、トルコは反体制派との心中を回避するための対応を余儀なくされた。

トルコはまた、2016年7月のクーデタ未遂事件以降、レジェップ・タイイップ・エルドアン政権が容疑者や反体制勢力の徹底弾圧に踏み切ったことで、米国、そして西欧諸国の批判を受けるようになった。トルコは、米国に滞在するフェトフッラー・ギュレンをクーデタ未遂の首謀者と断じ、身柄引き渡しを求めたが、米国がこれを拒否したことで、反発を強めた。

それだけではなかった。米国はシリアでのイスラーム国に対する「テロとの戦い」を推し進めるにあたって、西クルディスタン移行期民政局(ロジャヴァ)の武装部隊である人民防衛部隊(YPG)を「協力部隊」(partner forces)とみなし、積極支援を行った。だが、トルコにとって、ロジャヴァを主導するクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)は、クルディスタン労働者党(PKK)と同根の「テロ組織」で、それに対する「テロ支援」は、安全保障上の脅威として受け止められた。

「安全地帯」の確保

こうしたなか、トルコはロシア(そしてイラン)と協調することで、シリア内戦における影響力を維持しようとした。ロシアとの関係は、2015年11月に、トルコ軍戦闘機がシリア北西部の国境地帯でロシア軍戦闘機を撃墜して以降、劣悪を極めていた。だが、クーデタ未遂事件直前の2016年6月下旬、エルドアン大統領はヴラジミール・プーチン大統領に正式に謝罪して関係を改善、アレッポ市東部での戦闘終結において仲介役を果たした。

アレッポ市東部での戦闘は、トルコの仲介で2016年9月以降シリア軍の包囲を受けていたアレッポ軍に参加する武装集団(参加組織は『シリア情勢』付録の表を参照)の戦闘員とその家族約3万5,000人がイドリブ県に退去して終わった。見返りとしてトルコが得たのが、アレッポ県北部の「安全地帯」(guvenli bolge)だった。アアザーズ市、バーブ市、そしてユーフラテス川右岸の対トルコ国境に位置するジャラーブルス市を含む「安全地帯」は当時、その大部分がイスラーム国の支配下にあり、シリア国内のイスラーム国支配地域とトルコ領内を結ぶ「テロ支援の大動脈」だった。トルコはここを経由し、イスラーム国と反体制派に戦闘員、武器装備、資金が流入するのを黙認(ないしは支援)することで、シリア政府を弱体化させる一方、その東西に支配地域を得ていたロジャヴァが、国境地帯全域を掌握することが抑止されていた。

安全地帯(The Washington Post, July 26, 2016)
安全地帯(The Washington Post, July 26, 2016)

有志連合の支援を受けるYPG主体のシリア民主軍(2015年8月発足)が、2016年6月にユーフラテス川を渡河し、8月にマンビジュ市を制圧すると、トルコも動いた。トルコ軍は同8月、ハワール・キッリス作戦司令室(参加組織は『シリア情勢』付録の表を参照)の名で糾合していた武装集団(兵力は約1,200人)とともに、シリア領内に進攻、2017年2月までにマンビジュ市一帯を除く「安全地帯」を掌握(占領)したのである。

「ユーフラテスの盾」と名づけられたこの作戦を、ロシア、シリア政府は陰に陽に支援した。両国はシリア領内での作戦を主権侵害と批判した。だが、ロシア軍は、1月にトルコ軍とバーブ市に対する合同爆撃作戦を実施し、シリア軍もバーブ市南東のダイル・ハーフィル市に東進することで、トルコ軍とともにイスラーム国を挟撃していった。

ロシア、米国によるトルコ増長抑止

だが、トルコの増長はここまでだった。バーブ市を制圧したトルコ軍は進路を東に変え、マンビジュ市に狙いを定めた。これに対して、ロシア、シリア政府、そして米国が待ったをかけたのである。

ロシア軍は、シリア民主軍と協議し、マンビジュ市西部郊外のロジャヴァ支配地域をシリア軍に引き渡すことで合意した。これを受け、シリア軍所属の「シリア国境警備隊」がトルコ軍とシリア民主軍を引き離すかたちで同地に進駐した。ただし、この部隊をめぐっては、YPG戦闘員がシリア軍の軍服を身につけた「偽装部隊」だとの指摘もある。また、兵力引き離しと並行して、米軍部隊もマンビジュ市一帯に展開し、「人間の盾」となった。

アフリーン市一帯やタッル・リフアト市一帯へのトルコ軍の進軍も、ロシアと米国によって阻止された。ロシア軍は3月、アフリーン市郊外のカフルジャンナ村やジャンディールス市一帯に駐屯地を設置、部隊を駐留させ、トルコ軍の進軍を阻んだ。米国は5月、オバマ前政権時代に支援してきた「穏健な反体制派」の一つムウタスィム旅団に対して、タッル・リフアト市近郊の11カ村をロジャヴァに割譲することを要請、これを認めさせた。

トルコは3月、「ユーフラテスの盾」作戦の終了を宣言した。この作戦により、イスラーム国は「テロ支援の大動脈」を喪失し、シリア、そしてイラクにおいて急速に弱体化していった。一方、ロジャヴァは、ユーフラテス川左岸のいわゆるジャズィーラ地方と、アレッポ県アフリーン市一帯に広がる「飛び地」を貫通させる野望を打ち砕かれた。だが、シリア民主軍は有志連合の支援を受け、イスラーム国の首都と目されるラッカ市に制圧に向けて攻勢を強めていった。

トルコはその後も、ロジャヴァの支配下にあるアレッポ県アフリーン市一帯、タッル・リフアト市一帯、アイン・アラブ市一帯、そしてハサカ県の国境地帯で散発的に攻撃を続け、11月になると、同地に対する大規模な軍事作戦を示唆するようになった。この動きは、2018年1月20日、トルコ軍が「オリーブの枝」作戦を開始し、アフリーン市一帯への侵攻を本格化させることで具体的なかたちを得ていった。

親トルコ武装集団の糾合に向けた動き

一方、トルコの支援を受ける反体制派は、政権打倒、イスラーム国との戦いに代わる新たなアジェンダを主軸として、糾合を続けた。そのアジェンダとは、言うまでもなく、ロジャヴァの殲滅である。

ハワール・キッリス作戦司令室に所属する反体制派は6月、声明を出し、統合作戦司令室の新設を発表した。これを受けて9月に発足した統合司令部と統合司令評議会は、「スルターン・ムラード・ブロック」、「ナスル・ブロック」、「国民軍ブロック」という3ブロックからなり、以下の武装集団が所属した。

  • スルターン・ムラード・ブロック:スルターン・ムラード師団、スルターン・ウスマーン旅団、精鋭軍、北部の鷹旅団、北部旅団、ハムザ旅団、第9師団、第23師団、ジャズィーラ革命家、末裔軍、スルターン・スライマーン・シャー旅団、シャームの鷹旅団、ムウタスィム旅団、特殊任務旅団、シャーム自由人イスラーム運動、イスラーム軍
  • ナスル・ブロック:覚醒師団、東部自由人、第1連隊、第5連隊、アサーラ・ワ・タンミヤ戦線
  • 国民軍ブロック:サマルカンド旅団、ムンタスィル・ビッラー旅団、ムハンマド・ファーティフ旅団、ワッカース旅団、第3旅団

タッル・リフアト市一帯の活動家も6月、「PKK(ロジャヴァ、PYD、YPG、シリア民主軍のこと)のテロ行為に抗戦し、占領された領土を解放する」として「家の者たち」作戦司令室の結成を宣言した。こうした武装集団の連合体は、その後「オリーブの枝」作戦司令室(所属組織は拙稿「ロジャヴァ支配地域に対するトルコ軍の「オリーブの枝」作戦に参加する「自由シリア軍」とは何者か?」Yahoo! News Japan個人、2018年2月1日を参照)の名で、トルコ軍のアフリーン市一帯への侵攻を支援することになった。

続く