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なぜ焼き菓子コンテストの『ブリティッシュ・ベイクオフ』はイギリスナンバー1人気番組なのか?

阿古真理作家・生活史研究家
ディーライフで放送中の番組出演者達(C)Love Production 2015

 「ブリティッシュ・ベイクオフ」は、イギリスBBCで2010年に始まり、今や同国で平均視聴率トップを誇る料理コンテスト番組だ。「ベイクオフ」とは、パンやケーキなどを焼く競争のこと。この番組では、イギリス中から集まった腕自慢のアマチュアたちが、オーブンを使ったパンや焼き菓子の技術を10週に渡って競う。

 イギリスでは、社会現象にもなっている。番組が他局に移動したときは、そのニュースが新聞の一面を飾った。審査員のベテラン料理研究家は、70代後半になって大ブレーク。優秀な成績を残した挑戦者たちも「『ブリティシュ・ベイクオフ』出演者」と紹介され、料理研究家などとして活躍している。

 その番組は、現在ディーライフで毎週月曜日の20時台に放送中で、見逃し配信もある。日本でも密かに注目されるこの番組。いったい何がそんなに魅力なのだろうか?

平凡はダメ。しかし技術を伴わない独創性もダメ。

 番組の概要を説明しよう。イギリスの片田舎にある屋敷の庭にテントが張られ、全員分のオーブンつきキッチンセットが用意されている。そのオーブンを使って、10週間の間、毎週2日ずつかけてパン・焼き菓子を作る技術を腕自慢が競う。

 審査員は、ベテラン料理研究家でお菓子を得意とする1935年生まれのメアリー・ベリーと、1966年生まれのパン屋オーナーシェフ、ポール・ハリウッド。ちょっと岸朝子に似た容貌で、優しさと厳しさを兼ね備えたメアリーと、やんちゃで色男のポール。彼らをサポートし、ときに茶々を入れるのは、司会進行を務める芸人&女優のメルとスー。2人は挑戦者たちの間も回り、進行具合を確認。焦る人を励まし、失敗して落ち込む人を慰める。スーはよくつまみ食いをしている。

 挑戦者は、老若男女のアマチュア12人。毎週、2日間に渡って課題に合わせ、制限時間内で3回パン・菓子を焼く。総合点により、毎週1位のスター・ベイカーと、1人の脱落者が決まる勝ち抜き戦である。プロではなく、腕自慢とはいえ素人たちの戦いなので、放送中に見せる失敗も成功もダイナミックだ。

 1回目は、与えられたテーマで、アイデアの独創性と完成度を競うオリジナル・チャレンジ。2回目はメアリーまたはポールのレシピを簡略化して記した紙と材料、道具を与えられて完成度を競うテクニカル・チャレンジ。省略されている情報を、的確に推測し成功に結び付ける挑戦は、経験と勘の良さが問われる。3回目は、構想力と高度な技術を要するマスター・ピースチャレンジ。

 1回目と3回目はレシピも挑戦者が考え、試作してくることが前提だ。ケーキにドライフルーツやスパイスを混ぜ込み、パンでタワーをこしらえる。組み合わせる材料や、その状態によって、すばらしい新作が誕生することもあれば、悲惨な結果が出ることもある。独創性が求められるので、平凡なケーキしか作れない人は早々に脱落していく。もちろん、生焼けになるなどの失敗が目立つ人もダメだ。

司会者のスーと挑戦者のイアン。制作しているのはブラック・フォレスト・ケーキである。冗談を交えた制作中のやり取りの楽しさも見どころの一つだ。(C)Love Production 2015
司会者のスーと挑戦者のイアン。制作しているのはブラック・フォレスト・ケーキである。冗談を交えた制作中のやり取りの楽しさも見どころの一つだ。(C)Love Production 2015

 シーズン6で初回に脱落したのは、プロのミュージシャンのスチュー。チョコレートのスポンジにチェリーを挟むのが基本形の、ブラック・フォレスト・ケーキが課題のマスターピース・チャレンジ。スチューはビーツ入りに挑戦したが、ポールにこんな風に言われてしまう。

「ビーツはスポンジに色を付けてしっとりさせるけど、ブラック・フォレスト・ケーキに使うと、間にクリームを挟むから、スポンジがさらにねっとりした質感になる。だから食べたときにスポンジが生っぽいような印象を受けてしまうんだ」。技術的なアドバイスを明快に説明する。

 残念だったが、この番組では脱落者をメルとスーがハグし、健闘を称える。厳しい挑戦の一方で、出演者たちが作り出す温かい雰囲気が人気の秘密でもある。

 素晴らしいアイデアは称賛される。リトアニア出身の秘書でボディービルも趣味のウグネは、木や森のイメージで飾り付けるケーキが多い中、「倒れたカップとソーサーから、チェリーが転がるイメージ」を、チョコレートとチェリーで作り上げ、メアリーに「すばらしいチョコ細工が作れるんですね」と褒められた。

デコレーションのすばらしさで褒められたウグネ。ケーキの上に載っているのはチョコレートでできたカップ。ただしスポンジの完成度はいまいちだった。(C)Love Production 2015
デコレーションのすばらしさで褒められたウグネ。ケーキの上に載っているのはチョコレートでできたカップ。ただしスポンジの完成度はいまいちだった。(C)Love Production 2015

 また、挑戦者たちの発想や作り方のクセなどから、性格やルーツも見えてくる。シーズン6では、正確性が高く連続してスター・ベイカーに輝く、旅行写真家のイアン、ていねいに作る19歳のフローラ、インド系と思われる発想力が豊かな麻酔科の研修医、タマールなどが図抜けている。彼らがどんなすごいケーキを生み出すのか、これからも目が離せない。

個性豊かな出演者が、魅力のポイント。

 番組の魅力は、出演者全員が個性的な点にもある。何しろ移民の国、イギリスの挑戦者たちの職業やルーツはさまざま。インド系などアジアルーツの人々、アフリカ系の人もいる。年齢も幅広く、本職もバラエティに富んでいる。

 理系の人が計算力・設計力の高さを示すこともあれば、インド系、アフリカ系の人が、スパイスやローズウォーターを使いこなして、審査員たちをうならせることもある。そういった職業やルーツに裏づけられた挑戦者たちが、特に見事な成長ぶりを見せたのが、日本では2018年1月から初めて放送されたシーズン4である。

 このとき優勝を争った3人は、肌の色が全員違う。アフリカ系のルーツを持ち、エキゾチックな茶色い肌とカールしたヘアスタイルが魅力的だった大学生のルビー・タンドゥー。自己評価が低いルビーは、失敗を指摘されると泣きべそをかき、ほめられると別人のように美しい笑顔を見せた。そして勝ち残っていくに従い、少しずつ顔を上げて自信をつけていく。

 黒人でドレッドヘアのキンバリー・ウイルソンは、心理学ドクターで、いつも明るくすばらしいセンスと技術力を発揮して、メアリーたちをうならせた。

 優勝したフランシス・クインは白人。服飾デザイナーの彼女は、物語が大好きで、毎回メルヘンチックで完成度が高い装飾をしたが、最初のうちはメアリーに「味も大切ですよ」とくぎを刺されていた。しかし、後半になると味もほめられるようになった。

 最終回にたたえ合う3人の姿は、ライバルというより同志のようだった。そして、3人ともその後活躍。ルビーは料理家&コラムニストになり、キンバリーは食べものと心理学の関係を研究している。フランシスはお菓子のプロになっている。

なぜイギリスで焼き菓子コンテストが盛り上がるのか?

 挑戦者たちのすがすがしい戦いぶり。個性豊かな出演者たち。厳しい審査。人間性とその背景が浮かび上がる挑戦のプロセス。魅力的で独創性が高いお菓子の数々。番組では、挑戦するお菓子の歴史や文化なども紹介する。ドキュメンタリー番組としても、コンテスト番組としても優れており、挑戦者たちの多様性も、視聴者を引きつける。面白いポイントが満載なのだ。

 とはいえ、社会現象になるほど視聴者の熱気が高いのは、なぜなのか? そもそも、自分でレシピを考案できる趣味のベイカーの層が厚過ぎないか?その背景には、脈々と続くイギリスの「ベイク」の伝統がある。

 イギリスで家庭菓子が発達し始めたのは、産業革命でサラリーマン層が生まれ、彼らの妻として専業主婦に納まる女性が増えたことがきっかけだ。同じく台所設備も近代化され、それまで開放型の暖炉を使っていた主婦たちは、熱を内部に閉じ込めるガスオーブンで料理することができるようになった。便利な調理道具を手に入れ、時間に余裕があった彼女たちは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、砂糖を使ったさまざまな種類のパイ、プディング、クッキー、ケーキを生み出していく。その習慣は、移民として北米に行った女性たちも受け継いだ。

最近、日本でも流行中の、二度焼きしたビスコッティも、シーズン6では挑戦されたお菓子の一つだ。(筆者撮影)
最近、日本でも流行中の、二度焼きしたビスコッティも、シーズン6では挑戦されたお菓子の一つだ。(筆者撮影)

 お菓子作りの文化は、この時期に書かれた英米文学からもうかがえる。有名な『赤毛のアン』シリーズにも、誰それのレシピを受け継いだの、誰それはレシピを墓場に持って行っただのといった話が出てくる。今でも、代々受け継いだお菓子のレシピを持つ人たちがいる。オリジナルレシピも、イギリスの伝統文化なのだ。

 手作り菓子の伝統を持つイギリスは、同時に世界各地からさまざまな人を受け入れる移民大国でもある。歴史と現代が交錯する、ある意味で最もイギリスらしい姿を、番組で楽しむことができるのだ。イギリス人にとっては誇りをくすぐられることだし、海外で観る視聴者たちは、お菓子作りの奥深さとイギリスの魅力に触れる楽しさがある。そして今、イギリスはお菓子ブームに沸き、急速に成長したグルメ大国としても注目されている。そのエネルギーも番組からは伝わってくる。使われる材料の多彩なこと!

 ベイカーたちは、イギリス文化を継承すると同時に、背景が異なるが故の豊かな発想力で革新を行っている。それは、今後のイギリス食文化を豊かに、強くしていくだろう。翻って日本の私たちは、このように多様性を受け入れ、自らの文化を豊かにしているだろうか。

作家・生活史研究家

1968年兵庫県生まれ。広告制作会社を経て、1999年より東京に拠点を移し取材・執筆を中心に活動。食を中心にした暮らしの歴史・ジェンダー、写真などをテーマに執筆。主な著書に『家事は大変って気づきましたか?』・『日本外食全史』(共に亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理は女の義務ですか』・『小林カツ代と栗原はるみ』(共に新潮新書)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版新書)、『昭和の洋食 平成のカフェ飯』(ちくま文庫)、『母と娘はなぜ対立するのか』(筑摩書房)など。

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