ボクたちはみんな大人だけれど、燃え殻さんの書く100パーセントの恋愛小説を読まずにはいられない

筆者撮影

「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」

これは、Twitterで人気の燃え殻さんのデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』で、「最愛のブス」が「ボク」に向かって言ったセリフだ。

何気ない一言だけで生きていける、事実そういうことがある。「自分より好きになった人」の言葉は、他の何物にも勝る。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、そういうことが書かれた小説だ。その意味でこの物語は、100パーセントの恋愛小説だと思うし、処女作にふさわしいと言える。

「燃え殻って誰?」という方もいると思うが、百聞は一見に如かず、Twitterアカウントを見てほしい。彼の投稿を見れば、「あぁなるほどね」と思っていただけるのではないだろうか。なので、ここでは割愛する。

さて、燃え殻さんが書いたのはどんな小説なのだろうか。

記憶は小説に似ていて、小説は記憶に似ている

物語は43歳のボクの今から始まる。どん底を抜け出し晴れて業界人となり、器用に、でもどこか虚しさを抱えて生きる主人公の日常が描きながら、Facebookという過去の人間とつながる最強にKYなツールをうまく使い、自分の人生を大きく変えた昔の彼女を召喚する。

スノッブな人々の振る舞いや女優の卵との気のないセックスと、「最愛のブス」のみずみずしい記憶とのコントラストが際立つ冒頭で、読者を一気に物語へと引き込む。20年前の記憶が今へと集約されていく様を見届ける中で、人と人とのつながりから生まれる切なさと優しさに、思う存分浸ることになる。

記憶とは曖昧で不安定なものだが、同時に事実よりも鮮明で、確からしく感じるものでもある。だからこそ、過去から現在につながる記憶を紐解くことで、物語になるのだ。

村上春樹は、短編集の中で記憶と小説についてこう表現している。

「記憶というのは小説に似ている、あるいは小説というのは記憶に似ている」

出典:村上春樹『午後の最後の芝生』

恋人についてであれ、他愛のない出来事であれ、忘れられないもの、忘れたくないものの中に物語がある。そして、それらの記憶のかけらを拾い集め、改めてストーリーとして紡いだものが小説だ。

その中には、読む人の記憶を呼び起こし、胸を締め付け、心をゆさぶるものが詰まっていて、登場人物やそこにある世界に自らを重ね合わせ、物語に入り込むことができる。

物語を共有するというその行為において、パーソナルな記憶は普遍的なものへと昇華される。燃え殻さんは、短編小説のようなタイトルが付けられた19の章それぞれのシーンで、現在と過去を行ったり来たりしながら、それをやってのけた。まさに、ストーリーテラーである。

■ 全くの新人の小説が売れる意味

それにしても、この小説は売れ行きがすごい。Amazonの「文学・評論」カテゴリで1位になり入荷待ち、発売日に何店舗か回ってようやく買えたし、異例の売れ方だよなと思っていたら、案の定1週間も経たないうちに、初版の3倍という大増版が決まったとのことだ。

芥川賞を受賞して売れるのとはワケが違う。一般的に、新人作家の初版部数は5000部~7000部くらいだと聞くが、Webで連載していた際の反響などを鑑みて1万部ほど刷ったのかもしれない。そうだとすると、増版により3万部ほどになるだろうか。

Twitterで人気の「140文字の文学者」とはいえ、燃え殻さんはマスメディアに露出していない会社員なわけで、小説というジャンルでいきなり売れるのはほとんど奇跡的と言える。

主人公の経験してきたことは決して「よくあること」ではないし、かといってセンセーショナルな何かがあるわけでもない。10代、20代の読者には当時の感覚は理解しにくいはずだ。わかりやすく共感できるストーリーだから、文才があるから、という一言では片付けられない。

では、なぜ売れるのか。それはやはり、記憶をこれでもかと刺激され、思わず「自分語り」をしてしまう小説だからではないだろうか。

「俺にも似たような経験がある」

「可愛くもないのに、なんであんなに好きだったんだろう」

「私もこんな人と恋愛がしてみたかった」

読んだ人がそれぞれの言葉で、それぞれの経験、物語を語りたくなる、そういう種類の小説なのだ。

Twitterとの相性も良く、レビューよりも早く同時代を生きたおじさんたちが自分語りを始める。それを見たフォロワーは自分も読まなきゃ、だって燃え殻さんが書いたんだぜ? あの人が薦めてるんだぜ?と思わず手に取ってしまう。

それだけ話題になれば、メディアもこぞって取り上げ、露出が増え、燃え殻さんを知らなかった人たちのもとにも届くというわけだ。

■ そして、僕たちは100パーセントの恋愛小説に魅了される

それらしい理由を書いてきたが、最大の魅力はやはり「最愛のブス」の描写にある。つまり、この物語は「最愛のブス」を、徹底してひとりの女性を、描いている。

「ボク」にとって彼女は、女性そのもの、恋そのものであり、はじめて他人を自分より好きになった人だ。そんなことがあり得るかわからなくとも、とにかくそう感じていた。どうしようもない時代だったかもしれないけれど、そこに彼女がいて、それが何よりも大事なことに思えた。

それをこれでもかと書いているから、この物語は100パーセントの恋愛小説として僕らを魅了し、記憶を刺激し、どこかの地点に連れ戻す力を持っている。

「ボク」は「最愛のブス」の言葉を信じて、この小説を書いたのだろうか。もしそうだとしたら、きっとそれは成功したと言っていいだろう。

※私信と受け取られる内容を削除し、加筆修正しました(2017年7月7日 22時25分)