2020年10月某日、天気予報は曇りだったが清々しい晴天に恵まれ、双葉駅に降り立つ。

2017年6月の福島第一原発の視察以来3度目の浜通り(福島県の東部にあたり、太平洋側沿岸の地域を指す)エリアだが、来るたびに復興を体感してきた。

まず最もわかりやすいのが、目的地へのアクセスで、2019年6月にJヴィレッジと東京電力廃炉資料館を取材した際には、まだ富岡駅までしかいけなかったが、2020年3月にJR常磐線は全線復旧し、仙台駅まで繋がったのだ。

ホームから見える西側の景色。慌ただしく除染と工事が続いているようだ(筆者撮影)
ホームから見える西側の景色。慌ただしく除染と工事が続いているようだ(筆者撮影)

福島第一原発の5km圏内で放射線量が高く、立ち入りさえも制限されてきた双葉町だったが、避難指示を解除して居住を可能とする「特定復興再生拠点区域」に指定され、2020年3月4日に全町避難が続いていた「帰還困難地域」のうち双葉駅周辺の一部区域で、初めて避難指示が解除された。

避難指示が解除されたのは拠点区域のほんの一部ではあるが、住民が戻ってこれるよう町の約1割の面積にあたる555ヘクタールの除染を進めており、2022年春頃を目処として拠点区域の残りの避難指示解除を目指している。

今回の福島視察の主な目的は、2020年9月20日に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」の取材だったが、着実に復興に向けて歩みを進める双葉町のいまを、できる限り見ておきたかった。

■ 双葉駅と駅周辺の様子

旧駅舎と融合する形で生まれ変わった双葉駅(筆者撮影)
旧駅舎と融合する形で生まれ変わった双葉駅(筆者撮影)

双葉駅は、旧駅舎を残す形で新駅舎が作られ、再生した。現在は休憩スペースになっている旧駅舎の掛け時計の針は、「2時46分」を指したままになっている。

広々とした駅前広場とロータリーが整備されており、中央にある「ふたば ふたたび」と書かれたビビットなブルーの貯水タンクが、澄み渡る秋晴れの空と呼応しているようだった。

双葉駅から伝承館までは約2.5キロ、歩いていくつもりだっだが、シェアサイクルポートを見つけたので、早速使ってみることにした。

シェアサイクルは、左ハンドルについているロックに100円を入れるとチェーンが外れ、利用することができる。伝承館のすぐ向かいの産業交流センターにある専用ポートに止め、チェーンの先端についている鍵をハンドルについているロックに差し込むと、100円が戻ってくる仕組みだ。

東口の階段を降りると左手すぐにシェアサイクルのポートがある(筆者撮影)
東口の階段を降りると左手すぐにシェアサイクルのポートがある(筆者撮影)

現在は、シャトルバスも当面無料で運行を開始しており、常磐線のダイヤに対応する形で午前7時台から午後8時台まで運行し、所要時間は約10分で双葉駅と産業交流センター・伝承館を繋いでいる。

ビジネス目的の客や来館者に加え、今後復興産業拠点の中野地区に立地する企業関係者の利用を見込んでおり、交通手段の整備を通して交流人口の増加や地域経済の活性化を狙うとのことだ。

自転車を漕ぎ出してすぐ、インパクトのある壁画が目に飛び込んでくる。ブロック塀に貼られたQRコードを読み込んでみると、壁画などさまざまアートを手がけるOVER ALLsの「FUTABA Art District」というプロジェクトの一環であることがわかった。

この場所は薬局の跡地だったとのことで、作品名は『ファーストペンギン』。イラストは2007年に閉店するまで長い間地元で愛されたファーストフード店「ペンギン」の店長・吉田岑(たか)子さんがモデルで、ドーナツの穴から未来を見つめるイメージで描かれたという。

否が応でも目に飛び込んでくるインパクトの壁画(筆者撮影)
否が応でも目に飛び込んでくるインパクトの壁画(筆者撮影)

■ 伝承館までの道のりにあるもの

道沿いを走りながら度々立ち止まり、崩れた壁や瓦が剥がれた屋根、割れた窓、伸び切った草木、荒廃した街並みがひたすら続く様を目に焼き付ける。

交通インフラが回復し、駅周辺の整備や除染が進む一方で、震災前は当たり前のようにあったものは、大きく姿を変えてしまっている。

当然ながら、帰りたくても帰ることはできない。家の中には、ハクビシンやイノシシなどが住み着いていることもあるという。

道沿いの民家はコンクリートの壁が崩れていたりと、震災の傷跡をそのまま残している(筆者撮影)
道沿いの民家はコンクリートの壁が崩れていたりと、震災の傷跡をそのまま残している(筆者撮影)

駅の待合室には老夫婦とハイカーらしき人たちがいたが、道中すれ違ったのは道路標識を塗装している方や何かの計測をしている方くらいで、平日の昼下がりに徒歩や自転車で伝承館や産業交流センターに向かう人はいなかった。

ただ、中間貯蔵施設に除去土壌を輸送する作業車などが頻繁に行き交っているので、道中横断歩道がない大通りを横断するのは注意が必要だ。

福島第一原発から約5kmにある閉鎖中の福島県厚生農業協同組合連合会双葉厚生病院(筆者撮影)
福島第一原発から約5kmにある閉鎖中の福島県厚生農業協同組合連合会双葉厚生病院(筆者撮影)

建物に掲げられた「双葉厚生病院」の文字を見つけ、ブレーキを踏む。

原発から近く被曝した可能性があるとして、病院の患者や医療従事者らが自衛隊のヘリコプターで搬送され、放射能濃度の測定や除染などが行われたという3.11当初のニュースを思い出した。動けないまま病棟で不安な思いで過ごされた患者さんも多数いたようだ。

厚生病院のすぐ裏にある、トレーニングルームやサウナ付き温泉プールを完備していた総合福祉施設「ヘルスケアーふたば」は、震災直後二日間だけ避難所になり、約250人が避難したという。

総合福祉施設「ヘルスケアーふたば」(筆者撮影)
総合福祉施設「ヘルスケアーふたば」(筆者撮影)

■ 復興産業拠点である中野地区

道なりに進んでいくと田園風景がはじまり、双葉町内における復興産業拠点である「中野地区」に入っていく。

避難指示解除準備区域である中野地区に復興の先駆けとなる働く拠点(新産業創出ゾーン)を整備することで、多くの事業者に立地してもらい、双葉町への人の流れを創出、交流人口を拡大し、各種サービス業等の民間投資を生み出して、町の復興を果たすとのことだ。

なるほど、田んぼを抜けると先程までの風景はがらりと変わり、東京・仙台間を結ぶ国道6号線に繋がる道路が、「復興シンボル軸」(常磐自動車道常磐双葉ICから双葉駅周辺市街地を通り、海岸部の県道広野小高線までを結ぶ、延長7.1kmの道路)と呼ばれるだけあり、しっかりと整備されている。

舗装された道路の先には伝承館と双葉町産業交流センターが見える(筆者撮影)
舗装された道路の先には伝承館と双葉町産業交流センターが見える(筆者撮影)

そのまままっすぐ進むと、伝承館の手前左手に「営業中」ののぼりがはためく伊藤物産株式会社がある。原発事故発生後に町内で初めてできた小売店だ。

2020年8月に開店したが、当然のことながら近隣住民はいないため、当面は家屋の解体・除染などの復興関連事業に従事する作業員向けの品揃えとなっている。工具や建設資材を中心に1,000種類以上の商品を取り扱っているという。

震災後町内初の小売店となった伊藤物産の店内(筆者撮影)
震災後町内初の小売店となった伊藤物産の店内(筆者撮影)

■ 双葉町産業交流センターと復興祈念公園

伝承館のすぐ向かいには、シェアサイクルの終点でもある「双葉町産業交流センター(略称:F-BICC)」がある。

産業交流センターは、中野地区復興産業拠点の就業者サポート、東日本大震災・原子力災害伝承館、復興祈念公園等への来訪者のサービス提供および一時帰宅する町民に向けたサポートや防災拠点機能の確保を目的として、2020年10月1日にオープンした。

働く場として貸事務所、貸会議室、コワーキングスペースがあり、東京電力ホールディングスの福島復興本社などが入居している。また、飲食店や土産物屋もあり、観光や学習旅行で訪れた方々が利用することも想定された複合施設となっている。

双葉町産業交流センター(略称:F-BICC)(筆者撮影)
双葉町産業交流センター(略称:F-BICC)(筆者撮影)

事務所側から見た外観は役所やオフィスビルのそれであるが、中に入ると1階には福島県産品などを扱う物販スペースやフードコートがあり、交流センターと名付けられたことも頷ける。

フードコートには、13年ぶりに営業を再開した新生「ペンギン」があり、カウンター越しに店主とお客さんが親しげに話し込んでいるのが印象的だった。

ペンギンの隣には、なみえ焼きそば屋もある。地元の人にとっては思い出の味として、県外から来た人たちにとっては、ご当地グルメとして楽しむことができるだろう。

新たに生まれ変わった「ペンギン」(筆者撮影)
新たに生まれ変わった「ペンギン」(筆者撮影)

2階にあるレストラン「エフ」は、ちょうど昼時だったため社員食堂のように賑わっていた。産業交流センターで働く人々に混じって、日替わりランチを頼む。

和やかな空間でごはんを食べていると、働く人の日常そのものに思え、住民のいないエリアにいることを忘れるような、不思議な気持ちになる。

日替わりBランチの「豚肉うなダレ丼」(700円)(筆者撮影)
日替わりBランチの「豚肉うなダレ丼」(700円)(筆者撮影)

エレベーターで屋上にあがると、太平洋側と双葉町を一望できるスペースがあり、約500メートル先に防波堤が築かれているのが見て取れる。

そうか、こんなに海に近いところにあるのだなと、改めて思う。

伝承館に隣接した多目的広場では、小さな芝刈りロボットが2台ひたむきに走回っていて、その奥側では整地工事が進められていた。

双葉町産業交流センターの屋上から海側を眺めた景色(筆者撮影)
双葉町産業交流センターの屋上から海側を眺めた景色(筆者撮影)

産業交流センターを後にして、多目的広場に沿って海の方に歩いていくと、「福島県復興祈念公園」について書かれた看板がある。

福島県復興祈念公園は、東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂をはじめ、震災の記憶と教訓を後世へ伝承するとともに、国内外に向けた復興に対する強い意志を発信することを目的とし、国と福島県が連携し整備するものです

生命(いのち)をいたむ、事実を伝える、縁(よすが)をつなぐ、息吹よみがえる、という4つの基本理念で、広大な公園づくりが計画されてている。

完成予定図ではないとしながらも、「追悼と鎮魂の丘」「さくらの丘」など、数キロ離れた浪江町、震災遺構として保存される浪江町の請戸小学校跡地の方まで繋がる公園がどんな姿になるのか、完成が待ち遠しい。

伝承館との共用部に設置された看板に記された祈念公園の計画図(筆者撮影)
伝承館との共用部に設置された看板に記された祈念公園の計画図(筆者撮影)

■ “非”被災者にできることは、何か

3.11から10年。1つの区切りとして、皆口々に被災地や被災者、遺族について思いを語った。

震災の記憶を風化させないためにも必要、3.11だけ話題になっても被災地の「いま」は伝わらないのでは、そもそも被災者でない者が多くを語るべきではない…いろんな意見があると思う。

そもそも、私が東日本大震災・原子力災害伝承館を取材しようと思ったのは、2019年に富岡町にある東京電力廃炉資料館を取材した際、アーカイブ施設ができることを知り、オープンを楽しみにしていたからだ。

また、その廃炉資料館を取材しようと思ったのは、2017年に福島第一原発に視察に行った際、東京電力の福島復興本社の活動拠点だった「元エネルギー館」が、廃炉資料館として生まれ変わることを知ったからである。

双葉町を取材したといっても、断片的にモノを見ているに過ぎないのかもしれない。だが、福島に行くたびに、次に行きたいところ、変化を確かめたいところに出会う。行けばまた、新しい発見がある。取材であろうと、観光であろうと、何だっていいはずだ。

「住民のいない町が復興のシンボル?」と眉を顰める方もいるかもしれない。

でも私は、複雑に絡み合う利害関係はさておき、震災や津波で失われたものが元通りになったり、生まれ変わる様を見ることで、着実に復興していると感じるし、地道に除染作業や工事に勤しむ方々を目の前にして、「未だ復興は遅々として進まず」などと軽はずみに結論づけることはできないと思うのだ。

これからも私は、自分が行きたいところ、取材したいところ、話を聞きたい人のところに行く。そこでまた、自分なりの復興を感じるために。

※2020年10月末時点の情報をベースに執筆しているため、は一部情報が古い可能性があります

【参考】

双葉町復興ポータルサイト

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