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人気マンガ原作のドラマ『きのう何食べた?』が伝える人生の本質とは?

阿古真理作家・生活史研究家
原作そっくりのカップルの掛け合いが見もの。(c)「きのう何食べた?」製作委員会

 テレビ東京で毎週金曜日、深夜0時12分から放送中の連続ドラマ『きのう何食べた?』は、よしながふみの人気マンガが原作である。同性愛の男性中年カップルの暮らしを食を中心に描いた作品は、料理の場面で作り方の手順までていねいに示す。料理を手ほどきするマンガといえば、1985(昭和60)年に始まった『クッキングパパ』(うえやまとち)がある。どちらも青年マンガ誌『週刊モーニング』で連載中だ。

 二つのマンガを比べてみると、連載を開始した時代で大きな違いがあることが分かる。『クッキングパパ』は、料理が周囲の人たちの悩みを解決する手段になっている。ピザを焼くのに石窯から手作りするなど、特別感がある料理が多い。また、主人公の荒岩一味は当初、自分が料理上手なことを周囲に隠していた。

 しかし、2007(平成19)年に始まった『きのう何食べた?』は日常を描く。だから、筧史朗(西島秀俊)が同居する恋人、矢吹賢二(内野聖陽)のために作る料理は、ごく普通の家庭料理だ。史朗も弁護士事務所の同僚には、料理することを特に伝えていないが、それは私生活を公開したくないことが主な理由だ。

 物語がゆっくりと進むマンガは、レシピ的な料理の場面が目立っているが、ドラマでは展開が速いので、人間ドラマの要素も目立つ。その結果、作品の根底に流れるテーマが、くっきりと浮かび上がっている。

同性愛カップルの平凡な食卓。

 史朗は、バリバリ働いて社会の問題を解決するより、私生活を優先する。「そこそこの収入で人間らしい暮らしをするほうがずっといい。子供に面倒をみてもらう将来がないおれに最後頼りになるのは金だけだろ」と賢二には言う。

 だから、史朗は経済的に自立した40代男性なのに、主婦のような生活感覚を持っている。職場は定時で退社し、激安スーパーで、できるだけお買い得な食材を買う。スイカ丸ごとなど量が多過ぎる場合は、近所に住む主婦の富永佳代子(田中美佐子)と分ける。

 そしてお金の使い方にうるさい。恋人には「お金好きだよね」と言われるが、それはその日賢二がスーパーには売っていない種類だから、と割高のコンビニでハーゲンダッツアイスを買ってきたことに、史朗が怒ったのがきっかけである。

 史朗は料理が大好きである。どんな食材を組み合わせて何を作ろうか考えることも、そのためにお買い得な食材を探す買い物も、帰ってくるなりすぐ取り掛かる食事の支度も、とにかく楽しそうだ。

 初回、史朗は料理を終えたとき、モノローグでこんな風に内心を説明する。「やっかいな案件を一つきれいに落着させたぐらいの充実感だな。こんな充実感を1日に1回必ず味わえるなんて、夕飯作りって偉大だ」

 この日の献立は、塩鮭・ささがきゴボウ・マイタケの炊き込みご飯、豚肉・カブ・カブの葉の味噌汁、小松菜・厚揚げの煮びたし、卵・タケノコの千切り・ザーサイの炒め物。甘い、辛い、酸っぱいを組み合わせたバランスの良い食事。それを賢二は大喜びで食べる。その姿を眺めるうちに史朗の表情も和らぎ、ハーゲンダッツにかかったコストでケンカしギスギスしていた空気も穏やかに変化していく。

 2人の日常は、異性愛の中年夫婦と変わらない。同性愛者は特別な存在ではない、と見る人に気づかせ、自分の生活に引きつけて比べたくなる。リアルな生活感こそ、本作の魅力だ。

和食中心の料理を味わううちに、なごんだ空気になっていく第1話の2人。(c)「きのう何食べた?」製作委員会
和食中心の料理を味わううちに、なごんだ空気になっていく第1話の2人。(c)「きのう何食べた?」製作委員会

日常に支えられる、特別な体験。

 春のエピソードで始まった物語は、第2話で夏、第3話で秋、第4話で冬となる。

 第1話から、史朗の両親はカミングアウトした一人息子を受け入れているが、ちゃんと理解してはいないことが判明している。息子が「同性愛者でも犯罪者でも受け入れる覚悟がある」、と宣言する母(梶芽衣子)は、母娘間の確執を連想させる存在感の重さがある。自然体に見えた父(志賀廣太郎)も、「どんな女だったら大丈夫なんだ」などとズレた質問をする。

 そんな両親を相手にして疲れ切る史朗だが、実家訪問と母への電話はコンスタントに行っているようで、めんどくさいけれど大切には思っているようだ。

 そんな親子の関係がくっきりするのが、第4話。父に食道ガンがあることが判明したのだ。10時間にも及ぶと言われた手術の日、史朗と母は個室の病室で待つ。その間、間欠泉のように、「お父さんが死んじゃったらどうしよう」と泣き叫ぶ母に史朗は驚く。改めて父を好きなのか尋ねると「当たり前でしょ。大好きよ。好きに決まっているじゃない」とはっきり返す母親を、感慨深げに見守る。

 やがて大手術も無事に成功して病院から戻り、実家で休んでいるとき、母はこんな風につぶやく。「お父さんがいつも座っているとこ見ると、なんか、ああいないんだって。もしかするとずっといなくなっちゃうかもしれないんだって。毎日一緒に暮らしている人って特別なのね

 こんな風に、ふと登場人物が人生を語る場面が、折々に挟まれる。その言葉に説得力があるのは、感慨に至る体験がきちんと描かれていると同時に、特別な体験は日常に支えられていることが、史朗と賢二の食卓が毎回描かれることから伝わるからだ。

料理に投影される史朗の人柄とは?

 第4話では、史朗と賢二の出会いも明かされる。同性愛の男性が集まる新宿2丁目のクラブで出会った2人は、史朗が行った美容院で偶然再会。賢二は美容師なのだ。仲良くなった2人はときどき会うようになる。

 関係が大きく進展したのは、年末に賢二の部屋が、上の階の水漏れが原因で水浸しとなり、家具も家電もダメになったことを明かしたとき。貯金もない賢二の困っているさまを見て、史朗は思い切って「うち来る?」と誘う。

 そんな風に始まった2人の同棲も3年。いつも献立は史朗任せの賢二が、クリスマスには、ラザニアと鶏肉の香草パン粉焼きをリクエストする。それは、暮らし始めた当初、「クリスマスだから」と史朗が作ってくれた料理だったからだ。

 ラザニアは手間がかかる料理である。史朗の場合、栄養バランスを考えてのことだろう。ニンニク、セロリにニンジンをみじん切りにして豚ひき肉、トマトの水煮缶を加えてトマトソースを作る。バターと小麦粉、牛乳でホワイトソースを作る。耐熱容器にトマトソース、茹でたラザニア、ホワイトソース、茹でたホウレンソウ、ピザ用チーズ、トマトソース、パルメザンチーズと順に重ねていく。

 史朗の料理好きは、毎回微笑みながら作るだけでなく、手際よく多くの品数を作る、みじん切りが多いなど、手間をかけているところからも分かる。

 しかし、こだわりがあるわけではない。めんつゆやコンソメキューブなど市販の出汁をひんぱんに使うし、食材選びは安さが優先だ。そんな史朗が、おいしいからとスーパーより割高なパン屋の食パンを朝食用に買う。オーブンレンジは2段使える大型タイプ。イチゴジャムを手作りする。

 一見こだわりがないようで、細かい趣味性がうかがえる矛盾が、いかにも人間臭くリアルだ。同性愛ではあるが、どこにでもいる平凡な中年カップルの平凡な物語を描いていながら、視聴者を飽きさせないのは、料理からも分かる細部にまで目が行き届いたリアリティが、物語に説得力を与えているからなのだ。

食卓には人生が投影される。

 仕事を減らしてまで生活を充実させる史朗の人生哲学には、おそらく、彼の若い頃の挫折がかかわっているのではないだろうか。

 彼は一人っ子として両親から大切にされ、期待もされていたのだろう。それなりに豊かな暮らしを送る上品な両親から、彼が優秀な弁護士として活躍し結婚して孫を見せる日を楽しみにしていたことが伝わる。史朗も若い頃には女性を愛そうと努力した。賢二は職場でカミングアウトしていて、恥じることなく史朗に甘えるが、史朗は職場に自分の性的指向を隠し、町で賢二と触れ合う姿を見られまいとする。同性愛者である自分を恥じる気持ちから、自由になれないのだ。

 それはエリート街道を走るはずだった史朗の挫折なのだろう。権力や地位を求める代わりに、日々を大切にし老後に備える人生は、そんな挫折を契機として選んだのではないだろうか。

 その結果、彼は着実に料理の腕が上がり、いくつもの恋を重ねた末に、一緒にいて落ち着ける人生の伴侶と呼べそうな恋人もできた。2人の関係を落ち着いたものにしているのは、史朗が調えるおいしい食卓の力も大きいだろう。

 父の病気のことで、史朗は当初賢二に負担を掛けないために話さないようにしていた。しかし、顧客から話を聞いてもらえるだけでラクになる、と言われたことをきっかけに、賢二に話を聞いてほしいと言い、賢二は喜ぶ。おそらく心を閉ざすことで世の中を渡ってきた彼が、人から影響を受けて変わっていくのは、ありのままの自分を受け止めてくれる伴侶を得て安心しているからだろう。

 本当の幸せとは、自分自身に忠実に生きられることではないか。そんな風に何でもない2人の食卓から思えてくるのである。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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