嫌がっていたセクシー。今や真の『セクシーフットボールの申し子』に

1点ビハインドで迎えた34分、乾が個人技からビューティフルゴールを決めた。(写真:ロイター/アフロ)

ロシアW杯グループH第二戦のセネガル戦は、日本きっての技術を誇るMF乾貴士が躍動をした。

0−1で迎えた34分、MF柴崎岳のロングフィードに抜け出したDF長友佑都が絶妙なトラップでコントロールすると、走り込んで来た乾へパス。乾は繊細なボールタッチでコントロールした後、右足インフロントにボールを引っ掛け、ゴールに対して『巻いて来る』ビューティフルゴールをゴール右隅に突き刺した。

再度勝ち越しを許した78分、左サイドでボールを受けた乾は、中央を良く見てマイナスの折り返し。これをファーサイドで交代出場のMF本田圭佑が押し込んで、再び同点に。

乾の1ゴール1アシストの活躍で、日本は強豪・セネガル相手に2−2のドロー。決勝トーナメント進出に向け、大きな前進となる価値ある勝ち点1を掴んだ。

今回が初のW杯となる30歳の乾。ここまで来る道のりは決して平坦ではなかった。

「まだセクシー、セクシーって言われる。今マリノスで出れてないから、恥ずかしいし、嫌や」。

筆者はプロ2年目の2008年の春に乾と食事に行った時、彼にこう言われた。その言葉を放った後に、彼はこう続けた。

「もちろん、セクシーフットボールと野洲に付けてくれた安藤(筆者)さんには感謝しているよ。でも、その意味がかなり違った方向に飛躍をしてしまって、何やってもセクシーになってしまう。俺は俺のプレーをしているのに…。それは本当に嫌なんです」。

『セクシーフットボールの申し子』―。

乾はいつもこう形容される。この源流は彼が高校時代、地元・滋賀の野洲高でプレーしていたときに遡る。

今から13年前の2005年度の第84回全国高校サッカー選手権大会。野洲高は全員がテクニカルで、ドリブルとヒール、パスを駆使した非常にトリッキーで、変幻自在のコンビネーションサッカーを展開。

あまり有名ではなかった高校は、周囲を魅了するサッカーで一気に全国制覇を成し遂げた。

「相手の逆を取りながら、相手の服を一つずつ脱がせて行くようなサッカー」と野洲高・山本佳司監督が表現したように、野洲高のサッカーは『セクシーフットボール』と形容された。

当時、高2だった乾はそのセクシーフットボールの中枢にいた。卓越した技術とセンス、そして豊富なアイデアで躍動する彼が象徴的な存在であったことから、『セクシーフットボールの申し子』と呼ばれるようになったのだった。

この選手権大会を機に、『野洲高=セクシーフットボール』は瞬く間に世間に広がり、サッカー界では誰もが知っているような、ある種のブームとなった。

この『セクシーフットボール現象』に驚いたのが、ほかでもない筆者であった。なぜならば、野洲高にセクシーフットボールと名付けたのは、筆者だったからだ。

そもそも『セクシーフットボール』とは、かの有名なオランダの名手であるルート・フリットが発した言葉だった。彼がニューカッスルの監督に就任したときに、美しいサッカーを約束するという意味で、自らのサッカーを『セクシーフットボール』と名付けたのが始まりだった。しかし、これは正直実現したとは言えなかったが、言葉だけは強烈なインパクトとして残った。

筆者もその言葉が鮮明に残っており、選手権優勝の1年前に野洲高のサッカーを見て、「セクシーフットボールを具現化している!」と感じたからこそ、「このチームは絶対に面白くなる。この1年は追いかけよう」と野洲高の試合を可能な限り取材に行くようになったことが始まりだった。

日を追うごとに完成度が高まっていくチームを目の当たりにして、雑誌で野洲高の紹介記事を書くときに、『セクシーフットボール』を使い始めたのであった。

最初はそこまで浸透しなかったが、選手権で野洲高がその言葉にたがわぬサッカーで選手権を勝ち上がっていくにつれて、どんどんその言葉は加速し、優勝した途端に思わぬ勢いで手の届かないところまで加速していった。

野洲高におけるすべてのことが『セクシー』と置き換えられ、筆者の意図する表現ではないところにまで用いられるようになったことで、筆者はその言葉を使わなくなった。

乾が高2の新人戦決勝。ゴールを決めて雄叫びを上げる。つい数週間前の選手権で大ブレイクした男は、野洲高の絶対的エースとして君臨し、周囲を魅了するプレーを見せ続けた。(安藤隆人撮影)
乾が高2の新人戦決勝。ゴールを決めて雄叫びを上げる。つい数週間前の選手権で大ブレイクした男は、野洲高の絶対的エースとして君臨し、周囲を魅了するプレーを見せ続けた。(安藤隆人撮影)

乾が高3の時の選手権。彼は初戦の真岡戦で見事な直接FKを決めた。翌日、これは『セクシーFK』と見出しがついて、大きくメディアに取り上げられた。自分が付けたのは、そういう意味ではなくて、チーム全体で織りなす素敵なハーモニーに満ちたサッカーを表現したものだったのにもかかわらず、すでに一つの『ネタ』として存在してしまっている。

前年に見せてくれた素晴らしいサッカーへのリスペクトを込めてつけた名は、過熱する報道によって、ネタに変わってしまった。

そうした流れが前述した筆者に対する乾の言葉に繋がる。乾にとってもこの『セクシーフットボール』は、歓迎すべきものではなくなってしまっていたのだ。

ちょうどその話をした2008年の春はまだ横浜FMに所属をしていて、出場機会がまったく無い状態だった。鳴り物入りで横浜FMに入ったのにもかかわらず、期待はずれの結果に終わっている。だからこそ、より付いて回る『セクシーフットボール』が彼を苦しめてしまっていたのだった。

だが、これはもうどうすることも出来ない。その時、筆者は彼にこう言った。

「本当にごめん。でも、これから先、それを体現出来る時は必ず来る。それだけの才能を持っているし、何よりサッカーが好きなんだから、今は苦しくても、難しいことをいとも簡単にこなして、楽しそうにプレーする。それこそが乾にとっての『セクシーフットボール』だと思う。それが出来る日は必ず来る」。

筆者にとって乾は「いつも楽しそうにプレーする選手」だった。技術的に難しいプレーを難しく見せない。平然と意図も簡単なようにこなし、相手の逆を突いて、味方にとっては頼もしく、相手にとっては恐怖のプレーを見せて行く。

2008年6月にセレッソ大阪に移籍をすると、同い年のタレントであるMF香川真司と共鳴し、一気にブレイク。

乾と香川のコンビネーションが魅せるサッカーは、お互いが楽しそうにピッチにイメージを表現し、相手の逆を突きながら翻弄して行く、まさに『セクシーフットボール』だった。

そして、2011年8月に彼はブンデスリーガ2部のVflボーフムに移籍。その翌月の9月に筆者はドイツに取材に行くと、デュイスブルクとのダービーマッチでピッチ上で1人だけ次元の違うプレーを見せた。

1−1で迎えた89分にはCBからの縦パスを受けた乾が、食いついてきたDFに対し、右足インサイドのトラップから反転して、右足アウトサイドでDFの足元を破るスルーパスを繰り出した。これに抜け出した味方FWが冷静に流し込んで、決勝弾が生まれた。

彼らしい非常に華麗で、美しいプレーだった。この瞬間、彼は真の意味で『セクシー』だった。

試合後、彼に「セクシーだった(笑)」と冗談交じりで言うと、彼は「もう!安藤さんまで何なんすか!?(笑)。ここに来てようやく言われなくなったんですから、勘弁してくださいよ(笑)」と笑顔で返してきた。

この会話の表情は横浜FM時代のときとはまったく違っていた。このやりとりで、もう『セクシーの呪縛』から解き放たれつつあるように思った。もう言われても、自分は自分のプレーをするだけという強い意志も感じた。

新人戦優勝の表彰式後、筆者がカメラを向けるとこの一枚。ピッチ内でもピッチ外でも屈託の無い笑顔を見せてくれる好青年。彼の笑顔が彼のプレーのコンディションのバロメーターでもあった。(安藤隆人撮影)
新人戦優勝の表彰式後、筆者がカメラを向けるとこの一枚。ピッチ内でもピッチ外でも屈託の無い笑顔を見せてくれる好青年。彼の笑顔が彼のプレーのコンディションのバロメーターでもあった。(安藤隆人撮影)

そこから月日は流れ、2018年。高校時代からずっと「スペインに行きたい。スペインで楽しいサッカーをしたい」と言っていた夢を実現させ、スペイン1部リーグで出色の活躍を見せると、ロシアW杯メンバーに選出。レギュラーとしてW杯初出場を果たし、セネガル戦でW杯初ゴールと初アシストをマークした。

ゴールシーンはまさに彼がこれまで積み重ねて来た技術を存分に披露したし、あの一連の流れは彼にとって最高に楽しい瞬間だったに違いない。

まさに名実共に日本における真の『セクシーフットボールの申し子』に昇華した瞬間だったように映った。

「もう、セクシーはやめてくださいよ」。

たぶん、乾は今もそう表現されることを嫌うだろう。だが、その言葉に違和感を一つも抱かせないようにしたのは、彼のこれまでの努力の積み重ねであり、どんな苦境に立たされたときも『サッカーを楽しむ』ことを忘れずに、信念として貫き通した彼の真摯なサッカー人生があったからこそであることは間違いない―。